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「モモコさんもシヅルさんも凄く優しい人だったわ。検査とかは大変だったし、話の内容は常軌を逸してたけどね。大体の事なら受け入れられない事も無いけど、やっぱりねぇ、今回の事はビックリしたわ。っていうか、これって他の人に喋らない方が良いのよね?」


「んぁ? 別に喋っても良いと思うよ?」


「えっ? 良いの? どう考えてもダメでしょ? だって機密じゃない。超絶的に日本の最重要極秘機密なんじゃないの?」


 黒腕の意外な言葉に驚いたのか、安西さんは二度三度と首を傾げ、声を大きくして眉根を寄せる。安西さんのその反応は概ね正しい。みんな最初は安西さんと同じ反応をする。『喋っても問題ない』という返しに、みんな一度は困惑するんだ。だけど、次の言葉でその意味の真意を理解するのもまた、みんな同じではある。俺等三人も、始めは同じ道を通ったもんだ。


「くははっ。そうだな。だけど、超絶的に日本の最重要極秘機密だからこそ、喋ったところで誰も信じちゃくれないんだよ。」


 黒腕が笑いを交えてそう言うと、安西さんは表情に苦笑いを浮かべ、「……あぁ、なるほどね」と、妙に納得した感じで首を縦に振った。誰でも最初はそうなる。妙に納得して、『特境省』と『夏』の機密具合を理解するのだ。


 佐治さんの操縦するヘリで藤子総合病院まで送ってもらった俺等四人。佐治さんにお礼を言って病院で別れ、現在安西さんを自宅まで送り届けるべく、帰宅の道を四人で歩んでいる。


 路面には水溜りが各所に広がり、雨は降っていないものの、空はいまだに厚めの雲で覆われていた。日の光が差していないので気温も七月初日にしてはいくらか低め。


 理由は分かっている。


 俺がアメタマを逃がしたからだ。


 あの小憎たらしい、喋るアメタマ。


「……うん、確かに。自分がまだちゃんと把握してない曖昧な事を他の人に説明しても、多分信じてもらえないわね。そんで、いざ自分がちゃんと全部を把握出来たとしたら、今度は誰にも喋る気にならないと思うわ。始めの頃は信じてもらえないし、慣れた頃には喋る気にならないと。そう考えると『特境省』、伊達に百六十年も機密を守ってないわね。流石だわ」


 安西さんはそう言ってまた、納得した様に首を一度縦に振った。


 ヘリの中や病院を出てからの道中、俺等三人から見た『特境省』の内側を中心として話題は回っていた。桃子さんや志弦さんからもそれなりに話は聞いているだろうけど、同世代からラフな感じでも説明してやってくれと桃子さんのお達し。昼に声を掛けて『特境省』に連れて行くまではオドオドしていたけど、桃子さんと志弦さんの話術もあってか、大分と緊張感は解かれている感じだ。『特境省』内の専門用語が混じっても、普通に会話も成り立っている。


「で、安西さんは結局どうすんの? 『特境省』の所属に関して」


 俺がそう問うと、安西さんは少し間を空けてから「うーん……。」と唸り、難しそうな表情でそれに答えた。


「まだ少し考えてみる事にしたいのよねぇ……。とは言っても、そんなにいつまでも保留にする事も出来ないし、帰ってから少し考えてみるわ。私は遺伝って訳じゃないらしいし、両親に相談する事もままならないから……。とりあえず今のところは保留で、明日決してみるわ。『特境省』、危なそうな感じのところではあるけど、嫌な感じのところではないしね。私としては」


 結論の一時保留。


 確かに、未知の事象や未体験の物事に遭遇した際、それ等を一時的に保留するのは賢い対処法だ。何事をもサクサクと片付けてしまうよりは、一度自分の中で情報を整理する必要がある。洋画のホラーやサスペンスだとそういう登場人物はいち早く魔の手に掛かってしまうのがストーリー上の常だが、如何せんこれは現実問題の話であり、ドラマや映画などのベタな展開とは一線を画する。思考する時間は誰にとっても必要だ。


「まぁ、賢明な判断だと思うよ。ぼく等は遺伝だったから敷かれたレールみたいなもんだけど、自然発生っていうのなら、安西さんはいくらでも選択肢があるからね。所属するにしろしないにしろ、好きな方を選んで良いと思うよ」


