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メイン 5 特殊環境保全省は大体いつもこんな感じ。


「あっ、漸くスバルくんも来たね」

「おっすースバル。こっちこっち」

「やぁスバル。丁度何もやる事がなくてダラダラしてたんだ」


 指令室に入ると、そこには既に志弦さんと黒腕とニコの三人が揃っており、談笑しながら一つのテーブルを囲んでいた。


「ダラダラしてて良い日なのか? 今日はさ」


 ノートPCだかPCパッドだかが乱雑に置かれている机の上に四つのドーナツの袋を置き、「ドーナツ買ってきましたよ」と、袋一つを、三人に掲げて見せる。


「やったー! ドーナツだーっ!」


 一番に飛び付いたのは案の定志弦さん。


 桃子さんと志弦さんを筆頭に、うちの職員にはミスタードーナツ好きが多い。『特境省』を訪ねる時のお土産は大体がミスタードーナツ。いつ来てもゴミ箱にミスタードーナツの箱か紙袋かが放られているし、ポイントで貰ったストラップだかぬいぐるみだかの色々が寄付されて、それで成り立っているコレクション棚まである。ミスタードーナツが創業して二百年ほどが経っているが、そこにはいつのポイントサービス品か分からないような物まで置いてあったりするのだ。ちょっとしたどころではないだろうレアアイテム。俺が生まれるどころか、俺の祖父さんの祖父さんが生まれる前の物まであるだろう。


「ダラダラしてて良いんだよー。今んところアメタマの反応も無いしね。厄介な資料整理も無いし。スバルくんもダラダラしようぜぇ。ダラダラさぁ」


 言いながら、志弦さんは箱の一つを開封し、その中から好みの物をペーパータオルで掴み取る。


「あーあー、シヅルさん、お皿あるんだから使いましょうよ」

 ニコはそう言うとタメ息を交えながら一度席を立ち、食器棚からお皿を四つとフォークを四本取って戻る。そうしてそれ等の一組を志弦さんへと渡した。


「んん、ありがとうシンタニくん。流石気が利く男は違うね」


「気が利く訳じゃないですよ。強いて言えば性格と家柄です」


 性格だけでその人が気の利く人物かどうかは判ずる事が出来る気はする。そこに家柄を持って来る辺りがニコの思考故の事だろう。

 志弦さんががっついた後、俺と黒腕とニコの三人も一つずつドーナツを皿に取り、それ等に歯を立てた。久し振りでもないけれど、ドーナツはいつでも美味しく感じる。


「なんだろうね、ドーナツっていくらでも食べられるよねぇ。みんなもそう思わないかな?」


「……いや、俺は別にシヅルさんほどドーナツ大好きって訳じゃないっすからねぇ。昨日もヨコウチさんの見舞いでドーナツ持ってって、そこで食ったばっかだし」


「へぇ、カズヒロが? 自発的にか?」


「いんや。流石に『特境省』側からのお達しで。っつーかモモコさんからのお達しだね」


「そっか。それで、どうだったの? ヨコウチさん」


「結構大丈夫そうだったよ。二カ月くらいで出て来れるってさ。っつっても、やっぱ今年の夏は無理っつってたけど。そういやスバルってヨコウチさんの事知ってんだっけ?」


「ん? あぁ、去年の年末に世話んなったくらいだけどね」


「そういえばぼくとカズヒロは去年一杯ヨコウチさんの世話になったけど、スバルは年末のひと月くらいだったよね」

「正確には二週間な」


「そうだっけ? まぁ、そうだったとして、スバル去年何やってたの? 受験勉強?」


「……コウスケ、お前知ってて言ってんだろ? そうだよ、受験勉強だよ」


 ドーナツの砂糖で指先がベタ付く。

 手を伸ばした先のウエットティッシュ。その動きに気付き、そしてぼくの言いに何かを察したのか、黒腕はウエットティッシュの箱を取ってくれる流れそのままに言いを吐いた。


「受験勉強って、俺等『特境省』の計らいで『トシウラ』一本だったじゃんか?」


 ……まぁ、言いたい事は分からなくもない。道があるならそれに従うのも一つの手段ではあるのだろうけれど、当時の俺はそれに抗いたかった。子供だからという反発死んでは無くて――……いや、それは中学生だったからこその心情でもあるかも知れない……。


