メイン 8 大黒腕
日夜和日郎は周囲から『直情型』やら『がさつ』やらと言われており、実際自分でもそう思っている。が、実のところは『繊細』で『ナイーブ』な内面も持っている。直情型と言われ、尚且つがさつだと言われ、それを自身で自覚もしているが、実のところ、その内面の繊細さやナイーブさも、自身で自覚しているのだ。
可笑しな性格をしているなぁと自分で思った事もあるけれど、然してそれは気にする程の事でも無いと、日夜和日郎はそうも思っていた。
なんにせよ日夜和日郎。今現在上空から、アメタマに向かって単身降下中だった。
中学二年の時に初めてパラシュート無しの降下訓練をやらされた時、彼は『こんな理不尽な事があってたまるか!』と叫んだ事もあったけれど、それをネタにされて未だに直属の上司に当たる殻梨桃子にいじられたりもするけれど、今ではパラシュート無しの単身降下も慣れたもの。
上空から標的となるアメタマを目視する。タメ息を吐きそうになるが、慌ててそれを口元で押さえた。気付けと称して顔を一度ピシャリと叩く。小雨の中の単身下降。身体に纏わりつく雨の一粒一粒が鬱陶しい。しかし、彼はその考えを振り払う様に口元をニヤリと歪め、不敵な笑みを浮かべた。
「さてさて、五メートル級ねぇ……。」
一人そう呟いた彼は、その両の足でアスファルト面に着地した後、アメタマに面と向かって対峙すると、長袖のYシャツを無理矢理な感じに肩口まで捲くり上げた。
「オオォオォォオオオォオォオォオオォオォォオオオ!」
上空から飛来し、突如目の前に現れた好戦的な人間に対し、アメタマは雄叫びを上げながら、歓喜した様に空に向かってその両の腕を伸ばす。
アメタマ自体は通常一般の人間に対して近付く事も無いし、ましてや好戦的に腕を振るって人を襲う様な事も無い。一般的に人を襲うのはアメタマが関連する自然的な災害であり、それは豪雨であったり、カミナリであったり、そこから派生する川の氾濫だったりだ。なので、アメタマが一般の平和的な人々に遭遇する事は、それこそ愉快犯的な『夏』を使う者が意図的に仕向けでもしない限り、極々、あと四つ五つ程『極』が付くくらいに稀な事である。基本としてアメタマとは前記で殻梨桃子が言及していた通り、梅雨時期に降った雨が地中に溜まり、それが腐って濁って、『夏』を取り入れてしまった結果として生まれたものが地上に出て来てしまった姿。それを『特境省』の指令室がアメタマ反応として確認し、所属する『夏』を使用する者に指礼として現地に向かわせ、事が大事にならない内にアメタマを落すのだ。では、何故アメタマは『夏』を使用する者に対して腕を振るうのか? 理由は二つ。まず第一に、相手が好戦的だからだ。元が汚泥した梅雨の老廃物だったとしても、それは『夏』を取り入れてしまった時点で『夏』によって自己を与えられてしまっている。自身を守る為の戦闘行為。アメタマとて自身の危機は自身で守らねばならない。それは言わば、『夏』によって与えられた『本能』の様なもの。アメタマは、自身を守る為に『夏』の使用者に対して腕を振るうのだ。そして、第二。アメタマも腹は減る。それは一般の人間を襲わない理由でもあった。普通の人間は『夏』を持っていない。しかし、『夏』を使用する者は、『夏』を持っている。アメタマにとって、『夏』とは自己を与えてくれたものであり、同時に自己を存命させるものでもある。取り入れる事で己を更に大きく、取り入れる事で己を更に強固に。『夏』が己にとって有益にしかならない事を、アメタマは知っている。それも言わば、『夏』によって与えられた『本能』の様なものだ。アメタマは、己の欲を満たす為に、『夏』を使用する者に対して、好戦的に腕を振るう。