 ニコがそう言うと、安西さんは「そうよね。うん、ありがとう。」と笑顔を綻ばせ、「ところでなんだけどね」と、次いで話題を振る様に、安西さんは口を開いた。


「私は昨日オウウミくんに会って、今日『特境省』に行って色々教えてもらったんだけど、それはもうその色々に驚いた訳なのよ。それでね、貴方達三人は、最初はどういう感じだったのかなぁっていうのを参考までに聞きたいんだけど、駄目かな?」


 控え目な感じに声を細く出し、安西さんは申し訳無さそうに俺等三人にそう問うた。安西さんの気持ちは分からなくも無い。黒腕とニコは分からないが、俺は当時中学二年生の頃、その何もかもが不安で仕方が無かった。


「あー、うん。まぁ、そういう話も必要だわな。自分の置かれてる状況が他人とどう差異があるのかってのは気にならない訳じゃないし。俺は別に良いけど、カズヒロとコウスケはどうよ?」


 一応黒腕とニコに聞いてみるが、答えは聞くまでも無く分かっていた。


「俺も別に良いけど?」


「ぼくも。言いたくない事がある訳でもないしね」


 案の定、二人はそう言って安西さんの申し出を承諾した。ニコの言う通り言いたくない事がある訳でもないし、ましてや断る理由も無い。


「そうだなぁ、俺はまぁ言っちゃえば遺伝組だったから、中学入る頃にはもうおとんの仕事とか知ってたしね。っつーか、その頃には『夏』がなんちゃらって事はそれとなく聞かされてたよ。つっても、流石に『特境省』に連れてかれてちゃんと説明受けた時は凄く不安だったけどね。身内が『特境省』だからって結局未知な場所には変わらないし、アメタマとか勢力図とかも知らなかったし。あとはあれだ、実技講習とか講義とか、そういうのに付いてくのがキツかったね。『特境省』に属したのが中学二年の時だったからさ、『特境省』での常識とかを覚えなきゃいけなかったし、『夏』を使う講習とか受けなきゃなんなかったし、それに加えて中学の宿題とかテスト勉強とか、そういうのもしなきゃいけなかったし。ヤバげな仕事って自覚はあったけど、うちの家系はそういうもんなんだろうなぁとは思ったよ」


「俺は親父の仕事の内容は全く知らなかったな。公務員だってのは聞いてたけど、公務員っつったら市役所とか警察とかだろ? まさかこんな仕事とはねぇとは思った。笑えたもんじゃねぇよ、全く。それに『特境省』が公務員の枠に収まるもんなのかってのも微妙なところだしな。それでも俺は初めて親父に『特境省』に連れて来られた時はそんなにテンパらなかったな。根っこが単純だったし中学の授業もそんなに好きじゃなかったからね。『特境省』の実技講習とか座学はアスレチックとかレクリエイションみたいな感じで受けてたよ。始めの内は気負いみたいなのは無かったね。俺は。プレッシャーとかが掛かり始めたのは慣れ出して来た頃かな? ま、それでも気楽にやってるけど」


「ぼくは、『特境省』とか父さんには何の感慨も無いな。出来れば普通に大学行って、普通の企業に就職したいよ。まぁ、そうは言っても、入った当初はただ単に父さんに流されて、家柄とか血筋の関係で御座なりに『特境省』に入っただけだったけど、今んところはとりあえず楽しくやってるけどね。父さんは別に好きじゃないけど、祖父ちゃんは好きだったから。ジレンマって程でも無いけど、一応色々と葛藤はあったよ。他はスバルとかカズヒロとかと同じ感じだな」


 俺、黒腕、ニコと、順繰りに自分達の経緯を話し終えたところで、安西さんは


「へー、みんな一通りの苦労とかは一応してるのねぇ」と、俺等の言ったそれ等に対し、気持ちばかり目を丸く見開いた。


「きみ等はもっと飄々とした感じで達観してるのかと思ってたけど、話してみれば普通の高校一年生だね。きみ等三人とも。ヒヤくんとシンタニくんはクラス違うけど、オウウミくんはもっと適当なのかと思ってたら普通に良い子じゃん」


「……良い子って、……いや、でもまぁ確かにな……。『特境省』の関係で授業途中で抜けたり遅刻とか早退とかしてるから、適当と思われてても無理ないのか……」


「だっせースバル! 勘違いされてやんの! くはははははっ!」


「ま、ぼくもスバルは適当な奴だと思ってたけどね。ぼくも大衆と同じ印象を持っていたと知る事が出来て嬉しい限りだよ。でもまぁ、気を落す事は無いと思うよ」


 黒腕とニコは俺をそう言ってからかうが、「お前等、俺がそう思われてるって事は、お前等もクラスの奴等に少なからずそう思われてるぞ?」と教えてやると、二人は何かを悟ったように、「あぁ、確かに……」と呟き、無理矢理な感じに笑顔を作って黙った。


