レリィ・ウォーカー 五
レリィ・ウォーカー 五
「私はね、ウル……ソルさんのことが好き」
「うん。知ってる」
「私を助けてくれたのも嬉しかったし、何より優しいところが好き。自分も怖いものがあるはずなのに、弱い人のために一生懸命になるあの人が、私は好き」
「うん」
「私が困ってたら助けてくれるし、ちょっとでも落ち込んだような様子があったら色々面白いことして笑わせようとしてくれるところとかが好き。家族を大切にするあの人が、大好き」
「……うん」
「なのに、なんでだろうね? あの人のこと、好きなのに。こんなに大好きなのに。ソルさんの話なら一日中してても飽きないのに。私は……あの人が怖い……」
私は膝を抱え、頭をそのまま膝にくっつける。
ソルさんのこと、好きなはずなのに。大好きなのに。
なのに。私はあの人が怖い。
ソルさんとあいつらは全然違う。わかってるのに。理解してるはずなのに。
怖い。
「……でも、ソルは、さ。あいつはきっと、レリィを大切にしてるから、怖がらなくても大丈夫だよ。あいつは大丈夫だよ」
ウルが言うように、ソルさんはあんなことを私にはしない。するはずがない。わかってる。そんなことは、わかってる。
「うん。わかってるの。わかってるのに……もうなんだかだめなの。体がおかしいの。男の人の傍にいるだけで、吐き気がしてくるの。怖いの。逃げ出したくなるの。……前は、大丈夫だったのに……」
「……時間が、解決するんじゃないかな?」
「……」
わからない。時間が経てばまたソルさんと一緒にいられるだろうか。でも、私は。
「レリィ、ウル。入るぞ」
そんな声が聞こえて、私は弾かれたように扉の方を見る。
しばし間を開けて、ガルドさんが部屋の中に入る。後ろ手でドアを閉め、私の方に無言で近づいてくる。
「ちょっと、ガルド。今レリィは……」
「わかってる。ウルは黙ってろ」
体が震える。どうしようもないほどに。
「レリィ。旦那を殴ったんだって?」
「ぁ……ぅ……」
「……どうなんだ?」
「……はい……」
「そうか。じゃあ謝ってこい」
ガルドさんがそういうと、ウルが立ち上がって抗議する。
「ちょっと! 今レリィは傷ついてるんだから! 少し症状が治まってからでも……」
「今謝れなかったら、ずっと謝れないままだぞ」
掴み掛ろうとするウルを、ガルドさんは振り払う。そのまま私の傍まで近づいてくると、私を見下ろす。
「今すぐに、旦那に謝ってこい。それができないなら……この家から出ていけ」
「ガルド! いい加減に……!」
「お前が謝りに行くのが遅かったから、旦那が早とちりするところだったんだぞ」
「……?」
何の話をしているの? ソルさんが早とちりって?
「バカなことに、レリィに怖がられないために女になるとか言っていたよ」
「はあ? 何よそれ。性転換の魔法なんて存在しないわよ。一時的に姿を変えることはできるかもしれないけど、それは本質は変わってないわけだし……」
「物理的に、に決まってるだろう。あの人が魔法なんぞ使ったところなんか見たことない」
「物理的って……あっ」
ウルは何かを察したようで、すこしだけ青ざめていた。
「レリィ。お前がどうしようと勝手だ。トラウマを引き摺るのも一向に構わん。俺も旦那も、お前の症状が軽くなるならいくらでも手伝う。もちろんウィリアムも。だけどな、一つだけ確認しておきたいんだよ」
ガルドさんはそう言うと膝を折り、姿勢を低くする。そして。
「お前、その症状を何とかしたいと本気で思ってるか?」
その言葉に、私はバカにされたような気がした。
思ってるに決まってる。こんなの、早く治したいに決まってる。
でも、体が言うことを聞かない。男を見ただけで、怖くて、気持ち悪くて、吐きそうになる。
どうして自分は女なんだろう。どうして女ばっかりがこんなにひどい目に遭うんだろう。こんな気持ちはきっと、男にはわからない。わかってたまるもんか。
「ガルドさんには……わかりませんよ……私の気持ちなんて……!」
「そうだな、わからん。お前は何もしゃべってくれないからな。だから俺たちはお前のことを見て、お前のことを考えて、どんな気持ちなのかを想像することしかできん。具体的にどんな目に遭ったのかは俺たちは誰も知らない」
そうだけど。
でも、怖いものは怖いんだもの。
「レリィ。わかってもらうためには、わかってもらえるだけの努力が必要なんだ。どんなことが好きで、どんなことが嫌いで。いままでされたこととか、これからしたいこととか、考え方や主義主張、色んなことをお前は考えてるかもしれんがな。でもそれも、お前が言わなきゃ誰にも伝わらん。それを言わずに誰かに理解してもらおうなんてのはムシのよすぎる話なんだ」
「……だって……」
ホントはあなたを怖がっています、なんて言ったら、あの人はどんな顔をするだろうか。
さっき見た、あの悲しそうな顔。
絶望したような、あんな顔。
そしてソルさんは、走って出て行ってしまった。
「ソルさんに嫌われちゃうもん……」
ジワリと温かいものが目尻に溜まる。
これ以上醜態をさらしたくない。あの人が好きなのに。そばにいたいのに。それなのに、心のどこかで怖がってるなんて。
また私はソルさんを傷つけるかもしれない。暴力で。言葉で。態度で。そんな風にしたくない。大切だから。なのに、怖い。
わけがわからないじゃない。そんなこと言われても。わかってもらえるわけないじゃない。
私自身、どうしたいのかわからないんだから。
「ガルドさん、私……どうしたらいいの? ソルさんと仲良くしたいのに……怖くて近づけないよ……」
耐え切れなくなって、涙がほほを伝う。なんでこんなことになったんだろう。
それもこれも、あの時の夢を見たせいだ。あんな夢さえ見なければ……。
「レリィ。それは俺には答えられん。お前がどうしたいのかは、お前が決めろ」
立ち上がり、部屋から出ていこうとするガルドさん。しかし、扉の前で立ち止まり、私たちに背中を向けたままこんなことを言う。
「……レリィ、お前の気持ちはきっと旦那ならわかってくれる。それこそ、お前の傷も、あの人は知ってるはずだ」
「? ……どういう、ことですか?」
「あの人は奴隷だった頃……無理やり男娼をやらされていた。意味が分からなかったら辞書でも引いて調べてみろ。そのあとで……どうするかは自分で決めろ」
そういうと、今度こそガルドさんは部屋から出ていく。
私とウルはその場に取り残された。
ウルは何かに気が付いたのか、少し青ざめていた。