『特境省』から見ると、アメタマは『夏』の生んだ害悪でしかなく、アメタマから見ると、『夏』を使用する者は得るのが多少厄介な餌という事になる。
「ったくよぉ、七月入って早々勘弁して欲しいよなぁ。お前等の所為でこっちゃあ少しばかり迷惑被ってんだよ。つっても分かんねぇと思うけどさぁ。サクッと落させてもらうけど気ぃ悪くすんなよ? 俺さぁ、この後ダチに回ってる寿司奢んなきゃいけねぇ事になってんだからよっ!」
言い切ると同時に、日夜和日郎はアメタマへと飛び掛かった。
好戦的な相対者に、アメタマも長い腕を伸ばしてそれを振るう。
五メートルにも満たなかった日夜和日郎とアメタマの距離は一瞬の内に詰まり、両者共に相手を射程の圏内へと迎え入れた。リーチの差が段違いの分、日夜和日郎はアメタマの懐に潜り込む事で状況を有利に進める事が出来る。しかし、アメタマも相対者を迎え打つ事に関しては馬鹿でいられない。懐に潜り込まれても対応出来るよう、長い腕を身体の中に収納して調整する。腕は長ければ長いほど細く脆くなり、短ければ短いほど太く強靭になる。接近戦を主に得意としている日夜和日郎にとってアメタマと相対した場合に最も注意すべき点は、その短く調整された太く強靭な腕だろう。『特境省』に勤め季節を生業としている者にとって、……いや、どんな職でも生業にしている以上、一番してはいけない事は油断であり、怠慢であり、軽んじる事だ。それ等を軽視して相手を甘く見る事は、即ち己の敗北を意味している。しかし、油断も怠慢もせず、相手を軽んじる事が無かったとしても、横内然次はアメタマによって片足を取られた。
それは言わば刺し違え。
その時横内然次が相対していたアメタマは『変異種』だった。外観の見た目では全く判別付かないが、通常のアメタマが持つ事の無い、特殊な業を持つものが稀に出て来る。そのアメタマは頭が良かった。アメタマに頭の良し悪しがあるのかどうか、まずそこが一つ疑問点と上がってしまうが、兎にも角にも、そのアメタマは、頭が良かったのだ。交戦は明らかに横内然次が優勢だった。ただの一撃を貰う事も無く、かすり傷一つ負う事無く、一方的な仕合運び。しかし終盤、横内然次がアメタマの『中核』に手を伸ばし、それを破壊せんとした正にその時、アメタマは自身の腕を刃状に変化させ、それを持ってして横内然次の足、膝下脛部分に振り下ろした。元としてアメタマとは濁って腐った梅雨時期の雨の固まりなので、身体を形成するものはほぼ百のパーセンテージで水分である。形状変化ならば出来てもなんら不思議ではない。普通ならばそんな腕を変化させた程度のなまくら刃で斬り付けられたところで、『夏』を纏っている身である横内然次には大した切り傷も付かない筈だった。……しかし、そのアメタマは頭が良く、狡猾で、更にしたたかだった。アメタマは変形させた刃を『夏』で包み、細かい振動を加えていた。細振動を加える事で刃の切れ味は格段に増し、結果として横内然次は片足を脛から切り落とされる事となったのだ。何度でも言うが、通常のアメタマはこの様に賢いものではない。本能のままに身を守り、本能のままに『夏』を喰らう、生存する為の術しか持たない無機物の生き物。変異種であっても、それなら腕を刃状に形成させるまでの変異段階で止まる筈。しかし、このアメタマは、腕を変化させた刃を『夏』で包み、更にはそれを振動させた。本来ならば有り得ない事だ。そして、今回のこの横内然次の件で最も重要な部分は、その変異種のアメタマが、最後の最後まで己の武器を『隠していた』という事。