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メイン 13 考察


「ごめんシヅルちゃん、ちょっと一杯コーヒー淹れ直してもらって良い?」


「良いですよ。ふふっ、お疲れですかモモコちゃん?」


「んー? ……まぁねぇ。お疲れではないけど、色々重なっちゃったから今後の気が重いよ。ハルマちゃんは大歓迎なんだけど、今日の模造品。あれはちょっとキツイね……」


「お察しします」


「……うん。スバルくんとカズくんとコウくん、あの三人は現『特境省』内でエースを張れる逸材だけど、如何せん経験がまだまだ浅いから……。経験だけじゃ『夏』の力量は測れないって言っても、やっぱり経験はそれなりに必要よ。今年の夏は都内を三人に任せようと思ったけど、模造品が出て来たってなると、ちょっと話が変わってくるわ。流石に誰かしら二人くらい戻って来てもらった方が良いかしらねぇ……」


「うーん、その辺りの難しい判断は私には出来ません。でもまぁ、私が言える事があればですねぇ、あの三人は見た目同様に結構タフですよ。頭の回転も速いですし、責任感と思いやりもあると思います。それに、何といっても『若い』の一言に尽きますね。あの三人なら、経験の浅さは力量と若さで補えると思います。私とモモコさんも十分若いですけど、実際力量ではあの三人の方が上な気もしますし。もし本当に三人で駄目そうだったら私達が出ても良いですし、指令室は手負いのヨコウチさんにでも任せておけば良いですよ」


 私の前にコーヒーカップを置くと、志弦ちゃんも自分用のコーヒーカップを手にして私の向かいの席に腰を下ろした。


「で、実際どうです? ハルマちゃんの方は?」


「実際ねぇ……。あの子はどうだろう……。うちに所属してくれる分には心強いけど、もしフリーの立ち位置になるとしたら、かなーり危険な因子になるわね」


「ふふっ、つまりはかなり良いセンスって事ですよね?」


 私は志弦ちゃんの淹れてくれたコーヒーを一口飲む。人柄が表れている様で、志弦ちゃんの淹れてくれるコーヒーはとても美味しい。彼女が忙しい中でも我が儘を言ってわざわざ淹れてもらうだけの価値がある。


「良いセンスも何も、彼女は恐らく天才の部類よ」


「あはははっ、天才の部類で天災の部類でもあるって感じですね」


「実際笑えないけど、ま、そんなところよ。天才であり天災でもある。本当に自然発生だったら恐ろしいレベル……。ちょっとこれを見てくれる?」


「? 何ですか?」

 志弦ちゃんに渡したのは数枚の資料で、それはついさっき春真ちゃんに受けてもらった第一夏適性検査の解答用紙。

「へー、かなり解答率が良いですね。モモコちゃんの言う通り、文系も理系も良いセンスしてると思います。体育会系と文科系は分からないですけど、この解答を見た感じじゃあ文系と理系はかなり高い素質を持ってますね。確かに、これで自然派生なら恐ろしいレベルだと思います。」


 志弦ちゃんは春真ちゃんのペーパーテストの解答を見てそう言う。殆ど私の初見と同じ感想だったが、「……ん? ちょっと待って下さい。これってどうやってるんですか……?」と、志弦ちゃんもその解答用紙の異様性に気が付いた様だった。


「志弦ちゃんも気が付いた?」


「……はい。解答欄だけ追ってたら気が付きませんでしたけど、これって……」


 志弦ちゃんが指差した箇所。私も初見では解答欄だけ追っていて気が付かなかったけれど、流石はスピードスター、一目見てそれに気が付いたらしい。


「この数式、私見た事無いんですけど……」


「そうなのよねぇ。私だって見た事無いわ。そんな数式。」


 私は苦笑いで答えるが、志弦ちゃんは驚愕し、表情を凍りつかせている。

それは無理からぬ事だ。


 なんせ、解答者の安西春真ちゃん。既存の数式を使わずに、自己で成立させたオリジナルの数式で解答を導き出していたのだから。恐らく現二十二世紀の数学界でも、未だに認知されていないだろう計算方法。


「これって、今の数学界が卒倒するくらいの事、ですよね……?」


「それと同じく物理学界も卒倒するわ。ま、数学者と物理学者は肩を落として頭を垂れるでしょう。こういう彼女にとってイレギュラーな場所でこうやって堂々と使うくらいだから、多分ハルマちゃんは自分の編み出した数式に相当な自信を持っているのね。これで彼女の『夏』はほぼ間違いなく『理系』に属する事が分かったわ。ハルマちゃんが居る時は言わなかったけど、自然発生より遺伝の可能性の方が濃厚になってきたわね。『理系』の特色が強すぎる。遺伝だったとしても天才の部類に入れるけど、もし彼女が自然発生だとしたら、きっとハルマちゃんは超天才の部類ね。誰も自分で計算式作ろうなんて事しないもの。重要なのは『この計算式も知っている』のか、それとも『この計算式しか知らない』のかってところかな。」


「うーん……、高校側は何故この彼女の学力で騒ぎが起きないのでしょうか……。この数式ははっきり言っちゃうと笑えないくらい異常です。分野外の教師なら未だしも数学教師と物理教師なら百パーセント分かると思うんですが……」


「ま、解答欄だけ追ってたらまず分からない事だからね。今の時代解答用紙には解答欄しか設けてないから。『計算は別紙で行ないなさい』ってのが一般的だし。それに、高一の女子が数学界に革命をもたらすなんて誰も思ってないのよ。」