「トシウラ一本だったとしても、一応他の選択肢は残しときたかったんだよ。だってさ、中二で将来の仕事決まるとかおかしいだろ? おとんの話を聞いてたとしても俄かには信じらんねぇよ」


「ま、君等三人は血筋的に俊浦高校一本だったけどねぇ。私もそうだったし」


「ぼく等三人とも遺伝ですからねぇ」


「あら、私も遺伝よ?」そう言うと、志弦さんは一口大のドーナツを口に放り込む。大きく口の中にドーナツを詰め込み、まるで限界まで膨らませた水風船の様な、食べ頃まで熟れたスイカの様な。


「へー、そいつは初耳っすね」


「私とヨコウチさんが遺伝で、モモコちゃんは自然発生って言ってたかな?」


「今日いる面子だったら後はサジさんだね」


「あぁ、サジさんか。あの人はなんつってたかね?」


「サジさんは確か継承っつってたよ。奥さんのおとんがここの第一線ドライバーで、結婚する時にそのおとんの業を継いだんだってさ」


「へぇ、私はそれが初耳かな。それで? そんな事を知ってるオウウミくんは、受験勉強してたとして、どの程度の偏差値の高校まで受けたのよ?」


「ぼくは『スバルは結局どこの高校も受験しなかった』に千円」

「アホか、賭けになんねぇよ。そんなん言ったら俺だってそれに千円賭けるわ」

「因みに私も前二人と同じね」


 ……こいつ等。好き勝手な事言うだけ言って、結果なんざどうだって良いって顔が容赦なく浮かんでんぞ? 大方俺の事を馬鹿にしたいだけだってのがひしひし伝わって来る。……まぁ、事の対象が俺じゃなかったら、きっと俺も同じ様に話に乗ってるだろうから人の事はとやかく言えないんだけど……。


「トシウラ意外にも他の高校はちゃんと受けたよ。黒最と黒早の二校。悪いけどちゃんと両方受かったからな?」


「へぇー、すごいじゃない。黒最と黒早って結構偏差値高い方よね」


「そうですね。関東でも確実に上位五校の内に入りますよ。凄いじゃんスバル」


 ニコの称賛が大体嬉しく無いのは気の所為じゃないだろう。それに、上位五校は流石に言い過ぎだ。志弦さんなんて普段から信じ易くて思い込み易いんだから、そんな事言うと簡単に信じちゃうぞこの人は? まぁ、訂正する気も無いけどさぁ……。


「そんで? 何でスバルはトシウラに来たんだ?」


「んん? そりゃあ、トシウラの方が面白そうだったからだよ」


「まぁねぇ、うちってあんまし学歴関係ないし。良いとこ行っても結局は宝の持ち腐れだよねぇ。私立だと学費も高いし、うちに来るんだったら俊浦の方が有利な面もあるしねぇ。」


 含みを持たせてそう言うと、志弦さんは大袈裟な感じに口元をニンマリと歪めた。状況と話の流れからして、志弦さんのその妖艶にさえ思える薄い笑みは、何処か話の確信にも迫ろうとする前置きにも見える。……けれど、如何せんその口元にはドーナツの砂糖が其処彼処にと付いているので、これが全く締まらない。逆にコントの様な装いだ。


「シヅルさん口元、すげぇ砂糖付いてますよ?」言ってウエットティッシュの箱を差し出すと「――えっ、えっ? うそ? 本当に?」と、それに気付いていなかったのか、酷く狼狽した様に慌てて口元を拭い始めた。見れば、たった今開けたばかりのドーナツの箱がもう空っぽになっている。


「……シヅルさん幾つ食ったんすか?」

「えー? 覚えて無いわよそんなの」


 俺も黒腕もニコも多分一つずつしか食べていないので、単純な逆算で志弦さんは七個のドーナツを食べた事になる。この短い時間の内に、だ。これだけ食ってるのに、何故か志弦さんの背は低いし手足も細い。一体何処でカロリーを消費して、一体何処を育てているのだろうか……?