切り札を取っておくなんて高等な考えはアメタマには絶対に出来ない事で、腕を刃状に変化出来るのなら、それを喜び勇んで振り回すのがアメタマというもの。本来ならば、それ等はあり得ない事だ。片足を落されはしたものの、そこは横内然次の経験の差。瞬時に切り口を『夏』で包み、出血を止めると、それまでの流れ通り、怯む事無く『中核』を破壊する事に成功。成功はした。アメタマを落す事には成功したのだけれど、目下として彼は今も尚入院中である。横内然次には油断も無く、怠慢もせず、また、相手を軽んじる事も無かった。……しかし、彼は気付けなかった。『今回の変異種には文字通り一本取られた』ぐらいにしか思えなかった。それは何故か? この横内然次が相対したアメタマ。腕を刃に変化させ、それを『夏』で包み、振動を加える。横内然次がこの賢く狡猾でしたたかなアメタマの異様さに気付けなかったのも無理はなかった。この様なアメタマの出現には前例が『あった』からだ。一般的に季節は継続して存在し続けるものとされているが、『特境省』にしてみれば季節とは自分達で作り上げて完成させるもの。一度作って完成してしまったものは二度として同じものを作り上げる事は出来ない。精密機械なら未だしも、それ等は人の手によって作られるもの。毎年毎年同じ四季を作るにしても、昨年や一昨年とは微妙に違うものが作られる。それ故に毎年の最高気温等が変わってくるのだ。その中で、アメタマもまた、毎年毎年同じものが出現し反応が出るとは限らない。その過程で少しばかり賢いものも出て来るし、はたまた変異種なるものも存在してしまう。
それ等変異種の出現は対峙したものが事細かに『特境省』に報告し、ファイリングされている。年号、日付、時間、場所、どの様な変異体だったのか、どの様に対処したのか、またそれに要した時間はどの程度か、体長は、保有していた『夏』の量は、等々。横内然次もそれに倣い、その変異種のアメタマについてを『特境省』に報告し、ファイリングした。『今回のアメタマは腕を刃状に形成し、それを『夏』で包んだ上で振動を加えていた』と。しかし、横内然次は気付けなかった。腕を刃に変化させた事にも気付いたし、それを『夏』で包んだ事にも気付いたし、振動させていた事にも気付いた。それ等は前例があったからだ。過去のアメタマには己の形状を変化させたものもいただろう。自らを『夏』で包んだものもいただろう。どのように使用したのかは定かではないが振動を駆使したものもいただろう。……しかし、それ等全てを最後まで切り札として隠し通したものは、横内然次の記憶には無かった。過去のファイリングを遡っても、きっと記録として残ってはいないだろう。何故ならそれは、アメタマの特質や変異種の主ではなく、奴等の思考だからだ。考え無し、気まぐれ、遊び半分。『特境省』はアメタマの思考に重点を置く事は無かった。それは、過去の前例として『他より多少賢いアメタマ』はいたものの、『他を圧倒する程に飛び抜けて賢いアメタマ』はいなかったからだ。企業や個人が意図的に作りだしたアメタマも結局は好き勝手に『夏』を蓄えて災害を引き起こすのみ。経験と戦歴から、横内然次は油断する事も怠慢する事も、ましてや相手を軽んじる事も無い。しかし、横内然次は気付けなかった。百六十年続く『特境省』のそれなりに長い歴史。『特境省』が季節を作り続けて『夏』を生みだすその過程の中で、アメタマもまた、百六十年間の毎年作り続けられる『夏』によって学習し、成長し続けている事を、横内然次はおろか、『特境省』も知りえる事ではなかった……。