「うーん、そっかぁ……。そうなると、私も『特境省』に入った場合、授業を途中で抜ける事もある訳かぁ……。確かに『特境省』は最終的な就職先の逃げ道にはなるかも知れないけど、高校は卒業しておきたいからねぇ……。これは成績を維持するのが大変そうだよ……」


「まぁ、テスト勉強をしっかりするとか、出られなかった授業の分は友達にノート見せてもらうとか、そういう感じで埋め合わせてくしかないと思うよ。実際俺等三人そうして来たし。安西さんはクラスに友達いるからその子達に頼って良いんじゃないかな」


「そうだよねぇ……。まぁ、今日明日でじっくり考えてみる事にするよ。特別将来何がしたいって夢がある訳でも無いし、『特境省』は楽しそうだしね。楽しそうってだけで『特境省』に入ったら怒られちゃうかも知れないけど」


 と、そこでニコが「安西さんは――」と口を開く。


「将来的に何がしたいとかは全くないの? 漠然とでもさ」


 ……恐らく、これは恐らくだけれど、ニコは安西さんの言う『将来の夢』の部分が気に掛かったのだろう。自分が敷かれたレールを走ってるってだけで『特境省』に属する事になったニコが、『将来の夢』というワードに執着するその気持ちも分からなくはない。


「んー? そりゃあ幼稚園とか小学校の頃は、ケーキ屋さんとかお花屋さんとか色々あったけど、高校にもなるとねぇ。そうだなぁ、とりあえず好きな人と幸せに結婚出来れば、とか、取り敢えずの将来的なビジョンはそういうの満足かな?」


 ニコはその安西さんの答えを聞くと、「そっか……、そうだよね」と、俺等に聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で、独り言の様にそう呟く。


「うん、それが良いよ。それは素敵だと思う。だけど、今からでもケーキ屋さんとかお花屋さんは遅くは無いと思うよ。からかってる訳じゃなくてね。『特境省』だって一生心血注いで骨を埋める様な事はしなくて良い訳だし、入ったって途中で辞める事も出来る。一回夢見たんならそれは持っといて損は無いと思うよ。ぼくはね」


 ニコが言っていた『出来れば普通に大学行って、普通の企業に就職したいよ。』って言葉の意味を理解したのか、安西さんもニコの臭い台詞を茶化す事無く、「うん、そうだよね。私もそう思う」と、薄く笑って返した。


 それはさながら、見る人が見れば極々普通の高校生の帰り道だ。


 談笑して、就職やテスト勉強に悩んで、打ち明け話を相談して、他愛の無い話で盛り上がる。曇り空を仰ぎ、水溜りを踏み、畳まれている傘を回す。ただ普通と違う点があるとすれば、少し遅刻や早退が多く、授業を抜け出す機会も時たまあり、四季に関して多少なりとも精通していて、時間が合えば国の為に戦ってるって事くらいだろう。


「もう直ぐね。私ん家、この近所なの」


 藤子総合病院から歩く事約三十分。そう言って安西さんはその場が自宅付近だという事を俺等に知らせた。この辺りなら、高校までは徒歩で十分くらいか。その立地にのんきにそう思った反面で、少しのんきに考えてもいられない事態にも気が付く。


「へー、この辺かぁ。割とトシウラから近いじゃん」


 黒腕はあまり興味も無さそうにそう言い、ニコもキョロキョロと辺りを見回すだけだったけど、俺はこの辺りの風景に少なからずの見覚えがあった。


 その付近は、昨日アメタマを逃がした場所で、今日もまた、アメタマを逃がしてしまった場所。


 偶然というのならば然したる問題では無い。しかし、昨日逃がしたアメタマと、今日の人語を解するアメタマと、その間に何かしらの関連性があると分かってしまっている今、これが偶然でない事は明白と考えて間違いが無いだろうから……。奴等はこの場所に、なにか強い執着心を持っていると考えるのが自然か……。安西さんを帰したら黒腕とニコにも相談しておこう。チャランポランな様でいて実は頭の切れるところがこの二人の良いところだから。


