危機感
危機感
「アシュナード・ルーズベルト……ねえ」
セシールは右腕で頬杖をつきながら、左手のスプーンでスープをかき混ぜる。
今日の昼食は、レリィが作ってくれた。冬らしく温かいスープとパン、ハムやサラダなどだ。ほかのみんなは早めに食事を取らせ、ギルドの事務のあれこれについて相談してもらっている。俺は話についていけずに抜け出してきたわけだけど、食堂でセシールとばったり出会い、昨夜のことについて話したわけだ。
「色々つじつま合わない人だなあ、と思うんだよ俺は。セシールも、おかしいと思わないか?」
「……ねえ、ソル。怒らないで聞いてほしいんだけどさ」
セシールは突然そんなことを言いながら、話し辛そうに俺の目を見る。
「……内容によるけど」
「あのアシュナードのことなんだけど……ジャンが勧誘したのよ」
「……ジャンが?」
なぜあんな胡散臭い老人を傭兵団に招いたんだろう。相当の手練れだったとかか?
いや、それなら多少なりとも噂になっているはずだ。なにせ元貴族の傭兵だ。話題に上らない方がおかしい。
「理由はその……調査、って言ってた」
「……調査?」
「うん。えっと……どこから話そうかしら。一応、『カルマ』や『白い子供』に関係することだし……うーん」
「白い子供……アンノウンのことか」
「ちょっと長くなるんだけど、いいかしら?」
そう前置きした上で、セシールはことの顛末を話し出す。
そもそも、セシール達が初めてアンノウンを目撃したのは三年前。俺が盗賊ギルドを壊滅させてしまった時、俺を探している時に偶然発見したらしい。
いや、それも偶然かどうか怪しいと、セシールは語った。あまりにも不自然で、不思議で、不敵で、不遜で、どうしようもなく不気味だった。その場にいるには、どう考えても場違いな存在だった。
そしてどうやら、俺もアンノウンと面識があるらしい。あちらが一方的に知っていただけかもしれないが、アンノウンの口から俺の名前が飛び出したとか。
そして最近まで、アンノウンのことについては話題にも上らなかったが、ウルを仲間に引き入れた時、ジャンは彼女からアンノウンに近い特徴を持つ存在について聞かされたらしい。
そしてジャンは、アンノウンについての情報を集め始めた。そして、それはすぐに尻尾を見せた。
太陽竜を神として崇める、謎の教団。竜教団。奴はそこで神官として活動していたらしい。
しかし、どれだけ調べてもそれだけだった。竜教団の規模や活動に関する情報を集めても、それ以上は出てこなかった。
そこに来て、先日のリーキッドファミリー救出作戦の話が出てくる。
俺が意識と記憶を手放したあの日、驚くことにセシールはアンノウンと対峙していたらしい。
セシールの魔法の腕なら、恐らくミッドランダーで敵う者などいないだろう。しかし、彼女は敗北した、と。短くそれだけ言った。
竜教団、アンノウン、近年の魔物の増加、そしてカルマ。
これらが全て、無関係なものではないことは明白だった。ジャンはそう考え、あえて攻めの一手に出た。それが……。
「……それが、竜教団の一員の一人を……アッシュをギルドに引き入れて、泳がせる……そういうことか?」
セシールは目を伏せながら、ゆっくりと頷く。
なんだよ、それ。
「……セシール、いや、ジャンの奴もだけど……お前ら自分のしたことの意味が分かってるのか?」
「……ごめん」
「敵を内部に引き入れたんだぞ!? 何考えてるんだよ!? 大体、なんで俺に相談の一つもないんだよ!? おかしいだろ!」
思わずテーブルを叩く。衝撃で食器が揺れ、ガチャガチャと音を立てる。
「わかってる、危険なのは! でも……!」