「あー、何食おっかなー、今日の寿司。とりあえず赤味とイクラは外せないよなー。アナゴとウニも押さえときたいよなー。お前もそう思うだろー? なぁなぁ、お前もさぁ、そう思うだろー?」
日夜和日郎はアメタマに向かってそう問うが、それに対してアメタマから返事が返ってくる筈もなく、また、日夜和日郎自身も返事などは期待していなかった。誰に聞かれるでも無い独り言。ただ何かを喋っていないと自分が虚しくなってしまう。日夜和日郎はそう思い、アメタマと対峙する際にはなるべく口を動かす様にしていた。
ふざけた口調で言葉を吐くが、日夜和日郎は油断している訳ではなく、それは怠慢でも、ましてや対峙しているアメタマを軽んじているという訳でも無い。ふざけた感じの口調と態度を取りながらも、こと『特境省』の仕事と『夏』に関連した物事に対しては常に実直だ。なので、日夜和日郎の『直情型』であり『がさつ』であり、且つ『繊細』で『ナイーブ』だという性格は、『特境省』の仕事をこなす上でかなりマッチしていると言っても良い。
しかしこの立ち会い、如何に日夜和日郎の性格が『特境省』の仕事をこなす上でマッチしているとしても、戦況は彼にとって好ましくない方へと流れていた。
その主たる理由の一つが雨。徐々に強くなりつつある降水はアメタマの動きに箔を付け、必然的に手数が増える。序盤順調に三メートル級までサイズを削る事は出来たものの、優勢だった日夜和日郎の戦況は次第に悪くなり、ついには一度距離を取らなければ捌き切れないほどとなった。二つ目が経験の浅さ。鴉とニコが既に雨中でのアメタマを経験しているのに対し、日夜和日郎は『特境省』に属して今までの二年間、雨の降る中でアメタマに対峙した経験が一度も無かった。する事は同じなのに勝手が違う。今現在の日夜和日郎はカレーライスを箸で食べる様な感覚に陥っている事だろう。
「……っとぉ。あー、あれだ。ちょおっとヤバい感じになって来たかも知んねぇなぁ……。こりゃあ昨日の鴉を笑えねぇぞ……」
アメタマとの距離をたっぷり十メートル程取ると、そこで一度乱れた呼吸を戻す。冷たい水が彼の背中をつたった。日夜和日郎自身、それが雨なのか冷や汗なのかの判別が付いていない。しかし、これは彼自身も予想の範囲内だった。予想される範囲内での苦境。自分が雨中でのアメタマに対峙した事が無い事も分かっていたし、この度のアメタマ撃退に伴って雨が降るであろうことも重々承知していた。予期し得た苦境の中、彼は圧倒的不利になりつつあるこの状況下でも、表情に浮かべる薄い笑いは崩さなかった。
「……くそ、調子ん乗ってた訳じゃねぇんだけどなぁ……。でもまぁ、これも経験って事で割り切る事にするか。誰しも初体験は混乱するもんだしな。危機的状況にせよ何にせよだ」
日夜和日郎は口内だけで「クっハハ」と笑うと、軽い跳躍で全身を慣らし、肩、肘、手首と、順番にクルクルと回し、アメタマを睨み付ける。睨み付けたところでアメタマは何も反応を返してくれる事は無いが、それは日夜和日郎としてのポーズの一つだ。アメタマと対峙した際に独り言で口を動かし続けるのと同じ事。
「なぁ、お前さぁ、暑い夏ってどう思うよ?」
日夜和日郎はそう問うが、勿論アメタマがそれに答える筈も無い。
「俺は好きなんだよなぁ。暑い夏ってさ。なんつーかこう、すげぇ楽しくない? カブトムシ取り行ったりさぁ、友達とプール行ったりさぁ、めっちゃ暑い中でガリガリくん食ったりさぁ。そーゆーのってすげぇ楽しいしさ、すげぇ有意義だと思うんだよね。『満喫してる!』って感じ? お前もそう思うだろ?」
