メイン 6 殻梨桃子のスーパーアメタマ講座(季節感含む)
「紅茶とコーヒーどっちが良い?」
「あの、えっと……、じゃあ、紅茶でお願いします」
言うと、桃子さんは私に紅茶を淹れてくれ、自分にはコーヒーを淹れて卓に着く。
『モモコの部屋』とプレートが掛かっていたその室内は、プレートの表示にあった通りの内装で、その職場で与えられた一室といった感じではなく、そこに住んでいると言っても何ら間違いではない様な室内だった。社員寮の様な認識で良いのだろうか? 確実に二十畳ほどあるんじゃないだろうかと思われるが、この室内、広すぎるという事を除けば、そこは普通の女性の生活空間。窓には洒落た感じのブラインドカーテンが掛かっており、白と青を基調とした落ち着いた感じの色使い。部屋の中央に丸くて足の短いテーブルがあり、私と桃子さんは座布団に座って向かい合う形になっている。本棚には漫画と文庫とハードカバー。内容は小説だったり実用書だったり多種多様。大画面のテレビがあったり、テディベアのぬいぐるみが飾ってある一角があったり、観葉植物があったり、インテリア雑誌が飾ってあったり。見える位置にドアが一つあるので、寝室はそこになるのだろう。立地も考えると、普通に借りればひと月三十万くらいはしそうな部屋だ。
「うふふっ。ビックリしたでしょ? こんな会社みたいな建物の中に普通の自宅みたいな部屋があって」
桃子さんから見たらいくらか失礼な感じに室内をきょろきょろと見回してしまっていたが、桃子さんはそれを咎める事はしなかった。それどころか、私を気遣う様に嬉しそうに笑い掛けてくれる。
室内に関しては確かにビックリした。私は紅茶を頂きながら一度首を縦に振る。
「ふふっ、実は昨日は大変だったのよ? スバルくんから急に連絡貰って女の子連れて来るって言うから。今朝までその辺とかに雑誌とか脱ぎっぱなしの洗濯物とかが雑に放り投げてあったんだから。ま、簡単に言うと散らかってたって事なんだけどね。大慌てで大掃除って訳よ」
「あ、あの、すみません。急にお邪魔してしまって……」
「あぁ、良いのよ。これも私の仕事だし、可愛い子なら尚の事大歓迎だわ」
面と向かってそう言われると気恥ずかしく思う。可愛い子と言われると、私は真っ先に千佳ちゃんみたいな子を思い浮かべるんだけどなぁ。
「うふふっ。それじゃあ、ぼちぼち始めてみましょうか。一応こっちで資料とか用意してみたから、これを一緒に見ながら一通り説明していきましょうかね」
そう言って桃子さんから手渡されたのは、何枚かの用紙が一綴りにされた資料。
『良く分かる特殊環境保全省』
そう文字がプリントアウトされた用紙が一番上に来ており、一見とても真面目な
資料だと思えるものの、その文字の下に手書きで描かれたウサギのイラストによって、私の肩に入った余分な力が抜かれてしまう。上手いのか下手なのか、とても微妙なラインのイラストだ……。
初対面だし、彼女につっこんで良いものかも分からない。
そして、それをひとまず横に置いておいたとしても、だ。
特殊環境保全省かぁ。
特殊環境保全……『省』、かぁ……。
「『特殊環境保全省』……ですか?」
「そ。略して『特境省』ね。一方では裏環境省って事で『裏環』とも呼ばれたりしてるけど」
「行政機関、なんですか……?」
「そうよ? 『特殊』って付いてるけどね」
事も無げにそんな事を言って笑う桃子さん。
話の端々で薄々感じていたけど、実際にちゃんと口からそうだと言われると、やっぱり、面喰うと言うか、何というか……。
そっかぁ、やっぱり御国の機関なのかぁ……。
「じゃあ、この資料を使う前に大まかな説明。えっと、とりあえず今日のところは『ハルマちゃん』って呼ばせてもらって良いかな?」
「えっと、はい。大丈夫です」答えると、桃子さんは「うふふっ、ありがと」と、屈託の無いように笑った。
「それじゃあハルマちゃん。まずね、スバルくんが既に聞いてるかも知れないけど、『春夏秋冬でどれが好き?』っていうの聞かれた?」
「……はい」
「何て答えた?」
「……夏って、答えました」
「うん。そうよね。そうなのよ」
何に納得したのか定かじゃないけど、桃子さんは「うんうん」と首を縦に振って嬉しそうにする。
「……あの、確かにオウウミくんにもそれを聞かれたんですけど、それって私が夏が好きだとどうなるんですか?」
「うーん、まぁ、別に重要な質問でも無いわよ。ハルマちゃんが『夏』を好きだとどうこうって事でも無いし。事実確認って感じかな?」
「……えっと、どういう事ですか?」
「つまり、ここの職員になる人は総じて『夏』が好きな人ばかりだって事よ」
私がその答えで納得いかない風な表情をしていたのか、桃子さんは片眉を上げて薄く笑い、「とりあえず、意味が分かんないだろうけど、話進めて行く内に、ちゃんと、一応、分かってもらえると思うから」と、そう補足してから先の話を続けた。
「『特殊環境保全省』。通称『特境省』は、日本の環境保護とその再生を主な活動として取り組んでいる行政機関です。内容としては、森林や水質の調査をしたり、気温や天候の統計を取ったり、昆虫や淡水魚や海水魚の分布を調べたりとね、そういう事をしています。この二十二世紀ともなった限日本では、昆虫や魚類などの生き物がいつ絶滅してもおかしくない危機に瀕しているのよ。森林がいつ無くなるかも分からないし、川がいつ干上がるかも分からない。それ等を今の状態で維持、及び再生させる為の活動をしているのが、『特殊環境保全省』。通称『特境省』ね」
触りだけ説明すると、まぁこんな感じ。
一息に言って、桃子さんはコーヒーを一口飲んだ。
「……へぇ、凄いですね」
