取り戻せなかったもの
取り戻せなかったもの
うすぼんやりと太陽の光を瞼越しに感じて、目を覚ます。
ボーっとしながら自室をしばし眺め、それから軽く頭を振る。
目をこすって、大きく両腕を伸ばし、あくびをしようとした時だった。
「いった!?」
突如左腕に激しい痛みが走り、思わず苦鳴を漏らす。
視線をやると、そこには包帯でぐるぐる巻きになり、しっかりと固定された左腕が映る。
「……ん~?」
怪我してる。
なんで?
最初に思ったのがそれだった。
そのあとに、やけに部屋が肌寒く感じることに気が付く。
「ソルさん!? 大丈夫ですか!?」
「んえ?」
血相を変えたレリィが、俺の先ほどの悲鳴を聞きつけて飛び込んできた。その鬼気迫る表情と、その表情の意味が分からなくて、俺は間抜けな声を出してしまう。
レリィは俺の姿を見ると安心したのか、ほっと胸を撫で下ろし、こちらに歩み寄る。
「気分はどうですか? どこか具合の悪いところは、ありませんか?」
「ん、いや、なんか左腕怪我してるんだけど……ん~?」
昨日のことが思い出せない。何か怪我するようなことしたっけか?
「左腕だけじゃないですよ。頭も強く打っていたし、内臓も少し傷ついてたんですから」
「え、マジで? ……なんで俺また死にかけてたんだ?」
「……覚えてないんですか?」
正直覚えていなかった。昨日の夜に一体何があったっていうんだ。
状況が呑み込めなくて、とりあえず俺は首を振って見せる。
レリィは顎に手を当てて、少し考え込むような素振りを見せる。が、独り言に乗せてその思考のほとんどは外部に駄々漏れだった。
「もしかしたら、頭を打った時に少し記憶が飛んじゃったのかな……さすがに、オーガのあんな攻撃を喰らったら……」
「?」
「ま、まあ、一時的なものかもしれませんし。少しだけ、様子を見ましょう」
「え、いや、今オーガって……」
「兄ちゃん!」
俺が疑問をレリィに投げかけようとしたその時、開いたままの部屋のドアの入り口からウィリアムが飛び出してくる。
かと思えば、そのまま俺のベッドに飛び込んできた。
「うおふッ」
「よかった! 目ぇ覚ましたんだな! よかった!」
「ウィル! けが人にタックルするなんて! 何考えてるの!?」
レリィが血相を変えてウィリアムを俺から引きはがし、思いっきり頭を叩く。
「ったぁ!? わ、わりぃレリィ。ちょっと、嬉しくてつい」
「『つい』じゃないよ! また傷口開いたり、怪我したらどうするつもりだったの!」
あまりの本気の怒りっぷりに、思わず口が開いてしまう。心配してくれているのだろうけど、何もそこまで言わなくても。
「まあまあ。ウィリアムもはしゃぎたい年頃なんだろ」
「……」
俺の言葉に、レリィは訝しげな視線を送る。その視線が何を意味しているのか理解できなくて、俺は首を傾げることしかできない。
「それはそうと、早速で悪いんだけどさ。兄ちゃんに決めてもらいたいことがあるんだ」
「? なんだ、改まって?」
「ちょっとあいつら呼んでくる。……今回の落とし前、なんとか形にしないとウルの奴がうるさくてさ」
そう言って、ウィリアムは部屋を出ていく。俺はそれをぽかんとしながら見送った。
なんだなんだ? 嬉しそう、というか、楽しそうというか。 そんなに俺が起きるのが待ち遠しかったのか? ……よくわからん奴だなあ。
「ソルさん。あの」
レリィに呼びかけられて、俺は彼女の方を向く。
「もしかして、ソルさん……覚えてな……」
「連れてきたぜ!」
レリィの言葉はウィリアムの声にかき消される。
騒々しい少年に少しだけ顔をしかめて俺は視線をそちらに動かす。
「ソル様……あの……。先日は申し訳ありませんでした。奴隷になりそうだったところを助けていただいたのに、私は思い違いをしてしまって……大怪我させてしまいました……本当に、申し訳ありませんでした」
