お話したい日
お話したい日
「ふう! 久々にいい汗かいたあ!」
「兄ちゃんマジで大人気なさすぎねえ?」
「うるせえな。勝てばいいんだよ勝てば」
「……ソルさん、それじゃあまるで物語にでてくる悪人ですよ」
「お、ホッドもそういうの読むのか? じゃあ今度俺の部屋来いよ。いっぱいそういう本置いてあるぞ。おすすめは『アルバーン英雄譚』だな」
「え、ホント!? あ、いや、そ、そうなんですか? じゃあ、今度お邪魔します!」
「ふはははは、ようやくホッドも、兄ちゃんに対して柔らかくなってきたな!」
「うるさいですよウィリアムさん」
「なんでおいらには厳しいんだよ!?」
雪合戦からの雪上異種格闘技を終え、俺たちは全身雪まみれで屋敷に戻った。結果は俺とメリーチームの圧勝だったわけだが、何度でも立ち上がり挑んでくるウィリアムに俺もつい熱くなってしまった。
「すっかり、メリーもくたびれちゃってますね」
「気持ちよさそうに眠ってらあ」
「ほんと、かわいいもんだな」
そんな雑談をしながら階段を上がろうとしたとき、その先に誰かが立っているのが目に入った。
「お帰りなさいませ、ソル様。弟達は、失礼はなかったでしょうか」
「お、おう……ただいまアニス。大丈夫、みんなで楽しく遊んだよ」
「それはそれは……ありがとうございます」
そう言って、深々と礼をする栗色の髪をした少女。
俺は、この子が少し苦手だった。
嫌いとか、そういうことではないけれど、よそよそしいと感じるし、何よりも彼女が俺に対して罪滅ぼしとしてそうしたいと申し出てきたこと自体に、居心地の悪さを感じていた。
俺は三週間前に記憶を失った。彼女達兄妹について、いろいろあれこれしたらしいけど、どれも記憶にはない。
話を聞くと、俺は彼女をかばって大怪我をして記憶を失ったとのことだが、当の本人がそんなことを覚えていないのだ。だから罪悪感を感じる必要も、罰する必要もないと何度も説得したのだが、彼女は見た目と違って意外と頑固で、なかなかその考えを曲げようとしなかった。
それで今、メイドみたいなことをしてくれているのだけど、なんだかそれがすごく、俺としては申し訳ないと感じているわけだ。
「あ、メリーったら。だめよ、ソル様に迷惑をかけては。ほら、起きて」
「むーん……やー……」
「いや、いいんだアニス。俺がおんぶしたくてしてるだけだから。このくらいなら、迷惑でもなんでもないよ」
「ああ、なんとお優しい。感謝いたします。さ、濡れたままでは風邪を引かれてしまいます。お風呂のご用意ができていますので、どうぞお入りください」
「う、うん。ありがとう」
ちょっと引きつった笑い方だと自分でも自覚しながら笑顔を向け、後ろの二人に声をかける。
「そうだ、それじゃあみんなで風呂入るか。そこそこ広いからみんなで入れるだろ」
「……いや、おいらは後で入るよ。そうだアニス、ちょっと手伝ってほしいことがあるんだ。あとでおいらの部屋に来てくれ」
「かしこまりました」
「じゃあ、兄ちゃん。後でな」
「? おう。……それじゃあ、先に入っちゃおうぜ、ホッド」
「わかりました」
風呂屋ほどではないが、大人一人と子供二人なら余裕で疲れるサイズの風呂に浸かりながら、俺はため息を吐く。
「んー……どうしたもんかな」
「……お姉ちゃんのことですか?」
「ああ。多分……ていうか、絶対無理してると思うんだ、アニス」
「そうですね。まるで、別人みたいで……」
そういうと、ホッドは俯く。
「なんだか、寂しいです」
「そうだよなあ。でもなあ、あの子頑固だからなあ」
「一度言い出したら人の話を聞かなくなっちゃうところがありますからね……」
俺は頭にのせていたタオルを取ると、湯船から上がる。
船を漕ぎながら湯船につかるメリーを抱えて目の前に座らせると、タオルを石鹸で泡立てながら話を続ける。
「他人行儀な感じ、あんまり好きじゃねえんだよなあ。『ソル様』なんて呼ばれたら、背中かゆくなっちゃうぜ」
