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メイン 17 安西春真


「シヅルちゃん。今の外気温は?」


「十四℃です。単純計算ではあと三分ほどで外気温が十℃を下回ります」


 それを聞いて、私は身体をブルリと震わせた。


 武者震いではない。


 純粋な恐怖の現れ。


 常軌を逸した喋るアメタマの急速外気冷却という策。


 私達は今、あの中に学生を三人も放り込んでいる……。


 そして、一般人の女の子を一人、巻き込んでいる……。


 横内さんが居ないのが悔やまれ、この状況を想定出来ていなかった自分の甘さには腹が立った。


 歯痒いというのなら、今正にこの状況。


 失態は無かったと信じたいが、アメタマに出し抜かれたという現状も、認めたくは無かった……。


「シヅルちゃん、身体は鈍ってないわよね?」


「はい、それに関しては大丈夫な筈です」


「うん、良い返事。シヅルちゃん現地に赴くのは何年ぶりくらいになるの?」


「私ですか……? そうですねぇ、大体三年振りくらいでしょうか?」


「そっか。じゃあ気を引き締めていきましょう」


「はい」


 志弦ちゃんはそう返事をしたが、実際に気を引き締めなければならないのは、きっと私の方だ……。


 志弦ちゃんが三年振りなのに対して、私は実質六年振り。身体を鈍らせていた訳ではない。新人育成で実技講習は腐るほどやって来た。だけど、それでも一抹の不安は残る。現場を離れて指令室に引き籠っていた私が、いざ現地に赴いたところで、一体どの程度の動きが出来るのだろうか……。


 それでも、やらなければならない。


 現地に赴かなければならない。


 そういう状況は、決して想定していなかった訳ではない。


 いつだって人手が足りない時には現地に向かえる様にと心掛けていた筈だ。


 それが今日この時だって事。


 状況が常軌を逸しているってだけで、いつもの私の心掛け自体は何も変わっていない。


 外気温が十℃を下回るまでは彼等を信じると決めた。


 しかし、現状の外気温はもう十二℃にまで低下しようとしている……。


 だから、ここは私達が踏ん張るところだ。


「シヅルちゃん。そろそろ私達も出られる準備をしましょう」


 指令室内のロッカーから取り出した二着のコート。


 中に『夏』が密閉されている二つの缶詰。


 位置関係や外気温、湿度や異常状態感知などの役割を一手で担える高性能端末を

二つ。


「……まさか夏に缶詰を開封するとは、流石に思いませんでしたね……」


 本来冬の為に用いられる筈のコートと缶詰だけど、この際そんな事は言っていられない。夏だからと言っていられない。非常時にそれ等が必要であれば、それ等は使われるべきである。


「モモコちゃん。外気温が十℃を下回りました……」


 固定PCのモニターを見つめ、志弦ちゃんから現状の経過報告を受ける。


「……それじゃあ、行きましょう。サジさんにも連絡して。今から飛んで貰いますって」


 ……とうとうだ。


 恐れていた事態という訳ではない。


 学生の三人。スバルくんと、カズくんと、コウくん。その三人では手に負えなかったというだけの事だ。


 ……しかし、それを無理矢理に任せてしまったのは私達だし、そういう指揮をして彼等を窮地に追い込んだのは、他でもない私だ……。


 無茶苦茶な指揮だったとは思わない。


 だけど、現状はこうなってしまっている……。


 どうか、四人とも無事でいて欲しい……。


 今はそう祈るしかない……。



 ――と、そこで「……待って――ちょっと待って下さいモモコちゃん!」と、既に指令室の出入り口へと向けて歩みを進めていた私の背後から、それを呼び止める志弦ちゃんの声が掛かった。



 ただ事では無い声。


 驚きと、歓喜と、不意と、そのそれぞれが同程度に混ざった様な、どうとも取れない叫び。


 私はそれを聞いて踵を返し、視界に入った指令室前方の巨大モニターに映し出されている表示を理解すると、固定PCの前の椅子に腰を下ろしている志弦ちゃんまで一気に駆け寄った。


「どういう事……? なにが起こったの?」


「……分かりません、なにが起こったかはさっぱりです……。だけどこの事態、中心点に居るのはオウウミくん……、いいえ、違います……。中心点は、ハルマちゃん――。この事態を引き起こしてるのは、安西、春真、です……」