「……流石スピードクイーン。って、言って良いんですかね?」

「それ恥ずかしいからやめて頂戴……」


 空になった箱を畳み、燃えるごみのゴミ箱へとそれを捨てる。大丈夫、まだドーナツは四箱ある。流石に志弦さんと桃子さんの二人で消費し尽くすという事は無いだろう。


 ……無いだろうと思う。


「スピードクイーンとかスピードマスターとか、シヅルさん色々称号があるんすね。三つ四つくらいシヅルさん関係の称号を聞いた事ありますよ?」そう言った黒腕の通り、それは俺も何度か聞いた事があったし、ニコもそれに同じなのだろう、うんうんと二度三度首を縦に振っていた。


スピードクイーン、スピードマスター。


 しかし、志弦さんは「あははっ、まさか」と、手の平をヒラヒラとさせながら俺等の反応を否定した。


「その辺はみんなが勝手に言ってるだけだよ。実際に私が持ってる称号は『スピードスター』の一つだけ」


「へぇ、スピードクイーンとスピードマスターは聞いた事ありますけど――あぁ、あとツインスターとかですかね。だけど、スピードスターは初耳ですよ。俺は」


「ま、この業界色んな紆余曲折があるし、ぼく等も結局人伝だしね。それに、誰が誰の事を何て言っているのかひっちゃかめっちゃかな場合もあるし。ぽっと出の新人みたいな奴がファイルに乗ってたりブラックにデータ保存されてる『夏』を使う事もあるってモモコさんも言ってたしね。それで? スピードスターってシヅルさんが第一線に立ってた時の名前ですか?」


 ニコがそう聞くと、志弦さんは少し恥ずかしそうに笑みを浮かべ、後ろ髪を撫でながら照れ臭そうに口を開いた。


「……えへへっ、それがね、私って実は、あんまり外に出た事無いのよねぇ。ほっとんどが内勤なのよ。アメタマの相手も二回三回くらいだし。そんで、直ぐ内勤に回された後、資料整理と情報処理が鬼のように早いからって、ヨコウチさんに『スピードスター』って言われてるだけなの……。他の其処彼処で言われてる称号の副産みたいなのは、多分そのスピードスターからの派生か、もしくはヨコウチさん自身が私に付けた称号を間違って覚えてるかの、そのどっちかだろうね」


 ……あぁ、横内さん関係か。それなら分からなくも無い話だ。あの人偉くて強い癖に、色々適当な部分が多いからな……。まぁ、例に漏れず良い人ではあるんだけれど。


「あぁ、そういやシヅルさん、確かにデスクワークは鬼の様にすっげぇ早いっすもんね」


「ふふっ、ヨコウチさんにからかわれてるだけよ。覚えれば誰でも出来る仕事だもの」


 志弦さんはそう言うが、それを聞いて俺と黒腕とニコの三人は顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。

 初めて会った時の印象が強すぎるのかなんなのか、とにかく、その時の志弦さんのデスクワークのスピードと仕事量は半端なかった。俺等三人が小会議室で講義を受けている横で、志弦さんは自分の身の丈ほどもある資料の山五つ全てに目を通し、二時間ほどで全ての資料整理を終えて綺麗にファイリングし、PCのデータ入力まで終わらせていたと言う。後に桃子さんから聞いた話では、その時志弦さんが行なっていた資料の山は、普通の人が寝ずに仕事をし続けて半年以上掛かるだけの量だったらしい。流石に何かしらの『夏』は使っているのだろうけど、そうと分かっていても感服するしかない業だ。伊達や酔狂では無く、御世辞やご機嫌取りではない、純粋な賛辞。


「……うーん。それじゃあねぇ、既存メンバーの話とか昔話も楽しいけどさ、新しく入ってくるかも知れない子の話をしない? どんな子なのオウウミくん? 男の子? それとも女の子?」


 自分が話題の中心となってしまうのを避けたのか、志弦さんは俺に話を振って来た。内容はというと、今日俺が『特境省』に連れて来た女の子に関するもの。


 男の子か、もしくは女の子か。桃子さん辺りから聞いて志弦さんは知ってるとも思うけど、全く情報を持っていない黒腕とニコに気を遣ってなのか、志弦さんはそう情報の表面部分をなぞった。