アメタマはその彼の淡々とした口調に痺れを切らしたかの様に己を荒ぶらせる。そうして身体を震わせ、正面で無防備に薄い笑いの表情を浮かべる日夜和日郎へ、その十メートル程の距離、それを勢いに身を任せて突っ込んだ。
「オオオォォォォォォォオオオオアアァァァアアアアア!」
咆哮と共に単純な体当たり。
如何にアメタマを形作るもののほぼ百パーセントが水分であったとしても、もの凄い勢いで面と面がぶつかる場合、それは普通にコンクリート面と衝突するのと同じ事。高飛び込みで選手が怪我をしないのは、とてつもない努力の末に、水面に対して足や腕の点から入水する技術を身に付けているからである。今この場合日夜和日郎に迫っている危機は、十メートルの高台からプールに飛び込んで腹打ちする様なものであり、表現は何ともお粗末に聞こえるが、想像してもらえれば分かる通り、そうなった結果、決して無事でいられる筈が無い。勿論『痛い』だけじゃあ済まない。
「おいおいー、怒んなよお前さぁ。これじゃあ俺が悪いみたいじゃんかよ。俺だって嫌なんだぜ? こんな雨降ってる中でお前みたいなのの相手しなきゃなんないとかさぁ。いやさぁ、でもな、やっぱ俺からしてもらえれば、夏は暑いに限るんだよ。そんでな、お前等みたいなのはちょおっとだけ迷惑なんだよ。だからさ、こう、俺等みたいなのが指示貰ってお前等の相手をしにくる訳なのな?」
日夜和日郎は独白を続けるが、アメタマはそれに聞き耳を立てる事も躊躇う事も無く、猛然と己の身体一つで突進してくるだけ。
「だからさぁ……、いや、だからっつーのかな? ま、どうでも良いんだけど」
アメタマの巨体が日夜和日郎を襲う。
普通ならば、あくまでも普通ならばの話だが、このアメタマの体当たりを標準的な一般的男子高校生が受けた場合、普通ならば、接触個所の皮膚が裂けて出血し、骨が折れ、衝撃により臓器が絶望的なほど損傷し、十メートル程吹っ飛ばされた挙句、アスファルト面に強く身体を打ち付けた結果絶命する事だろう。
つまりは『死』だ。
残念ながら一般道の普通乗用車ではこうはならない。東名高速を走る2tトラック辺りが妥当な線だろうか。
画して、アメタマの巨体が日夜和日郎を襲った訳なのだが、彼はそのアメタマの体当たりで吹っ飛ぶ事は無かった。皮膚は破れないし、骨折もしないし、内臓が損傷する事も無かった。それどころかもとより、アメタマの体当たりは日夜和日郎に達する事は無かった。
日夜和日郎は呟く。
「何はともあれ、だ。シヅルさんが申請出してくれてたのは正解だったな」
日夜和日郎は右腕の一本でアメタマの猛進を受け止めていた。アスファルトを踏みしめ、腰を低く落し、半身の体勢で、右腕だけを突き出す構え。一歩の後退もする事無く、右手の平一点で、猛進したアメタマの衝撃を受け切っていた。『鴉』と『ニコ』だったらそれは潔く避けて受け流していたところだろうが、日夜和日郎は正面から受け止める事で力量差を相対者に見せ付ける。『鴉』と『ニコ』を含めた三人の中でも、力技を主とする日夜和日郎だから出来る事。
アメタマにとっては残念な事だが、日夜和日郎は、普通の標準的な一般男子高校生ではなく、『夏』を使用出来る、言わば異常者だ。
日夜和日郎は尚も呟く。
「『夏』使うのに制限が無い。それなら、悪いが俺は結構強いぞ?」
完全に勢いを殺されたアメタマは、そう言った日夜和日郎の右腕の一振りで、ゴッソリとその身を横一線に削ぎ取られた。
「オオォオオオォオォオァアアァァアァァアァァアア!」