「でも、じゃねえ! 全然わかってねえ! そんな色白野郎のことなんか、放っておけばいいじゃないかよ! 竜教団は、ウィリアムの親父さんの仇なんだぞ! あの子がどんな気持ちになると思う!? ウルも同じだ! アイツのせいで、家族がみんな殺されたんだぞ! それにさっきの話が本当なら、アニスだって、アイツのせいで村がやられたんじゃないかよ!」
納得いかない。理解したくない。
なんでわざわざ自分から危険に身をさらさなきゃいけない? なぜトラウマを穿り返すようなことをする? 俺一人なら、どうだっていい。でも、家族を巻き込んで危険な目に遭わせるなんて、そんなことはあっちゃいけない。
守るためじゃなく、そんなわけのわからない調査の為だなんて。許されないだろ。
沸々と怒りが湧いてくる。せめて事前に言ってくれれば、許可はしなくとも何かしらの妥協案くらいは考えられたはずなんだ。皆を危険な目に遭わせないで、アンノウンについて調べる方法が。
「……なんで意味もなく危ないことに、みんなを巻き込むんだよ……納得、できない……」
俺は拳をテーブルに押し付ける。
怒りに震える俺に、セシールは席を立って俺の傍まで来ると、そのまま俺の左手を両手で包む。
「ねえ、ソル。聞いて」
「嫌だ、聞きたくない」
「言い方が悪かったわ。ちゃんと理由があるの。私達家族の、全員の命に関わる、重大なことよ」
俺は目だけを動かして、セシールを見る。
「前に、依頼の話があったでしょ? ヴァンデルト・アーベルって人から」
「……魔導書の奪還、だったか」
「うん。それなんだけど……もしかしたら、その竜教団……ううん、アンノウンが持っている可能性があるの」
「……なんだって?」
「魔導書を持ち去った王宮魔術師マクスウェルが、竜教団と……いえ、厳密にはアンノウンとつながっている可能性があるのよ」
「……」
「竜教団は、太陽竜っていう神様を呼び出したがっている。コレはジャンの調査で分かったこと。そして、あの魔導書は帝都の人間の大半を亡き者にできる。術の代償としてなのか、術の効果としてなのかはわからないけど……もし、その魂を利用して、何かしようとしているとしたら……」
「……地殻変動や天災、最悪の場合……」
神の召喚。
それを目論んでいるとしたら。
動機もある。手段も向こうに抑えられている。もし、そういうことだとしたら……。
「……ッ! 帝国軍は、動かないのか?」
「……今も西の方の戦は激しいって噂よ。現にほとんどの帝国軍人が、最低限の人員だけ残して、ほとんど出兵してる。そっちに割く人員は、いないわ」
「……俺達じゃなきゃ、ダメなのか……?」
「依頼主が言っていたそうよ。王宮魔術師には、正面からやり合っても勝てない、と。……情報を制して、先手を打たないと、勝てない。人数が多いと、気付かれる。……少数で魔物の軍勢を追い返せる程の強力な戦力を保持してるのは、私達、太陽のギルドだけ。冒険者ギルドの金目当ての連中は、あてに出来ないわ。……私達以外には、いないのよ」
想像もしていなかった。そんなことになってたなんて。でも。
「……相談、して欲しかった」
「ごめん。私も、言うべきだった。もっと早くに」
「……過ぎたことは、仕方ない……よな。……少し、考えなきゃ……」
冬は日が傾くのが早い。でも、いつも以上に早い気がした。もうすでに、空は宵闇に染まりかけている。
危機感が、足りていなかった。そんな危ない魔導書がなくなったって言うのに、何をのんきなことをしていたんだろうか、俺は。どこか、他人事のように感じていた。
いつ、召喚するつもりなのか。いつその魔導書が使われるのか。今日のよるかもしれないし、明日かもしれないし、半年後かもしれない。こうしている今にも、もしかしたらもう魔導書の準備が進んでいるのかもしれない。
足りない。時間も、情報も、危機感も、覚悟も、何もかもが。
……いつだったか、焦っている時に限って、時間が過ぎるのが早く感じるもんだ、なんてことを誰かが言っていた気がした。