「じゃあ、そこ曲がったところだから。もうここで大丈夫よ。今日はどうもありがとう。私が『ありがとう』って言うのも変な感じだけど、まぁ、ありがとうで合ってると思うわ。明日も一緒に行って良いんでしょ?」


「あぁ、大丈夫だよ。放課後に声掛けるから、そしたら一緒に行こう」


 安西さんの問いには俺がそう答え、黒腕とニコにも目配せすると、二人ともそれには頷きで返してくれた。つまりは了承の意。明日の放課後もこの四人で行動する事になりそうだ。


「うん、分かった。それじゃあまた明日ね。……の前に――」


 そこで別れて道の先を少し行った安西さんは、何か聞きそびれている事でもあったのだろう。もう一度俺等三人のところまで小走りで戻って来る。

「明日ってさ、ジャージ持って来た方が良いのかな?」


 ……ジャージ?

 何故にジャージか?


 安西さんの言ったその言葉に、俺等三人は首を傾げる。別段『特境省』でジャージを使う様な事は殆ど無い。現地に行く場合も着のみ着のまま。特別な何かしらを着る様な事も無いし、実技講習も実戦を想定してとかの理由で制服のまま受けてた。ジャージは着る機会なんて無いに等しい。少し考えた末だろう、ニコが「何でジャージ?」と口を開いた。


「え、だって、ジャージって必要なんじゃないの? 三人だって今日着てたじゃない、ジャージ。その、アメタマとかと戦う場合って、ジャージとかに着替えたりしてるんじゃないの……? 服とか汚れるし……」


「まぁ、確かに服は濡れっけど、別に気にする程の事でもねぇしなぁ。乾かせば良いだけだし。ま、コウスケは服が汚れんの嫌うけど、それでもこいつも制服のまま現地まで行くし。それに『特境省』にはかなり良い洗濯乾燥機があるんだよ。汚れたり濡れたりすんのは気にする事ぁねぇ。潔癖のコウスケが信頼してる洗濯機だから間違いねぇよ」


 ジャージの有無の話から『特境省』に置いてある洗濯機の機能性の話になってしまった……。まぁ、結果として黒腕の言う事も間違っちゃあいないが、安西さんがそれを聞いて眉を寄せているので、そこは俺が補足の為に先の言いを続けた。


「えっと、まぁ、今日俺等がジャージを着てたのは、アメタマの所為でびしょ濡れになっちゃった制服を乾燥機に掛けてたってだけなのな。着るもんが無いから着てただけで、だから、ジャージは特には必要無いんよ。持って来るのは良いと思うけど、多分何にも使わないと思うよ?」


 そう、ジャージは特に必要な物ではない。ジャージを着ようがジャージを着まいが、どんな服装であっても、俺等は常にそれなりの状態でアメタマや他勢力に対峙し撃退する必要がある。安西さんが服装に何か特別な拘りがあるならばジャージを着る必要もあるのかも知れないが、もし服装に何か強い拘りがあるのならば、安西さんの『夏』は『文系』で、装飾変化を主とする事になると考えられるかも知れない。


 俺はそう説明したものの、それでも安西さんは何かに疑問が残るのか眉を寄せたままで首を傾げている。……というか、安西さんの表情は至極不安そうなそれへと変化していき、顔からは血の気が引く様に、一気に色が失われて蒼白となった……。


 俺等三人はその事態を上手く飲み込めず、安西さん自身もまた、それを上手く説明出来ないのだろう。きっと彼女の身体の微細な震えは、外気の寒さによるものではない……。


「なに……? どうしたのさ?」


 当初の不安は桃子さんや志弦さんがそれと無く取り払っている筈。なので、この安西さんの今感じているだろう不安は、それとはまた別のものなのだろう。


 問うと、安西さんは自身の不安な思考を押し殺す為か、大袈裟な感じに喉を鳴らして唾を飲み込み、声を震わせて言葉を発した。


「……服って、雨で濡れるの……?」



 …………。

 …………。

 …………?