「……天才は不遇な者ですね。認める者が居なかったら埋没するだけですから」


「うふふっ、天災だって不遇な物よ? 誰も欲しちゃいないもの。」


 志弦ちゃんは春真ちゃんの解答用紙を私に返し、コーヒーを一口飲んでからテーブルに頬杖をつくと、「彼女は世に認知されるべきなんでしょうか?」と呟いた。


「さぁねぇ。それは彼女が望んで決める事よ。『特境省』に属するか属さないかって事と同じ事でね。私達がどうこう言う事じゃないわ」


「……そうですけど、私はこれは勿体無い気がします」


「私も勿論勿体無い気はするけど、肝心なのはハルマちゃんが数学者になりたいかどうかだから。夢は大きく沢山持って欲しいけど、その中から『特境省』を選んでくれるのなら、私はとても嬉しいわ。ハルマちゃんだけじゃなくて、スバルくんも、カズくんも、コウくんも。ま、希望込みの話だけど」


「……そうですね。現状ハルマちゃんとシンタニくんはどうか分からないですけど、オウウミくんとヒヤくんは『特境省』に来てくれるみたいですし、あながち希望だけの話じゃ無くなってきてもいますし。それもあと二年弱で結果が出ますよ。彼等が決める最終的な進路に、私達は期待しましょう。」


「若しくは、二十代前半でイケメンの男の子にアンノウン反応が出るまで待ちましょうか」

 そう言うと志弦ちゃんは、「あははっ、そうですね。私もそれが良いです」と、私の冗談に薄い笑いで返した。


 思えば志弦ちゃんも、遺伝とは言え六年前に初めてアメタマと遭遇し、三年前に苦渋の決断をして『特境省』に入って来た内の一人だ。ハルマちゃんの気持ちは同校の三人と私達二人を含めた上で、志弦ちゃんが一番理解出来るところだろう。私や同校の男の子三人が色々言うより、少し年上だけど物腰が柔らかい志弦ちゃんみたいな子を当てた方が、ハルマちゃんにとっても良いのかも知れない。


「ハルマちゃんの事はまた明日彼女を交えて話しましょう。許可も取った上で家系と血筋を洗い出して、自然発生と遺伝の両方の可能性を考慮して話を進めるのが良いでしょうね」


「はい。それじゃあハルマちゃんに関しては、ここで二人で話せる事はあまりないって事で大体明日に持ち越しですね」


「うん。ハルマちゃんの事はそれで良いとして、問題は次なのよねぇ……」


 気が重い感じを隠さずに私がそう言うと、志弦ちゃんは「模造品の事ですよね?」とそれを察し、私が用意したハルマちゃんの解答用紙とはまた別の紙束を取り出した。


「ん? これは?」


 志弦ちゃんからその紙束を手渡されながらそう問うと、「私なりに纏めた簡単な考察資料です」と返ってくる。


「過去の資料と見比べても特異性が明らかですね。モモコちゃんって今回の概要はどの程度聞いてます?」


「いや、模造品が出たって事だけで、殆ど全く知らない感じ。寧ろこれからシヅルちゃんに聞こうと思ってたから丁度良いよ。教えてもらって良いかしら?」


「ふふっ、私もこれからモモコちゃんに教えようと思っていたところなので、同じく丁度良いですね。私も実際に見た訳じゃなく、男の子三人から連絡受けて聞いた感じなだけなんで詳しいところは説明出来ないと思って下さい。それでも一応聞いただけの範疇で私個人としての終着は見付けた積りです。説明は作った資料を追いながらにしましょう。まずは一枚目を見て下さい」


 手渡されたダブルクリップで綴じられている資料。その一枚目に目をやると、そこにはびっしりと文字が配列されており、十枚程度の資料ではあるが、それはさながら『何処の学会にでも提出するのか?』と思うくらいにしっかりと作られていた。私の作る様な物とは大違い……。


「……流石スピードスター。仕事の出来が違うわね……」


「褒めすぎですよモモコちゃん。とは言っても、私もそれは満更でも無いので、その御褒めの言葉は有難く受け取っておきますよ」


 志弦ちゃんは可愛らしく笑うが、ハルマちゃん達が指令室を出て五分もしない内に過去の資料をさらい、その上でクオリティを落とさずにこれを作るのだから、そら恐ろしい早さだ……。


 もう言ってしまうと気持ち悪いくらいに……。


「さて、とりあえずこの一枚目を見てもらえば分かると思うんですが、今回のオウウミくんとヒヤくんとシンタニくんが相手にしたアメタマ。ヒヤくんが相手にした一体とシンタニくんが相手にした二体には模造品の『中核』が使用されていました。模造品と言っても作りはかなり簡素なもので、サプライ商品などで使われるカプセルが外枠となり、中には小動物の死骸が入っていたみたいですね。」


「外枠にガチャガチャのカプセルねぇ……。流石にそりゃあ簡素すぎる。他勢力の介入でも企業と団体は消えたね」


「はい。団体ならこの程度のものでもギリギリ使うかも知れませんが、企業はまず無いでしょう。ギリギリ使うかも知れないと言っても団体の確率も低いですね。これを使用しなければならない団体の予算なんて多寡が知れています。そんなところがうちに喧嘩吹っ掛けようとする事自体が間違ってますから。なので、第一の候補としては力を誇示したいだけの個人って線が濃厚でしょう」


