黒い影
黒い影
「リーダー! 魔物が逃げていきますよ!」
「……俺はリーダーじゃない。あくまで代理だ。……どういうことだ」
傭兵たちの言葉にガルドは反論しながら、不思議そうにあたりを見回す。そこいら中で戦っていたはずの魔物が、一斉に動きを止め、すぐにまた動き出したかと思うと今度は散り散りになって逃げだしていった。
「……」
私は思考する。
まるで何かに操られているようだったけれど、そんな魔法は今のところ存在しない。魔物の意志を操るなど。ましてや、命令して戦わせるなんて、普通はできないのだ。
エルフや賢者と呼ばれる者たちの間でも、魔物を操ったり、使役したりする魔法の研究はされていた。しかし、結局それは不可能であると結論付けられてしまった。
世界のすべての物には、エレメントが宿る。そしてそれは、生命が持つマナの力を干渉させる、あるいは詠唱や魔法陣によって、何らかの手段で式を与えることで自然現象に類似する現象を引き起こすことができる。
地・水・火・風・光・闇。
自然界はこの6つのエレメントが互いに干渉しあっている。
自然現象が起こるときには、これらのエレメントが必ず何かしらの動きを見せるのだ。
魔法は古くから、そういった自然現象からエレメントの動きを研究し、逆説的にエレメントを動かせば現象が発生すると考えてきた。
例えば、たき火をしている時、火のエレメントが活発に動いている。その動きを観測し、意図的に火のエレメントを同じように動かすことができれば、たき火と同じ現象が起きる。
そういう理論の元に進められてきた学問、それが魔法なのだ。
それゆえに、『魔物が意のままに操られている』という現象が、自然界で起きていない以上、その現象を魔法で発生させるのは不可能としてきたのだ。
だから、今回のことは不可解なのだ。
魔物が操られていたかのように。そして、急にその魔法が解けたかのように、散り散りになって逃げる。それが、理解できない。
「……セシール、そっちはどうだ?」
そう問われて、私はガルドの方を向き、首を振る。
「ダメね。皆逃げて行ったわ」
「まさか旦那のところに行ったんじゃあ……」
「それはないんじゃないかしら。もしそうなら、まとまって動きそうなものだけど」
本当に散り散りになっていった。それこそ、我先にと逃げ出すかのように。もし特定の誰かを狙いに行くなら、方向はみんな一緒でなければおかしい。
「結局、発生源も分からなかったわね……ウィリアムにも手伝ってもらえば良かったかしら」
魔物に対してこちらが優勢だったため、彼にはソルの援護に行ってもらった。ガルドと傭兵たちで魔物を食い止め、私が魔物の発生源を調べていたのだけど。
「それこそいらん。戦闘に心得はあるが、そういった調査や観察には向かん男だ」
「ふーん。結構、なんだかんだで信頼してるのね、ウィリアムのこと?」
「ふん、少なくともお前よりはな」
「冷たいなあ、もう……」
まあ、そうは言っても仕方がない。ソル曰く、彼も戦争で父や兄弟を亡くしているらしいのだから、ハーフエルフである私にいい顔するわけがないか。
「まあでも、確認のためにソルのところには行くべきでしょうね。ガルド、そっちはお願いしてもいいかしら?」
「……お前はどうするつもりだ?」
「一応、さっきの現象について調べてみるわ。一時間たっても戻ってこなかったら、適当に出発していいわ。あ、でも馬は一頭残しておいてね?」
「ふん、勝手にしろ」
そう言って、ガルドは他の傭兵たちを引き連れ、その場を離れる。
私は、魔物の持つマナの残滓を追いかけながら森に入る。
うっすらと降り積もり始める雪に足を取られそうになりながら、魔物の気配を探る。
やっぱり、目的があって逃げ出したんじゃない。魔物はどこかに集まるわけでもなく、森のどこか適当なところまで来て、消息を絶っている。
「もう、どこに行ったのよ、あいつら本当に……」
その時、違和感に気付いた。
マナの残滓を追っていたのに、消息が途絶えている。
それも、気配が薄くなって消えたんじゃなく、唐突に。
まるで『突然消滅した』かのように。
