リーキッドファミリー 九
リーキッドファミリー 九
「だあー! うざってえ!」
「熱くなるなウィリアム! 敵の動きをよく見ろ!」
「わかってるよ! でもこんだけ多いと……」
「きりがない……!」
少しずつ、前線を下げながら魔物の群れを撃退していく。しかし、どこから湧いているのかその数は一向に減らない。
「くそ、兄ちゃんダメだ! このままだと囲まれる!」
「わかった、一気に下がるぞ!」
俺たちはアニスを追うように後ろへ駆け出そうとする。
「なっ」
「はあっ!?」
振り返る背後。同じように大量の魔物が迫ってきていた。どこから湧いたのか。いや、もしかしたら村に別の出口があって、そこから森を抜けて回り込んできただけかもしれない。
気付くべきだった。冷静に敵を見ろなどとウィリアムに言っていたが、俺も観察が甘かった。
村の中を駆け回っていた時、魔物はどんどんその数を増していった。
防衛線を張ってから、魔物の増加が止まった。
その時点で俺は、増援は打ち止めだと思ってしまったが、そうではなかったのだ。今までこっちに回していた分の増援を、俺たちの背後へと回していたのだ。そして十分な数が集まった段階で、一気に叩く作戦だったのだろう。
バカな。
魔物がこんな、統率のとれた行動を取れるのか。
前後にいる魔物の総数は、とうに百を超えているだろう。対してこちらはたったの二人。
一瞬、死を覚悟する。魔物に食いちぎられ、無残に死に絶える自分たちの姿を想像してしまう。
「……どうしよう、兄ちゃん」
冷や汗を流しながら、弱気な声でウィリアムが俺の指示を仰ぐ。彼もこの状況をどう打破するか浮かばないのだろう。
しかし、それは俺だって一緒だ。一方向から来るなら、後退しながら迎撃すれば何とかなった。でも、それは背後からの増援によって封じられた。
「……ッ! あきらめるなウィリアム! きっとガルドたちが来てくれる。それまで耐えろ!」
「わ、わかった!」
ウィリアムは抜剣術の構えを取る。
ガルドたちは何をしているんだ。もうとっくに到着していてもおかしくないのに。しかし、そろそろ来てもらわないと状況は厳しい。
……増援に期待するしかないこの状況は、最悪と言ってもいい。現状戦力でどうにもできない状況を作ってしまった、俺の判断ミスだ。
後悔していても始まらない。魔物はこちらに対して、絶望に浸る暇を与えてくれるわけもなく、前後から襲い掛かる。
「う、おおおおおおお!」
「おあああああああ!」
俺とウィリアムは雄叫びを上げながら背中合わせに構える。
絶望を振り払うように。自分自身を鼓舞するために。
俺は飛びかかる魔物を迎撃すべく蹴りを放つ。顎先を跳ね上げ、大きく後退するランドウルフ。続けざまにゴブリンからこん棒が振るわれる。これをしゃがんでよけて、そのまま足を払い、倒れたゴブリンに追撃をかけようとした。
「兄ちゃんだめだ!」
ウィリアムのその声と同時だった。
突如俺の左腕に痛みが走る。
噛まれた。
おそらくウィリアムが迎撃しきれずにこちらに飛びかかってきた魔物だろう。俺は噛みついたランドウルフの胴体にこぶしを叩き込み、背後を振り返る。
ありえない。
ウィリアム側にいた魔物は、ウィリアムを避け、全て俺に向かってきていた。それでも何とかこちらに魔物を来させないようにウィリアムが奮闘した形跡はあった。しかし、それだけの魔物をすべて捌き切れるわけもなく。
総勢百を超える魔物の大群が。
そのすべてが、俺に襲い掛かる。
「兄ちゃぁああああああん!!!」
なんてことだ。
こいつら、こっちの数をまずは減らすために。
武器を持ってなくて、多人数に対応できない俺の方から潰しに来た。
ありえない。
魔物は、こんな動きしないだろ。
「うおあああああああ!!!」
ランドウルフに噛みつかれ、それを振りほどこうとしても次々と噛みつかれ、俺はあっという間に態勢を崩される。
とうとう耐えられなくなり、そのまま地面に倒れ込む。しかし魔物の攻撃は止まないどころかその激しさを増していく。
腕が噛まれる。足が噛まれる。胴体を引っ掻かれる。服ごと噛まれて、完全に動きが封じられる。
それでも止むことの無い追撃。
ゴブリンの振り下ろす、大きなこん棒が俺を狙う。
何度も何度も殴打され、噛まれ、引っ掻かれ、叩かれ、踏まれ。
「やめろ! やめろお! 兄ちゃん! 兄ちゃあん!」