「やっぱり、ソルさんはそういう方ですよね」
ホッドが急にそんなことを言い出す。
「ん? どういうことだ?」
「いえ、すごく身内や仲間……家族を大切にしてる人なんだろうなって。この数週間で、そんな風に思いました」
「大事だよ。すごくね」
十分泡立てたタオルを使って、メリーの体を優しくこすってやる。少しくすぐったそうにしながら、それでも気持ちよさそうに目を細めている。
「だからこそ、嫌なんだ。家族であるアニスに、そんな風に振る舞わせてることがさ。あんなの、絶対楽しくないって」
「……優しい人ですね、ソルさんは。こんな時でも、自分が嫌だという気持ちよりも、お姉ちゃんの気持ちを優先するなんて」
「ん? そうか? みんな楽しいほうが、俺も楽しいからそう思ってるだけだぞ?」
「そのみんなの中に、僕たちを入れてくれるところも含めて。……優しい人ですよ、あなたは」
「どうだろうなあ。レリィもそんなこと言ってたけど、イマイチ自覚ねえんだよなあ」
全身泡だらけになって、妙にテンションが上がってはしゃぎだそうとしているメリーを支えながら、髪の毛を弄んでやる。逆立てたり横に伸ばしてみたりしながら、彼女の表情がころころと変わっていく様を眺めて微笑む。
「……僕も、最初はお姉ちゃんみたいに振る舞おうと思ってたんです。でも、しばらく一緒にいるうちに……ソルさんが、そうして欲しくなさそうだなと思って。だから、やめました」
「お、わかってるじゃん。なんなら敬語もやめてくれてもいいんだぜ?」
「いえ、もともと目上の人にはちゃんと敬語使いますんで、僕」
「んー、まあその辺は個人の感覚だからな。否定はしないよ……ホレ」
ざぶんとメリーにお湯をかけ、泡を流す。がっちりと目を瞑って泡を全部落としてもらうまで身を固くしている彼女をなんとなく微笑ましい気持ちで見守る。綺麗にした後、再び湯船に戻してやる。
「いっそ、ソルさんの方から叱ってもらえませんか?」
「アニスをか? いや駄目だ。 それをしたら『普通通りにしなきゃ』って思って、変に普段通りの自分を演じちまうと思う。やっぱり、信頼してもらって、それからアニスの『普段通り』を引き出してやりたいんだ」
「……難しいですね」
「まあ、なんとかするさ。根気よくやめてくれって言い続けてればそのうちやめてくれるかも知れねえし」
自分の体も洗い、湯船につかる。
「なんとかなるよ。大丈夫だ。『無理』は続かないもんだからな。そのうち素が出た時に、こっちが受け入れれば、わかってくれるだろ」
「そうですかね……はあ、お姉ちゃん、心配だなあ」
「だな」
~~~~~~~~~~
トントンとノックの音が部屋に響く。おいらはすばやくシャツを身に着けると、アニスに入るように促す。
「なんでしょう、ウィリアム様」
部屋で着替えが終わったとほぼ同じタイミングで、アニスはおいらの部屋に入る。相変わらず礼儀作法に関しては非の打ちどころがない。そんなに詳しいわけじゃないけど、誰が見ても失礼にならないような、完璧な動作だった。
「おう。まあ、そこに座れよ」
「はい。失礼いたします」
まるで本物のメイドみたいに完璧な動作で礼をすると、促されるままアニスはおいらの椅子に座る。
「それで、ご用事とは何でしょうか」
「ん? ああ、それな。ちょっと、まあなんだ。おいらと話そうぜ。色々」
「色々……ですか?」
不思議そうに首を傾げるアニス。ちょっとだけかわいいと思ってしまったが、そんな感情は隅に追いやっておいらは話し出す。
「ん。お前のその……メイドっぽい動き……どこで覚えたんだ?」
「はい。母さん……お母様に、いつか役に立つときが来るから、と。習い始めたのはつい二年ほど前です」
「へえ。じゃあ、家でもそんな感じだったの?」
「いえ、あくまで稽古のようなものでしたので。家の中では、普通に話していました」
「つまり、今のお前は普通じゃねえんだな?」
「あ……」
