レリィ・ウォーカー 一
レリィ・ウォーカー 一
商店街を二人で手を繋ぎながら歩く。周りの人たちにはどういう風に映っているのだろうか。やっぱり、仲のいい兄妹だと思われているのか。あ、でも髪の毛の色も瞳の色も違うし、もしかしたら恋人同士とか思われてたり……。
そんなことをソルさんと手を繋ぎながら考えていたけど、自分でそれはないなと思い直して少し落胆する。少なくとも、ソルさんはそんな風には思ってないみたいだし。
「お、見ろよレリィ。今日は果物が安いみたいだぞ?」
「え? あ、はい。そうですね」
「へえ、コレは初めて見るな。おじさん、このぼこぼこしたのは何?」
ソルさんは買い物をしながら、店の人とおしゃべりしている。緑色で表面に凹凸がある、大きな果物みたいだけど、私も見たことがない。
「こいつはシュガーアップルって言うんだよ。甘くてシャリシャリしててうめえぞ。まあ、もともと西大陸の物らしいからな。あんまり流通してないからちょっと高いけどよ、一度は食ってみた方がいいぜ」
「へえ、買ってみようか、レリィ」
「そうですね……でもこれ、結構高いですね……一ゴールドと二十シルバーですか……」
私がそういうと、おじさんはおそらくとびきりの営業スマイルらしきものを浮かべながら指を二本立てて見せる。
「今なら二つでその値段で売ってやるぜ?」
「え、本当ですか?」
それなら、およそ半額でこの珍しい果物を手に入れる計算になる。お得だ。
「……いや、こんだけデカいなら一個でいい。だから六十シルバーで売ってくれないか?」
「いやいや、一個なら一ゴールド二十シルバーだ。それは譲れねえぜ」
「そうか、じゃあ別のところに行こうかな」
「待てよ兄さん、あんた商売人泣かせだなおい。一ゴールドでどうだい?」
「七十シルバーだな」
「おいおい、無理だって。九十で手を打っておきなよ」
「まだ値下げできるだろ? じゃあ八十でどう?」
「無理無理。九十が限界だよ。俺の利益が出ねえじゃねえか」
「八十五なら買うけど?」
「んー、九十だ」
「じゃあいいや」
「わかったよ、八十五でいいよ。まったく、ひでえ男だぜ、兄さん」
「へへ、ありがとうおじさん」
シュガーアップルを一つ抱えて、私とソルさんは外をぶらぶらと歩く。
「ソルさん、どうして二つ買わなかったんですか? そっちの方がお得だったのに」
「ん? ああ、それか。いやさ、二つの方が確かにお得だったかもしれないけど、そんなにいらないと思ってな。それに、たぶんこれそんなに日持ちするような食べ物じゃないと思うし」
「え、どうしてそんなことがわかるんですか?」
ソルさんは得意げな顔をすると、自分の鼻を指でさす。
「匂いだよ」
「におい?」
「店主も気付いてないみたいだったけど、一個だけ熟してるのとは明らかに違う匂いがしたんだ。収穫時期が違うのかなとも思ったけど、同じ値段で二つ売ろうとしたのを見て確信したんだよ。コレ、保存が利かない果物なんだ、って」
「そ、そんなことまで」
「だいたい、半額にしちまうくせに、一つ買いを渋るなんて、おかしいと思わないか? あの店主、さっさと商品を全部さばきたかったんだよ。腐っちゃうからな」
そんなことを言いながら、私たちは次の店へと向かう。肉、野菜、それから新鮮な水。いろいろと見て回って、たくさんの食材を抱えて、私たちは家路に着く。
「あ、あの、ソルさん。ちょっと、寄りたいところが……」
「ん? どうしたレリィ?」
「えっと、ちょっとあそこに寄ってきていいですか?」
私が指さした方をソルさんが見る。
そこは宿屋で、いわゆる冒険者たちが集うような、少しばかりくたびれた印象を与えるような古さを醸している、そんな建物だ。
「……別にいいけど、なんか気になるものでもあったのか?」
「えっと、ちょっと……」
「まあいいさ。よし、行こうか」
「あ、その、ソルさんはここで待っててくれませんか?」
「え?」
一瞬、彼の表情が曇る。それも仕方のない話なのだろうけど。
ソル・ブライト。彼は、元奴隷。かつて奴隷時代に受けた心の傷を今も癒すことができないでいる。そして彼は、そのトラウマのせいで、一人で大勢の人がいる場所には行けない。
「あの、すぐに戻るんで……」
「……あ。……うん、いいよ。行っておいで」
そういって笑うと、彼は私の手を少しだけ名残惜しそうに放す。私は軽く会釈をして、すぐに宿屋に飛び込んでいく。
「……危なかった……」
トイレに駆け込んだ私は、おなかを撫でながら一息つく。