 ……何と言うべきか、それはとても稚拙で当たり前の様な安西さんの問い。質問の真意も意味も分からないが、彼女にとってそれはとても重要な問いなのだろう。安西さんは俺等三人の返答を懇願する様な表情で待つ。何と答えれば不安そうな安西さんが安心するのかが分からない……。


「……えっと、どういう意味だ? それだけじゃ何て返せば良いか分からない。……いや、違う……。返せるには返せるんだけど、そりゃあ服は雨に降られれば濡れるけど、安西さんの言ったそれの意味が分からない……。深読みする積りじゃないけど、もっと詳しく説明してくれれば、もしかしたら俺等は安西さんの望む答えを出す事が出来るかも知れないんだけど……。それって、どういう意味?」



 雨に降られれば服は濡れる。



 だけど、安西さんが望んでいる答えは、きっとそんな事じゃない。詳しく話を聞くべく、俺は安西さんにそう問いを返した。


 彼女は口を開く。


「……普段、そのアメタマとかと戦う時も、服って濡れるのよね?」


 そうだよ。と、俺等三人はそれに首肯する。


「……アメタマとかを倒して帰ったら、その服って洗濯して、乾かすのよね……?」


 ……至極当然の事だ。服は濡れたら洗濯して乾かす。


 そうだよ? と、俺等三人は再度首肯した。


「……私の制服。昨日オウウミくんと会った時に着てたのと同じ夏服よ……? あの後、家に帰った時にはもう乾いてたの……。洗濯機にも入れてないし、乾燥機にも掛けてない……。着てる状態で家に帰って、そのままの状態で既に乾いてたの……。夏制服だけじゃなくて、鞄とか、中に入ってた教科書とか、ローファーとか、髪の毛だってそう……。家に着いた時にはすっかり乾いてたの……。これって何か、『夏』とか『特境省』に関係ある事なの……?」


 安西さんの震える声。


 俺等三人はそれを聞いて、『当然の事だ』と首肯する事は出来なかった……。


 思えば、確かにそうだ……。安西さんは昨日と変わらず夏制服を着ている。だけど、それは当然洗濯して乾燥させて、その過程で同じ物を着ているだけだと思っていた……。こちらに引越して来たばかりの安西さんが夏制服を二着持っている筈も無いし、気に掛ける必要も無いと思っていた。盲点と言えば、それは確かな盲点だ……。全く気に掛けていなかった……。


 如何に『夏』を使う者と言っても、雨に打たれ続ければ風邪だって引く。日に当たり続ければ日射病にだってなる。勿論服だって、濡れたら洗濯して、乾かす。『特境省』職員も、そうじゃない『夏』を使う者も、それは当り前の事だ。それに関しての特例な者はいないし、特別な者なんていない筈だ……。


 その『服や持ち物が数分の内に乾く』って事が安西さんの『夏』に深く起因しているかも知れない。何はともあれ、今この場にいる俺等四人じゃあ何とも言えないし、迂闊な判断は安西さんを混乱させるだけだ。幸いにして安西さんも明日もう一度『特境省』に行く事になっているし、そこで桃子さんと志弦さんに意見を聞こう。残念な事に、俺等じゃあ軽率な事は言えないし、安西さんのその不安を拭う事も出来ない……。


「……ごめん。……いや、うん……。俺らじゃあ何とも言えないわ。この話も一旦に保留にしよう……。明日桃子さんと志弦さんに意見を仰ぐのが一番良いと思うん。だから、不安かも知んないけど明日まで待ってくれ。その話はそれからだな……」


 黒腕とニコもその俺の提案に賛成したのか、何も言わずに黙っていた。そして、当の本人の安西さんは、自分の両肩を抱いて不安を押し殺していた。いくら今日『特境省』で色々と季節の常識が覆ってしまっているとしても、いざ自分の事となるとやはり不安は大きい。昨日の今日の出来事だ。いくら安西さんが物事に聡くて気丈に振る舞えているとしても、それが不安じゃあない筈が無いんだ……。


 今日『特境省』に連れて行くにしたって、所々混乱や驚愕はしていたものの、その物怖じしない彼女の姿勢に、俺はあまり気遣いが出来ていなかった……。彼女は昨日初めてアメタマに遭遇して、今日初めてこの国の真実を知った、二日前までは普通の高校に通う、一般的な女の子だったんだ……。俺の最初の接し方も甘かった……。


「……ごめんな。安西さん……」


 もう一度俺がそう言って謝ると、安西さんは気持ち俯けていた顔を上げ、両肩を抱いたまま、二度大きく深呼吸をした。


「……ううん、大丈夫よ。平気。私は大丈夫。……だって、仕方の無い事だもん。オウウミくんは謝らなくて良いよ」


 そう口を開くと、未だ不安ではあるだろうが、安西さんはそれをなるべく表に出さない様にだろう、大袈裟な感じにニッコリと笑った。


 昨日まで大した会話も交わした事の無い女の子に、こちらの勝手でそういう風に笑顔を出されるのは正直心が痛む……。だけど、そうやって笑顔を浮かべられる事にこちらが助けられるのも事実だ。


