リーキッドファミリー 八
リーキッドファミリー 八
なんとか間に合った。ホッドが頑張ってくれたおかげだが、彼もランドウルフに噛まれ、出血が多い。いわゆる下級の魔物だが、その牙の威力は侮れない。急所にもらえば間違いなく人間の息の根を止めるだけの力を持っている。
ホッドは、見ただけでも両腕と左下肢に噛み傷、それと背中に引っ掻かれた痕があり、かなりの出血だった。小さい体でこれだけの怪我は、かなりの重傷といえるだろう。一刻も早い治療が必要だった。
しかし。
「くそ、数多すぎだろこいつら!」
倒しても倒してもきりがない。どんどん窓から部屋になだれ込んでくる。
ここで戦っても状況は好転しないと見た俺は、傷だらけのホッドを抱えて魔物を蹴りつけながら退け、ドアから脱出する。
なんとか転がりながら逃げのびて、俺はホッドをアニスの隣に寝かせると、再びダガーを構えて魔物を迎え撃つ姿勢を取る。
ざっと見回しただけでも、ランドウルフが二十、ゴブリンが十、といったところか。どこかにまだ潜んでいる可能性を考えると、これだけとは考えにくい。
「畜生、囲まれた! アニス! ホッドの止血を頼む!」
「あ、あ、でも、私、止血なんて!」
「言ってる場合か! きれいな布で傷口押さえろ!」
俺は叫ぶと同時に飛びかかるランドウルフの横面に、蹴りを浴びせて吹き飛ばす。
状況は最悪と言ってもいい。戦えない三人を守りながら、三十体近い魔物の群れをさばくのは一人では圧倒的に足りない。俺一人で対処できる魔物の数にも限りがある。まばらに襲い掛かってきているからまだいいものの、一斉に飛びかかられたらさすがにただでは済まない。
俺のビハインドエッジには弱点がある。
アレはあくまで暗殺技術であり、対人戦のための技だ。一撃離脱が立ち回りの基本で、言ってみれば高速での接近、離脱を繰り返すことで、無理やり一対一の状況を作り出しているに過ぎない。その上で死角から攻めることで、優位に立ち回ることができる。
でも今回はあくまでこの子たちの防衛が目的。接近・離脱を繰り返せば必ず守りが薄くなる。ゆえに、よほどのことがない限り、今回はビハインドエッジは使えない。
今の俺にできることは、接近してくる魔物を迎え撃つことだけ。自分からあの中に飛び込むことは、すなわちこの子たちを守る者がいなくなることを意味する。
「くそ、せめてこの子たちの守りを完全に誰かに任せられれば……」
再び飛び込んでくるランドウルフ。前方二体。そして音で判断するに、後方から一体。
捌き切れるか? いや、やるしかない。
俺はあえて前方を無視し、まずは後方の一体を片付けるべく振り返る。家の柱だったものを振りかぶり、子供たちに一撃を与えようとするゴブリン。その額目掛けて、俺はダガーの一つを投擲する。
まさか投げてくるとは思っていなかったのか、ゴブリンは避ける動作もせずにまともにナイフを突き立てられ、脱力する。
それと同時に、俺の左腕に痛みが走る。
「くっそが!」
噛まれたままの左腕を顧みず、乱暴に腕を振って体制を崩させることで振りほどく。もう一体が俺の顔面めがけて大口を開けて飛び込んでくるが、真下から顎に目掛けて蹴りを放ち、オオカミの顎ごと蹴り砕く。残りのランドウルフに右手で構えたダガーを振り下ろし、脳を破壊する。
まず三体。しかし、こっちが負った代償は大きい。
今回、投擲用のナイフは家に置いてきている。走るときに少しでも軽くしておきたかったという理由だ。普段は全身至る所にナイフを隠しておくのだが、それをすると体重が一割増しくらいになるので、どうしても持ってくることはできなかったのだ。
つまり、俺の武器は今回ダガー二本。そのうちの一つは今ゴブリンに投げつけてしまった。
そして左腕の噛み傷。
重症というほどではないものの、多少左腕の動きが鈍っていることを考えると、何回も受けられる攻撃ではない。
やばいやばいやばい。
焦燥感が脳を支配し始める。
落ち着け、落ち着け。
深呼吸だ。
考えろ、どうすればいいか。
飛びかかる魔物。最速で反撃するために、体術中心で立ち回り続ける。しかし、今度はその魔物が一斉に飛びかかる!