 私もその志弦ちゃんの言いには同意見だ。ガチャガチャのカプセル如きの模造品で喧嘩を売れるほど『特境省』は安くないと企業や団体は既に知っている。これが様子見の第一陣だったとしても考えが浅い。確かに歴史を遡ればそういう企業や団体が無かった訳ではないが、そんな手法は百年以上も前に踏み荒らされた後の土地だ。『第一陣を安価で済ませ、二陣三陣に完成品を出す』なんて過去の戦法はやり尽くされている。そもそもアメタマを作る場合、本物の『夏』を中核に据えるのが一番効果的で支配力も強い。わざわざ模造品を使う辺りが個人の愉快犯丸出しだ。自分の力を試してみたいという欲求が全面に出ている。


「中身の小動物の死骸っていうのは?」


 話の流れ上そこにも触れる必要があるのだが、私がそう問うと、志弦ちゃんは少しだけ表情を顰めて、「そこが、今回のちょっとした問題なんですよ……。」と、言い難そうに首を傾げ、「まぁ、ちょっと説明しましょう。四枚目の用紙を見て下さい。」と先を続けた。


 私は用紙を捲り、目を通す。


「今回ヒヤくんとシンタニくんが落したアメタマは合計で三体です。その三体全てに模造品が使われていたんですけど、問題はその中身なんですね。まずヒヤくんが落したアメタマの模造品の中身が鼠の死骸。これは、私が最初に聞いた分にはハツカネズミだと思ってたんですけど、よくよく話を聞いてみると、それはドブネズミだという事が分かったんです」


「……ふーん? ちょっと私には分かり辛いかな……。話を聞くよ。ドブネズミだと何か不都合があるの?」


「あぁ、すみません。今回模造品を用いてアメタマを制作したその個人は、ハツカネズミを使った方が良いんです。……良いと言うか、ハツカネズミを使った方が危険が少ないんですね。ハツカネズミなんてペットショップで安価で購入出来ますし、何処かしらの研究所に行けば無料で頂ける事もあります。それなのに、その個人はわざわざ下水道や不衛生な場でしか手に入らないようなドブネズミを、模造品の核として使用しています。有害な菌を保有している場合もありますし、ハツカネズミの方がおとなしく、ドブネズミの方が数倍凶暴なのにも関わらず、です。ハツカネズミを差し置いてドブネズミを使う道理がありません。あえてドブネズミを使わなければならない、そういう理由が無いとも限りませんし、少なくともそういう前提があった場合の私なりの考察もありますが、それは資料を説明していく上で出てきますので追々にしましょう。兎に角、ハツカネズミを差し置いてドブネズミを使うその個人は相当にマッドな人物像だと思ってもらって良いと思います。ま、所謂危険人物ですね。そう考えると力を誇示したいだけっていうのもしっくりきます。ま、要は愉快犯の典型例です。企業と団体を省いた場合の意見ですし、ここまできたらもう完全にその二つは省く事にしますけど、どうですか?」


「うん、私もそれで良いと思う。今回の件は個人の愉快犯を主軸として話を進めましょう」


 はい、それではその様に。

 そう言って志弦ちゃんは用紙を捲るので、私も同じ様に用紙を一枚めくった。


「それでは次なんですが、次のはシンタニくんが落した一体目のアメタマですね。これの模造品の核には鳥の雛の死骸が使用されていました。これも前記のドブネズミ同様、いくつかの問題点があります」


「さっきのがドブネズミだから、次は意表を突いて日本には存在しない鳥の雛とかそんな感じ?」


 志弦ちゃんにばかり重めの内容の話をさせるのは少しだけ申し訳ない気がした。コーヒーを飲みながらではあるけど、私も適当な案でそう相槌を打つ。すると、「正解ではありませんが、モモコちゃんのその意見はかなり良い線行ってますよ」と、その案にはまさかの返事が返って来きた。


「……ごめん。どゆこと?」


 言ってしまうと、私のそれは最早適当だったといっても間違いではない。私は『良い線』と称した志弦ちゃんのその真意を問う。


「シンタニくんの連絡ではヒヨコと受けていたのですが、彼もその鳥の雛に少しだけ違和を感じていたのでしょう。写真を取って送ってもらったところ、それはヒヨコであってヒヨコでは無いものという事が分かりました」


 ……残念な事に、やはり私にはそれがどういう意味だか分からない……。困惑しているとそれを悟ってくれたのか、志弦ちゃんは続けて口を開いてくれた。


「通常、鶏の卵は産んでから二十日から二十二日程で孵化します。それが鶏の雛、ヒヨコとして位置付けされるのですけど、シンタニくんが落したアメタマの中核に据えられた鳥の雛の死骸、送られてきた写真を見る限り、産み落とされて十五日程の卵を無理矢理に割り開けて中の雛を取り出したものだと思われます。つまり、ヒヨコであってヒヨコで無い物。ヒヨコの成りかけって感じのものですね。人間で考えたら分かると思いますけど、妊娠八カ月程の妊婦の腹を裂いて胎児を無理矢理に取り出すって事です。人の考え得る所業とは思えません」