「女の子ですよ。至って普通の女の子です。偶然色々が見えちゃった、運の悪い子ですよ」

「ははっ。これから夏本番のうちにとっては、まぁ運が良かったかも知んねぇけどな。戦力にならなくても内勤が出来るだろ」

「一概にはそうとも言えないけどね。これからちゃんと基礎知識を入れるから、今年の夏に始動出来るかもまだ分からないし。昨日シヅルさんから連絡貰った段階ではかなり数値的に高い結果が出てるって聞いたけど、それでも、うちに属するかどうかはその子が決める事だし。ぼくとカズヒロとシヅルさんはまだ会った事も無いからね。詳しい事は会ってみないと分からないよ」


 ニコはそう言って今年の夏を悲観視したのだけど、如何せん、そのニコの言いには一つだけ大きな間違いがある……。


「いや、シヅルさんはともかく、カズヒロとコウスケは知ってる奴なんだよ」


 大事にならない様にサラッと言い流した積りだったが、黒腕とニコはしっかりとその俺の一文に反応しやがった。……まぁ、後々には絶対知る事になるだろうから、ここで意地になって隠し通す事でも無いだろう……。そもそも隠す意味も無い訳だし。二人は興味あり気に少しばかりの身を乗り出してくる。


「あん? なに、俺等知ってる奴なの? トシウラの奴?」


「うちの高校だったらちょっと意外だね。学内でも一応気ぃ張ってたんだけど、ぼくは気付かなかったからなぁ」


「……いやいや、気付かなかったも何も、昨日遭遇したばっかだから。流石に学内で『夏』使えば俺等も多少分かるけど、あいつは多分使い方も良く分かってないだろうし、そもそも理系か文系かも分かってないんだから、俺らじゃ察しようがないよ」


 で、カズヒロの言う通り、うちの高校の奴なんだけどさ。

 そこまで言うと、黒腕とニコは乗り出してきた身を引き戻し、続く俺の言いを待った。


「……うちの高校で、同じ学年で、俺と同じクラスで、俺の隣の席の奴だよ」


「それって『アンザイハルマ』って奴?」


「……そう」


「いつも三人でつるんでる子だよね?」


「……そう」


 二人の言いを肯定すると、俺は大仰にタメ息を一つ吐いた。


「なんだよ? タメ息吐く事無いだろうに。可愛らしい子だし、お前好きそうなタイプじゃん。っくはは」

 黒腕はそう言って笑うが、それは別にからかわれている訳ではないだろう。状況が状況でも、こいつはこういう事を言う奴だ。別段気にならないし、俺も黒腕もニコもそれが分かってる。俺はがっくしと肩を落として見せ、表情に薄い苦笑いを浮かべて黒腕へと向けた。


「まー、そうな。可愛らしい子で俺のタイプな感じでもあるよ。でもさぁ、流石に昨日は参るぜ? アメタマは逃がすし、初めて出会った遭遇者は同じクラスで隣の席の女の子だし……。テンパっちゃって仕方なかったよ。軽いパニックだよ……」


「あぁ、お前昨日アメタマ逃がしたんだってな。さっきコウスケに聞いたわ」

「ぼくは昨日シヅルさんに聞いた」

「私は昨日モモコちゃんに聞いたわ」


 三人は俺を指差して声を揃える。


「「「だっせぇー」」」


 ……うるせぇよ。


 俺は更に一層肩を落として見せた。

「……いやな、だってちょっと聞けって。まず昨日めちゃめちゃ雨降ってた時点で向こうのペースだろ? それに何かすげぇデカかったし。俺六メートル級なんて相手にした事ねぇもん。」


「まぁ、サイズは確かにね。ぼくも流石に六メートルはないよ。精々四メートル級かな」


「俺は六メートル相手にした事あるけど、あん時はヨコウチさんと二人で相手にしたかんなぁ。単独では俺も今んところ四メートルが一番デカい奴かな。っつーか、無理そうだったら申請しろよ」