「まぁねぇ。私が上司に講習やる様に言われた時、今のやつ全部暗記しろって言われたのよ。流石に最初の内は全然覚えらんなかったけど、今ではちゃんとそらで言えるようになったわ。いやー、でも覚えるのに結構時間も期間も掛かったのよ。まだまだ精進は必要だと思ったわね」
「…………?」
……少しだけ意味が分からなかったけど、直ぐに今のやり取りには食い違いがある事に気付く事が出来た。
「……えっと、それもなんですけど、活動内容も凄いですね」
言うと、桃子さんは手をヒラヒラと振って「いやーねー、凄い事やってる自覚も無いんだけど、まぁ結構昔っからやってる事みたいだから、年季が入って聞こえるだけよ。きっと」と、そう笑みを浮かべる。
桃子さんがそう言っても、それは国の仕事だ。それが凄くない事の訳が無い。それに、その活動のお蔭で今の環境が保たれているのなら、それはやっぱり凄い事だ。
凄い事だけど、そりゃあもう凄い事なのだけど……。
「私はそれは凄い事だと思いますけど、だけどそれって、私に言って良い事なんですか?」
良くも悪くも一般市民だ。それは私が聞いて良い事なのかが不安になる。しかし、やはり桃子さんは手の平をヒラヒラと振った見せた。
「うふふっ、聞いて良い事も何も、国の仕事だもん。ちゃんと公になってるし、環境省のホームページにも載ってるわ」
桃子さんはそこまで言うが、人差し指をピッと一本立てると、「だけどね」と、一言前置きして、先の言いを続けた。
「ここまでは、言わば『環境省』もやってる事。それで、その『環境省』の裏側で暗躍してるのが私達『特境省』なのよ。だから、ここまでは『環境省』の仕事でもあるから一般にも公表出来る範囲。っていうかね、一般には『特境省』自体が公になってないから、私達がさっき言ってた環境保護だりなんだりにちょろっと関わってるなんて誰も知らないの」
これから一般には公表されてない事をこれからザックリ説明するわね。
桃子さんはさくさくと話を進めようとする。けれど、咄嗟に私の口から出た「ちょっ!」と言う声により、それを急制止させる事に成功した。
「んん? どうしたの? 何か質問?」
質問と言えば、まぁ質問だろう……。
「ですから、あの……。私はその、一般に公表されていない事を聞かされても、良いのかなぁ……と、そう思いまして……」
良い悪いどころの話ではない。高々一般市民で女子高校生の身である自分が、そんな行政機関の裏側まで踏み込んで内情を聞いてしまっても良いものかが分からない。自分一人で判ずる事が出来ない。それに、私がそれを聞いて良しとして、何故自分がそれを聞いて良い身であるのかが分からない。
桃子さんは私のその言いに「ん?」と不思議そうに首を傾げたけれど、コーヒーを一口飲んだところで、「んー、そうだなー」と口を開いた。
「例えば、どんなスポーツにもルールがあるわ。今から話す事はそのルールに等し
い事だと思う。ルールを知らなきゃ、プレイするにしても観戦するにしても楽しく無いじゃない? 多分、そう言う事なんだと思うわよ」
「……仮にそうだとしても、やっぱり私には、それを聞く必要があるのかが分かりません……」
私がそれう言う事で桃子さんを困らせるという事は分かってる。来る過程でもここに来てからも、聞かされる色々を受け入れようと決めた筈なのに、やっぱりどっかで今の日常に縋り付きたい思いがあるあるのだ。未練はあるし、それは拭える物じゃあない。そもそも、まだ非日常に飛ばされると決まった訳ではないのだけれど……。それでも、行政機関とか、国が大きく関わっていて、美味しい紅茶を出されても、やっぱり、私にはそれをどうすれば良いのか……。どう受け止めれば良いのか……。
「聞く必要は、大いにあるわ」
淡かった私の希望は、桃子さんのその一言により、意とも簡単に切断される。後退は出来ない。前にしか道は無いと、その一言にそう言われた気分だった……。
「昨日ここの指令室で、スバルくんとハルマちゃんと、それとアメタマの反応をモニタリングしてたわ。スバルくんに、ハルマちゃんが昨日始めてアメタマと遭遇した風の事も聞いたの。だからね、何も知らなかったり、中途半端に知ってるくらいの知識しか持ってないと、それはとても危険なのよ。今日ここでしっかりとした知識を身に付けて、その後で『特境省』に入るなり断るなりしてもらって構わないわ」
「――! ちょっ、ちょっと待って下さい!」
その私の声に桃子さんは身体をビクっと跳ね上げ、私はというと、急に喉の奥から出た声に自分でビックリしてしまった。
「入るなり断るなりって、何ですか……?」
「……あー、ビックリしたぁ……。何ですかって、そりゃあそのまんまの意味なのよ……。ハルマちゃんが『特境省』に籍を置くか、もしくは断るか、それはハルマちゃん自信が決めて良い事よ。勿論、籍を置くにしても断るにしても、最低限の知識としてハルマちゃんには『特境省』についての講義を今から受けてもらうけど。」
「あの、違うんです……。そういう事じゃなくて、……いや、そういう事でもあるんですけど。……あの、『特境省』って行政機関ですよね?」
私は戸惑う。それは先程も確認した事ではあるけれど、私は再度それを桃子さんへと問うた。が、やはり桃子さんは、何を気にする風でも無く「そうよ?」と一言。
「私、普通の女子高生ですよ……?」
「えぇ、知ってるわ」
「私が、その行政機関である『特境省』への在籍有無を、勝手に決めちゃって良いんですか?」
「良いのよ?」
それは、至極あっさりした答えだった。
仮にも秘密裏に国の命を受けている機関が、そんな適当に有能かどうかも分からない人材をホイホイ増員して良いのか……?
