アニス・リーキッド
アニス・リーキッド
一日の農作業が終わり、私は母さんの家事の手伝いをしていた。特に何も変わり映えのない日常だったけど、いつもと違うのはここからだった。
トントンと、ノックの音。その音に気付いた私は、来客を出迎えるべくドアを開ける。
「はーい?」
ガチャリと音を立てながらドアを開くと、そこには幼馴染のブラッドがいた。
背は少し低めで、金髪で、目の色がブルーという、この村では少し変わった特徴をもった彼だった。そのせいで小さいときは良くからかわれたりしていた彼だが、今では立派に父の跡とりとして狩猟組のメンバーのリーダーを務めているほどだ。
「や、やあ、アニス」
「あら、ブラッド。どうしたの、こんな時間に?」
「いや、その……ちょっと顔を見たくなって」
「? そうなの?」
「ああ、いや、違くて! いや、違わないんだけど、なんていうか……そう、きょ、今日はいい獲物が狩れたからさ。おすそわけだよ」
「あら、いいの?」
他愛ないやり取り、そして彼から新鮮な鹿肉を譲り受ける。
「いつもごめんね。こんなにいいものばかり。大変でしょう? 毎日毎日」
「いやいや、なんてことないよ! その……アニスのことを想えば」
「え?」
「ああ、いや、その……何でもない」
赤面しながら目を背けるブラッド。私もなんだか少し顔が熱い。
なんとなく、ブラッドが好意を寄せてくれているのではないかと思ってはいるのだが、中々彼からはっきりとしたアプローチがないため、私もどうにも反応に困ってしまう。そんなことがいつも続いていた。
「えっと、アニス。今夜、時間あるかな?」
「え? こ、今夜?」
「うん、その……伝えたいことが、その……あって……うん」
「……うん、いいよ」
「本当!?」
「うん!」
「よかった! じゃあ、その、星が見えるころに、村の給水塔で待ってるよ!」
「……うん!」
笑顔で応じる私と、赤面しながら手を振って遠ざかるブラッド。
ドアを閉めて、笑顔で調理台に戻ると、母がからかってくる。
「あらあら~? アニスったら、すっかり乙女ねえ」
「も、もう! そんなんじゃないよ!」
「またまた~。悪い気はしてないくせに~」
「そ、そりゃあ、悪い気はしないけどさ……」
「今日でアニスも大人の仲間入りかしら? でも、ブラッド君ならお母さん安心だわ」
「もう! 話が飛躍しすぎだってば!」
何度か手元が狂いそうになりながら、それでもなんとか夕飯の支度を済ませて、家族そろって食卓につく。
そして日が沈みだした頃、私は家を出ようとする。
「ん? アニス、どこに行くんだ?」
「え? えっと、……ちょっと」
「門限はとうに過ぎてるぞ?」
父の制止に遭い、どうしようかと考えていると、
「母チョップ!」
「メリーぱんち!」
「……ホッドキック」
「うべら!?」
家族からの総攻撃を受けて、父が怯む。
「なんだ、お前たち!? 家庭内暴力か!? 反抗期なのか!?」
「ここは私たちが食い止めるわ! アニス! ブラッド君によろしくね~!」
「痛い痛い! 母さん関節! そっちには曲がらな……! ひぎぃ!」
「これが『オトナのイトナミ』かあ……」
「かあさんつよーい!」
謎の一体感と共に父以外の家族が親指を立てて私に合図を送る。私は苦笑いしながらドアを開けて飛び出す。
私は村の給水塔に向かって駆けていく。
給水塔は村の外、少し高い丘の上にあって、ここから貯めた水を村の至る所に送っている。昔はよく、ブラッドと一緒に上って遊んだものだ。ブラッドったら、上るのが下手くそで、よく私が手伝ってあげてたっけ。そんなことを考えながら、少しだけ顔をほころばす。
村の外に出ようとしたとき。異変が起きた。
鳴り響く、鐘の音。
村の警鐘の音だった。
「な、なに!?」
「アニス! ここは危ない! 早く避難所に!」
警備についていたハリスおじさんに手を引かれ、私は避難所に連れて行かれそうになる。
「まって! まだ、給水塔にブラッドが!」
「魔物が来たんだ! 早く隠れなさい! ブラッドは私が探しておく!」
「でも!」
「アイツももう子供じゃない! 自分で避難所に戻るはずだ! 早く!」
力いっぱい引っ張られ、抵抗しても無駄だと理解した私はおとなしく避難所を目指す。