 …………。


「……何ていうか、ハルマちゃんが居なくて良かったわね……」


「えぇ、全くです。流石にハルマちゃんが居たら私もオブラートに包みましたけど、多分オウウミくんには話の内容がこうなると予測が出来ていたんでしょう。彼のファインプレーですね。初日からいきなり黒々とした話を聞かせるのにはこちらにも抵抗があります。……とは言っても、まぁ、濃硫酸の話とかしてしまいましたけど、それでも鼠の死骸とか鳥の雛の死骸とかの話よりはいくらかマシだと思います。結果オーライですね」


「……現状はオーライと言い難いけど、ハルマちゃんの事に関してはこれが正しかったから大丈夫。当面の問題は模造品の方だけに絞りましょう。この件はなるべく早い内に蹴りを着けるわ。長引かせても良い事無いもの。シヅルちゃん、続きは? どーなってる感じなの?」


「続きですか? 続きも気持ちの良い話じゃあないですよ?」


「それでも話をしなきゃあいけないのが、私達のお仕事なんですよ」


「ふふふっ、ごもっともです」


 志弦ちゃんはまた一枚用紙を捲り、私もそれに倣う。

 枚数はもう残り少ない。


「えー、前記の二体のアメタマに使われていた模造品の『中核』、これ等は共通して小動物の死骸を用いて疑似的に活動させていましたけど、途中で現れた四体目、当初出現したアメタマは三体でしたが、オウウミくんが相手をした六メートル級のものには今回逃げられてるので、便宜上としてシンタニくんが相手をした二体目のアメタマを『四体目』とします」


「……うへぇ、またオウウミくんアメタマに逃げられたの? 昨日と合わせて二回目よねぇ。昨日はハルマちゃんの事があったけど、今日のは流石にいただけないよ……。私の一存で減給処分にでもしちゃおっかなー」


「それについても説明していきますが、まずはこの四体目の方を先に済ませちゃいましょう」


 志弦ちゃんはそう言うと、コーヒーを一口飲み、少しの間を空けてから口を開いた。


「この四体目。これも同じく模造品の『中核』で動いていた訳なんですが、中身は小動物じゃありませんでした」


「へー、何だったの? 予想としちゃあ野菜の切れ端か蝉の抜け殻なんだけど」


「いえ、人間の一部です」


「ふーん、どの部位?」


「眼球が二つ、特定不明の部位の指が三本、削ぎ取られた鼻、あとは隙間を埋める様に大量の毛髪。シンタニくんから貰った連絡ではそう言ってましたね」


「はっきり何処の部位か分かったって事は形が残ってたのか。潰されたり砕かれてたりはされてなかったのね? あと、髪の毛、毛根は残ってたの?」


「シンタニくんからの連絡では部位の名称がはっきりしていたので過剰に砕かれたりはしていなかったみたいです。それと分かる見た目で残っていたのでしょう。毛根については何も言っていませんでしたので、明日シンタニくんに聞いてみましょう」


「うーん、毛根残ってたかどうかで大分話は変わって来るかも知れないねぇ……」


「はい……。ちょっと面倒な事になりそうですね」


「あははっ……、面倒な事になりそうっていうか、もう大分と面倒な事になってるんだけどね。ホント、ハルマちゃんが居る時じゃなくて良かったよ」


 なるべく笑いを混ぜて言いを返そうとするけど、面倒な事になってるって事は、志弦ちゃんも既に分かっている……。


 今日落された三体のアメタマ。その三体が三体とも『中核』に模造品を用いられている。一体は鼠の死骸を、一体は鳥の雛の死骸を、一体は人から切り離された部位を。企業や団体なら未だしも、個人となると特定は非常に困難だ。砂漠に落したパチンコ玉とはいかないまでも、群衆の中からウォーリーを見付けるようなもの。紙面上だから簡単に見付かるものの、あれがもしリアルに起こっていたのなら、絶対に見付けられない自信がある。しかし、それを見付けなければならないのが、今回の件のシビアなところだ……。


 再度志弦ちゃんから貰った資料の前半を見返してそう考えていると、向かいに座る志弦ちゃんは、「……あのぉ」と、細く出した声で私に問い掛けてきた。


「ん? どうしたの?」


 今までの志弦ちゃんの説明の中で、私が思い違いをした覚えも無いし、志弦ちゃんの方にも、これといった手違いは無かった様に思える。志弦ちゃんが不安そうな面持ちになる事も、不安そうな声で私に問い掛けるような事も、無かった筈だ……。


 私は志弦ちゃんの言いを聞いた。


「モモコちゃんは、……あぁ、いいえ。桃子さんは、いつ頃から平気になりましたか……?」


「…なにに?」


 問うと、志弦ちゃんは悲痛な表情を浮かべそうになるも、それを内側に押し止め、大きく息を吸って、それを吐いてと、二度繰り返す。そして、自らの表情を平常に持ち直し、目頭を押さえて自分を落ち着かせてから、口を開いた。