 明日は学校休んでも良いと思うよ。放課後迎えに行くし。


 彼女の返事は『ノー』だろうが、昨日と今日で彼女は色々あり過ぎた。今日ちゃんと登校して来た事だってなかなかに素晴らしい精神力だと思う。一応気遣いの意味も込めて俺はそう言おうとして口を開いた。


 ――の、だけれど。


 俺がその言葉を発する事は叶わなかった……。


 口を開き、最初のその一音を発しようとしたところで、だ……。


 冷たい感触が右の頬に当たり、それが頬を伝って、流れて落ちる。



 一粒……。



 二粒……。



 同じ感触を受けたのか、俺と黒腕とニコの三人は、互いに顔を見合わせた。この場で現状を理解出来ていないのは、唯一にしての女の子で、現状『特境省』ではない安西さんのみ……。


 俺等『特境省』の三人は同時に空を見上げた。


 たったの今まで……、本当の意味でたったの今まで、薄めの雲が掛かっていただけの何の問題も無い普通の曇り空を、緑掛かった厚い雲が凄い勢いで覆い尽くした。辺りはより一層暗くなり、一粒二粒と落ちて来ていた雨粒が徐々に大きくなり、次第にその量も増していく。


 雨の日独特の臭いが鼻を突いた……。


「……これは、ちょっとヤバいんでないかい。お二人さん…」


 黒腕は苦笑いでそう言う。


「……ホント、今日はちょっと寿司とかそんな事言ってる場合じゃないね……」


 ニコは苦笑いでそう言う。


「……全くだ。俺等はまぁ良いとして、……ははっ、安西さんは昨日今日で二日連続厄日かも知れないな……」


 俺も二人と同じく、苦笑いでそう言った。


「……え、……なに? どういう事?」


 うろたえ、混乱し、この状況でもう不安を隠そうとしない安西さん。現状は理解出来ていないだろうけれど、それでも必死に現状を理解しようと、彼女は俺等三人にそう問うた。


 うろたえるのも混乱するのも、どういう事と問うのも、理解も把握も出来ていないのも、彼女には限っては仕方が無い事だ。過去に幾度か経験した事はあるだろうけど、それでも、『特境省』を知って、『夏』を知って、アメタマという存在を知って、今日初めてそれ等の説明を受けて、その上で『これ』を体験するのは、今回が初めてなのだから……。


 どういう事もクソもない。


 安西さんのその問いに、俺と、黒腕と、ニコと、その三つの言いが、綺麗に重なった。




「ゲリラ豪雨だ!!」




 瞬間、俺等三人の持つ『特境省』からの配布備品端末三つが同時に震えだし、それと同様に三人の携帯電話が同時に震えだし、雲の中で稲光が走り、上空からもの凄い勢いで降り注いだ雨粒が、アスファルトを打ってバチバチとけたたましい音を立て始める。


 そこから数秒のタイムラグの後、十メートル程前方にあるマンホールの蓋が勢い良く飛び上がると、汚泥と共に、昼間の奴が姿を現した……。


「ケキャカクカハカハハハハハハハハッッ! また会ったなさっきの『特境省』ぉっ!」


 人語を解すアメタマの変異種。


 俺を視界に入れてそう言葉を発すると、続いて奴は安西さんに視線を向け、こうも言葉を発した。


「そしてそしてっ! ケキャカカカ、漸く! 漸く巡り合えましたな! 我が愛しの姫君様よおおぉぉぉぉぉ!」


 人語を解すそのアメタマは口の両端をグッと持ち上げると、両の腕を大きく広げ、歓喜に打ち震えた様にそう叫び、喉が潰れるんじゃないかというくらい――……いや、そもそもアメタマに喉なんてものがあるのかは疑わしいけれど、もし喉と言える器官があるとしたら、それが潰れるんじゃないかというくらい、「ケキャケキャケキャケキャ」と、豪雨の中で笑い声を空に響かせる。


 そうして、


 一頻り奴が笑い終えたところで漸く、


 漸くの事、


 飛び上がったマンホールの蓋が、


『バッガーン!』とでも表現出来る豪快な音を鳴らして、


 アスファルトに、



 落ちた……。






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