「うふふっ。今ハルマちゃん、『仮にも国の機関がそんな適当な感じでホイホイ人増やして良いのか?』と思ったでしょ?」
……心を読まれた。
「……お、もいました、よ。確かに……」
「そうねぇー。『特境省』ってね、一応ここが本部になってるの。支部と言えるような場所は東北と九州に一か所ずつあるんだけど、基本はここで色々指示を出す事になってるわね」
紅茶、おかわりいる?
聞かれて、私は自分のコップに入っていた筈の紅茶が空になっている事に気が付く。緊張と困惑から無意識の内に何度も口に運んでいたらしい。
「……えっと、嬉しいんですが、良ければ暖かいものじゃなくて、お水を、頂けないでしょうか?」
どうにもこうにも喉が渇く。
暑い日には暑い飲み物というのが鉄則だが、私に今必要なのは冷たい水だ。
「あぁ、そっか。ごめんね気ぃ遣えなくて」
「あ、いえっ! 私こそすみません」
慌てた風に立ち上がり、桃子さんは冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出すと、グラスに注いで私に差し出してくれる。
「御気遣いさせてしまってすみません……」
「いえいえ、私の方こそ。まぁ、何でしょうね。お互いに一息ついてちょっと落ち着きましょう」
桃子さんは自分にもコーヒーを淹れ直し、私と自身にそう言い聞かせてから再び卓に着いた。
「まぁ、それでね。『特境省』に登録されている職員の総人数は百四人。日本に四十七の都道府県があるとして、一つの都道府県に約二人の割合になるわね」
四十七都道府県を百四人でカバーする、一つの都道府県に約二人……。それって……。
「そう、それって凄く少ないのよぉ」
呆れにも似たタメ息を一つ吐き、額を押さえて苦笑いを浮かべる桃子さん。
「『特境省』が行政機関になって百六十年くらい。それなのにこれだけの人数しか籍を置いていないのよ。記録を遡ってみても一番人員が多かった時期で百三十七人。一つの都道府県に約三人の割合。二十二世紀でも何考えてるか分かんない政治家が腐るほどいるってのに、こういうちゃんと必要な場所の人材は常に人手不足なのよ。だから、ハルマちゃんみたいに偶然にもアメタマに遭遇しちゃったり、指令室に表示されるアンノウン表記の『夏』の人にはコンタクトを取る様にして、本人の同意によって『特境省』に籍を置いてもらってるの。勿論それ相応のお給料は払ってるわ。なんせ一般には非公開と言っても行政機関ですからね。都合が付かなくて『特境省』が振られちゃったとしても、『夏』の反応が出た人にはちゃんと講義を受けてもらってるわ。ちゃんと知っておかないと危ない知識も、これまた腐るほどあるからね」
「……知っておかなきゃ危ない知識、ですか……?」
「そうよ。それはもう腐るほどね」
多分、これまでの話に嘘は無いと思う。初対面なのに桃子さんは開けっ広げだし、私に対しても圧を掛けたりしてこない。脅しの様な雰囲気も無いし、嫌な顔一つしない。……だけど、それなのに私は、異様に喉が渇く。桃子さんがとても良い人なのは分かるけど、私の心臓が早鐘を打っている事を自分自身で実感出来ている……。
「まず第一に、昨日ハルマちゃんが遭遇したアメタマ。ハルマちゃんはあれを見てどう思った? 何だと思った?」
問われるが、私には見当の付けられるものじゃあない……。それでも、問われたからには見て感じたままの感想を言うしかない。
「……そうですねぇ。私には、怪物にしか見えませんでした……。何がどういう風になってああいう生き物になるのか分からないですけど、見た感じだと、水溜りって言うか、水の塊って言うか、そういうものの感じだったと思います」
頂いたミネラルウォーターを一口飲む。
昨日の記憶を少しだけ手繰り、数瞬ほど視界に入ったそれを、私はそう表現した。かなり当てずっぽうで、雰囲気のみの感想の様な言い方だったけれど、桃子さんは私のそれを聞いて「うん、大体正解。」と言い、パチパチという軽い拍手と共に私の解答を賛辞する。
「うん、良い感性してると思うよ。そうね、あれは水の生き物。うふふっ、水の生き物っていうと図鑑に出て来る海洋生物みたいね。もしくはクラゲを思い浮かべるかも知れない。ま、とりあえず、ハルマちゃんが昨日遭遇したアメタマ。漢字の表記は、雨の魂って書いて、略して『雨魂』ね。アメタマは大体六月の中旬から七月の中旬までの約一カ月間に集中して出て来るの。それじゃあ、折角用意したからこの資料を使って説明しましょうか。資料の六枚目を出してみて」
「あ、はい」
そう言われ、先程貰った資料をめくる。
綴ってある資料の六枚目を出すと、六枚目に当たる用紙にも題字としてだろう、鉤括弧付きで大きく文字がプリントされていた。
『アメタマってなぁに?(初級編)』
描かれていたイラストは雨の中傘を差して悲しそうな顔をしている女の子。表紙のウサギと同じく、上手いのか下手なのかは微妙なラインだ。