そう言って、ウィリアムが連れてきた綺麗な栗色の髪の少女は深々と頭を下げる。よく見ると、その隣には彼女よりも小さな男の子と女の子が、真似するように深々と頭を下げていた。
「どんな罰でも受けます。どんな罵りも受けます。ただ……」
少女は一度視線を隣の子供たちに向け、再び弱弱しく俺を見る。
「せめて弟達だけでも、ソル様と一緒にいさせていただけないでしょうか。まだ小さい子供なんです。この子たちだけで生きていくことは、恐らくできません。今の私たちは、頼れる方が他にいません……図々しいことは、承知しています。ですが、どうか……どうかこの子たちだけでも……」
「……ごめん、君は誰?」
ついに長い沈黙に耐え切れず、俺は少女に尋ねる。
その言葉に、知らない少女たちとウィリアムは目を丸くする。
まるで俺がおかしなことでも言ったかのように。
「えっと……初対面……だよな? いや、その子たちを預かることは全然かまわないんだけど……罰とか罵るとか、誰かと間違えてないか?」
「え、兄ちゃん、何言って……」
「まあなんだ。俺たちは奴隷を助ける活動をしてるから、困ってるなら全然構わないよ。部屋もいっぱいあるし。あ、でも一応ウルに許可取らないとまずいかな? ここも、もとはと言えばあの子の家だからなぁ。まあ、こんなに頼み込んでんだし、無下にしないだろ。あいつは無愛想っぽく見えるけど、根はすげえいい奴だからな。困ってるなら、力になってくれるさ。それに……」
「兄ちゃん!」
ウィリアムが、俺の肩を掴んで揺らす。突然のことに反応できなかった。されるがままに揺さぶられ、謎の怪我を負っている左ひじが痛む。
「何言ってんだ兄ちゃん! アニスだろ! ここにいるのは、アニスだろ!? おいらたちが満身創痍で追っかけて、なんとか助けた子だろ!? ホッドも、メリーも、兄ちゃんが助けたんだろうが!」
「い、痛……ウィリアム、何を言って……」
「ウィル!」
怒鳴り声と、乾いた音が室内に響く。
「……ソルさんは今怪我のせいで混乱してるの。もう少し時間がかかるから、アニスさん達と戻ってて」
「いや、でも……!」
「いいから」
そう言って、レリィは俺とウィリアムの間に割って入ると、そのまま彼を睨み付ける。ウィリアムは納得いってなさそうな顔と、心配そうな表情を俺に向けると再び少女たちを連れて部屋を出ていった。
「……アイツ、何を怒ってたんだ? 俺、なんかおかしいこと言ったか、レリィ?」
「……ソルさん」
レリィが俺の手を取る。そして俺の手の上に、さらに左手を重ねる。
「……どこまで、覚えてますか?」
「ん?」
「思い出せる、一番最近の記憶は、何ですか? ウィリアムと決闘したこと? 私と買い物に行ったこと? 私がソルさんを叩いたこと? ……手を繋いで、一緒に眠ってくれたこと、覚えてますか? ……お願いです、答えてください……!」
彼女の声が震え、同じようにその両の手も震える。
すごく、不安に感じているような。そんな気持ちが伝わってくるみたいだった。
「……一番最近のこと……」
彼女が不安に思ってるものが何かわからない。でも、そうさせているのが自分のせいだということは分かる。
正直に、俺は話す。
「昨日寝る前にレリィが、『明日の朝食はクリームシチューにします』って言ったことまでは覚えてるよ。でも、どこでこんな怪我をしたのかは……ごめん、知らない」
知らない。身に覚えがない。だって、昨夜寝るまではなんともなかったのだから。
「そう、ですか」
そう言って、少しだけ安堵の表情を浮かべる彼女。
「不謹慎ですけど……よかった。忘れられたのが、私じゃなくて」
「……俺、何か忘れてるのか?」
「ええ。お話します。先日何があったのか。あの人が誰なのか。ソルさんがどうして怪我をしたのか。全部、お話します」
長い時間をかけて、彼女から説明された。
オーガと戦ったなど、とても信じられないような話だったが。
でも、彼女を信じた。
そして、自分が記憶を失ってしまったことを、俺は知った。