ウィリアムの必死な声が聞こえる。響く斬撃音。しかし、俺の上から魔物たちは退かない。
「くそ、兄ちゃん! このクソ共があああ!!!」
激昂しながら魔物を減らし、俺の元に駆けつけようとしているのだろうか。しかし、その声は遠い。
体を守ろうと身を丸めていた俺だったが、それもだんだん力が入らなくなってくる。
体が熱い。
痛みを通り越して、全身が熱を帯びているようだった。しかし、それも失われていく。
「吹き飛べ!」
その時、叫び声が聞こえた。それと同時、突風というには生易しいほどの風が魔物の群れを襲い、その風にさらされた魔物たちにおびただしい傷をつけながら吹き飛ばしていく。
「に、兄ちゃん!」
涙目になりながら、返り血でぐしゃぐしゃになったウィリアムが俺の元へ駆けつけてくる。そのまま俺の体を起こし、体を支えながら少しずつ移動する。
「ウィル……何が……」
「ソルッ!」
聞きなれた、女性の声。
緑色の髪を振り乱しながら、俺の元へ駆けるその人物は、良く知っている人だった。
「セシール……」
「待ってて、今治すから!」
彼女の掌から、暖かな光が溢れ出す。そのまま手を俺の方に向けると、少しずつではあるが傷が塞がれていく。
「セシール姉ちゃん、後ろだ!」
「大丈夫よ」
ウィリアムの叫び声。しかしセシールは振り向かない。どころか、余裕の笑みさえ浮かべていた。
背後から迫るランドウルフの残党が、俺たちに襲い掛かろうと牙を剥く。
「邪魔だ!」
野太い声が聞こえ、魔物が吹き飛ぶ。その血しぶきの向こうにいたのは、両手斧を軽々と振るう、頼れる相棒の姿だった。
「ガルド……!」
「旦那……すみません、遅れました」
ガルドはそういうと、再び自らの獲物を握りなおす。
「よかった、間に合って」
普段のセシールからは想像もできないような、優しい声。でも、この声は前も聞いたことがある。
俺は、この声に救われている。
「馬の手配に時間がとられました。それと……」
言いかけたガルドだったが、それを遮るように大きな雄叫びが上がる。
一人や二人ではない。
たくさんの人たちが叫び声を上げながら村になだれ込み、魔物の群れに飛び込んでいく。その数は、二十は超えていた。
「こ、これは……?」
「ジャンが雇った傭兵たちです。全員、ジャンに借りがあったとかで」
「ジャンが……」
鎧をまとった剣士。ローブを纏い、杖を携えた女性。弓を構え、木の上から魔物を狙う青年。重装で斧槍を振り回す大柄な男。
実にさまざまな人たちが、各々のターゲットを定め、敵を殲滅していく。
「別口で情報があったんです。ここに魔物がいる可能性が高い、と」
「で、ジャンが慌てて、いろんな人間に声かけて呼びつけた、ってわけ」
ガルドとセシールから説明を受け、俺はなんとなく納得した。
しかし、これだけの数の魔物に対して二十数名加勢したところで、状況は良くはなっていない。圧倒的に劣勢だったのが、互角くらいになっただけだ。ここに、あのオーガまで加わったら、状況は絶望的だろう。
「助けに来てくれたのは感謝する。でも、だめだ。ランドウルフとゴブリンだけじゃないんだ。……オーガもいる。あいつには、たぶん勝てねえ。ここは退いた方が賢明だ」
「……そうも、言っていられない事情があるんですよ」
「事情?」
「正直、俺はどうでもいいんですがね。旦那がそれじゃあ納得しないと思うので。徹底的に抗戦するつもりですよ、ここにいる者たちは」
「ちょっとまて、事情ってなんだ?」
ガルドの話を聞いていてもイマイチ内容が伝わってこない。何が言いたい。ここに残って戦うことにどんな意味があるって言うんだ。
「……村の生き残りを見た。行商隊から、そんな情報が入っているんです。もちろん、彼らも慌てていたから確かなことは言えないらしく、信憑性の低い話ですが」
「……生き残りだと?」
「不確かな情報です。が、これを聞いたら、旦那なら助けたいとか言い出すんじゃないかと。ジャンもそう思って、なんとか魔物を殲滅できるように戦力を寄越してくれたんでしょうがね」
生き残り。
村の中で、あれだけ俺たちが暴れていても他に人の気配なんてなかった。もちろん、常に気を配っていられたわけじゃないから、こちらも確かなことは言えない。
本当にいるのか?
アニスたちも、もしかしたらその生き残りを探していたのか?