「あぁ、あと先に言っておくけどね、本当は一番最初のページの『良く分かる特殊環境保全省』からやろうと思ったんだけど、面倒臭い法律とか省くと今説明した事が殆どだから飛ばしちゃうね」
……うーん、桃子さんの性格が大分と分かってきた気がするなぁ……。ズバリ、良い意味での大雑把ってところだろう。要領が良いのだろうか。それとも地頭が良いのだろうか。……だけど、さっきこの資料は桃子さんが用意したって言ってたよなぁ……。
「そんじゃ、早速、『アメタマってなぁに?(初級編)』なんだけどね、箇条書きになってるところの題文だけ注視してもらえれば良いから。細かい内容は私なりの解釈で説明していくので、図だけ見てくれるだけで大丈夫でーす」
……まぁ、良い意味で大雑把な人なんだろうな……。
言われ、私は用紙の四分の一程を使って描かれている図に目を向ける。中学の時の理科の教科書にあったような図。空と地面を縦に切った断面図のそれは、雲が雨を地面に落していて、それが土に吸収されている場面。
「この図って、何ですか?」
理科の教科書と表したけど、取り様によってはもっと子供向けの教材に載っているだろうチープなそれ。その図の各所にはラインが引いてあり、その先に『a』『b』といった風に記号が『f』まで振られている。
「この図はね、アメタマが生まれるまでの過程ね」
「生まれるって、そのアメタマって『生まれる』もの何ですか?」
「そうよー。アメタマは生まれるものなの」
桃子さんはそう答え、「じゃあ、ちょろっとご説明していきましょう」と、言いを続ける。
「ハルマちゃんは『梅雨』って言ってどんなもんか分かるわよね?」
「雨期の事ですよね?」
「そうそう。その『梅雨』が、アメタマの元になるの。」
「『梅雨』が、『アメタマ』ですか?」
「そ、『梅雨』が『アメタマ』。二一世紀、二〇〇〇年の初頭に『ゲリラ豪雨』って言うのが流行ったの。快晴の天候が急に厚い雲に覆われて、二時間ほど強く雨が降った後に、それこそ嵐が過ぎ去ったように一気に天候が回復するっていう異常気象。まだ『特境省』が設立される前にはそう捉えられてたわ。そういう異常気象や二〇二〇年辺りの環境低迷期が皮切りとなって、日本は自力で『夏』を作り出せなくなっていったのよね。四季が失われ出したのはこの辺りの時代から」
「あの、そのアメタマとかっていうのの事も教えてもらうんですけど、何ていうか……、日本に季節が無いっていうのの意味が、いまいち理解出来ないんですけど。それって要はどういう事なんですか?」
奥海くんにも桃子さんにも、私は『季節が無い』という事実と結論だけを突き付けられている。けれど、そもそも初期段階での認識が私と奥海くん達では違うのだ。奥海くん達は季節が無いという前提で話を進めるが、そもそも私は未だに季節があるという前提で話を聞いている節がある。
まず私は、そこをハッキリさせて欲しい。
『季節が無い』とは、どういう事なのか。
「あぁ、『季節が無いとはどういう意味か』、ね。うん。例えば、一般で常識とされる春夏秋冬では、その季節に応じた気温が想定されて想像されると思うのよ。気象庁調べってやつかな。春は暖かくて、夏は暑くて、秋は少し涼しくて、冬は寒い。だけど、私達『特境省』が何もしなかった場合、日本は常に十度前後の気温で安定するの。一年通してそれが保たれて、八月には暑くもならないし、十二月には寒くもならない。だから、『特境省』が三月の終わり頃から徐々に『夏』を生成し始めて、九月の中頃から徐々に『夏』を取り除いていくって訳」
それが、季節が無いって事。
「…………」
今日、私と桃子さんは初対面だ。だけど、私には桃子さんの笑顔にどこか悲しそうな雰囲気が混じっているのが分かった……。なんとなく、という、そういう抽象的な捉え方ではあるけれど……。
「『特境省』創設時のメンバーが地道なフィールドワークと『夏』の量から出した結果の気温よ。その事実が判明したものの、当時の日本ではそれを公表する事は無かったし、現在の二一八五年まで、その事実は死守されてきたわ。百六十年もそれが隠し果せているのは国の守秘隠ぺい能力と『特境省』の功績に尽きるわね」
前提としての『季節が無い』と言う定義。
これもまたなんとなくだけれど、一応は分かった。
分かったし、理解もとりあえずは出来た。が、理解するのとそれを受け入れるのとではは訳が違う……。
それに、それにだ……。
「……なんで、それを隠す必要があるんですか? 流石にアメタマとかの事は公表出来ないかも知れないですけど、季節が無くなった事とか、それを『特境省』がカヴァーしてるとか、そういう事を公表しない必要ってあるんですか?」
問うと、桃子さんは微細に片眉を上げ、そこでもまた物悲しげな笑顔を浮かべる。