「……人死にに、対してです」


 ……あぁ、そうか……。


「平気になるような事じゃあないんだけど、いつの間にか大丈夫になっちゃうのよね……。シヅルちゃんはまだ不安になる?」


 ダブルクリップで止められた資料を一度テーブルに置き、私はコーヒーカップを両手で包んで持った。資料の放棄ではなく、彼女と立ち位置を同じにする為。


『殻梨桃子には仕事の資料より秋枝志弦の淹れた一杯のコーヒーの方が重要だ』


 と、そう思って欲しい。


 実際に仕事なんかより志弦ちゃんの淹れてくれたコーヒーの方が重宝すべきものなのだが、それを体表現でも全面に押し出す事で、彼女により安心して欲しかった。


 志弦ちゃんも私と同じ様にコーヒーカップを両の手で包み込むが、私の問いに対しては首を横に振って否定した。


「……えっと、違うんです」


「違うって、なにが?」


 答えは、至極簡潔なものだった。


「いま私、人が死んでるっていうのに、何も感じませんでした……」


 志弦ちゃんが『特境省』や『夏』に関わって六年。

 正式な『特境省』職員となって二年。

 誰しも一度は通る道だけど、志弦ちゃんは今この場所で、丁度良く今回の件と重なったか……。


 五年もやってれば誰だって一度はそうなる。新米警官だって初めて死体を見た時は嘔吐するけど、長い事やってれば死体にだって慣れてしまう。消防士だって同じだ。焼死体だって何度も見ていれば平気になる。『特境省』職員だって何も違う事は無い。簡単に言えば『裏組織』だ。同僚が死ぬ事もあるし、必要ならば相対者を殺さなければならない事もある。そして、五年というのが『特境省』での一つの境だ。


「……うわぁ、いま私、本当に何も感じませんでした……。淡々と読み上げるだけで、三年前ユウくんが死んだ時にお葬式であれだけ泣いた筈なのに……、私いま、何も感じませんでしたよ……」


「大丈夫よ。落ち着きなさい」


 コーヒーのカップを卓上に置き、私は正面に座る志弦ちゃんの両の手を握った。

ちゃんと熱があり、程よく冷たくない彼女の両の手。その温もりだけで、彼女がしっかりとした心のある人間だという事が分かるし、実感が出来る。


「心配は、『無い』の。私の言葉、分かる?」

 

 言うと、虚ろになりつつあった瞳が正常な光を取り戻し、彷徨っていた視線が私の視線と交錯する。頬が上気し眉がハの字に歪んだ志弦ちゃんをしっかりと正面に見据え、私は彼女へと語り掛ける様に口を開いた。


「大丈夫よ、志弦ちゃん。誰でもそうなるし、私もヨコウチさんもそうなった。ニイミくんもミズタニさんも。誰でもそう考えるし、誰でもそれで思い悩むの。志弦ちゃんだけじゃないわ。引鉄は何処にでもある。今回はそれが引き金になっただけ。だから、志弦ちゃんは大丈夫よ。何も心配する事は無いわ」


 なるたけ冷静さを装ってそう言い、私はコーヒーカップを再び両手で持ち、それを一口飲んだ。


「志弦ちゃんの淹れてくれたコーヒーは美味しいから、大丈夫。」


 嘘偽りの無い本心からの言葉。

 言うと、志弦ちゃんの目には少しの涙が浮かんだ。


「……すみません。私、こんな事で……。アメタマ被害だから普通の一般の人ではないんですけど、そう考えると何か色々、『特境省』でも沢山亡くなってる人がいるなぁとか思っちゃって……、そう考えると、なんか後から後から色々思い出しちゃって…。すみません。ちょっと落ち着いてきました。ありがとうございます……」


「気にする事は無いわ。私だってヨコウチさんに助けてもらったもの。私も志弦ちゃんを助けてあげただけ。だから志弦ちゃんは、下の子達がそうなった時に助けてあげて。それでおあいこって事にしましょう」


 志弦ちゃんは無言のままで首を縦に振った。


 心配の反面、その志弦ちゃんには懐かしさも憶える。


 私もこうなっていたし、最近ではニイミくんが記憶に新しい。


 励ます事は誰でも出来る。私でも良かったし、多分横内さんでも新見くんでも良かった。だけど、そこから持ち直すのは自分自身の底力だ。幸いにして私はこれまで持ち直せた人しか見た事が無いけど、中には持ち直せなかった人もいたと聞いている……。


「どうしよっか? 今日はもうここまでにしとく? 資料ももう後少しだけだし、明日にまわしちゃっても良いと思うよ?」


「……いえ、大丈夫です。資料が後少しだからこそ、今日の内にやっちゃいましょう。私達だけでも大体の事を把握しておけば、明日学生の子達に説明しやすいですし、私の個人的な理由で先延ばしにしたくないです。問題ありません、とりあえず私は大丈夫です」


 私の心配は些細なものだった様だ。


 気丈に振る舞っているのは手に取る様に分かるが、志弦ちゃんには確固とした仕事意識があるし、自分に圧し掛かっている責任感ともちゃんと向き合えている。だからこそ、彼女は自らの意思で『特境省』を志願したとも言えるのかも知れない。手の甲で浮かんだ涙の滴を拭い、志弦ちゃんは一度の深呼吸で息を整えた。


「うーん、じゃあ……、続けましょうか?」


「はい」


 全く、頼もしい限りだ。


「それじゃあ、私が用意した資料も後二枚になります。あと、この資料は今のところ二部しか制作してないですけど、明日、オウウミくん、ヒヤくん、シンタニくんの三名を含めた上で改めて検証と対策をする場合は必要枚数を用意しますので、それはモモコちゃんで持っててもらって大丈夫です」


「ん、分かったわ。それで、鼠の死骸と、鳥の雛の死骸と、人体の部位と、その三体のアメタマ。他にはなにが検証と対策の対象になるの?」


「最後はオウウミくんが逃がしてしまったアメタマになりますね。シンタニくんが落した二体目のアメタマ、人体の部位を模造品の核として使用されていたアメタマを便宜上『四体目』としましたので、今から説明するのは今回『三体目』として位置づけられたアメタマになります」