……さすがに、トイレにまでソルさんを付き合わせるわけにはいかない。音とか匂いとか、そんなものまでさらけ出されたら、いくらソルさんでも引くだろう。それよりも、一乙女としてそれだけは譲れなかった。なんというか、そこまでさらけ出してたら、色々と終ってしまう。
用も足し終わったところで、私は宿屋から出ようとする。
「お嬢さん、落し物だよ?」
「……え?」
金属製の、少し古びた様子の鎧に身を包んだ青年が、私の肩に手を置く。
「ほら、ハンカチ。今出た時に落としただろ?」
そのハンカチは、セシールさんが私にのためにと言って作ってくれたもので、確かに私が落としたものだ。
私はお礼を言ってそれを受け取ろうとする。
「あ、あ……ぁ……」
「……?」
……声が出なかった。
目の前には、知らない男の人。
体格は良くて、私くらいのやせた子供の力とは比べ物にならないだろう。
あの時の記憶が呼び起される。
「あ……か……ひゅ……」
かすれた呼吸音だけが聞こえる。青年も、様子がおかしいと思って私に顔を近づける。
「大丈夫かい? 顔色が悪い。少し休んだ方がいいんじゃないか?」
両肩を、両手で軽くつかまれる。
心配してのことだ。
わかってる。わかってるのに。
体が震える。
怖い。
また、身動きが取れないまま、このまま、私は……。
「ひっ……ぎ、うぇ……」
「ど、どこか痛いのかい? 待っててくれ、今教会に……」
「その必要はない」
滲んだ視界の中、私と青年の間に黒い外套をまとった人が割って入る。突如現れた不審な人物に、その青年は不信感に満ちたまなざしを送る。
「なんだ、あんた?」
「この子の家族だよ」
「……見たところ、兄妹のようには見えないけれど?」
「血のつながりや外見だけが家族の形じゃないだろ? ……この子は人見知りなんだ。行こう、レリィ」
そういって、ソルさんは私に手を差し伸べてくれる。私は、必死になってその手にしがみつく。
青年も、私の様子を見て納得したのか、そのまま半歩下がる。
「……すまない、どうやら怖がらせてしまったのは僕だったみたいだ。謝るよ」
「気にしなくていい。心配してくれてありがとう。……行こっか」
ソルさんにしがみつくように、私はその宿屋を後にする。
街に出て、西側居住区と中央広場の間にある公園。木製の屋外ベンチに私たちは二人で並んで座る。
ようやく涙が止まった。それから少し落ち着いて、初めてソルさんの手が震えていたことに気が付いた。
「ごめんな、レリィ。やっぱり、無理やりにでもついていくべきだったかな」
「……ごめんなさい」
ソルさんは、怖いのを我慢して、私を探しに来てくれたんだ。
私のわがままに付き合わせてしまったのに。一人にしてしまったのに。怖かったはずなのに。私を心配して、迎えに来てくれたんだ。
それが申し訳なくて、私はまた泣きそうになる。
「迷惑、かけてるよな、俺。一人で出歩ければ、レリィをこんな目に合わせることもなかったのに。……ごめん」
自分のせいで、ソルさんに責任を感じさせてしまった。
恥ずかしいとか、そんな理由で彼を一人ぼっちにさせたくせに、ソルさんが来てくれなかったら、私はパニックで頭がおかしくなりそうだった。
「ごめんなさい……」
「……はは、お互いに謝ってばっかりだな」
「……ごめんなさい……」
それしか言葉が出てこなかった。申し訳なさ過ぎて、まともに彼の顔を見ることができない。
「まあ、なんだ。お互いに申し訳ないって思ってることだし、さ。ここはひとつ、お互い水に流そう。な?」
「……はい」
本当にそれでいいのだろうか。
だって、私は約束を破ったのだ。
自分で彼のそばを絶対に離れないなどと言っておきながら、自分からその約束を反故にしたのだ。
今日のことだけじゃない。ウルとの出来事の時だって、私は幽霊に怯えてソルさんを見捨てたのだ。その結果、ああいう事態になったにも関わらず、それでもなお同じようなことをして、挙句彼に迷惑をかけてしまった。
それはとんでもない裏切りで。
自分は口先だけだったのかと嫌になった。
「よし、そんじゃあこの話はおしまい! いつも通りに戻ろう。ってわけで、もう少し休んだら家に帰ろう。な!」
「そう、ですね。はい、わかりました」
私は精いっぱいの笑顔をソルさんに向ける。もう大丈夫ですよ、心配いらないですよ。そんな気持ちを込めての笑顔だった。
ソルさんも、笑顔を返してくれる。
そのまま公園で、私たちは少しだけおしゃべりをしたあと、来た時と同じように家に戻った。
手を繋いでいたはずなのに、手の震えは止まっていなかった。