「季節ってね、無くなると、日本って終わっちゃうのよ?」
「……どういう事ですか?」
「季節が無くなって困る人達は、人が想像出来るよりも大勢いるのよ」
「…………?」
無言のままで私は疑問符を浮かべる。
そんな私の表情を読み取ってか、桃子さんはズブの素人の私にも分かりやすい様、身振り手振りを使ってそれを説明してくれた。
「例えば農家。例えば観光地。例えば旅行会社。簡単に上げてもそれだけあるし、農家から繋がって輸出入も四季が無ければ困難になるわ。海水浴何て出来る気候じゃないし、ギリギリで雪が降る気候でも無い。風鈴や浴衣なんて市場から綺麗に消えるし、同じくスキーとかスノーボードなどの娯楽もやり辛くなるでしょう。季節が無くなったという事を公表すれば、日本は大パニックね。日本全国の火山が噴火して、日本全土を震度七の地震が襲うのと同程度、もしくはそれ以上のパニックになるわ。きっと。仮に『特境省』がそれを公表した上で、四季に対しての手段を用意していると一般に伝えたとしても、今度はその四季を拠り所として商売している各所からの苦情を一手に引き受ける事になるの。そう言う想定が成されているわ。農家から『野菜が育たないからもっと雨を降らせろ』とか、『気温を高くしてもらわないと上手く作物が育たない』とか、スキー場とか海水浴場とかの観光地からは『気温を高くしろ』とか『雪を降らせろ』とか、そういう懸念も大いにあったの。当時設立された『特境省』での会議の結果、満場一致で『公表しない』という事が決まったわ。日本は、それだけ四季に依存しているのよ」
「…………」
終始無言でその桃子さんの話を聞く事しか出来なかった。挟める口などある訳も無い。
『特境省』曰く、百六十年以上。その期間、日本は一般に四季が無くなった事を隠し続けて来た。百六十年以上。それは、私のおじいちゃんも、おじいちゃんのおじいちゃんも、その事を知らないままで生活してきたという事。そりゃあ、きっとそれ等は知らないままの方が幸せなのだろう……。
国が恐れたのは、パニックと暴動。
だから、国と『特境省』の判断は、きっと正しい。
「それが、季節が無くなった事を公表しない理由ですね?」
「うふふっ、そうよ。公表しないし、公表出来る筈も無いわ。こんな事。納得してもらえた?」
無言のままに、私は一度首肯する。
「梅雨の間に振った大量の雨は、その殆どが地表に吸収されて、私達の生成する『夏』の一部に作り変えられるの。私達が『夏』を作るにあたって使用する元の原材料はいくつかあるけど、梅雨の間に降る雨もその一部なのね。他にも、植物が光合成した後に排出される酸素なんかもその一部になったりするわ。二〇二〇年の環境低迷期以後に『環境省』が緑化運動を強く推したのもその理由から。そんで、夏に来た台風の後に気温が急上昇するのは私達がここぞとばかりに『夏』に作り変えてるからなの。ふふっ、作り置きってやつよ。こういう風に話してると、結構季節の変わり目なんかで『特境省』が一枚噛んでるのが分かって貰えると思うわ。でね、だけど唯一、地中に残った梅雨の中の極々一部は、『夏』に作り変えられる前に、それが腐って挙句に濁って、逆に『夏』を奪って利用して、自己を大きく強大にする様な、そういう異分子が出て来るようになったの。それがアメタマ。雨の魂。『特境省』が『夏』を作るにあたって生み出される事になってしまった弊害かも知れないわね。『特境省』が出来て百六十年以上の長い歴史で大きな被害が出てしまった事も何度かあるの。川が氾濫したり、強い豪雨でマンホールが溢れかえってしまったり、そういう被害。中でも夏の始まりである丁度今時期には人手が否応なしに日本全国散り散りになっちゃうから、それはもうてんやわんや。人員の増員は必要不可欠なのよ」
「じゃあ『特境省』は、日本に季節を作って、アメタマが出てきた場合の被害を最小限に止める事を主として活動してるって、そういう事で良いんですか?」
「ん、そうね。概ね正解」
桃子さんは自分で用意したと言った資料を閉じて脇に放る。結局、図だけ見てくれれば良いからと言われたものの、その図も大して見る事無く、その資料の必要性が疑われる程のぞんざいな扱いをされ、資料は己の役目を終えた。描かれていたチープなイラストが皮肉な感じに映える。
「『特境省』は日夜日本の季節を守る極秘組織なのよ。悪に敢然と立ち向かっていく正義の味方って訳。ふふっ、カッコいいでしょ?」
子供っぽい笑みを浮かべ、勝ち誇ったような顔でVサインをする桃子さん。
まぁ、桃子さんを始め、その『特境省』の職員の方々がそういう高い職業意識を持っているのも分からなくもない。何せ国の裏側だ。日本という国の存亡とアイデンティティに関わる様な内容の仕事。しかし、その言い方には誇大妄想とも取れる表現が含まれているような気がした。なにせ――。