「…………」


 私は言葉を失う……。


 それに次いで志弦ちゃんも言葉を失う……。


 勤続十年。


 正式な職員となって七年。


 その中で数々の異常事は見てきた積りだ。


 それでも、今私が見ていているモニターに表示されている事象。


 それは、私がこれまで見てきた異常事の数々と比べて、確実に、そして圧倒的に、それ等の群を抜いていた。


 当初としてその言葉を喋るアメタマが企てたであろう計画は、周囲の『夏』全てを己に取り込みむという自分本位なものであり、それと同時にやつにとっての対抗勢力である、企業、団体、ひいては『特境省』のインターセプトを念頭に置いたものだったのだろう。やつは四季の維持と共に学種四系などに必要不可欠な周囲の『夏』を全て自分で取り込んでしまう事で、自分を排除しようとする者の行動に大きく制限を掛けた。その為に今現在奧海くんは苦戦を強いられており、戦いが長引けば長引くほど、より自分に有利な戦況へと持ち込む事が出来る。自らのコンプレックスであった『夏』を上手く絡めて練られた策だろう。動機と目的と対抗の為の手段が上手く噛み合っている。志弦ちゃんの言う通り、元は博識で、かなり頭の切れる奴だったのだろう。


 自らの身体を捨ててアメタマとなり、コンプレックスである『夏』の収集に精力を注ぎ、怨恨を持つのであろう何かしらの他者へと復讐する。奴は『人』である自分を捨ててまで、己の欲望を満たそうとしているのだ。


 その常軌の逸しかたに私は感服する。


 全く以って恐れ多い。


 これほどまでに自分の欲望に忠実な人間は、良くあれ悪くあれ、感服の極みだ。敵ながら素晴らしいとさえ思える。



 ……だけど。



 ……だけど、だ……。



「……恐らくですね、この喋るアメタマ、ハルマちゃんの『これ』を見越して狙いを付けたんだと思います……。何かしらの手段を用いてこの事を知っていたんでしょう。彼女の特異性を……」


「……はははっ、そりゃあそうよね……。彼女を傍に置いとけば、自分の『夏』の絶対量の少なさなんて、いくらでもカバー出来るもの……」


 巨大モニターと固定PCに映し出された表示。


 ついさっきまで、たったの今まで急速外気冷却によってほぼゼロの状態まで落された『夏』の残量が、その全域を補えるまでに膨大に膨れ上がり、更には他県へと流れ出るほどに、溢れかえっていた。


 メーターで言うところの『振り切れ』。


 まだ七月の初日だって言うのに、ほんの一瞬で十月半ばまで夏が続くだけの 『夏』が、関東一帯に溢れかえったのだ……。


 これを今日の内にどうにかしなければ、明日は間違いなく猛暑日になるだろう……。


「これは……、多分生成してるんじゃないですね……。増やしています。元が少なからず必要なのは多分間違いないと思いますけど、極々少量の『夏』を莫大な量に増やしていますね……。あははっ……、凄い……。これは笑いが止まりませんよ……」


 掠れた笑い声を上げる志弦ちゃんは、頭を抱えて表情を引き攣らせた。


 その反応は仕様が無い事。


 というか、その反応は極めて正解に近い。


『夏』なんて、そうそう簡単に増やせる物じゃない……。


 増やすにしても二つ三つの過程を必要とするし、それなりの時間も要する。パッと工程を経て簡単にサクッと出来上がりみたいなものでは、決してない……。確かに初めて関わる様な素人の子には『漫画』とか『魔法』とかで説明する事も多々あるけれど、現実にはそうじゃあない。漫画や魔法は言わばファンタジーで、こと『夏』に関しては、私達『特境省』にとってどうしようもなく現実だ……。


 それなのに、それなのに春真ちゃんは……、自分の意思かどうかは別として、簡単にかどうかも別とするが、それを莫大な量へと増やして見せた。



 彼女は、コップ一杯の水を海にした……。



 彼女は、一握りの砂を砂漠に変えた……。




 言葉を喋るアメタマ。


 アメタマの身体を乗っ取った人間。


 急速外気冷却を引き起こす程の『夏』の吸収力。


 目的意識。


 行動力。


 欲望。


 性。




 そのどれ等を持ってしても、だ……。


 ……ははっ。



 ……ははははっ。



 ……っははははははははははははははははははっ。





 あーぁ。


 全く……、これはしてやられたよ……。


「最も常軌を逸していたのは、まさかこちら側だったとはねぇ……」


 シヅルちゃん、サジさんに連絡して。


 顔を向けないまま、その表情を悟られないまま、私は志弦ちゃんに告げる。


「待機指示は解除。状況は終了。指令室でコーヒーでも飲みましょう。って。そう連絡してくれれば良いわ」








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