 大体の予想はついていたけど、一応質問はしておいた。一体一での検証と対策の話し合いでは、どうしても資料を作成した側が説明し続けなければいけない。どちらのモチベーションをも高く保つには最低限の問いや相槌は必要だ。それの予想が付いていないのなら尚更。予想が付いていたとしても取り敢えず。だ。


「簡易的な模造品に、中身が小動物の死骸や人体の部位。今回のケースはかなり稀有なものなんですが、やはりこのオウウミくんが逃がしてしまった三体目のアメタマ。これもかなり稀有なものになってます。多分過去の資料を漁っても出ては来ないでしょうね。どんなもんだと思います? あぁ、資料は見ちゃ駄目ですよ? とは言っても、多分あまり資料は見てもらえていないでしょうけど。あくまでもモモコちゃんの予想でお願いします。どうですか?」


 ……普段資料をまともに見ていない事を悟られてしまった。今回の志弦ちゃんが作ったのに限っては結構ちゃんと見てた積りなんだけどなぁ……。


 それは兎も角として、だ。恐らくこれを最後に持って来たって事は、今回の件とこの資料の中で一番重要な部分となっているには違いない。考えてみれば、昴くんが逃がしてしまうほどの何かを保持しているアメタマ。さっきは勢いで『減給処分』とか言っちゃったけど、昨日の件は春真ちゃんの事があるから特例として、昴くんがアメタマを逃がすなんて事はそうそう無い筈。私はあの三人をその程度には信頼している。それに、『夏』を使う『特境省』職員がアメタマに逃げられるとしたら、大体の場合こちら側が痛手を負う筈だ。それなのに今回の昴くんは、傷一つを負う事無く、無事にここに帰ってきている。


「そのアメタマって変異種って事で良いのよね?」


「……うーん、多分それで良いと思います。でも、何せ過去に例が無いですからねぇ……。軽率には何とも言えませんけど、変異種って事で良いとは思います」


 どっちつかずなのか、それとも比較するものが無いのか。歯切れの悪い言い方だ。


「括れる枠が無いって事? 一応『逃げられた』ってところから散霧型だと思ったんだけど。霧状になって『バァー』って逃げちゃう感じ」


「括れる枠が無いっていうのは言い得て妙ですね。確かにこれまでのアメタマでは括れない存在かも知れません。因みに、今モモコちゃんが言った『散霧型』っていうのはハズレです。霧状になるタイプのアメタマは三例程過去に報告されていますね。資料にも載ってる筈です」


「そっかぁ……。逃げるってのがミソなんだよねぇ……。逃げられたって事は、近距離での攻防をする様な変異種ではないと思うんだよ」


 聞かせる為にではなく、独り言を呟いた感じで言った積りだったのだけど、志弦ちゃんはその私の言いを拾い聞き、「あぁ、そこには少し語弊がありますね」と、手の平をこちらに向け、私の思考を中断させた。


「ん? 語弊?」


「はい、すみません。説明不足でしたね」


 そう言うと志弦ちゃんは、「モモコちゃんはまだ見ちゃ駄目ですよ?」と、自分だけ資料の後半部を捲ってそこに目を通す。


「えっと、逃げられたのはそのアメタマの変異特性によるものではなく、あくまでも逃げられたという結果だけのものです。オウウミくんが言うには、急速外気冷却と同時に二十秒程の豪雨が降り、その隙に逃げられたみたいです」


「急速外気冷却かぁ……。また珍しいもんを引っ張り出してきたねぇ……。この件を片付けたら職員総出で都内の『夏』を作りに行きましょう。そうじゃなきゃ今年の夏は冷夏で終わっちゃうわ。……全く、こうも色々立て続けに……」


「えぇ。でも、急速外気冷却が起きたのはその時のオウウミくんを中心点として、そこから半径一キロほどの範囲だけです。都内全域で『夏』を作らなくても男の子三人で事足りるでしょう。問題は、明らかにその急速外気冷却を引き起こしたのが件の三体目のアメタマって事ですね。逃げられた時の豪雨の降り方もゲリラ豪雨の比じゃなかったと言ってますし、こっちでも観測出来てます」


「特異で稀有で、その上面倒臭そう、と……。三拍子揃っちゃったわねそいつ。まぁ、どうにかするしかないんだけど。それで? 結局そのアメタマは何が特異で稀有で面倒臭そうなの?」


「あら、降参ですかモモコちゃん?」


「えぇ、降参よ。『逃がした』って事が要点じゃないなら何も分からないわ。お手上げお手上げ」


 私は両手を上げてタメ息を一つ吐いた。

 降参のポーズだ。


 変異種ってだけで答えまで辿りつくには些か情報が足りない。きっぱり降参して、私はそのアメタマの特異性を教えてもらおう。少し癪だが、サッパリ分からない事にはそうしようもない。


「で、何なのよ? スバルくんがそのアメタマに逃げられた理由を教えて頂戴な」

 手に持っていた資料をテーブルに置き、苦笑いを浮かべてそう言うと、志弦ちゃんは一つ息を吐いて、口を開く。


 ちゃらけた雰囲気で話を進めてはいるけど、事態はかなり深刻だ。アメタマには逃げられているし、それのお蔭で天候は回復していないし、相手にしようというアメタマは稀有な特異性を秘めている。


 志弦ちゃんは息を一つ吐いたが、それは呆れや失望からのタメ息ではない。不安の表れだ。志弦ちゃんは人死にに慣れてしまった自分を嘆いた。それでもちゃんと自我を保って持ち直している。それでも、志弦ちゃんはタメ息ではない息を一つ吐いた。


 彼女は手にする資料と昴くんから情報を得て、そのアメタマの概要を知っているから、不安になる。


 私はまだ何も知らない。


 資料もまだ目を通していないし、昴くんから情報も貰っていないので、不安にはならない。


 志弦ちゃんは口を開き、言葉を発した。


「……えー、そのアメタマは、言葉を喋るそうです」



 …………。

 …………。

 …………ん?