「悪に立ち向かうって、一般的には極秘裏に動いて四季を作っていくだけですよね? アメタマもその話を聞いた限りじゃあ自然現象と考えて差し支えないみたいですし。……悪って言うには、表現が過ぎる気もするんですけど……?」
元が元なだけに、そのアメタマを悪と表現するのは多少ずれた考えな気がする。素人考えかも知れないが、アメタマは『特境省』が『夏』を作る過程で生み出された言わば副産物みたいなもんだ。それを悪と捉えても良いものなのか、私には多少なりともの疑問が生じる。
私がそう言って眉根を寄せていると、桃子さんは一つ息を吐いてから、「うん。アメタマに関してはその考えが正解だわ」と、そう言って、片眉を上げて苦笑いを浮かべた。
アメタマに関しては、って……。
「……どういう意味ですか?」
そう言った語気が少し強まっているのを自分でも感じる事が出来た。その桃子さんへの問い、答えの当たりは大体のところ自分で付ける事が出来ているとも思う。……けれど、それはちゃんとそれに関わっている人の口から聞かないと正確な判断が出来ない。
知りたいような、知りたくないような、曖昧な思考の末の、その私の問いだ……。
「どういう意味か。それはね、私達『特境省』は四季を作る為にアメタマを撃退する事もあるし、四季を守る為に『他勢力』を撃退する事もあるって、そういう事よ」
他勢力。
嫌な名称だし、出来ればそれは聞きたくなかった様な気がする名称でもある……。
桃子さんは肩を竦めてタメ息を吐き、少し考える様にしてから、口を開いた。
「……今日、ハルマちゃんにここに来てもらえたのは、本当に稀有な事なの。実は、指令室でアンノウンの反応が出るのは別段珍しい事じゃなくて、それをこうやって話を聞いてもらえるまでにセッティングする事がなかなか出来ないのよ」
「……という事は、私は珍しくここに来る事の出来た素人って事ですか?」
「うふふっ。まぁ、そういう事になるわね。年に二人とか三人とかいれば良い方だわ。それでね、正確な数字は分からないけど、『特境省』の職員が百四人として、『特境省』に属していない『夏』を使える人達は、約三百人から三百五十人と言われているの。統計だけだから、多分もっといるわ。単純に三倍以上の人数」
「……その、『特境省』に属していなくてコンタクトが取れない人達が、所謂『特境省』にとっての悪って事ですか……?」
「一概には言えないけど、まぁ、そういう事。ねぇハルマちゃん、何でその『特境省』に属してない人達が、『特境省』にとって悪だか分かる?」
「……見当も付きません」
私は言った通り、それの見当が全く付かなかった。言うなれば自分も昨日までその立場にあった訳で、そういう風に捉えられてたってなると少しだけ心外ではある。……だけど、この桃子さん並びに『特境省』にそうまで言わしめるという事は、きっとそれなりの理由がある訳で……。
「『特境省』は行政機関であって、それは、国に雇われて『夏』を使うって事なの。少なからず『環境省』の名義で『特境省』にも資金が回って来てるし、国からお給料も出されてる。変な話だけど、私達も季節を維持するとか四季を守るとか、そういう大義名分の下で動いちゃいるけど、結局はお金がなければどうにも動けないし、お金が支払われなければ国の仕事と言ってもどうにもならないわ。『環境維持資金』という名目で『特境省』にちゃんとお金が回って来ない限り、多分誰も働きゃあしない。で、ここでちょっと話が変わってくるのが、今話してた他勢力の存在。『特境省』に属してないって事は、それはつまりね、一般企業に属してるって事なのよ。」
「……一般企業、ですか?」
「そう、一般企業」
「だけど、一般には公表されてないって……」
「そう。確かに一般には公表されてないのよ。だけど、そうは言っても今の時代は良くも悪くもネット社会。『特境省』も高いセキュリティーレベルを誇ってるから容易な事じゃあ情報は外に漏らさないし、やろうと思えば割と何処にでも潜り込む事が出来る。でも、って事はね、うちがそれを出来るって事は、他の一般の企業や個人でも、やろうと思えばそれくらいの事は出来るって事よ。どこから情報が漏れるかも分からないし、PCを使わなくても何かの人伝で情報が交錯する事もあるわ。それでね、その一般の企業に属してたり、もしくは個人で活動してる『夏』を扱う人達。その人達が季節に対して何をやってるかというと、『自分達にとってどう有益に季節が働くかを重視した上の結果』として『夏』を操作するのよ」
「んー……、それは、どういう事ですか?」
これは流石に話を聞いただけでは分からない。困惑次いでの私の提出した疑問を察し、桃子さんは流れる様に話を先へと進めた。喉は乾くけれど、不思議と今はコップに口を付ける気になれなかった。