アニスがしまったという表情を作るが、もう遅い。
やっぱり、アニスはこの動作や仕草を普段からしたくてしてるわけじゃない。風呂掃除だとか洗濯だとか、家事全般は今、全てアニスが進んでこなしているけど、それも普段の振る舞いじゃないわけだ。
「なあ、アニス」
「……なんでしょうか」
おいらは天井を眺め、大きく息をつく。
「その喋り方、やめね?」
返事はない。おいらは視線をアニスに戻してもう一度問いかける。
「やめようぜ、そんな堅苦しい言葉。しかも使い慣れてねえんだろ? さっきだってボロが出ちまってたし、周りも良く思ってねえよ」
アニスは、何も言わない。
「兄ちゃんに負い目があるのか、それとも弟達が心配なのかは知らないけどさ。その堅苦しいしゃべり方だと、誰とも仲良くなれねえよ」
「……私は、ただの使用人です。仲良くなっていただく必要はありません。不必要ならば、すぐに荷物をまとめて出ていきます」
「いや、そういうこと言ってんじゃなくてさあ……」
「みなさんから、言われていたことです。このような堅苦しい言葉で話してほしくないと。しかし、それでは私が納得できません。こうして、みなさんに仕えることでしか、私には皆様のお役に立つ方法がありませんので」
アニスはそういうと、心なしか感情を消したように見えた。いや、押し殺そうとしているのかもしれない。
「……バカやろう。いや、女だから野郎ではないけど」
おいらは立ち上がってアニスの前に立つ。
「簡単なことだろ。下手くそな敬語やめて、普通通りに振る舞って、上手い飯食ったら美味いって言って、風呂入ったら気持ちいいって言う。掃除するときはめんどくさいって言って、調子悪いときは具合悪いって言う。おいらたちがお前に要求してんのは、全部当り前のことだろ?」
おいらはそう言って彼女を諭す。
全部、当り前のこと。こと、兄ちゃんの下にいれば、絶対味わえる幸せ。
朝起きたらおはようって言う相手がいて、一緒に笑いあえて、一緒に運動して汗かいて、一緒に一日の愚痴言ったり、たまに喧嘩したり。
そんな当たり前を、一緒に味わおうぜって。そう言ってるだけなんだ。
「……できません」
「……はあ? できないことないだろ、こんなこと」
「できません。……今の私には、できません」
おいらは少し苛立って、アニスの肩を掴む。
「お前なあ、できないできないって、適当なことばっか言ってると……」
「適当じゃないです!」
アニスは声を張り上げて、おいらの手を払う。
「できないんですよ! あなたたちにどんな顔すればいいんですか!? 笑えって!? 普段通りにしろって!? できるわけないじゃないですか! 私のせいで、ソル様は死にかけたんですよ!?」
アニスはそういうと、泣きながらおいらの肩を掴む。
「鏡の前で何度も笑う練習したの! でもできなかったのよ! 全部歪んだ笑顔になるのよ! こんなことなら、いっそ罰してくれた方がよほど良かったのに! それすらもさせてもらえないのに、どうやってこの罪悪感を消せばいいのよ!? どうしたら、いつも通りになれるのよ!? どうすればいいのよ!?」
おいらは口をつぐむ。
「もう昔みたいになれない……本当は、今だってあの人になんて言って話しかけたらいいのか分かんないのよ! 私のわがままに巻き込んだ弟達とも、もうまともに喋れない! どうしたらこの気持ちは消えるのよ? いつも通りにやれって言われて、できるならもうやってるのよ! 普通ってなに!? 笑うって、何に!? 私はどう振る舞えばいいのか、もうわかんないのよ!」
そのまま床に崩れて、泣き出すアニス。
おいらは。
とりあえず、その頭をなでる。
「……できるじゃん」
「……え?」
「いまのお前……『普通に』泣けてるぜ?」
おいらはそう言って、笑いかける。
アニスは、ますます大泣きする。
だから、泣き止むまで、おいらはその頭をなでつづけた。
小さい頃、そうしてもらったのと同じように。
「もう大丈夫か?」
