レリィ・ウォーカー 六
レリィ・ウォーカー 六
(旦那、俺が言ったこと全然理解してないみたいですね。そんなことをしても、レリィを傷つけるだけですよ)
殴られる直前にガルドから言われたセリフを脳内で反芻させながら、俺は目を開く。
いつの間にかベッドで横になっていたようだ。というか顎が痛い。思いっきり殴られたせいだろう。後で文句の一つでも……。
いや、今回に関しては全面的に俺が悪かったんだろう。ちょっと考えればわかることだ。俺が作戦を実行していたとしても、優しいレリィはきっと自分を責めてしまうだろう。
私のせいで、ソルさんを傷つけてしまった、とかなんとか言いそうだ。そんなことにも思い至らないくらいには、混乱していたということだろうか。
「あ、兄ちゃん。目ぇ覚めたのか」
ウィリアムから声がかかり、俺は体を起こす。窓からさす西日が目に刺さる。軽く頭を振って、俺は彼の方に顔を向ける。
「ウィリアム……悪いな」
「いやいや、無事でよかったよ……ガルドのおっちゃん、あんなに強かったんだな……」
「すげえだろ、アイツ。超強いんだ」
「殴られて窓際まで吹っ飛んでた人が、なんで殴った人のことを誇らしげに話してんだよ……」
呆れながらも、しかしウィリアムは安心したようにため息をついて、俺の傍に近づいてくる。
「すっげえ怪力だったな、おっちゃん。一瞬動けなかったぜ」
「……ウィリアム、ありがとうな」
「え?」
「いや、俺のこと、止めてくれてさ。もう少しで、レリィを傷つけちまうところだった」
「……はあ」
今度は露骨にあきれ顔でため息をつくウィリアム。
「どうしてそう、他人のことばっかり考えるかね、兄ちゃんは。やっぱりおかしいぜ」
「他人じゃないさ。家族だからな。もちろん、ウィリアムも」
「……そうかい」
家族のために何かをするのはいいことだと俺は思う。でもそれも、度が過ぎれば重い。自分のために誰かが傷つき続けるなんて、そんなもの気持ちのいいもんじゃないだろう。
ガルドの鉄拳制裁からそんな結論を導き出した俺は、反省しながらウィリアムに相談する。
「しかし、これでまたふりだしに戻っちまったな……結局、どうやったらレリィを立ち直らせてあげられるのか……」
「それなんだけどな、兄ちゃん」
ウィリアムは俺の言葉を遮って、意見を主張する。
「やっぱり、今のまま放っておいた方がいいよ」
「何言ってんだよ。時間じゃ解決するような問題じゃねえだろ? 早くレリィに治ってもらった方が、みんな楽しく過ごせるじゃないか」
「時間じゃ確かに解決しないよ。するわけがない。こういうのは、気持ちの問題だろ」
「……気持ちの問題?」
俺は首を傾げる。口を挟まないことで、ウィリアムに話の先を促す。
「さっきも言ったけどさ。レリィ自身に『治そう』って気持ちがないと、どうにもならない問題なんだよ、きっと」
「……ちょっと待て。じゃあ何か? お前はレリィが治そうとしてないからこうなったって言いたいのか?」
さすがに聞き逃せない。彼女は治したいと思っているに決まっている。そう思わない理由なんてないはずだ。
「んー、なんていうか……思ってるかもしれない。でも、それを行動に移してる気配がない。そういうことをおいらは言いたいんだ。気持ちと行動がちぐはぐな気がするんだよ」
「奴隷だったんだ。そのせいで不必要な傷を負って、その傷に苦しんで……かわいそうだろ? 彼女の傷を癒すために、なんとかするべきなんだよ」
「……なあ、兄ちゃん」
ウィリアムは少し距離を離すと、壁にもたれかかりながら言葉を続ける。
「それって、過保護だと思うんだ」
「過保護……?」
「……トラウマとか、心の傷とかってさ……そういうのは、他人に何とかしてもらうもんじゃないんじゃないかな」
「……このまま放っておくのが、最善だって言うのか?」
「そうは言わないよ。たださ。このままこの問題を兄ちゃんが解決してあげたとする。でもその先は? これからも新しい心の傷を負わないとも限らない。その度に兄ちゃんが何とかしてあげるのかよ?」