思わぬ反撃だったのか、アメタマは咆哮を上げながら即座に身を引いた。その距離たっぷり十メートル。日夜和日郎が身を引いた時の距離とそっくりそのままの位置で双方対峙する。それを見て、日夜和日郎は深追いをしなかった。というか、それを見た事でこの立ち会いの勝利を確信した。日夜和日郎はほくそ笑む。油断をしていないからこその勝利の確信。苦しそうな感じに「ウゥオアアァア」と呻くアメタマに、日夜和日郎は指の関節をポキポキと鳴らして、一歩近付く。
「結構強いって宣言しちゃったからなぁ。結構な強さでお前を落させてもらうぜ? くははっ、安心しろ。痛みは無い――と思う。お前を水に戻して、『夏』を取り戻すだけだ。色々元通りになるだけだからさ、まぁ、気ぃ悪くすんなよ」
言うと、日夜和日郎の両腕に、肘までの長さの黒い手袋がはめられた。腕の部分には三本の幅が広く黒いベルトが巻かれており、五指の部分にも同じく、何重にも細く黒いベルトが巻かれている。目の下に隈が浮かび上がり、短めに切り揃えられた頭髪が腰の辺りまで急激に伸びた。
文系は『肉体変化』と『装飾変化』を得意とし、体育会系は『肉体強化』を得意としている。日夜和日郎はその両方の素質を持ち合わせているので、シャツの袖部分を黒い手袋にするのと、腕を中心とした肉体の強化、その二つを主な『夏』の使用方法としていた。頭髪が急激に伸びるのはそのどちらかの副作用であるが、目の下の隈は『夏』を極限まで使用するものに浮かび上がる特色。
日夜和日郎は黒い手袋をはめた腕をぶらぶらと振り、鼻で笑ってからそれを胸の前でクロスさせた。
灯りの燈らない暗い闇の中でも浮かび上がりそうな存在感の黒い手袋。2tのトラックをも彷彿とさせるアメタマの突進を片腕だけで封じる剛腕。それ故、彼は仲間内から『黒腕』と呼ばれている。
「あーあ、夏の始まり掛けだっつーのにさぁ。これやると半端なく『夏』使っちまうから、まーた『夏』の生成し直しだよ。何処も彼処も省エネルギーを基本としてるっつーのに、うちんところはそう言うのとは掛け離れてるから困っちゃうよねぇ、全く。ま、使った分はまた自分等で作れば良いだけだし、金が掛からなくても大体維持出来るってのが『特境省』の良いところなんだけどさ。」
言って、日夜和日郎はまた一歩足を進め、言葉を続ける。
「だからさ、何はともあれだ。お前、一丁俺と勝負しちゃあくんねぇか?」
そこまで言い切ると、日夜和日郎は一足をアスファルト面へと踏み込み、アメタマへと飛び掛かった。
それを迎えるアメタマは、「オオオォオァアアア!」と今一度空へと咆哮を放つが、先のゴッソリと削ぎ取られた肉体の一部は、雨中といえど回復するまでにかなりの時間を要する。咆哮にも今一つ怒気が感じられない。それでも迫り来る相対者に攻撃せんと、手の平を大きく広げて日夜和日郎に打ち込むが、それを受けさせる事も出来ず、空中の体重移動だけで難無くかわされてしまった。
「俺が早いのか、それともお前が遅いのか、どっちだと思うよ?」
日夜和日郎はそう言うと、腰まで伸びた長髪を振り回しながら、『夏』によって生成した黒い手袋をはめた左腕でもってして、アメタマの繰り出して来た平手の腕を根元からぶった切り落した。腕は先程削り取った肉体の一部同様霧状となって空気中に消えていく。
「オオオオオオアアアアアアアァアアアアア!」
それは咆哮ではなく、恐怖による悲鳴。
アメタマは喉と思われる器官からありったけの声量を恐怖と共に吐きだした。
日夜和日郎はそれを見て、眉根を寄せながら少し笑う。
嬉々か哀愁か分からない、どっちつかずの表情。