「だから、申請しようとしたら安西さんが遭遇したんだってばさ。雨降ってたから早く帰りたかったし、俺だって遊んでた訳じゃないんだよ。シヅルさん。昨日の奴自然蒸発してないっすかねぇ?」


「んー、無理だよ多分。六メートル級にもなると体積も相当大きいからね。私達で地味に倒してくしかないよ。っていうかね、自然蒸発が期待できるのは二メートル級以下ね。それ以上は無理無理ー」


 志弦さんがそう言うと同時に、その場の四人全員で嘆息し、それぞれが深く椅子に体重を掛けた。


 全員で少しだけ脱力。


 喜ばしいニュースと喜ばしく無いニュースが同時に発生し、それをまた同時に処理していかなければならない現状。そんな思想に負荷の掛かっているだろう志弦さんは、「うーん」と重く深い唸り声を上げながら、渋い表情を浮かべて口を開く。


「実はねぇ、その昨日オウウミくんが相手したアメタマと、それに遭遇した女の子。ちょっとお姉さん気掛かりなのよねぇ……」


 気掛かりなお姉さんはピッと人差し指を一本立てると、悩ましげに円を描く様な軌道でぐるぐると動かした。


「? 何すか気掛かりって?」

「うーん、あのね。昨日シンタニくんには言ったんだけど、その安西さんがね、反応の出方がちょっとおかしかったのよねぇ……。いきなりパッと出て実践級の数値を出しちゃうしさ。割と普通にアメタマ相手に出来ちゃうくらいの数値。それが唐突に出たのは、ちょっとぱっかし気になるのよねぇ……」


 志弦さんは考え込む様に頭を抱え、天井を見上げながらも、そのままで言いを先へと続ける。


「で、まぁ、そのアンザイさんに関してはまだ納得しようと思えば納得出来るのよ。『夏』使う人なんてイレギュラーな人達ばっかりだから。きっとそれも彼女の特色なんだと思うわ。彼女の方はそれで納得出来るのよね。一応だけど。……で、彼女の事はそれで良いんだけど、なーんかヤバそうなのはさ、昨日のアメタマの方なのよねぇ……。」

「俺が相手した奴ですか?」

「そ、きみが相手した奴よ」


 言って、志弦さんは片眉を上げて難しそうな表情を浮かべた。それに内副され様としている意味は、きっと俺にも黒腕にもニコにもある程度は予測が付く。なにせ、志弦さんがそう言っているのだ。ヤバい事以外の何ものでもないだろう。


「で、そのオウウミくんが相手して、結果的に逃がしたアメタマなんだけど。六メートル級って言ってたじゃない? こっちでもモニタリングしてて体積とか熱量から推定メートル数は表示されるのよ。確かにあれは六メートルから七メートル級だったわ。それでね、一応みんな実際に対峙した事あるから分かると思うんだけど、本当の五メートル級以上はあんなに俊敏に動けないのよ」


 どうだったかな?

 そうやって志弦さんがこちらに話を振ると、黒腕は率先して少し記憶を遡る様にした後、「うーん、そういや、デカいわりには申請無しでも結構サクサク削れましたね。ヨコウチさんと二人で落しましたけど、確かに動きで苦戦したんじゃなくて、こっちが出さなきゃいけない手数の多さで苦戦した感じでした」と、当時の記憶をそう蘇らせた。


「そうなの。本当はそれが正解なの。速さが無い分いくらかの経験があれば割と楽に落せる筈なのよ、五メートル級以上は。それなのに、昨日オウウミくんが相手したアメタマは『速さ』と『サイズ』があったわ。雨天で豪雨とかの影響があったとしてもああはならないわよ。もっと言うと、一度反応が出たにも関わらずその反応が一時的に消えて、雨が降ってきたと同時に再び現れたのも、少し気掛かり」


「……つまり、どういう事ですか?」


 志弦さんの言いたい事は、俺も黒腕もニコも、なんとなく分かる……。それでもニコは、自分等でそれを結論付けようとせずに、志弦さんの口から直接聞く為だろう、そう言いを吐いた。