「家族が困ってるなら何とかする。それが俺の信念だ」
「それが過保護だって言ってんだよ、兄ちゃん。そんなことを繰り返していたら、もしこれから先兄ちゃんがいなくなった時、レリィは一人で乗り越えられない子になっちまうぜ?」
「……レリィはそんなに弱くない」
「今は、ね。でも、そんなことを続けてたらレリィは兄ちゃんに依存して、兄ちゃんなしでは生きていけなくなるぞ。誰かが助けてくれるのを待つだけの、かわいそうな女の子になっちまうぞ」
「……俺は、」
「いなくなったりしないって? そんなの言い切れるのかよ? 兄ちゃんの意志ではいなくならないかもしれないけど、誰かの悪意でそうなることもあるかもしれない。もしかしたら兄ちゃんが殺されたりとか捕まったりとかしたら、あの子はどうするんだ? 弱いままだと、その時ただの役立たずになるって言ってるんだ」
「……、言いたい放題言うじゃないか、ウィリアム」
「怒るのも分かるし、おいらだってこんなこと言いたかないよ。でも、兄ちゃんが今やろうとしていることは、優しさでもなんでもない。……ただの傲慢だ」
その物言いに、とうとう俺の頭は沸騰する。ウィリアムの胸ぐらを掴み、壁にたたきつける。
「お前は! 大切な人が苦しんでるのに、それを黙って見過ごせって言うのか!?」
「そうは言ってねえよ! ただ本人が手伝ってくれとも言ってないのにあれこれするのは、ただのおせっかいだって言ってるんだよ!」
「言わせておけば!」
「家族なんだろ!? だったら信じてやれよ! レリィが乗り越えるのを、信じて待ってやれよ! そうやって悪意のない優しさを振りまいてるのを、おいらは傲慢だって言ってるんだ! あの子はそんなに弱いのかよ!? そうじゃねえだろ!」
俺は。
何も言い返せなかった。
レリィは強い子だ。それを一番よく知ってるのは、俺のはずだったのに。
自分と同じような苦しみを背負ってほしくなくて、少しでも何とかしてあげたくて。
でもそれは、ウィリアムの言ったように、大きなお世話だ。誰に頼まれたわけでもなくて、レリィに助けてって言われたわけでもなくて。
「……、俺は、ただレリィが苦しむのを……見ていられなくて……」
「そんなのはおいらだって一緒だよ。誰だって、そんなの見たくないに決まってる」
ゆっくりと、ウィリアムから手を離す。
彼の言うことはもっともだ。でも、それでも。
「……でも、何かしてあげたいんだ……俺が、そうしたいんだよ……それも、傲慢なのか……?」
ウィリアムは黙って頭を振る。そして俺の肩に手を乗せる。
「ひどい言い方してごめん、兄ちゃん。でも、大丈夫だよ。兄ちゃんの、側に居てあげたいって気持ちだけでも、あの子にとっては救いになるはずなんだ。……きっと」
これじゃあ、どっちが兄さんだかわからないな。そんなことを俺は考えて、笑う。
「俺は、……待つよ。レリィが助けを求めてくれるまで。それまでは、側に居る」
「それでいいんじゃないかな。おいらにも、正解なんてわかんないけどさ。何よりも今、レリィが一番傍にいてほしいのは、兄ちゃんだと思うぜ」
「……あんなに拒絶された後だと、そういう風に考えるのは少し難しいけどな」
「それでも、間違いなく兄ちゃんにそばに居てほしいはずさ」
ウィリアムはにっこりと笑うと、俺の側から離れる。
「飯、まだ食ってないだろ? ガルドのおっちゃんも帰ってきたことだし、今日はおいらが飯作るよ」
「……できるのか?」
「馬鹿にすんなよな! これでも旅してた時は一人で料理してたっつーの!」
ぷりぷりと怒りながら、ウィリアムは部屋から出て行く。
まさかウィリアムに諭されるなんてな。ほんと、彼には驚かされてばかりだ。
「レリィ……」
不安は消えない。心配でたまらない。ほんとは何かしてやりたい。どうにか気持ちを落ち着かせてあげたい。
それができなくて、歯がゆくて。何もできない無力感に苛まれながら、それでも彼女のことを待つ。
ひとまず、彼女の部屋の前まで行こう。何かあったら、すぐに駆け付けてあげられるように。