「ん? んん? 言葉を? なに?」

「喋るそうです……」

「言葉を喋るって?」

「はい……、言葉を喋るそうです……」



 いやいやいやいや、それは嘘でしょ。


 …………。


 それは嘘でしょ……?



「それは流石に嘘でしょう?」

「いいえ、嘘じゃあありません」

「嘘だね」

「事実です」



 どちらも即答だった。



 ……そりゃあそうだ。


「……うーん、そうよねぇ……。流石にスバルくんも嘘を報告する程賢くないしねぇ……」


「……それって褒めてるんですか?」


「ん? 褒めてるのよ? これでもねぇ、私のあの三人の評価はかなり高いんだから。勿論シヅルちゃんの評価もチョー高いけどね!」


 志弦ちゃんはそれに対して「ふふっ、有難く受け取って置きますよ」と、少しだけ笑う。


 とは言っても、だ……。少しこの場が和んだところで、事態が面倒臭い事には変わりない。


「ふざけてた訳じゃないけど取り敢えず仕切り直しましょう。喋るって、どの程度喋ってたの? 意味の無い単語がだだ漏れ? それともキャッチボールが成立してた?」


「オウウミくんが言うには会話は成立していたみたいですね。キャッチボールがちゃんと出来ていたみたいです。意味もちゃんと理解していたみたいですし。あと、終始ニヤニヤ笑ってたみたいですね」


「笑う?」


「はい。口角を上げて、多分こんな感じにですね。笑ってたみたいです」


 言って、志弦ちゃんは両手の人指し指で口の両端を無理矢理に持ち上げ、『ニヤリ』と笑って見せた。


「笑って喋る、ねぇ……。笑うだけでも稀有なのに、その上喋ると来たら特異中の特異だよ……。ねぇシヅルちゃん、そういうアメタマを一個人の愉快犯的な『夏』を使う奴が作れると思う?」


「そうなんですよねぇ……。私もそれが疑問点でした。流石に喋ったり笑ったりするアメタマをそんなに簡単に作られたら『特境省』としても堪ったもんじゃありません……。とまぁ、それでですね、今回の件に関して私なりの考察を交え、いくつかの仮説を立ててみたんですよ。現状の情報がそれだけじゃあ小回りが利きませんから。あくまでも仮説ですけど、そういうものもあって損は無いと思いましたので。資料の最後の用紙を見てもらって良いですか?」


 志弦ちゃんの言いに倣い、私はテーブルの上に置いていた資料を再び手に取り、ページを捲って、最後の用紙に目を通す。項目は三つ程あった。


 まず一つ目の仮説。


 志弦ちゃんは言いを発する。


「まずですねぇ、今回の件の模造品のアメタマ三体と、そのオウウミくんが相対した言葉を喋るアメタマ。この二つを別件として考えるっていうのが一案なんですけど」


「うーん、まぁ、私もそれは思った。私もそれが一番しっくり来ると思うんだよね。模造品のアメタマ三体は個人の愉快犯で、その言葉を喋るアメタマってのが自然と発生したアメタマって事でしょ?」


「はい、そうです。私もそれが一番当たりに近いとは思うんですけど、それでも少し疑問は残るんですよねぇ……。何せその言葉を喋るアメタマの立ち位置が特異過ぎますから。模造品三体のアメタマは個人生成で良いとしても、自然で笑って喋ってっていうのが出ちゃうってのも、かなーり信じ難い事なんですよねぇ……。厄介ではありますけど、今後の『特境省』の為にそれは個人生成って事で収まってくれた方が良いとは思います。喋って笑ってなんてアメタマがわんさか現れたりしちゃあ職員のメンタルが持ちません。……とは言っても、個人生成だったとしても厄介な事には変わりないんですけどね」


「ま、どっちにしたってって事ね……。次のは?」


「次のはですねぇ、これは個人が関与していないって仮説ですね」


「ほう、それはどゆ事?」


 続いて二つ目の仮説。


 志弦ちゃんは続ける。


「これはまず根っ子の否定ですね。個人が関与していなくて、四体ともアメタマによって生成されたって事です」


「……悪くは無いけど、流石にそれは無いんじゃないかな?」


「まぁ、私も無いとは思いますけど、人工的にであれ自然的にであれ、笑ったり喋ったりするアメタマが出て来てしまった以上、アメタマを生成出来るアメタマが出てもおかしく無いのではと。人が人を産むのと同じです。そう考えると何も不思議な事ではありません。交配と言うには飛躍が過ぎますが、アメタマがアメタマを生成するなら簡易的な模造品にもいくらかの説明が付きます。しかし、やはりこれにも無理矢理なりの疑問が残ります。アメタマを生成するアメタマだったらそれは紛う事無く変異種確定なんですけど、変異種ならば『夏』を使える筈なんですよね……。だったら模造品なんて使わずにそのまま『夏』を『中核』として据えれば済む筈なんです。『夏』を使えない変異種ってところにも思考が向きましたけど、そこまで行くと流石にイタチゴッコになりかねませんので、この仮説はここまでにしてあります。何か意見的なものはありますか?」