「おねーちゃん!」
「アニス!」
心配する両親と妹と合流し、私はほっと安堵の息を漏らす。
「……ブラッドは?」
「一緒じゃなかったの?」
尋ねる私に、母は驚く。そうか、やっぱりまだこっちには……。
「ねえ、アニス。ホッドを見なかった? あなたの後をついていったはずなの」
「……え?」
その言葉に、思考が止まる。ホッドがいない? そんなバカな。だって、ここに来る途中、弟の姿は見ていないはずなのに。そんなことを考えている時だった。
「だめだ、数が多すぎる!」
「う、うわあああーーー!」
「逃げろお!」
外から、そんな声が聞こえてくる。避難所は地下にあるので、声が聞こえにくいはずなのに聞こえた。
ということは、その惨事は出入り口のすぐそこで起きているということで。
ドアがドシンと音を立てる。その音にびくりと身を寄せる中の人々。
ノックなんて、生易しいものじゃない。まるで誰かが体当たりでもしているかのような。
そして、何度目かの衝撃の後。
木製の扉が吹き飛ばされる。
「きゃあああああああ」
「うわあああああああ」
響き渡る悲鳴。絶叫。阿鼻叫喚。
安全なはずの避難所は、たやすく地獄へと姿を変える。
突如オオカミの魔物が入り込み、村人の喉笛を噛み千切っていく。
その数は、ゆうに十を超えていた。
「いやあああ!」
私は悲鳴を上げながら妹をかばうように抱きかかえる。
「うおおおおお!」
雄叫びを上げながら避難所に乱入し、オオカミの体にしがみつく人影。見るとそれは、父の姿だった。
「父さん!」
「アニス! みんなを連れて逃げるんだ!」
「父さん、でもホッドが!」
「うおおおおお!」
再び、叫び声。しかし、父の体に群がる魔獣はその牙を四肢にめり込ませていく。
「あなたあああ!」
「早く行けえええ!!!」
私は震える足を叩き、妹を抱えるとそのまま走り出す。母は、私の後ろをついてくる気配がなかった。
走って、走って、走って。
背後からの父さんの悲鳴が止んでも、私は走り続けて。
母さんの手を引こうともしないで駆け抜けて。
自らと、その腕に抱えた妹の命を最優先にするように、私はただ足を動かし続けた。
そして村の北側の出口に到着したとき。
「止まれ!」
聞き覚えのない声と、見慣れない姿の男たちが、私たちの姿を認めると出口の前に立ち塞がる。
「どいてください! 魔物が村を!」
「いいから止まれ! ガキを殺すぞ!」
男はそういうと、小さな子供を目の前に掲げる。
それは、ぐったりとした、血まみれのホッドだった。
「ホッド!? あなたたち、何を……!」
「なんだ、知り合いか? なら動くな。おとなしく言うことを聞け」
「そんなこと言ってる場合じゃ……」
時間を取られて焦る私。その時、背後から足音が聞こえる。
動物的な、野性的な走る音が。
振り返る背後、魔獣が私に飛びかかろう走ってきていた。
死ぬ。そう思った。
「くそ、飼いならせてねえじゃねえか! 『カルマ』!」
男が叫びながら、懐から取り出した宝石を掲げる。
その瞬間、赤い光があたりを包みこみ、全ての魔物の動きが止まる。
「……え?」
「チッ、ちゃんと使いこなせないってこういう意味かよ。くそ、商売あがったりだ!」
男が叫び声をあげると、今度は私の腕を掴む。
「おとなしくついて来い、じゃないと……」
「……あなたたちが、これを……」
「いいからさっさと来い! 本当なら全員連れていくつもりだったのに、あのガキのせいで計画がおじゃんだ! おらさっさと来い!」
「許さない! あなたたち、何の権限があってこんなことを! 絶対ゆるさ……」
「うるせえ!」
後頭部に、衝撃が走る。目の前を火花が散る。
「っぁふ……」
妹を抱えたまま、私は地面に倒れ伏す。
すべての音が、遠くのものに聞こえる。妹が私を見て泣いている。男たちが、何かをしゃべっている。それももう遠くて、聞こえない。
でも、この時、一つだけはっきりと聞こえた。
私の名前を呼ぶ声。
それは、私を想う声。
それは、私が想う人の声。
「アニスー! アニス、どこだあー!」
「……ブ……ラッ……ド……」
私は目の前が暗くなる。もう、誰の声も聞こえなくなる。
私達兄妹は、奴隷商人にこうして捕らえられてしまったのだった。