「……いや、そんなまさか、ね」
ありえない。
魔物を操るなんてできないのに、魔物を消滅させるなんてできるはずがない。
できるわけが。
「だれ?」
聞きなれない声だった。
思考の海に沈みかけていたため、その声に私はびくりと肩を震わせる。すばやく後ろを振り向くと、そこにいたのは赤黒い服を身にまとった青年が、木に手をつきながら一人たたずんでいた。
年はまだ若い。レリィちゃんより少し年上くらいだろうか。いや、ウィリアムと同じくらいかもしれない。彼よりは大人びている感じがするけど。
きれいな金髪で、青い瞳。昔のソルに似た出で立ちだったが、目の前の青年の方が少しばかり温厚そうな印象を与える。
「……あら、女の人に名前を聞くときは自分から名乗るのが礼儀よ。知らない?」
そう言って、笑って見せる。もっとも、そんな礼儀が本当にあるかどうかなんて私は知らないけど。
もしかしたら、彼が例の村の生き残りなのかもしれない。仮にそうだとしたら、彼をソルたちの元へ連れていくべきだろう。
「僕は、ブラッド。……お姉さん、アニスを知らないかい?」
「ええ、知ってるわよ。ちなみに私はセシールね。ブラッド君も、この村の生き残り?」
「そうか。ねえお姉さん。アニスはどこにいるのかな?」
「え? ああ、今は私たちと一緒にいるわ。……ねえ、ここの生き残りの子なんでしょ、ブラッド君。だったら、私たちと行きましょ。アニスも、ホッド君も、メリーちゃんもいるわ。ほかにもいろんな人がいるし、困ってるなら……」
「そっか。案内してよ、お姉さん。」
「……」
違和感。
彼は、こちらの話を聞いていないような様子だった。
いや、聞いてはいるけど、自分の要求ばかりを押し付けてくる。
元々、こういう子なのだろうか。
「……ブラッド君。もう一度聞くわ。村の生き残りなのよね? ……アニスちゃんに会って、どうしたいの?」
彼は無表情で。
懐から、禍々しい色の指輪を取り出した。
「どうしても、アニスができないんだ。他のみんなはできたのに。……彼女だけ、できないんだ」
「……はい?」
「きっと、魂が必要なんだ。本人の魂じゃないとだめなんだ。だから、僕にはアニスが必要なんだ。彼女に会うには……彼女を手に入れるには……彼女の魂が必要なんだ」
訳の分からない言葉の連なり。それはまったく未知の言葉のようにも感じられたが、しかしそれは私の脳に警鐘を鳴らす。
鼓動が早くなる。
何を言っている?
この子は、一体。
その指輪は、一体。
うつろにつぶやく彼を凝視し続けていて、私はあることに気が付いた。
彼の衣服が、赤黒い理由に。
すべて、血の跡だったのだ。
「アニスに、会いたいんだ……」
「エルファイア!」
ブラッドが指輪をはめようとした瞬間、大きな火炎を放つ。彼に直撃し、青年はバランスを崩す。そして同時に、手に持っていたリングを取りこぼし、それは雪の中に埋もれてしまう。
「あ、ああ!」
青年の悲痛な叫び声が聞こえる。服が焦げ、髪の毛も少し燃えたというのに、青年はそれどころじゃないと言わんばかりにあたりの雪を掘り始める。
「指輪、指輪がぁ!!」
「何をするつもりだったの? 少なくとも、私には攻撃してこようとしたように見えたんだけど」
「アレがないと、アニスが! アニスがぁ!!!」
話にならない。だが、あれが碌でもないものだということぐらいは察しがついた。
なんとなく、死霊術に近い何かを行うつもりだったのかもしれないと見当をつけたが、それは世界では禁忌とされていることだ。そしてそんなものに手を染めてしまった者の末路は、いつの時代も決まって邪悪な存在となる。
もはや、古くから運命だったことのように。
「どういうつもりかは知らないけど……今すぐここから消えなさい。さもないと……」
「殺す……かな?」
私の声を遮って、何者かが語り掛ける。私はすばやく後ろを確認する。
ほんの十歩ほどの距離に、誰か立っていた。
いや、誰かなんかじゃない。私はそいつを知っていた。
ソルが盗賊ギルドを壊滅させたあの日。
彼を探していた時に見つけた、違和感の塊のような子供。
白髪に赤い瞳を持つ子供だった。