アシュナード・ルーズベルト 一
アシュナード・ルーズベルト 一
帝国には掃いて捨てるくらい数ある、没落貴族。言い換えるなら、本来帝国から任されていた内政に関する仕事を放棄、あるいは取り上げられた連中。今まで溜め込んだ、あるいは横領した資金をただただ贅沢な暮らしと怠惰な生活によって、浪費を繰り返すだけのはた迷惑な存在。
五年前。ルーズベルト家はそんな連中と同じだった。しかし、それはデリク・カーマインという執事もどきの寄生虫が、当主をクスリ漬けにして、色々と出しゃばっていたのが原因だった。
帝国では、依存性の高い薬等は出回っていない。過去にそれによって、国民の半数近くが薬物中毒者となって、国として立ち行かなくなりかけた経緯があるからだ。百年近く前の話だが、それ以来、依存性のある薬物の一切が帝国では禁じられている。帝国の傘下にある同盟諸国や、植民地でも同じ法が適応されている。
デリクがどうやって薬を手に入れたのかはわからない。しかし、没落貴族と言えども、国で禁止されている薬物を当主が使用していた、などと言う話が世間に知られれば、今以上にルーズベルトの名を地に落とすのは明確だった。
だから、ルーズベルト家の者から、デリクの暗殺依頼があったんだ。実に面倒な依頼だった。
痕跡を一切残さずに、奴を始末してほしい、と。
そしてその依頼をこなしたのが、当時盗賊ギルドに入ろうとしていた俺で。
その依頼を出したのが。
「こうしてお話するのは初めてでしたな」
「そうだな。まあ、座ってくれよ、アシュナードさん」
「ふふ、このような老骨に敬称など不要です。アッシュとでもお呼びください」
そんなやり取りを俺の部屋で交わす。俺はベッドに腰掛け、アッシュもまた俺の椅子に腰掛ける。
アシュナード・ルーズベルト。ルーズベルト家の、今より二代前の当主。件の薬漬けにされた男とは、親子の関係にあたる。
「……それで、何が目的なんだ?」
「はて……目的とは?」
「とぼけなくていい。今更五年も前の話をしに来たわけでもないだろう? 言っておくが、あの件は誰にも喋ってないし、アンタがここに来るまではそんなことさえ忘れていたくらいだ。今更監視に……あるいは、俺を始末しに来たのか知らんが……どう考えても遅すぎる。なにか、別の目的があってここに来たんだろ?」
一息にそこまで俺が言うと、アッシュは両目を閉じて静かに口を動かす。
「そうですな。確かに、目的をもってあなたに近づきましたとも」
「……」
「あなたはご存知ないかもしれませんが……私は一度、あなたをお見かけしたことがあります」
そこまで言うと、老人はしわだらけの顔面で、ギラリとした光を宿した目を俺に向ける。
「……ずいぶんと、変わられましたな、ソル殿。五年前とは、まるで別人のようだ」
「……世間話をしに来たのか?」
「ふふふ、そうやって人を遠ざけるところは、変わっておりませんな。いえ……今の生活を見る限り、大切な人は出来たようだ」
嬉しそうにそう語る老人に、俺は首を傾げる。
「悪いが、俺はあんたを味方に引き入れるつもりはない」
「ほう? それはまた、どういった理由で……。お聞かせ願えますかな?」
「……胡散臭い」
「ふふふ、素直でよろしい」
目を逸らしながら言い放った俺に、老人は嬉しそうにしわだらけの顔をさらにくしゃくしゃにする。
「しかし、あなたは私の名前は知っていても、顔はご存じなかったわけですが……ソル殿を陥れようとするなら、偽名を使って接近するかと思いますが?」
「そうやって安心させたところで、何か裏があるのかも」
「全く、臆病な方だ」
「だから今まで生きてこられたんだよ」
アッシュは再び破顔する。
「しかし、警戒はしていても、どこか雰囲気は丸くなった。こうして私に直接対面し、話しているところを見ると……さほど敵視していないように見えますが?」
「……まあ、な」
事実、アッシュの言う通り、俺はさほど警戒していない。
この男からは、決意のようなものは見え隠れしてはいるが、殺気は感じない。むしろ、雰囲気としては好感が持てるくらいだ。物腰もやわらかいし、落ち着いている。
「……先日、奴隷になりかけた少女を救うために、魔物の大群と対決したと聞きました」
俺はその言葉にぎょっとする。何故にそんな話がこの男に伝わるのか。いや、もしかしたら俺が知らないだけで、実は帝都で噂になっているのかもしれない。
ジャンあたりなら、そんな噂を立ててギルドの評判を上げようとするかもしれないし。
「昔のあなたは、他人のために何かをするような人ではなかった。そういう印象を持っていたもので。……何があなたを変えたのか、見てみたいと思いまして」
「間違っちゃいないよ。俺は誰かのために、なんて理由で動いてなんていない。全部自分のためだ。奴隷を助けるのも、恩返ししようと躍起になってるのも。……全部自分のためだ」
その認識で間違ってない。短くそう言って、俺は目を伏せる。
「変わったって思うなら……あの時と変わったんだとしたら。それは全部、俺の周りにいる人たちのおかげだ。俺自身で何かを成し遂げたことなんて……今のところ、無い」
「私はそうは思いません」
老人の言葉に、俺は視線を彼に戻す。
「聞くところによれば……先日の戦。あなたは、皆が戦っている時、もっとも危険な相手と対峙された。そして、身を挺して仲間を守った。それは、誇ってもいいことでしょう」
「それだって、自分がそうしたかったからそうしただけさ。……たぶんね」
それより、と俺は前置きをして、話の流れをもとに戻す。
「何が目的なのか、そろそろ言ってくれてもいいんじゃないのか? いい加減に答えてくれないと、本当にアンタのこと嫌いになりそうだ」
俺の言葉に、老人はしばし考え込む。それほど難しい問いかけはしてないつもりなんだけど。
「……ソル殿は、ご存じですかな? 『白き者』、あるいは『虚無の子』……『アンノウン』という言葉に、聞き覚えは?」
「……いや、知らないな。何かの謎かけか?」
アッシュは瞳に、初めて殺意を映す。その深い闇に、一瞬ぞっとする。
「デリクに、件の薬を渡していたのは……今言った『白き者』が関係しているそうなのです。息子は結局……薬物中毒で亡くなりましたが。間接的に、息子は奴に殺されたのですよ」
「……虚無の子……アンノウン……」
「私がここに来たのは、ある噂を聞いたからです」
アッシュは決意と憎悪、覚悟と殺意を隠しもしないで双眸からあふれさせる。
「この太陽のギルドに……奴と接触した者がいる、と。どうしても、その方の話が聞きたいのです」