メイン 16 伝わる熱
最初は何だか良く分からなかった……。
兎に角、視界に入るそれが奇妙で不気味で堪らない……。
だけど、人は誰しも怖い物見たさと言う、曖昧と矛盾の両方を併せ持った不思議な感覚を備え持っているものなのだ……。
一度見ただけでは良く分からなかった。
じゃあもう一度。
その感じがもう自分の駄目なところだと思う。
思えば昨日アメタマに遭遇してしまったのだって、その怖い物見たさという安易な感覚からのものだったかも知れない……。
そのドロドロとして鈍い色をした塊。
アメタマから吐き出された異様な物質。
降り頻る雨の中でよくよく目を凝らし、それの形を視線でなぞる。
そうしている内に程なくして、私の鼻を突いたのは、それはもう強烈な、腐敗臭……。
距離が離れているのにも関わらずここまで届く、鼻腔の奥が痛くなる程のその臭いに私は顔を顰めた。そうして鼻を手の平で覆いながらも、その塊からは目を逸らす事が出来なかった……。
それは、怖いもの見たさ。
……あれって、なんだろう?
……あれって、なんなの……?
…………あれって、
…………あれって!
気が付いた時には、鼻を覆っていた手の平を口元に移していた。
胸の底から湧きあがって来るような嘔吐感。
胃の内容物を全て体外に出し尽くしてしまいたい衝動。
「――っおえぇあっああ! ……っぐふ! ……えっ、えっぐぁ」
耐えられる筈も無い。
私はその衝動と身体の反応に身を任せて、その場に全てを吐き出してしまった……。
「……大丈夫か?安西さん?」
後ろを向ける筈も無いこの状況下で、声だけでも心配してくれる奧海くんの優しさが嬉しかった。あと、見られていないとはいえ、至近距離で嘔吐してしまった事に恥ずかしさも感じる……。
「えっ、えっ……っ。――大丈夫……、ごめんなさい。でも、オウウミくんの制服には掛かってないから、それは安心して……」
口の中にそれ等が残っている感覚が気持ち悪い……。
そう言って平気さをアピールすると、奧海くんは、「ははっ、気にすんな。俺は最初同行してもらってた先輩のスーツに全部ぶちまけたからな」と、私を気遣う様に、そう笑った。
「まぁ、何にしても今のは俺が悪い。一言『見ちゃ駄目』って言っとけば済む話だった。悪かったな」
「……えぇ、でもそれは、御気になさらず……。流石にああいうの見るのは初めてだけど、なんとか持ち堪えられてるよ……。それよりも――」
「あぁ、もうちょっとだけ持ち堪えててくれ。それに安西さんの言う通り、『それよりも』だな……」
私が奧海くんに忠告するまでもなく、彼はさっきからずっと頭を固定して、ピクリとも動かしていなかった。恐らくは、視線の先にいる目標物を見定めて。
……大丈夫だ。私は持ち堪えられる……。流石に衝撃は大きかったけど、狼狽して泣きわめいてる様な場合じゃあない。吐いちゃった事だって、奧海くんに余計な心配をさせてしまっただけだ……。
大丈夫……。我慢は出来る……。
奧海くんはもう私に『隠れていろ』とは言わない。きっと、もう私が隠れたからどうなるという状況では無くなったのだろう。その代わりに彼は、「おい、てめぇ……」と、前方にそびえ立つアメタマに向かって声を掛けた。
「その吐き出したもんは何だ? 俺にも後ろの彼女にもホトケサンに見えて仕方ねぇんだけどよぉ?」
すると、その大きなアメタマは、上げていた口角を更に『グイっ』と持ち上げて、やはりいやらしい感じにニヤリと笑う。
「ケキャケキャっ。何ってお前、そりゃああれだ。着なくなった服を捨てたまでだ。破れてボロボロになっちまった、もう着れねぇ服だよ。誰だってそうだろ? 古くなって着れなくなった服は捨てるもんだろ? それと同じだよ。古着屋だって引き取っちゃくんねぇし、廃品回収に出すのもままならねぇ。それなら、もう捨てるしかねぇだろ?」