「きゃああ!」
「くそお!」
だめだ、手が足りない! 捌き切れない!
「抜剣術『一閃』!」
聞きなれた金属音が響く。血しぶきと同時、ランドウルフたちは面白いくらいに吹き飛んでいく。
血の雨が降る向こう、息を切らしながらウィリアムが敵を睨み付ける。
「遅いぞウィリアム!」
「兄ちゃんが早すぎんだよ!」
そういうと彼は剣を構えたまま魔物の包囲網の中へと飛び込んでくる。
「てかもろ緊急時じゃんか! 薬飲んどいてよかった!」
「ウィリアム! 何体まで相手できる!?」
「同時なら多分五体くらい!」
「十分だ! 後ろを頼む!」
少し遅れていたウィリアムが加勢に入る。しかし、依然としてこちらが不利なことには変わりはない。
魔物を戦闘不能にしても、その倍くらいがどこからともなく現れて、新たに包囲網を築く。当初三十程度だった魔物は、今では五十を超えるほどに増えていた。
「くそ、多すぎだろ!? おいらこんな数見たことねえぞ!?」
「ランドウルフだけならいざ知らず……ゴブリンも一緒ってどういうことなんだ!」
「知らねえよ! おいらに聞かないでくれ!」
まれに群れを作って行動するランドウルフ。それだけならわかる。しかしゴブリンは、他の種族の魔物と群れることはほとんどない。ないはずなのだ。それが、なぜか今ランドウルフと共闘している。それが気になった。
それだけじゃない。だんだん、動きにキレが出てきている気がする。いや、違う。
目的をもって行動している。なんというか、統率がとれている。そんな動きになってきているように感じる。
現に、先ほどからこちらの体力を奪うかのように、戦力を小出しにしている。それも、一体が飛び出してきてはフェイントを入れてきたり、時間を稼ぐような動きなのだ。
おかしい。魔物は、こんな動きしないはずだ。
違和感の正体がつかめないまま、何度も撃退するもその数は一向に減らない。一体どこからこれだけの魔物が湧いて出てきているんだ!
「くそ、埒が明かねえ! せめて囲まれてさえいなければ……!」
「お……おい、やべえ、やべえって兄ちゃん!」
ウィリアムの切羽詰った声が聞こえる。しかし、こっちだって魔物の対処で精一杯なんだ。加勢してやることはできない。
「やばいのは今に始まったことじゃないだろ! 何とか耐えろ!」
「そうじゃなくて! 奥の! あそこにいる奴!」
ウィリアムが指差すその向こう。
大きな人影が正門だった瓦礫を跨ぎ、村に侵入してくる。
人にしてはデカすぎる。ハイランダーでもあんなに大きいのはいない。
夕日の中、その人影の姿が浮かび上がる。
筋肉質な四肢。黒光りする大きな角。野蛮人のように不潔に伸び切った毛髪。鼻の無い醜い顔に、獰猛な牙。
そして、俺の三倍はあろうかというほどの身長。
「……は?」
「『オーガ』だ! やばいって兄ちゃん!」
俺が好きな冒険小説によく出てくる、主人公たちの前に立ちはだかる強敵。
圧倒的な筋力と純粋な破壊力をもった、人の姿を借りた人ならざる者。
俗に、鬼と呼ばれる種族。
「は、はあ!?」
「ほ、呆けてる場合かよ兄ちゃん! アイツこっちに近づいてきてるぞ!?」
ウィリアムの言う通り、長身で重量が桁外れの魔物は、その双眸をこちらに向けながらゆっくりと歩いて接近してきている。
厳密に言うと、彼らは魔物ではない。人間の亜種、すなわち亜人に分類される種族だ。
しかしその性質は凶悪にして獰猛。闘争を好み、破壊を楽しむ。そしてなまじ強い分、魔物よりもたちが悪い。
図書館で昔、人種に関する書物を読んでいた時、こんな一文があった。
『出会ったら全力で逃げること』
あんな奴と戦えるわけがないだろ!