「そうねぇ、例えば、一般企業で商品として野菜を育てていて、そこに属する『夏』を使う人がいたとするわ。すると、企業はその『夏』を使う人に、『野菜が育ちやすい様な気温を常に保たせて下さい』と仕事を命じる。必要ならば『一年中雨を降らせなさい』と命じる。それは他で違う野菜を育てている企業にとっては異常気象となるの。『特境省』はそれを警告し、従わない場合は実力行使による撃退だね。勿論企業側もそれなりに抵抗。と、そういう感じなのね」
四季は、『夏』は常に、誰にでも平等でなければならないわ。
「……夏は、平等で無ければならない……」無意識の内に口に出していたその言葉。桃子さんはそれに一度だけ首肯して見せた。
「『特境省』が私利私欲で動いている訳じゃない。と、流石にそう言い切る事は出来ないけれど、その場合、その企業は百パーセント私利私欲で季節を操作しているのよね。例を上げるなら、四年前、二一八一年。ハルマちゃんは多分十二歳くらいの時かな。その時に起きた十一月の外気温二十度越え。あれは企業側の季節操作の結果だったの。三日間続いた二十度越えは『特境省』が鎮静させて、企業側にもちゃんと指導を加えたから、お偉いさんの何人かが入れ換わった後に通常の企業形態へと戻ったわ。今もちゃんと存続してる企業だから名前は伏せておくけど、そういう事もあったし、過去の例は上げれば、それもまたキリが無いわ。他に厄介なのは愉快犯。個人がいたずらにアメタマを作って、雨を降らせ続けた結果、堤防を決壊させたりする事もあったの」
「……アメタマって、作れるんですか?」
「そうなの、作れるのよ。割と簡単に。腐って濁った梅雨時期の雨に『夏』を加えるだけだから。私も作ろうと思えば簡単に作れるし、スバルくんだって、今は無理だろうけれど、ちゃんと知識を身に付ければハルマちゃんにだって作ろうと思えば作れるわ。流石に『特境省』にいる人でそんな軽率な事をする人はいないけど、やっぱり、そうやって遊び感覚で季節操作をする輩はいるのよ。悲しいけれど、全年齢幅広くね。今言ったアメタマ作って堤防決壊させた子は、当時十歳の可愛らしい女の子だったわ」
…………。
「……そんな、小さい子まで……ですか?」
「そうね……。でも、大きい小さいは関係ないのよ。『夏』を使える人は総じて夏が好きな人なの。遺伝とか、他にも色々な要素はあるけど、あまり年齢や経験によって『夏』の使い方が上手くなるって訳でも無いし。その子も夏が大好きな子だったわ。まぁ、いうなれば、『可愛さ余って憎さ百倍』ってやつよ。好きだからこそメッチャメチャにしたいっていう事が無いとも言えないわ」
「……それは」
環境の保護をして、天候や気温を統計と見比べて、水質の調査をしたり昆虫や魚の分布を調べたりする。そこまでは割と容易に受け入れられた内容だ。言ってしまえば『普通』の事。……だけど、そのアメタマだったり、企業や個人を相手にしてそれ等を撃退すると説明されても、具体的にどういう事をしているのかが分からず、私の胸中には不安が撒かれた。それを聞いた時は話し合いでどうにかなるものなのかとも考えたけど、抵抗されるとか愉快犯とか言われてしまうと、もう武力交戦しか想像が出来ない……。そもそも『実力行使』って言っちゃっているし、『撃退』って言っちゃってるし……。それに、昨日のアメタマと奥海くんのそれを見る限り、明らかに素手で殴っているのが確認出来た。アメタマにあれをするという事は、反発する企業や個人に対してもあれをするという事だ……。
少しだけ虚ろな感じにそう考えていると、「ハルマちゃん」と、桃子さんの声が私に向けられる。
「っはい、何でしょう?」
「ハルマちゃんのお父さんは夏好き?」
またも唐突に突拍子も無い事を聞かれた。
と、今までの話を聞いていない場合でそう問われたのなら、私はそう思っただろう。しかし、これまでの桃子さんの話を聞く限り、それは私の今の立ち位置を明確にする為に最低限必要な問いだと、分かる。
「私の父は、夏には然程関心を示さない方ですね。毎年甲子園は見てますけど、私の小さい頃に海に行った記憶も写真もありません。夏場はエアコンの効いた室内でダラダラしてるのが基本です。仕事もプログラムの関係らしいので『特境省』とはどう足掻いても接点がないですね。遺伝って言うのなら母の方もありますけど、それも多分無いと思います。両親共に夏に対しての関心の度合いは同じ様なものなので」
言うと、「うふふっ、話が早くて助かるわ」と、桃子さんは薄く笑みを浮かべた。
「まぁ、一応隔世遺伝って事もあり得るし、ハルマちゃんの場合は自然発生ってのも考えられるわね。夏が好きな子は『夏』に好かれちゃうのよ。あぁ、そうだ。凄ーく因みになんだけど、ハルマちゃん今年の春にこっちに越して来たのよね? 申し訳ないし嫌なら断ってもらっても良いんだけど、お引越しの理由とかも聞いて良い?」