「……てめぇが殺したのか?」
そのアメタマの言いを聞いて、奧海くんを纏っているだろう空気と声の感じが重いものになった。
「あぁ? 勘違いしてんなよ。まだ誰も殺しちゃいねぇ。お前の後ろにいる姫君様を頂いたら、お前が栄えある第一号になる予定だがな。いまんとこ、まだ誰も殺しちゃいねぇ。ケキャケキャケキャケキャっ」
「……悪ぃけど、俺の方もいまんところここでくたばる予定はねぇんだよ。てめぇが殺してねぇっつーなら、そのホトケサンは一体誰なんだ? えぇ? タコ野郎。ちょろっと俺に教えちゃくんねぇか?」
「はっ、知ってても教えちゃやんねぇよ。若い『特境省』が。無い知恵使って考えてみろや。つーか大体お前よぉ、口が回るだけで掛かっちゃ来ねぇのかよ? んん? 何だそれ? それで時間稼げてる積りか? んん? っつーかなに? 時間稼いでんのか?」
「あぁ? 時間稼いでるかって? んなもんそうに決まってんだろ。さっきてめぇに良いの一発貰っちまったからな。時間稼ぎじゃなかったらこんな口回すような事ぁしてねーっつーの」
「ケッキャキャキャキャッッ。おやおや、おやおやおやおや。そいつは悪い事をしたなぁ若い『特境省』。ごめんなぁ? 悪かったなぁ? 痛かっただろうになぁ。そいつは痛かっただろうになぁあああっ! ケキャカクキャカハハハハハハハハハっ!」
……てっきりここは突っ張る場面だと思ったのだけれど、案外あっさりと奧海くんはそれを認めた。アメタマはそれを聞くと、やはり憎ったらしい感じに表情を歪めて、いやらしい笑みを維持する……。
「……オウウミくん。それって、大丈夫なの……?」
アメタマに悟られない様、なるべく口元を動かさずに小声で奧海くんの背中に問うた。それに対して、彼の方も小声で私に返す。
「あぁ、心配すんな。多分そろそろカズヒロとコウスケが三体落としてこっちに戻って来る筈だ。安西さんは大丈夫。何の心配もしなくて良い」
……違う。
聞きたいのはそういう事じゃない。
……そうじゃなくて――
「……そうじゃなくて、オウウミくんは、大丈夫なの……? さっき良いの一発貰ったって……」
見ると、オウウミくんの左腕の肘部分が、範囲を大きく紫色に変色していた……。見ていた感じでは肘と膝で受けていたので、恐らく左足の膝部分も同じ様な状態だろう……。
「……ま、そうだな……。残念ながら結構キてる……。一応まだ感覚はあるから折れちゃあいないと思うけど、それでも痛い事に代わりはないな……。俺やられた場合安西さん一人で逃げられる?」
「……それはちょっと、余りにもな提案じゃない? 流石に怪我人一人置いて自分だけ逃げるっていうのはねぇ……。オウウミくんは逃げられそうにないの?」
「……うーん、分かんねぇけど、ちょっとそれは無理そうかなぁ……。足やられちゃったしね。あいつ、厄介なだけじゃなくて結構なやり手だったわ。舐めてた訳でも油断してた訳でもないけど、してやられた感じが否めない……」
「さっきモモコさんとシヅルさんの座学で教わったんだけど、何ていうの? 必殺技的なものがあるんじゃないの? 文系とか理系とか、そういうやつ」
「……そーなんだよなー。本当ならそれで一発で終わらせようと思ってたんだけど、……なーんか知んないけど出ないんだよねぇ、それが……。だからちょっとねぇ、ちょっとっつーか大分と困ってんですよ……。はははっ……」
引き攣った様な笑いが奧海くんから聞こえる……。
何か、何か私に出来る事は……?