「……はい」
「おいおい、敬語になってるぜ」
「あ……でも」
「とりあえずは、おいらで練習しろ。ほら、普通に普通に」
そう言って、おいらは自分の指で口角を引っ張って上に吊り上げる。雑に作られた笑顔だったからか、すこしヘンテコな顔になっていたらしく、それを見て少しアニスが噴き出す。
「うふっ」
「お、笑ったな? ほら、もっとだもっと。普通に笑顔に! ほらほら」
「ちょっと、怖い怖い!」
そんなバカなやり取りをして、おいらはアニスをひとしきり笑わせる。
しばらくして、アニスはおいらに話しかける。
「……ありがとう、ウィリアムさん。なんだか、少し元気になれたみたい」
「さん付けなんてやめてくれよ。アニスの方が、年上なんだろ?」
「え、そうなんですか? ウィリアムさんはいくつなんですか?」
「おいらは十五だ。あ、年越したら十六になるな」
「それじゃあ、二つ下なのね。うん。じゃあ、普通に喋るわ」
「お、年下だとわかったら急に強気じゃん?」
「そ、それは……もう、意地悪しないでよ……」
「ははは、悪い悪い。ついな」
彼女はきっと、三ヵ月間悩んでいたんだろう。
おいらたちにしたことに対する罪悪感や、自己嫌悪だとか、笑えなくなったことに対する焦りだとか、そういうのでいっぱいいっぱいだったんだろう。
それが、さっきの会話をきっかけに、暴発した。
言ってくれればよかったのに。
そう言うのは簡単だけど、アニスは言えなかった。おいらたちに、もう迷惑をかけたくないという気持ちが強すぎて、そうすることができなかったんだ。
ホントは、もっと早く声かけてやるべきだったのかもしれないな、なんてことをおいらは考えた。
「で、少しは戻れたみたいだけどさ。これからどうだ、もう少し頑張ってみないか?」
「……でも、ソル様には……」
「兄ちゃんはさ、覚えてないけど。今は覚えてないけど、覚えてたとしても、絶対許してくれてたぞ」
「そんなこと……」
「わかるさ。だって、おいらやウルも、アンタと一緒みたいなもんだ」
おいらの言葉に、アニスは目を剥く。
「どういうことなの?」
「言葉通りさ。ウルなんか、兄ちゃんのこと一度半殺しにしてるらしいし、おいらも兄ちゃんに喧嘩ふっかけて、返り討ちにされて。それでもおいらたちのこと許してくれて、一緒にいてくれるような人なんだ。だから、アニスのことだって、絶対に許してくれたさ」
アニスは口元に手を当てて、目をきょろきょろさせている。
「……よく、許してもらえたね……?」
「普通なら、絶対無理だよな? でも、兄ちゃんは強いというか、図太いというか……寛容な人なのさ。多分、命が奪われなければ結果オーライくらいに思ってんじゃねえのかな?」
「そんなの……」
「いいわけねえよな。だからまあ、その辺はおいらもレリィも一生懸命教育してんだけどさ。ほんっと、手のかかる兄ちゃんだぜ」
そんなことを鼻を鳴らしながら語るおいらに、アニスは少し笑顔になる。
「なんだか、素敵ですね。でも……ちょっとだけ、ソル様のことがよく分からなくなりましたね」
「ん? 大丈夫大丈夫、おいらたちもあの人は底知れない人だと思ってっから」
「ふふ、すごく尊敬してるのね、ソル様のこと」
「当然だぜ! 兄ちゃんはすげえ強いんだ。この前は遅れを取ったけど、おいらが知る限りあの人に勝てる人はいないね! あ、ガルドのおっちゃんはいい勝負するんだっけか? うーん、話に聞いてるだけしかわかんねえからなあ。今度兄ちゃんとおっちゃんで戦ってみて欲しいんだよなあ。でもまあ、その他は負けなしだな! 最強の男だぜ、あの人は! その上優しいと来たもんだ! なのに驕らねえし、謙虚だし、努力し続けるし? ホントもうあれだな。教会の聖書に出てくる聖人みたいな人だぜ! まあ昔は結構なワルだったみたいだけどさ。それでも、お釣りが来るくらいのすげえ人なんだ!」
「あ、そ、そうなんだ……」
おや? アニスが若干引いてる?