「あぁ、大丈夫です。父の仕事の都合で越して来たんです。プログラムの関係の癖に何で引越しの必要があるのか聞いてみたんですけど、職場が近い方が少しでも長く寝てられるとか、そういうどうでも良い理由でした。そうじゃなくても一戸建て買うって話をしてたんで、多分時期と良い物件が好都合で重なったんだと思います」
「うん、そっかそっか。ありがとう。そしたら、座学はまぁこれくらいにして、検査室予約してあるから、少しだけ受けてもらっても良い?」
結局、本当に結局、二十枚ほどで綴られて資料と呼ばれていたそれは全く使われる事が無かった。
「……はい、それは良いんですけど、具体的にどんな事を検査されるんですか?」
「具体的にかぁ。そうねぇ、高校でやる感じの学力テストと体力テスト、後は絵とか描いてもらったり楽器とか演奏してもらったりするわ。そんな感じかしらね。漫画とかドラマとかで見る秘密組織がやるような検査はしないから安心してもらって良いわよ。血液採取もしないし、身体の精密検査みたいな事も勿論ないから」
検査と言うからにはそれ相応事をするのかと思ったら、全くイメージと違った。それこそ桃子さんの言ったような、血液を調べられたり、身体中に電極貼られたり、MRIで身体の中をくまなく調べられたり、そういうのを想像していた。だから、私は桃子さんの言いを聞いて呆気にとられる。
「……学力テストと体力テストはなんとなく分かりますけど、絵を描いたり楽器を演奏したりするんですか?」
「そうよー。ふふっ、ついでにケーキでも焼いてもらおうかしら。」
「……ケーキも検査の一環ですか?」
「ケーキも検査の一環よ。ハルマちゃんって、文系、理系、体育会系、文科系の四つで分けられたとしたら、自分はどれに属すると思う?」
文系、理系、体育会系、文科系。
問われた意図は分からないけど、多分これも何かしらに必要な事なんだろうなぁ……。
「……そうですねぇ、割と何でも出来ますが、強いて言えば運動は得意ではありません。苦手ですね。他はそれなりにこなせると思います」
「うん、そっか。そしたら、ハルマちゃん。検査が終わったら、指令室に行ってドーナツでも食べながら世間話でもしましょう。スバルくんも待ってるし、今日は後はシヅルちゃんって女の子もいるし。そう言えば、スバルくんと同じ高校ならカズくんとコウくんも同じ高校の男の子だわ。ヒヤって子とシンタニって子なんだけど、その二人も今日来てるし、私がドーナツ食べたいし。お茶会でもしながら今後のハルマちゃんの事を検討しましょう。ま、検討はするものの、実際に今後の事を決めるのはハルマちゃんなんだけどね」
桃子さんは立ち上がり、用意した資料の綴りをゴミ箱へと投げ入れた。……あぁ、大した思い入れも無いけど、何か物悲しさを感じさせるなぁ。
「えへへ、資料用意したけど全く使わなかったわ…。ごめんね。欲しければ持って帰っても良いよ。と、言いたいところなんだけど、割と機密もたっぷり詰まってるから、そう言う訳にもいかないのよね。こっちで処分しておくからそのまま置いておいて良いわよ。グラスもそのままで良いわ」
そう言われ、グラスに残ったミネラルウォーターを飲み干し、喉を潤す。
「検査室は七階なの。ついて来てくれれば良いからね」部屋を出ようとする桃子さんの後を追い、私も座布団から腰を上げたのだけれど、「っと、その前に」と、桃子さんは踵を返した。
「体力テストやるのに制服じゃあダメよね。私のジャージ貸すから、ここで着替えていっちゃいましょう」
承諾も何もする間もなく、桃子さんは居間に戻ってクローゼットを漁る。
「うん、これでいっか。これで良いよね。そっちの部屋で着替えちゃって頂戴。私こっちで待ってるから」そう言って渡されたのは、蛍光色で派手目なピンク色のジャージ。部屋着なら許されるのだろうけど、桃子さんには悪いがこれを着た状態で知人には会いたくない……。
「サイズ大きかったら袖とか裾とか折っちゃって良いからね」
「あー、はい。分かりました」
ジャージを手に居間から通じる隣の部屋へと入る。
最初に居間に通された時に恐らく寝室だろうと思ったその部屋。
そこは確かに寝室だった。
ベッドがあるし、ぬいぐるみが飾ってあるし、簡単な本棚も備え付けられているし、天井にある灯りの他に間接照明がある。
まごう事無き女性の寝室だ。
……けれど。
……まごう事無き女性の寝室なのだけれど。
何故に寝室に八つも鍵が付けられているか……?
何故に寝室に防弾と思われるチョッキと紛れもないだろう拳銃が三丁もあるか……?
何故に、人の急所と思われる箇所にマーキングされたマネキン人形が三体も飾られているか……?
ジャージに着替えて居間に戻ると、桃子さんは「あらー、結構似合ってるわよ」と、私に大仰な笑顔を向けてくれた。
私は、それに苦笑いでしか返せない。
とりあえず、寝室のそれ等に関しては、何も聞かない事にした。