もし、いるのなら。
「……そういう情報がある以上、退けなくなったな」
「そう言うと思ってましたよ」
ガルドはそう言って笑うと、背負っていた荷物を下ろして、それを俺に押し付ける。
「予備のダガーと旦那の投擲用ナイフ。それから傷薬の類を持ってきました」
「へへ、さすがガルド。用意がいいな」
「旦那がえらく軽装で出かけていきましたからね。これでもう少し戦えるでしょう」
「ありがとう、助かる」
服を脱いで手早く傷口に傷薬を塗り込み、余った分をウィリアムに投げて渡す。俺はダガーを腰に差し、投擲用ナイフをストックしているベルトを体に巻き付けながらウィリアムに話しかける。
「ウィリアムも治療しとけ。それから、セシールに治癒魔法かけてもらえ。そのままだときついだろ?」
「う、うん」
セシールがウィリアムの方に向かい、俺の時と同じように詠唱なしで治癒魔法を施す。初めて治癒魔法を受けるのか、ウィリアムはしばしそれを茫然と眺めていた。
「……うし、大分動けるな。戦えそうだ」
服を着なおして何度か体を動かすことで、支障がないことを確かめる。傷薬が効いてきているのか、傷口が熱を帯びている。体が傷を治そうと必死にその機能を働かせているかのようだ。
「……さて、旦那。戦況的には敵の増援を込みにしても互角。……いえ、わずかにこちらが上回っているといったところでしょうか」
「そうだな。言葉の頭に『今のところは』ってつくけど、このままなら何とかなる。でも、問題はオーガの方だ。あんなデカブツから攻撃をもらったら、間違いなくミンチになる」
俺は考える。
現状でほぼ互角。俺とガルド、それにウィリアムとセシールも加われば、今いる魔物の群れはなんとかなるだろう。速攻で片付けられればいいが、もしもオーガが迫ってきたとき、魔物の群れが残っているという状況は非常にまずい。せめて、全員でオーガに対峙できる状況を作らなきゃいけない。
だが問題は、魔物には増援がいるという点だ。正直、どこから湧いてきているのかもわからない上に、あとどれだけの増援が来るのか。そこが未知数である以上、速攻で群れを片付けるという作戦に、確実性が持てない。
悩んで悩んで、俺は一つだけ確実性のありそうな作戦を思い付く。
「ガルド、今回雇った傭兵の中で、俺より足が速くて、俊敏に動けそうな奴はいたか?」
「……残念ながら、いません。この場所で一番俊敏に動けるのは、恐らく旦那です」
「……じゃあ、俺がやるしかないか」
「なにか思いついたんですか?」
「ああ。群れの方は、完全にガルドたちに任せる。そのかわり、俺はオーガの足止めをする」
「……正気ですか?」
「現状、こうするしかないだろう。ただ、一匹たりとも魔物をオーガに近寄らせないでほしい。……オーガの攻撃に耐えるなんて現実的じゃないからな。ひたすら避けつづけるだけだけど……ほかの魔物も相手にするとなると厄介なんだ。でもまあ、なんとか奴は足止めしてみる」
「しかし……」
「……現状これしかない。いや、時間があればもっといい策も思いつくかもしれないけど、今考えられるのはこれが精いっぱいだ。……群れの方、それからみんなの指揮。任せていいか?」
「……わかりました」
ガルドは少しばかりためらいながらも頷く。
「可能であれば、群れの発生源も調べて、これ以上増援が来ないようにできたらいいんだけど……」
「人が足りない、といったところでしょうか。そちらの方も、戦力に余裕があれば調べます」
「悪いな、無理難題押し付けて」
「今に始まったことじゃないですよ」
「だな」
そう言って、俺はガルドと笑みを交わす。ちょうどウィリアムの治療も終わり、俺たちは再び魔物に向き合う。
「よし、それじゃあ作戦通りに」
「了解しました。……いくぞセシール、ウィル。中央をこじ開ける。遅れるな」
「うしっ、任せろおっちゃん!」
「わかってるわよ」
ガルドとウィリアムが走り、魔物の群れに豪快に飛び込む。炸裂する炎と、高速の抜剣術、そして強引な力押しの斧に薙ぎ払われて、魔物たちはそれぞれ屠られる。
「行け、兄ちゃん!」
「怪我しないでよ!」
「旦那、頼みました!」
ウィリアム、セシール、ガルドが各々俺に向かって叫ぶ。
「おう!」
三人の声援に背中を押されながら、俺は一気に手薄になった個所から、先ほどオーガを見た正門を目指して駆け出す。
くだらないと言われればそれまでだが。でも。
生き残った人がいて、あの兄妹たちが笑顔になれるなら。
それだけで、お釣りが来るくらい頑張る価値がある。
あの子たちの笑顔のために。俺は再び武器を手に取り、走り続けた。