「意見って言われても……、それは流石に思考がぶっ飛んでる気がするよ。仮説としては良いかも知れないけど、やっぱり仮説に過ぎないって感じだね。私ならまだ一つ目の方が信憑性はある気がするな」


「ま、そうですね。自分で立てといてですけど、私も一つ目の仮説の方が妥当な気がします」


 そこまで言って、志弦ちゃんは手にしていた資料をテーブルの上に放り、コーヒーカップに口を付けると、それを傾けて一気に飲み干した。


「うーん、大分冷めちゃいましたね。新しいの淹れ直しますよ。」


 確かに、私の方のコーヒーも大分と冷めてしまっていた。カップ越しに伝わる熱が頼りなくなっている。


「うん、じゃあお願いしようかな」


 そう言って、席を立った志弦ちゃんにカップを渡し掛けたところで、手にしていた資料、志弦ちゃんが作ってくれたそれの最後の一ページに、項目がまだ一つ残っていた事に気が付いた。


「ん? シヅルちゃん、これは? もう一つ残ってるやつ」


 聞くと、志弦ちゃんはそれに対して、少し考える様にしてから「うーん……」と唸る。


「それはですねぇ、……まぁ、それも仮説の一つなんですけど、それも結構ぶっ飛んでるんですよ。三つ仮説を立てたんですけど、私としてはそれが一番当たりに近くて、それが一番当たりから遠いって感じですね。無理矢理な感じなのに、妙にしっくり来るというか……。だけど、流石にそれは無いだろって感じの。現実的に起きたらヤバい感じの仮説です。立てた自分が言うのもなんですけど、その仮説の個人は狂ってると思います。空想が過ぎていて自分で言うのも恥ずかしい類のものですよ。それでも、妙にしっくりきてたから一応乗せておいたんですけど……、どうしますか?」


 どうしますもなにも――。


「聞くよ。折角立った仮説だしね。どんだけぶっ飛んでても妙にしっくり来るならこれが当たりかも知れないし。これを聞いてからコーヒーは淹れてもらうよ」


「……そうですか。分かりました」


 言って、志弦ちゃんは苦笑いを浮かべて再び席に着く。


「これはですね、現状のままで個人一人の愉快犯として立てた仮説なんですが、内容は今言った通り、かなり常軌を逸脱しています」


 私はその志弦ちゃんの言いに頷く。


 三つ目の仮説。


 志弦ちゃんは、重く口を開いた――が、その仮説は志弦ちゃんの口から説明される事を拒まれた。


 志弦ちゃんが言葉を発するところに割って入って来たのは、指令室内に大音量で響く……、


 響く……。



 なにこれ……?



「シヅルちゃん、これって私がアレンジしたやつだよね?」


「そうですよ! 私の好きなゲームのボスBGMです!」


 大音量のそれに掻き消されない様、志弦ちゃんは声を大きくして怒鳴る風に私に返し、それと同時に指令室内前方の固定PCへと駆けだしていた。


 それにつられて、私も志弦ちゃんの後を追って駆けだす。


「シヅルちゃんシヅルちゃん! これってなによ!」


「なに言ってんですか! アメタマ反応ですよ!」


 …………えぇー。


「……っ! シヅルちゃん! あんたまた勝手にアメタマ反応のアラーム変えたわね!」


「なに言ってるんですか! モモコちゃんがアレンジしてくれたんですよ!」


「これに使って良いなんて言ってないわよ! っつーかヨコウチさんに怒られんの私なんだからね!」


「入院中だから大丈夫ですよ! マナーモードにしてなかっただけマシです!」


「ケータイ電話じゃないのよ! っつーかそういう問題でもないのよっ!」


 私は大声でそう怒鳴るものの、内心それが可笑しくて堪らなかった。実際、アメタマ反応の合図がボスBGMになっているのも知っていたし、横内さんがそれで怒る様な事が無い事も分かっている。それどころか、きっと横内さんなら『クハハっ、こりゃあ良い選曲だ。戦曲を選曲にしたところにセンスを感じるね。これから現地に職員を向かわせるって時は、サポート側もこれくらいのテンションでそれに挑みたいところだよな。『特境省』はいつまでもこれくらいの事をしていたいもんだ。クハハハっ。』ぐらいの事は言いそうだ。


 全く、頼りになるわよ。現場が好きな我等が長官様は。


「で、志弦ちゃん、首尾はどうなの?」


 志弦ちゃんはPC操作でボスBGMを止め、手元の固定PCの画面を指令室内の巨大スクリーンへ反映させた。


「出しました! けど……、これもこれで結構ヤバそうですね……」


 巨大スクリーンに映し出された画面に目を向ける。


 そこには、丁度中央に昴くん、カズくん、コウくん、春真ちゃんの四つのマーカーが表示されており、そこから半径三・五キロ程の範囲内に、七つ、いずれも六メートル級以上のアメタマ反応が、表示されていた。





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