日夜和日郎は直情型でがさつだが、同時に繊細でナイーブだ。アメタマは『夏』を食うものだし、それは自分達にとって害悪でしかない存在だと分かっている。けれども、同時にアメタマは『特境省』が『夏』を作る過程で生み出されてしまった副産物で、ただ己の本能に従って『夏』を食っているものだという事も知っているのだ。言わば罪無き害悪。日夜和日郎はそれをも分かってしまっているから、自分がアメタマに恐怖を与え悲鳴を上げさせている事に戸惑いを感じずにはいられなかった。
「答えはな、『お前が遅い』だ。俺は自分より早い奴が腐るほどいる事を知ってるんだぜ? くははっ、なかなか良い環境だろ?」
日夜和日郎は自分がアメタマにしている事に戸惑いを感じずにはいられないが、それを理由にしてアメタマを落すのを躊躇う事はなかった。何故なら、日夜和日郎は繊細でナイーブなのと同時に、直情型でがさつでもあるからだ。
一撃目で日夜和日郎はアメタマの片腕を切り落とし、アスファルトに着地後、二撃目に右腕を下から振り上げてアメタマを縦に切断し、その勢いを己の横回転に移行させ、三撃目で左腕の裏拳により横一文字に切断する。
四分割。
アメタマはもう恐怖の叫びすら上げない。二撃目に縦方向の攻撃を受けた際、アメタマが動く為の動力源たる『中核』が既に傷付けられていたから。『夏』で出来た『夏』を溜める為の『核』。簡単に表すならアメタマの胃袋の様なもの。
四つに切り分けられたアメタマの身体はそれぞれがぼろぼろと崩れ落ち、間もなく霧状となって消えていった。残ったのは、『夏』で形作られ、日夜和日郎の二撃目で傷付いた『中核』のみ。
日夜和日郎は、雨中でアメタマを落とす事に成功した。
「……ま、俺もお前も被害者って事だ。一歩どっかで間違えば俺がやられてたかも知んねぇし、お前が生き延びる術もどっかに転がってたかも知れない。もっと言うと、俺の運が良かっただけって事もあり得るしな。だから、恨みっこは無しだ」
日夜和日郎はそう言うと、黒い手袋に生成していた『夏』を解く。それと同時に長くなっていた長髪は元の短く切り揃えられた長さまで戻り、目の下の隈も消えた。地に落ちたアメタマの『中核』。日夜和日郎はそれを完全に破壊すべく、少しの疲労感を引き摺りながら『中核』に歩み寄った。……が、その近付く過程で日夜和日郎はそれの異様さに気が付いた。歩む足を少しだけ速め、一気に『中核』へと走り寄る。
「……ははっ、やってくれたよ。これはちょおっと笑えねぇな……」
通常、アメタマの『中核』は露出すると眩しいくらいの光を放つものだが、その『中核』にはそれが無かった。濁って黒々としており、汚泥にも似た腐敗臭すら漂っている。近付き、手に取り、日夜和日郎は絶句した。
少量の『夏』を使用して『中核』に似せて作られた、それは模造品。ガチャポンなどのサプライ商品で用いられるカプセル。
その中には鼠の死骸が入っていた。
明らかに人の手によって作られた、アメタマを疑似的に活動させる為の装置。
「……これで確定だな。今回の件、シヅルさんの言ってた通り、他勢力の介入は確実にある」
今回出て来たアメタマのどれが本物かも分からないし、全ての『中核』が模造品であるという可能性もある。日夜和日郎はそう思うと、まずはたった今落したばかりのアメタマの『中核』たる模造品を完全に破壊し、制服のズボンのポケットから携帯電話を取り出して短縮ボタンを押した。呼び出すのは『特境省』の指令室で待機しているスピードスター。
日夜和日郎は、直情型でがさつで、それでいて繊細でナイーブでもある。自分の行いに戸惑う事もあるが、しかし、それを理由に躊躇う事は無い。