 タメ息を一つ吐き、両の手の人差し指をピッと立てると、俺等三人をぐるりと見まわす。志弦さんは言った。


「断定は出来ないわ。だけど、今回の件はかなりの確率で、外部勢力が関わってると思ってもらって良いわね。企業、個人、団体。それから、アメタマ間の群れ意識とかもあるかも知れないけど」


 言われ、俺と黒腕とニコに緊張が走る。否応も無く強制的に突き付けられた。それは言うなれば混乱か……。黒腕なら高揚と称したかも知れないし、ニコなら面倒癖ぇと言っているところだろう。


「昨日の六メートル級、オウウミくんが四メートルくらいまでにサイズ下げたけど、再度反応が出た時には、恐らく元のサイズに戻ってるでしょ。ここ数年の統計的に関東で夏序盤の大きな荒れが無かったから『特境省』側も油断してたわ。今現在都内にいる職員は私とモモコちゃんとサジさん、後は入院中のヨコウチさんだけ。関東を含めても栃木にニイミくん、茨城にカザシ弟さん、神奈川にミズタニさんだけ。後はみんな地方に出ちゃってるのよ。一応去年と同じ配置なんだけど、読みが甘かったのか、それともその隙を狙われたのか……。それでね、本当に今回の件で外部勢力が関わってる場合、酷な話だけど、学生の君等にどうにか頑張ってもらうしかないって訳」


 そこまで言い、志弦さんは立てた二本の人差し指を、自分の頭上へと持って行き、角の形を作った。


「……それは何ですか?」


 問うと、志弦さんは浮かべていた難しそうな表情を緩めて、薄く笑う。


「今うちの長官が不在だからね。カミナリ様がいない内は、実働出来る人材の中でどうにかやりくりしていきましょうって事。きみ等三人でどうにか出来そうになかったら、私かモモコちゃんも外に出られるんだけどね、指令室には出来るだけ人員二人以上は欲しいの。だから、それも本当にどうにも出来なそうだった時の限定だね」


 今年はちょっと期待してるわよ?


 志弦さんは俺等に頬笑みを向けた。


 見様や取り様によってはとても魅力的な頬笑みだけれど、任された事が事なだけに、俺も黒腕もニコも、苦笑いでしかそれに返す事が出来ない。


「……はははっ、それはちょっと失笑ものですよシヅルさん。昨日電話貰った時は大した用事もなって言ってたのに、もの凄い重要な事命じてくれましたよね……」

「あはは。まぁ、それはね。オウウミくんとヒヤくんと、三人揃った時にちゃんと言ってあげたかったから。偶然にしても、今日は凄く良い機会だったのよ。そこは察して頂戴な」

「……そりゃあ、そうですよね。『スピードスター』が資料整理と情報処理に人員の応援を頼むわけ無いですもんね……」

「あら、買い被り過ぎよ。私だって資料整理とか情報処理を手伝ってくれるならそりゃあもう助かるわ」


 志弦さんは席を立ち、「コーヒーでも飲みましょう」と、俺等の返事を待たずに

コーヒーメーカへと向かった。


 卓に残された俺等三人。


「…………はぁ」


 ……そりゃあタメ息も出る。

 都内を実質俺等三人でねぇ……。


「自分等さぁ、実際そりゃあ俺等で出来ると思うか?」


 黒腕とニコの二人に問うてみるが、反応は対照的。黒腕は腕組みをして不敵に笑い、ニコは腕組みをして至極嫌そうな表情で頭を垂れた。

「……くっははっ。そりゃあまぁ、出来るもクソも無いだろ。やれって言われてんだからやるしかねぇさ。良いじゃねぇか、俺はさっきみたいなシヅルさんの指示は好きだね。分かりやすくって明確だし。三人でやれってのがちょっとどうかと思うけど、労多くせずして何とやらだろ」

「……まぁさあ、ぼくもそういう指示ならやるけどさぁ。また学校から疎遠になっちゃうよねぇ……」


 単位の事か、それとも出席日数の事か、ニコは額を押さえて考え込む様に目を瞑る。それを見て黒腕は「ん? いやいや、ニコと鴉は大丈夫だろ。授業とかちゃんとついてけてるし」と言いを吐いたが、ニコは「……あぁ、いや、そうじゃなくてさ」と、黒腕の言いと俺の思考に否定の印を付けた。