そう言うべく口を開き掛けたところで、前方のアメタマに先を割って入られた。
「クキャケカカカっ。あれあれ? 黙っちまったか若い『特境省』よぉ? その様子を見るとかなり深手みたいだなぁ? 俺としても一発入れた甲斐があるってもんだぜ。ケキャケキャケキャケキャっ」
「……はっ! 言ってろ!」
どうやらアメタマには私達の会話は聞こえていなかった様だ。まぁ、その為に声を小さくして会話をしていたのだけれど。
「どうしたよ? この状況でもえらく強気じゃねぇか?」
「……ははっ、そう言うてめぇも、随分俺の話に付き合ってくれてるじゃねぇか? えぇ? てめぇにだってこっちに攻め切れねぇ感じの臭いがプンプンするだよ。てめぇの方こそ口ばっかなんじゃねぇの? あぁ?」
奧海くんのその言いは、アメタマにとって最早強がりにもなっていないだろう……。それでも尚強がりの様に言葉を回すという事は、きっと、気持ちの面では絶対に負けちゃあいけないという、そういう強い意志があるのだと、私は思う。それが奧海くんの意思にせよ、『特境省』全体の意思にせよ、だ。
強がりを言い放ち、頭を動かす事無く真直ぐにアメタマを見据えているだろう奧海くん。
しかし、アメタマは奧海くんのその強がりと意思を、飴玉でも噛み砕く様な軽い感じに、小動物を狩り取る様な余裕を見せて、意とも簡単に突き崩しに掛かった……。
「ケキャケキャっ、俺が攻め切れねぇって? ケキャカカカカカカ! アホか! 御目出度い野郎だぜ! てめぇが口で時間稼いでたって事は、俺もそれに付き合って時間稼いでたって事なんだよ!」
アメタマのその言いを聞いて、奧海くんの身体がピクリと反応する……。
「……あぁ、そうかよ。……そっか。意味が分かった……。てめぇが急速外気冷却の大本って事だな……」
「ケキャケキャっ。ま、専門的な用語は知らねぇがな。ここら一帯のはほぼ取り込ませて貰ったぜ。とは言ってもだ、俺の方も運が良かった。経験が浅いのか、若い『特境省』、対話を選んでもらった分こっちも結構助かってたぜ? 次からは俺等みてぇのはなるべく殺す事を最優先で考えるんだな。てめぇにゃあ次なんてありゃあしねぇんだけどよ。ケキャクカアハハッハハハハハっ」
…………。
「……どういう意味?」
奧海くんは今の少ない会話のやり取りで理解出来たみたいだけど、私の方はサッパリ理解が出来なかった……。今日座学を受けた程度の知識しか無い私では、到底理解する事が出来ない。
情報量は不十分。
先と同じ様に小声で問うと、奧海くんはそれに少しだけ間を空けてから答えてくれる。
「……つまり、この辺りの『夏』を全部あいつに取り込まれちまったって事……。クソっ……、安西さんの言う必殺技が出せないって時点でそれに気付くべきだった……。学種四系はかなりの量の夏を使うから、そりゃあ出せなくて当然って訳だったんだよ……。こっちが会話で時間稼いでる積りが、逆に敵に塩を送っちまってたって事だな……。」
そう言うと、奧海くんは制服のズボンのポケットから携帯電話と小型でモニター付きの機械の二つを取り出し、こちらを見ないままでそれ等を後方に投げた。私はそれを慌ててキャッチし、彼の背中に問い掛ける。
「これって……?」
「俺のケータイと、『特境省』から配布されてるレーダー件サーチャーみたいな物。ケータイ使えば『特境省』に電話掛けられるし、そっちの機械使えばカズヒロとコウスケに合流出来る」
「……どういう事?」
「逃げろって事だよ」
…………。
……『逃げろ』って、言ってるの?
私に?
この状況で……?