なんでだ、兄ちゃんのすごさが伝わってねえのか? こんなに一生懸命おいらが語ってるってのに。
「あ、さては信じてねえなおいらの話?」
「いえいえ、……信ジテマスヨ?」
「また敬語になってやがるぞ。……しょうがねえなあ。もう一回、今度は一から兄ちゃんのすごさを教えてやる」
「あ、え、ええ……?」
「いいかー? まずはおいらとあの人が如何にして出会ったか、ってところから教えてやるからな? 耳の穴かっぽじってよーく聞いとけよ?」
「ああ……うん……」
そのあと、夕食の時間になるまで、おいらはひたすら兄ちゃんのすごさについて語った。
途中、何度か眠そうになっていたアニスを叱りながら、およそ二時間にわたってその武勇を語りまくってやった。
これで少しは、兄ちゃんやおいらたちとも仲良くしてくれるといいんだけどなあ。
~~~~~~~~~~
「ちょっといいかしら?」
「うお!? なんだ、ウルかびっくりした。どうした?」
夕食後、ウルから声がかかる。俺は食器を洗い終わり、食堂に戻る。
「ちょっと話があるの」
「なんだ、今日はみんなお話したい日なのか? さっきもウィリアムがアニスと秘密のおしゃべりしてたみたいだけど」
「まあ、なんでもいいじゃない。とにかく、後で私の部屋にきなさい」
「命令口調かよ……へいへい、メリーの食器片付けたらな」
「あ、ソル様。メリーの分は私が洗っておきますので、どうぞそちらを優先してください」
「アニス~?」
「あ、ご、ごめんウィリアム、つい……」
食器洗いを志願してきたアニスだったが、ウィリアムににらまれると何かを察したみたいで口に手を当てながら謝る。
……なんか、この二人仲良くなったな。まあいいや。
「じゃあ、寝間着に着替えたらそっちに行くよ」
「……なんで寝る準備万端で来ようとしてるのよ」
「いや、話が長くなりそうならウルの部屋に泊まろうかと」
「いけません!」
その瞬間、レリィがすごい勢いで厨房から現れる。あまりの剣幕に、その場にいたほとんどの人間がびくりと肩を震わせる。
レリィは大股で俺の方に近づいてくると、腰に手を当ててぷりぷり怒り出す。
「男の人が、女の子の部屋に泊まったらいけません!」
「え、でも、みんな同じ屋根の下だし別に……」
「ダメです! 何か間違いがあったらどうするんですか!」
「……間違い? いや、大丈夫だろ、間違わないと思うから」
「ダメッたらダメです!」
全然こちらの言うことを聞いてくれないレリィ。どうしよう。いや、今日は久々に運動したから早く寝ようと思っただけなんだけど。
「わ、わかったよ、ちゃんと自分の部屋で……」
「あ、じゃあレリィも泊まってく?」
「は?」
いやいや、それはもっとありえないだろ。
男と女の子が一緒の部屋で眠るのがダメなのに、なんで女の子一人増やしてんだよ。ウルの出したその解決案はどう考えても通らないんじゃ……
「……それなら……」
ぼそぼそとか細い声でレリィが応答する。
「え、いいのかそれ? さっきの理論でいくとおかしくないかその解決策? っていうか解決してねえぞ?」
「い、いいんです! あ、アレです! 私は見張り役です! ソルさんがウルに変なことしないかどうか、見張る義務があるんですよ!」
「えー……俺そんなに信用ないのか……?」
レリィの言葉に若干落ち込みながら肩を落とす。
「頼むわね、レリィ。ソルはああ見えてロリコン変態鬼畜トイレ魔人だから、いざという時はレリィだけが頼りよ」
「ろり……きち? うん、任せて!」
「でた、カッコいい魔人さん。お前それお気に入りだよな……」
結構前にウルから言われた罵倒の一つだったと思うが、ことあるごとに彼女は俺をこの呼び名で呼ぶ。アニスやメリーの前でも言うもんだから、先日泣きながら『堪忍してください』とお願いしたところなんだが……今の流れを見るに、どうやら俺の懇願は無視されたらしい。
まあウソ泣きだったし、いいんけどさ……。
「お邪魔しまーす」
「あら、もうきたんだ。とりあえずそこに座ってよ」
かわいらしいワンピース型のパジャマを着たウルが指差したのは、床。
この部屋には机と椅子がちゃんと備え付けられているというのに、あろうことか床だった。