「ぼくが言いたいのはさ、授業云々じゃなくて学校そのものの事なんだよ」

「学校そのもの?」


 問うと、一度首肯してニコは先の言いを続ける。


「うん。学生のぼく等はさ、学校って場所があるから、まだギリギリで普通の生活を保ててるけど、今まで以上に高校の出席に『特境省』が関わってくるとさ、ぼく等はいざという時に普通に戻れなくなるんじゃないかと思ってね」


「うーん……、俺には良く分かんねぇよ。その考え。俺は高校出たら直で『特境省』に拾われる予定だからなぁ。鴉もそうだろ?」黒腕に話を振られ、俺も少し額を押さえる様にして目線を下げた。


「あー……、俺はどうだろうな。っつーか、俺もちゃんと高校通いたかったから黒最と黒早受けたんだけど、結局何処の高校に行っても『特境省』が絡んで来るから、それなら一番『特境省』にとってやりやすいところにと思ってトシウラに入ったんだけど……」


「あんだよ? 鴉この仕事向かないってか?」


「いやいや、そう言うんじゃなくてだな。例えば、俺等中学の二年くらいから『特境省』と『夏』の世話んなってるだろ? そんでさ、確かに中学ん時は『特境省』の関係で『授業サボれてラッキー』とか思ってたけど、やっぱ高校にもなるとねぇ……。おとんとか祖父ちゃんとか、自分の家系を遡ってさ、俺もその枠に収まっちまって良いもんかとさ……。そう考えない事も無いんだよ。世間で正式に認知されてない職業ってのは何かと荷が重かったりもするし、それの規模が国単位だってんだから尚更だ……」


「……そんなもん分かり切ってた事だろ? そりゃあ俺だって中学で先の事が色々決まるとは思ってなかったし、大体親父の仕事にしたってなんも知らなかった訳だからなぁ。そりゃあそん時は流石にビビったけど、俺は逆にそん時に全部割り切っちゃったからなぁ。割り切ったっつーか割り切れたっつーか」


「ぼくは、出来る事なら普通に戻りたいよ。父さんは『名誉ある仕事だ』とか言ってるけど、ぼくはやっぱり普通に高校行って大学行って、無難な感じの女の人を見付けて、そういう感じで良いんだけどな……」


「くははっ、確かにニコの親父さんなら言いそうだな。『名誉ある仕事』ねぇ。まぁ、そう言えなくも無いんじゃねぇかな。『特境省』のやってる事ってさ」


「だけど一般には認知されてないよね。絶対に脚光を浴びる事の無い仕事だよ。虚しいだけって訳じゃあないけど、どう言って良いのかな……」


「なんだ? ニコは脚光を浴びたいのか?」


 問うが、ニコは首を横に振った。

「違うよ。ぼくはただ平和で平穏が好きなだけさ」


「その平和と平穏を『特境省』が維持してるんだぜ?」


「……ま、そうなんだけどね。だからさ、いっつもこの話は堂々巡りだよ。三人で話してても一人で考えても同じだ。いっつも同じところを通って、いっつも同じ事を思って、いっつも同じ結果に至る。ってね」


 そう言ってニコは自虐的に笑うけれど、それはきっと、『特境省』に勤める者全てが思考する事だろう。

 他者に言う事の出来ない秘密をいくつも抱え、それ故に他者に理解され難い事を日常の第一に据え、そうなると他者とは慣れ合う事の出来ない人物として形作られ、結果として日常とは相容れない人物と世間からは見なされていく。


『特境省』が守るべき日常から、『特境省』の職員は排他されていくんだ。

 どれだけ正論並べたところで、それが虚しくない訳が無い。


「うふふっ。それでも、きっとここの仕事が好きになるし、ここの事も好きになるし、『夏』の事も好きになるわ。きみ達三人共ね」


 いつの間にか戻って来ていた志弦さんは、手にする丸盆の上にコーヒーカップを四つ乗せていた。それを各人に配ってから先程の自分の着いていた席に座り、片肘を付いて薄く笑んで見せる。