前方でアメタマが何やらごちゃごちゃ言っているが、それに耳を傾けている暇は私には無い……。
「……駄目だよ。オウウミくんを置いていけない……」
「多分もう俺じゃあれを抑えらんねぇ。夏も殆ど無いし、一分も持ち堪えらんねぇ。だけど三十秒くらいならあれの相手も出来るから、その間に逃げろって。俺の事は気にしなくて良いから。そーゆー事だよ。」
「……駄目よ、そんなの……。気にするわよ。……ちゃんと、逃げるなら二人で逃げましょう? 私だけ逃げたって、そんなのどうにもならないわ」
「いやいや、話の端々で分かってると思うけど、あれの狙いは安西さんなんだよ。だから、俺がここで安西さんを逃がす事は十分に意味がある。俺がやられても、カズヒロかコウスケがあれを落とす。悪いな。今の状況で俺が書ける筋書きはこれしかねぇんだ。だから、それ持って逃げてくれ。安西さん」
逃げてくれって、……逃げてくれったって、……そんなの、そんなの無理に決まってるじゃない……。
「……駄目、ダメダメ……。やっぱり駄目……。それは絶対駄目。何かある筈。……ほら、『夏』が無いなら『夏』を作るとか、『夏』が少ないなら『夏』を増やすとか……、そういうのって出来ないの……?」
問うが、やはりそれも無理な様で、奧海くんは小さく首を振って私に示した……。
「残念ながら無理だね……。今がまず『夏』を作れる様な状況に無いし、『夏』を増やせなくも無いけど、今あるのは俺が纏ってる極々少量の『夏』だけだし、増やすにしてもやっぱり時間は掛かる。ちょっと隠れてサクっと増やそう見たいにゃ出来ないんだよ……。ごめんな安西さん。ハッキリ言っちゃうと現状が八方塞がりだ……。俺にはきみを逃がす事しか出来ないよ……」
あれが何かしらをミスるか、こうしてる内にカズヒロかコウスケが助けに来ない限りはね。
そこまで言って、奧海くんはクスクスと笑った……。
駄目じゃない……。
駄目じゃない筈……。
絶対何かある筈だよ……。
この状況を打破する何かが……。
そう考えてみるが、やはり何も浮かんでこない。
……当たり前だ。一朝一夕でしか関わってない私になにが出来るかすら、それすらも分からないのだから……。この状況を打破する秘策なんてそうそう良い具合に思い浮かぶ筈が無い……。
例えば、私が『夏』を作るとか……。
でもどうやって作るの……?
例えば、私が『夏』を増やすとか……。
でも、どうやって増やすの……?
そもそも『夏』の本質を理解出来ていないのに、そんな事出来る筈が無い……。聞いたところで、きっと分かる筈も無い……。
「おやおや? おやおやおやおや? なんだよ、泣いてんのかい? 我が姫君様よぉ?」
イタチゴッコの思考をしているところ、前方にいるアメタマは目敏く私の心情をそう悟ったのか、ニヤニヤと笑いながら私を指差してそう指摘してきた。
……私は、泣いてなんかいない……。
これは強く降っている雨が私の頬を流れ落ちたもので……、私は、絶対に泣いている訳じゃない……。
……私は、泣いてなんかいない……。
……泣いてなんかいない。
私が…………。
私が……!
私が!
「私が、泣く訳無いじゃない! バッカじゃないのっ!」
そう叫ぶと、辺りは数瞬の内だけシンと静まりかえり、次いで、強い雨がアスファルトを叩く音がバチバチと耳に聞こえて来た。
依然として雨は降り続いているし、雲の中では時たまカミナリが鳴っているけど、私には、ほんの数瞬の内だけ、辺りの音が何も聞こえなくなった。
私は次いで言いを続けた。
それにどれだけの意味があるのかは分からない。
けれど、何かを言わずにはいられなかった。
「何で! 何で私が泣かなきゃいけないのよ! 変な話よ! 可笑しな話よ! 泣く理由なんて一つも無いもの! いきなり出て来た良く分からないあんたなんかに狙われて! 挙句にそんな事まで言われて! こっちだって今日一日色々大変だったのよ! 昨日急にあんた見たいのに出くわして! 今日もまた理由も分かんないであんたに狙われて! そりゃあ『特境省』の人はみんな良い人だったから良かったけど! 今日一日くらいゆっくり考えさせてくれる時間があっても良かっじゃないのっ! ほんとうに! ほんっとうにイライラするわねあんたっ! 姫でもないし! あんたに欲されてもどうしようも無いし! そりゃあ抵抗するわよ! 嫌だもの! あんたみたいなのに良い様にされるのなんか嫌だもの! だから! 今は精々守られるわ! 私は無力だからね! 彼に守ってもらうわよ! 策とか手段とかあるか分かんないけど! 今日の内はオウウミくんが私を守ってくれるわ! あんたなんかオウウミくんが速攻で倒しちゃうんだから! あんたの減らず口とか余裕ぶってるヘラヘラした笑い顔もここまでよっ! ッバァァァアアアアカァッ!」