俺は焦る。しかし、現状はホッドが傷つき意識を失っている上、魔物の群れに囲まれてしまっている状態。
アニスたちを守りながら、包囲網を突破し、あのオーガに追いつかれないように逃げる。
できるかそんなもん。
一瞬あきらめてそう叫び出しそうになるのをこらえ、なんとか状況を打破するべく俺は必死に頭を働かせる。この状況での最善は何か。何を代償にすれば切り抜けられるか。
一瞬考え、俺は全員に指示を飛ばす。
「メリー、アニスから離れるな! アニスはホッドを抱えて逃げる準備! ウィリアムはこの包囲網をぶち破ってくれ!」
「おいらの負担デカくねえ!?」
「うるせえ! やるしかないだろ!? 殿は俺が務める! 急げ!」
大勢を相手にするなら、俺よりもウィリアムの方が得意だろう。片手剣と短剣じゃ、リーチが違う。それに剣はいろんな状況に対応できる武器だ。斬る、薙ぎ払う、突く、殴る。そういう意味で、ウィリアムに先頭を任せる。
「わかったよ! でも兄ちゃん、あれだ! 一瞬でいいから、おいらが剣を鞘に納める時間をくれ!」
「なにか秘策があるのか!?」
「とっておきのがな!」
ウィリアムが横目でこちらを見ながら、凶悪な顔で微笑む。
……ウルの癖が移ったのかな。とにかく、今はその笑顔を信用するしかない。
「わかった、頼むぞ!」
俺はダガーを握り直し、飛びかかるランドウルフに突き立てて息の根を止める。その隙を見て、次々と躍りかかるランドウルフを。
俺はあえて無視して、殺したランドウルフから牙をへし折る。
当然、背中や腕にひっかき傷や噛み傷をもらうが、それを強引に振り払い、膝蹴りを叩き込む。
体が浮いて隙だらけになったオオカミに、先ほどの牙を心臓に突き立てて仕留める。
「今だ!」
そう叫ぶと同時、ウィリアムはすばやく剣を収めようとする。
しかし、その時を待っていたかのように二匹のゴブリンが襲い掛かる。
「やらせるか!」
俺は手に持っていたダガーとランドウルフの牙を投擲し、二匹のゴブリンの急所を貫く。
「走れ兄ちゃん、こっちだ! ちょっと離れてろよな!」
ウィリアムは走り出し、アニスもまたホッドを抱えながらそれについていく。メリーも泣きそうな顔をしながら姉の後を追い、俺は迫りくる魔物を拳と蹴りで退けながら随行する。
前方には大量の魔物の壁。ウィリアムは大きく息を吸うと、剣の柄に手をかける。
「抜剣術『一閃』!」
叫び剣を抜き放つ。その軌道は、俺でさえ目で追うのがやっとだった。
斬撃と、衝撃が走る。前方に立ちはだかっていた魔物の軍勢の半分くらいは吹き飛ばしただろうか。しかし、まだ後ろにも横にも魔物がいる。回り込もうと動くもの、後ろから追い立ててくるもの。グズグズしていられない。
「からのおおおおお!」
ウィリアムは抜剣の勢いのまま、魔物の群れに飛び込みながら一回転し、再び剣を振るう。
「抜剣術『追旋』!」
ウィリアムはさらに回転して、流れるような動作で剣を円形状に振るう。高速回転から繰り出される剣圧は、前方を塞いでいた魔物を蹴散らし、包囲網に穴を開ける。
「走れ!」
ウィリアムが叫び、手薄になった群れから走って逃げる。
アニス、メリーもそれに続き、ついで俺が魔物の追撃を蹴りでしのぎながら飛び出す。
俺たちは走りながら、正門とは逆方向に逃げていく。
「すげえぞウィリアム! ていうか最初から使え!」
「抜剣じゃないと使えないんだよアレは!」
「すっげー不便だな! いつの間にそんな技を!」
「へへん、おいらも勉強したのさ! 本に書いてあったんだよ」
「そんな奥義書があったのか!」
「ああ! 『ヘンリーの冒険』って本に書いてあったぜ!」
「それフィクションじゃねえか!!!」
冒険小説に出てくる必殺技を練習してたってことなのか?
