リーキッドファミリー 六
リーキッドファミリー 六
あの三人が帝都から逃げ出してからほぼ十八時間。夜通しぶっ続けで走り、まったく人影も見えない中、いつしか雨は雪に変わり、わずかに辺りを白く染め始めていた。
日はとうにのぼり、銀色の道と相まって眩しすぎるくらいに俺たちの目を刺すようにあたりは輝く。
「はあ、はあ、兄ちゃん、ちょっと、休もう、おいらもう動けねえよ、ぜえ、ぜえ」
「はあ、そうだな、そこの小屋で、少し休もう、ふう、ふう」
息を切らしながら体力の限界を悟り、俺たちは山小屋の中へと疲弊しきった体を運ぶ。
「ま、マジで、走って、行くとは、おいら、思ってなかっ、たよ、ぜえ、ぜえ……」
「す、すまん。俺もどうかしてた、悪かったよ」
予定ではしばらく走った後、ガルドたちが追いついて合流する腹積もりだったのだが、どういうわけか彼らは大幅に遅れていた。誤算ではあったが、一晩で四分の三ほどの距離を走破できたのは奇跡と言ってもいいだろう。天候が悪い中、よくやったと思う。
「やっぱ、兄ちゃんは、あれだよな、ぜえ、ぜえ、自分以外の人の、ことになるとさ、目の色変わるよな、はあ、ふう」
「そうかな?」
「そうだよ、普通、走って追いかけようとか、思わねえって」
「アレは、もし徒歩で帝都を出発していたら途中で追いつけるかもしれないと思ってな……結果的に無駄足……とは言わないけど、ほとんど走ってきちゃったしな」
「ふう、ふう。……ようやく少し落ち着いたよ。でも、もしかしたらあいつら、そもそもトーティスになんて向かってないかもしれないぜ?」
「どうして、そう思うんだ?」
山小屋に入り、暖炉の前に置いてあった簡易ベンチのような長椅子に俺は腰掛ける。
ウィリアムは朽ちかけたテーブルの上に乗って、両手両足を大きく投げ出して横になる。
「こんだけ走ってても追いつけない、なんて、あると思うかい? たぶん、こっちには来てないんだよ」
「……まだわからないだろ。途中まで誰かに馬車か何かで乗せてもらっていたのかもしれないじゃないか」
「ほんっと、頭硬いよなあ、兄ちゃん」
そう言いながら、ポーチの中から飲料水を取り出してがぶ飲みし始めるウィリアム。俺も自分のポーチから水筒を取り出して、口をつける。
「だあ、つっかれた! どっちにしたって、こんだけ消耗しちまったらさ。仮にあの三人がピンチだったとしてもまともに動けないじゃんかよ」
「心配すんな、手は打ってある」
俺はそういうと、とある薬をポケットから取り出す。小さな瓶に入ったものが二つ、そのうち一つをウィリアムに投げて寄越す。
「わっと、っと! ……なんだい、これ?」
「出てくる前に、ウルにもらった薬だ。と言っても、マナを活性化させる霊薬らしいけど」
「こんな時にマナ活性化のクスリなんて、なんか意味あんの?」
「なんでも特殊な配合で作られてるんだと。本来なら魔術師用なんだろうけど、成分いじってるらしい。マナの力で無理やり体を活性化させて、疲労を取ったり通常以上に体が動くようになる……だとさ」
「無理やりって……それ体に悪いんじゃ……」
「副作用もあるって話だ。昔彼女の両親が開発したのはいいけど、安全面でイマイチってことで売れなかったそうだ。かなり在庫が余ってるみたいだぜ?」
「劇薬じゃんか……うわあ、使いたくねえ……」
「はは、ホントの緊急時にしか使わないさ」
「緊急時が来ないことを本気で祈るよ、おいらは」
しかめっ面をしながら片手で小瓶を弄ぶウィリアム。俺は少し休憩を、と思い、暖炉に近づく。
「……あれ?」
「ん? どうした兄ちゃん?」
暖炉に薪をくべようとしたとき、ほのかな熱を感じた。一度薪を置き、俺は燃え尽きた灰の上に手をかざす。
「……まだ温かい」
「……なんだって?」
ウィリアムも俺と同じように手をかざす。瞑目し、何かを考えているようだ。
「どうだ?」
「火が消えて数時間……いや、三時間前後ってとこかな。まだ火種が残ってる」
「……ここに来る間、誰ともすれ違ってないってことは……」
「……同じ方向に進んでる、ってことだな。ってーことは、目的地は一緒……」
間違いない。三時間前まで、あの子たちはこの山小屋にいたんだ。それさえわかれば、休んでいる暇なんてない。
俺は立ち上がると、小瓶を一気に飲み干す。
「うげえ、マジかよ……やだなあ、おいら」
「ぷはあ。そんなこと言ってる場合じゃないぞ。読み通り、やっぱりあの子たちはこっちに来てたんだ。急ごう、ウィリアム」
「急ぐ必要なんてあるのかよ……」
「……何かあってからじゃ遅いんだよ。お前が行かないなら、俺一人で行く。ここで待ってろ」
「だあー! わかってるよ! 飲むよ! 飲めばいいんだろ! 畜生!」
半ば自棄になりながら、ウィリアムは小瓶を飲み干す。それとほぼ同時に、俺の体に変化が起こる。
「おお?」
「ど、どうした兄ちゃん!? いきなり副作用か!?」
「……いや、すげえ! 力がみなぎってくる!」
体が熱くなり、先ほどまで足を中心に全体にあったはずの倦怠感や痛みが、嘘だったように引いていく。それどころか、まるでばっちり睡眠をとったあとのような爽快感すらある。
その異変はウィリアムにも起きたようで、彼も目を丸くしている。
「す、すげえなコレ……こんなの反則アイテムじゃねえか」
「何はともあれ、これでまた走れるな。ついてこれるか、ウィリアム?」
「おう、行けるぜ兄ちゃん。任せろ!」
その場で二、三度跳躍し、体の具合を確かめるウィリアム。俺たちは荷物をまとめると、再び出発の準備に取り掛かる。
外に出ると、未だに雪は降り続いていて、止む気配を見せない。
「足跡は……くそ、さすがに残ってねえか」
「あそこに誰かがいたってだけで十分だ。いくぞ、ウィリアム!」
俺たちは再び走り始める。何事もなければ……それでいい。薬の副作用に苦しむのはどうせ俺とウィリアムだ。それに仮に動けなくなったとしても、一日もかからずにガルドたちも来るだろう。
何事もなければ、俺とウィリアムが馬並の全力疾走をしたってだけの、ただの笑い話だ。それで済むなら、それが一番いい。でも。
なんだろう、この胸の違和感は。どうにも拭えない。
なにか、嫌なことが起こりそうな、そんなざわざわした感覚が胸を支配する。
頼むから、この嫌な予感だけは外れてくれと。本気でそう思った。