この数分で溜まった鬱憤だった。
肩で大きく息をして、イライラしてた思いの丈を全部ぶちまけてやった。途中で奧海くんを名指しして指差していたのは無意識だとしても、それは恐らく彼も許してくれるだろう。きっと許容の範囲内だ。
それに何より。
すっごいスッキリした。
雨がアスファルトを叩き、雲の中ではカミナリが鳴り、私の大立ち回りから次いでその自然音の中に混ぜられた人工音は、「――っくははははははははっ!」という、奧海くんの大きな笑い声だった。
「そりゃあそうだ! なにが悲しくて泣く訳でもねぇ! とんだ思い違いだったな間抜け面が! 俺等二人して、そんで『特境省』総出でてめぇ等には迷惑被ってんだ! 勝手に恥ずかしい思いしてんじゃねぇよ! 馬鹿がっ!」
圧倒的に不利なこの状況。それでも私達二人は前方の敵をバカと罵って笑う。
大した根拠は無い。それでもこの状況、奧海くんが私を守ってくれると、そう思う事にしよう。そう信じる事にしよう。
対して、圧倒的有利なこの状況ですら相対者にバカと罵られるアメタマ。しかし、それは冷静だった。私達の言葉を聞いてはいるものの、それを意に介そうともせず、どこか逆に私達を小馬鹿にしたような、そんな表情でアメタマはこちらを見据えていた。
「あーぁ……。いやはや、そういう口の悪い事を言うかね姫君様も。女の子なんだからそんな汚い言葉は使っちゃ駄目だと思うぜ? 俺はよぉ。昨日見た時はもっと大人しい感じかと思ったが、なかなかに活発でいらっしゃる。クキャキャキャっ、まぁ、別にそういうのが嫌いな訳でもねぇんだけどな。ケキャケキャ」
まだそんな事を言っているのか……。
私は純粋にそいつの言いをそう思って顔を顰めたけど、奧海くんはまた、その私の感想とは違う観点でやつの言いを聞いていた様だった。要するに、「……んん? てめぇ、いま『昨日』っつったか?」と、奧海くんはアメタマの言いに反応したのだ。
「昨日のアメタマもてめぇだったって事か? それで安西さんを見定めたって事か?」
彼女になにを感じた? 奧海くんは語気を強めてそう言うが、アメタマは依然として飄々とした態度を変えない。明らかに私達二人を軽んじている風の素振り。
「んあ? ケケケっ、まぁそうだな。ケキャケキャ。確かにあれは俺だったけど、厳密に言やぁ俺じゃねぇ。俺の一部を核として使用したってだけのもんだ。とは言っても、昼ん時から気配がねぇから、さっきてめぇ等と一緒にいたオトモダチのどっちかに倒されちゃったんだろうけどな。いやぁ、昨日はビビったね俺も。欲しい欲しいと思ってたもんが見付かった時の喜びときたら、言葉じゃ表し切れねぇよ。心底俺は今日と言う日が待ち遠しかった。そして、実際に手に入る喜び。ケキャケキャケキャケキャっ。だからよぉ、若い『特境省』……」
アメタマはそこで一度言葉を句切る。不良の様に指をボキボキとな鳴らす仕種をして、勿体付ける様に続きの言葉を口にした。
「てめぇとの遊びも楽しかったけど、そろそろ終わりにしてぇんだよ。あんま長居はしたくねぇんだ。他の『特境省』相手にすんのも面倒臭ぇし、俺の方もさっさと姫君様を取り込みてぇしな」
「あぁ? 『取り込む』って何だ『取り込む』って? どーゆー企みだよ? あぁっ? 急にペラペラ口が軽くなってんじゃねぇか? まだてめぇの勝ち確じゃねぇぞ? 安心してんじゃねぇよタコ野郎がっ!」
「ケキャケキャっ、よく言うぜ若い『特境省』が! 分かってんだぜ? てめぇに決めてが無いって事もな! 俺の『夏』の独占は揺るぎねぇって事だよ! 俺は安心しててめぇを狩れる! 余裕こいて強がんのもここまでだ! そのまま死ねや! 若くて弱い『特境省』がっ!」
そう叫ぶと、遂にアメタマは対話を放棄してこちらに突っ込んできた。
対面から向かってくる物の速さと言うのは大概が分かり難いものだけど、これは、随分と速い速度に思える……。
雨水を捲き上げて、自らで吐き出したドロドロの塊を押し潰して、先程奧海くんと攻防を交えていた時の様に、前傾姿勢で、両腕を広げて、こちらに向かってくる。
安西さんは逃げろ!