なんだか馬鹿馬鹿しくなって、思わず笑う。
まさか、架空の必殺技を覚えようとするとは。そして何より、その必殺技を使えるようにしてしまうとは。
とんでもないバカだけど、とんでもない努力家だ。帰ったらしっかり褒めてあげよう。
ひたすら走って魔物と距離を離し、村の出口に近づく。こちらは監視塔が立てられているだけで、門などは設置していないようだった。
「おい、アニスだっけお前? こっちの方から村を出る方法は!?」
走りながら、ウィリアムがアニスに問いかける。アニスは一瞬間を置くと、
「えっと、給水塔の方に逃げれば……少し遠回りですけど街道に出られるはずです!」
その返答にウィリアムが満足して頷くと、俺の方に目配せする。俺は顎を引いて頷くと、二人でその場所に立ち止まる。
「え!? 二人とも、何を……!?」
「お前らが逃げるまで、おいらたちが時間稼ぎしてやる!」
「だ、ダメです! あんな大きな魔物までいるんですよ!?」
「誰もオーガまで相手するなんて言ってねえだろ? おいらたちも、頃合いを見計らって逃げる! その分遠くまで逃げろってんだ!」
「でも!」
「うるせえ、さっさとしろ! カッコつかないじゃんかよ!」
あ、そこなんだ。なんてことを思ったが、この判断は間違ってはいないだろう。
街道にさえ出れば、ガルドたちと合流することもできる。そうすれば、今の状況を伝えることもできるし、あわよくば奇襲もかけられるだろう。何よりその方がこの子たちも安全だ。
「アニス。家族を守るんだ」
「あの、でも、私……まだお礼も、謝罪も……!」
「あとでいくらでも喋る時間はある。さあ早く!」
アニスは少し迷っていたようだったが、自分のスカートを掴むメリーの姿を見て、何かを決心したように、ホッドを抱えなおして走り出す。
「必ず! 必ず戻ってください! お願いします!」
「あったりまえだろ! ほら行け!」
ウィリアムの言葉に押され、アニスは兄妹を連れて村から飛び出していく。
「さて、兄ちゃん。あのオーガがこっちに来るまでどれくらいかかると思う?」
「……時間どうこうじゃないな。奴と戦うのは骨が折れる。下手すると怪我をする。今回の目的はアニスたちを無事に連れ戻すことだ。……オーガの姿を見た時点で俺たちも逃げるぞ」
「了解!」
魔物の群れが迫りくる。三体のランドウルフが飛びかかり、そのうちの一体がアニスたちを追おうと走る。
「行かせねえよバカが!」
ウィリアムはランドウルフの胴体に蹴りを入れてその動きを止める。俺は飛びかかってくるランドウルフの横面を拳で殴りつけ、続けて襲い掛かってきたもう一体に後ろ回し蹴りを叩き込んで吹き飛ばす。
「こっから先に行きたかったらおいらたちを倒してから行くんだな!」
「お前それ言いたいだけだろ……」
呆れながらも、俺は徒手空拳で構える。
尋常ではない量の魔物。
地響きのように、その足音が轟く。
「よっしゃ来い! 全員オオカミ鍋にしてやらあ! ゴブリンはしないけどな!」
ウィリアムの叫び声とともに、魔物の軍勢が襲い掛かる。
リーキッドファミリー防衛戦が始まろうとしていた。