「……お前は客人に床に座れと言うのか」
「言うのよ。ほら、とっとと座る」
冷たくウルにあしらわれ、俺はしぶしぶ床に胡坐をかく。そして俺に床に座るよう指示を出した当の本人は目の前のベッドに腰掛けて俺を見下ろす。
「話っていうのは、カルマについて」
「カルマ? ああ、前にウルが言ってた奴か」
「そう。ちょっとはレリィから聞いてるかもしれないけど、ソルもカルマを発現させた可能性が高いわ」
「……俺が?」
そうは言われても身に覚えがない。
「私のは……前も説明したわね。『消滅』させる力。自分自身の姿を消したり、他の存在そのものを消したり。そういったことができたわ」
「そういえばそんなこと言ってたな。……ん? できた?」
「そう、できた。今はできないわ」
その言葉に、俺は驚いた。
一度は苦しめられたあの反則じみた力が、今は使えないとは。
「……理由は?」
「わからないけど……二つ、仮説を立ててみたわ」
ウルはそういうと足を組み、人差し指を立てる。……足を組んだ時にパンツ見えたけど、こいつそういうの全然気にしねえんだな。
「まず一つ。カルマを発動させるにあたって、条件を満たさなくなってしまった」
「条件?」
俺は首を傾げて見せるが、ウルは首を振る。
「そこまでは分からない。あの頃と今じゃ、変わってることが多すぎる。一人ぼっちじゃなくなったし、他人に対して憎悪だけを振りまこうと思ってないからかも。なんにせよ、それを絞り込むのは難しいわ。というか、不可能かもしれない」
ウルはそういうと、今度は中指も立てる。
「二つ目。私的には、こっちの説の方が有力なんだけどね」
「ふーん。それは?」
「『カルマは伝染する』」
「……いやいや、いくらなんでもそれは……」
「可能性としては捨てきれない。というか、こっちの方がありそうな話だと思うけど」
そうなのだろうか。しかし、どのタイミングで? そしてなぜ俺に?
「私が使えないとわかったのは、オーガと戦った時。でもソルに会ってからこの力は使ってないし、正直いつから使えなくなってたのかはわからないわ」
「じゃあ、なんで俺に伝染したんだ? 別に誰でもよかったんじゃ? 一緒にいた時間なら、俺よりもレリィやウィリアムの方が……」
「もっと決定的なものがあるでしょう?」
ウルはそういうとにやりと笑い、俺を指さす。
「私のカルマを喰らって、死ななかったのはあんただけよ」
「あ」
そうか。
もしカルマが人に伝染するとして、その条件が誰かにカルマをぶつけることだったとしたら?
当然、本来の力、あるいは全力の能力をぶつけられれば、俺は消されていたかもしれないがそうはならなかった。
「もしかして、喰らった上で生き延びることができれば……カルマが伝染する?」
「あると思うわ。そして伝染したカルマは『人によって能力が変わる』……とか?」
ありえない、とは言い切れない。
マナの流れが、人それぞれわずかに違うように、カルマにもそういった個人差があるのかもしれない。
それこそ、指紋が人それぞれ違うように。同じ顔の人間がいないように。
「ってことは、今カルマは俺に宿ってる……?」
「……コレはあくまで仮説よ。まだ判断するには早い。ただ、何にせよ今のアンタには間違いなくカルマが使えるはずなの」
カルマ。
俺に宿ったその異能は、一体どんな力だったんだろう。
なんとなく自分の両手を眺めてみるが、今はそんな不思議な力は何も感じない。
「なあウル。俺のカルマって、どんな力だったんだ? たしか、オーガを倒すのに一役買ったんだろ? もしかして、相手を弱体化させたりとか、あるいは逆に仲間を強くしたりとかか?」
「ホントになんも覚えてないのね……まあ、失血で目も虚ろだったし、しかたないか」
ウルはため息を吐くと、腕を組んで俺を見下ろす。
「オーガの身動きを止めたわ」
「……オーガの?」
「うーん、正確じゃないわね。なんというか……オーガの『何か』を切った……。その結果、オーガの戦意がなくなった……って感じかしら?」
「それだけ聞くと、何をしたのかよくわかんねえな……ん?」
あれ、身動きが止まった?