奧海くんはそう叫んだけど、私はそこで立ち尽くす。
豪雨の中で立ち尽くした。
……だって、逃げろって言われたって、何処に逃げろって言うのよ?
私が逃げたら、奧海くんはどうするの? 奧海くんはどうなるの? あのアメタマと一戦交えて、深手を負って、下手すりゃ死んでって……。私を守ってくれるんじゃないの? って言うか、私はもう奧海くんに守って貰うって公言しちゃったし……。最後まで、ちゃんと私を守ってくれるんじゃないの……? 昨日だって、守ってくれたじゃない……。今だって、ちゃんと守ってくれてるじゃない……。
守ってくれてるじゃない……。
今だって、ちゃんと私を守ってくれてるじゃない!
「……嫌よ」
私は、奧海くんの背中に言葉を掛けた。
「嫌よ! やっぱり嫌! 逃げるなんて嫌! 奧海くん一人だけ残して私だけ逃げるなんて! そんなのやっぱり駄目よ! だって! だってよ!」
私は、昨日も今日も、今正にこの時だって……。
「私は! 昨日も今日も! 今この時だって! 貴方に守ってばかりだもの!」
言って、私は一歩を踏み出して、奧海くんの隣に並んだ。
彼の手を、強く握り締める。
雨に濡れていても、ちゃんと暖かさが伝わる。
彼が今生きている証拠。
それは、確かな温もりだ。
「――っ! どういう積りだあんた! あれはあんたを狙ってんだぞ!」
奧海くんはそう怒鳴るけど、そんな事は分かっている。
百も承知だ。
分かり切っている事実。
だけど、それでも、例え私がこの状況で何も出来なくても、奧海くんの助けにならなかったとしても、足手纏いにしかならなかったとしても、この状況で逃げるなんて、私は嫌だ!
だって!
だってよ!
ここで逃げるなんて!
この状況で逃げるなんて!
「私、ここで逃げたら馬鹿みたいじゃない! ここで逃げたら、凄くカッコ悪いじゃない! 昨日も今日も守ってもらってばっかりで! 私ったら凄くカッコ悪い! ここで逃げたらもっとカッコ悪い! 私にだってカッコ良い事の一つくらいやらせてよ! ここで逃げて助かっても、私は絶対後悔する! 後々になって絶対この時の事を悔むわ! 私だって!」
私だって!
「私だって! ちゃんと! 明日から! 『特殊環境保全省』よっっ!!」
瞬間、握っている彼の左手の温かさが一気に増していった。
瞬時に暖かく。
瞬時に熱く。
自分の右手諸共溶解するのではないかと言う程、それは熱く。
もう死ぬかもという時。
あのアメタマの突進を受けて弾き飛ばされ、地面に身体を強く打ちつけて死ぬのではないかという時。
そんな最中に、私は彼の手の熱さが心地良く思えた。
死ぬのは怖い。
怖くない筈が無い。
だけど、
今なら私は、
このまま死んでも悔いは残らないと、
そう思った。




