奴隷少女 九
九
「ソルさん!」
聞きなれたその声の主を、俺は知っている。振り下ろそうとした短剣をすんでのところで止め、俺は声の方をゆっくりと見る。
レリィだった。
家から走ってきたのだろう。汗だくで、肩で息をしながら、驚いたように俺の方を見ている。
「レ……レリィ……これは……。」
俺は何かを言おうとして、口ごもる。言い訳ができる状況じゃなかった。
レリィに見られてしまったのだ。
俺が人を殺そうとしているところを。
「な……何を……してるんですか……?」
少女は真っ青になりながら、俺と座り込んだ男を交互に見比べる。俺はその視線に耐えられず、目を逸らす。
「うあああ!」
その隙を突かれた。男は雄叫びを上げながら、レリィを押しのけ、大通りへと逃げ出す。追おうかとも一瞬思ったが、しかし、彼女と目が合い、再びその場に立ちつくす。俺は手から短剣を取り落とし、目を伏せる。
「……ソルさんが……これを……?」
少女は驚いたような、恐れているような。あるいは軽蔑するように。震えた声で俺に問いかける。
「……」
何も言えなかった。俺は彼女の顔を見ることはできなかった。
彼女が、少しずつ俺に心を開いてくれていたのを、俺は知っていた。なんとなく、家族に近い感情を向けられていることを、薄々感付いてはいた。
だからこそ、彼女には最後まで隠し通したかった。俺が人を殺すことができる人間だということを。
何のためらいもなく、人の命を奪える人間だと、知られたくなかった。
「な、なんで……。」
少女は、青白い顔をしながら、しかしその目は赤くなり、次第に涙がこぼれる。
結局、アレだったんだな。家族ごっこして楽しんでたのはきっと、俺の方だったんだ。セシールに言われるまでもなく、ヒーローごっこしてたのは、俺だったんだ。
奴隷を救うなんて言う大層な目的の下にあったのは、どうしようもない、自己中心的な欲望だったんだ。
家族が欲しかった。
そんなくだらない理由だったんだ。
もうお終いにしよう。そう思って、俺は彼女に金貨袋を投げる。少女はそれを受け止めると、戸惑ったように俺に視線を向ける。
「それで宿でもとれ。それと……。」
もう、この関係は続かない。明日の朝まで、と思っていたけど、もう無理だ。俺の本性を知られた以上、きっともう一緒にはいられない。少女は恐怖の入り混じった、不安そうな表情で、俺を見つめる。
「もう俺に関わるな……さよなら。」
俺はそう言って、彼女の横を通り抜ける。
後ろからは、誰も追いかけてこない。
どこかで、期待していたのだろう。
そんなこと言わないで。もう少し一緒にいたい。そんな言葉を、どこかで期待していたのかもしれない。
少女は追いかけてこない。俺も振り返らない。
俺とレリィは、他人に戻った。
たった一日の家族ごっこは、俺の嘘が露呈することで、呆気なく幕を閉じた。