「私もよくモモコちゃんに相談してたわ。いっつも話聞いてもらってて、そんで今でもたまに話聞いてもらってるし。それで、モモコさんはヨコウチさんに話を聞いてもらってたって。みんなそういう風に話を聞いてもらってたし、みんな今でも話を聞いてもらってたりするのよ。うふふっ。可笑しな話だけど、そういうの、なーんかホッとするわよね」


「……それって、どういう意味ですか?」


 言って、ニコは少しだけ身を乗り出す。癪に障ったという事ではない筈だ。きっとニコには、その『ホッとする』という言葉が何処かに響いたのだろう。癪というのとはベクトルの違う響きが、ニコを打ったに違いない。


「んー? こうさ、自分達の在り方とか、そういう事で頭悩ませる事が出来るんだったら、私達もまだまだ普通から離れられないって、そういう事よ」


「……シヅルさん、ぼくは――」


 ニコはそう何かを言おうとした。けれど、それを最後まで言い終える事は出来なかった。指令室全体に響き渡る程の『騒音』に、ニコの言いが遮られて仕舞ったからだ。


 …………。

 ……というか、騒音か? これ……。

 騒音っつーより――何だ?


「……シヅルさん、この音っつーか、この曲何ですか……?」


 ただの騒音ではなく、それは曲調を奏でられていた。


 問うと、志弦さんはニッコリと笑う。その笑みは、何処か子供っぽいというか、歳相応には見えず、外見相応に見えるというか……。


「えへへー、良いでしょーこれ。好きなゲームのボスBGMをモモコちゃんがアレンジしてくれたの」


 ヨコウチさんには内緒よ?


 ……ウインクすんな。


「……で、これって何で鳴ってんですか?」

 こんなけたたましい音で。


「あぁ、これ? アメタマの反応が出たみたいね」



「「「早く言えよっ!」」」



 至極マイペースで結構一大事な事を言った志弦さんに、俺と黒腕とニコのツッコミが綺麗に揃った。


 っていうか、結構この指令室って自由な感じなんだな……。アメタマの反応に自分の好きなBGMとか設定出来るとか……。職権乱用っつーか、携帯電話みたいな機能だな。


「はぁ……。さっき都内を俺等三人でどうにかしろって言われて、早速出向く機会が出来たって訳だな……。丁度良いっつーかタイミングが良いっつーか。そんじゃ、誰が行く? 俺か? 鴉か? それともニコか?」


「んあ、じゃんけんで良いんじゃねぇの?」


「じゃあジャンケンで負けた奴にしようか」


 ニコの提案により、俺等三人はじゃんけんによって出向く人員を決めようとする。けれども、志弦さんの「ちょっと待って」の言いが俺等三人のそれを制止させた。


「じゃんけんの必要は無いみたいね」

「――ん? 何でです?」


 ボスBGMが流れ出した時点で指令室の固定PC前まで移動した志弦さん。正確なアメタマ反応の場所とそのサイズを確認すると、その内容を指令室内の大画面に、俺等にも見える様、そして十分に分かりやすい様に表示してくれた。


 ……なるほど。これはこれは、全くだ。


「見て分かってもらえるわよね?」


 そりゃあもう見ただけで分かる。

 俺等が通う高校をほぼ中心として、そこから半径一・五キロ圏内にアメタマの反応が三つ表示されていた。


 五メートル級が二体に、六メートル級が一体。


「ここ数年で複数同時発生ってのはあんまり例が無かったから、こりゃあもう他勢力が噛んでるのは確実ねぇ。とりあえず、サジさんにお願いしてヘリ飛ばしてもらうから、三人ともサクッと向かって頂戴。『夏』の使用申請は受けとくから。インカムと端末も持ってって。ちょっと雨も降りそうな感じだから――」


 言って、「あぁ」と、志弦さんは何かに気が付いた様に言葉を続けた。



「サイズが違うのが一体いるから、じゃんけんの必要はあったわね」



 自分で言ったのが可笑しかったのか、志弦さんは場違いな感じに笑んで見せた。






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