なんかそんなこと、前もあったような……。
「あ!」
「わっ! な、何よ、急に大声出して! びっくりしたじゃない!」
「思い出した!」
「……思い出した?」
俺は忘れていた。いや、厳密にいうと記憶がおぼろげだった。そして自分自身、あまり覚えていたくない記憶でもあったため、無意識で忘れようとしていたのかもしれない。なんにせよ。
「ウル。二つ目の可能性はなくなった」
「は? なんでよ?」
「俺、その力一回使ってる」
「……そうなの?」
「ああ。盗賊ギルドにいたって話は、前にしたよな? とある事情があって、そいつらといざこざがあって、俺がギルドの連中を……その……」
「皆殺しにしたのよね。それで?」
嫌な記憶でもお構いなしに突っ込んでくるウルに少しだけ面食らいながら、俺は続きを話す。
「おぼろげだけど、覚えてる。俺、そのオーガの時と同じこと、仲間にしてたんだと思う。じゃないと百人近い人間を皆殺しになんてできないだろうし、向こうからは攻撃されてなかった」
ずっとおかしいと思っていた。しかし、もしその時に俺もカルマを使っていたんだとしたら、全部説明がつく。
オーガの時と同じように、俺が仲間の何かを切って、戦意を奪った。そしてそのあと、無抵抗の仲間を……切り刻んだ。惨たらしく。
「ていっ」
「もがっ!?」
突如、俺の顔面がウルの両足に挟まれる。
正確に言うなら、ウルの左右の足の裏に。
そのままギリギリと力を込められ、俺の頬が歪む。
「なんでそういうことを早く言わないのよ……! バカみたいに仮説立てて『有力だー』なんて言ってた自分がバカみたいじゃない! 恥ずかしい!」
「痛い痛い痛い! だって、聞かなかったじゃんか!」
俺の反論を無視して、ウルは顔を真っ赤にしながら叫ぶ。
「そりゃ人のトラウマになってそうなことわざわざほじくり返して聞いたりしないわよ! 自己申告してもらわないと分かるわけないじゃない!」
「痛いいた……いだだだだだだだだ!? ちょ、親指と人差し指で耳を挟むなちぎれるぅ!?」
「恥ずかしいわよもう! ドヤ顔で何語ってんのかしら私!?」
「取れる取れる取れる!? ていうか恥ずかしがる所もっと他にあるだろ!? さっきからパンツ丸見えだぞ!?」
「どうでもいいわそんなこと! ああ、仮にも魔法使いの端くれなのに! 論理展開をそもそも間違えてるなんて!」
「いやあああああああ痛いいいいい! 助けて! 助けて!」
完全に耳が挟まれ、無理に取ろうとすると自分の耳を犠牲にしかねない。かといってこのまま放置すれば出血するのは目に見えている。俺はもうどうしていいのかわからなくなってついに涙を流しながら助けを求める。
二十一歳。大の男が、たった十一歳の少女に泣かされる図だった。
「ウル、遊びに来たよー……ってなにコレ!?」
「恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい……」
「痛い痛い痛いごめんなさい助けて誰かあ! 痛い痛い痛い痛い痛い!」
部屋を訪れたレリィには、どういう風に映っていたのだろうか。俺とウルが遊んでいるようにでも見えていたのだろうか。
救出されたあと、腫れた耳をさすりながら俺はレリィに説教されたのだった。ウルに変なことをさせるな、と。
……理不尽だ……。