日常へ 四
日常へ 四
「だからさあ、魔法の方が簡単だって言ってるじゃない」
「そりゃそうだよ。だけど、もし魔法が使えない状況に陥ったら、別の手段が必要になるだろ? そのためにやってんだから、文句言うなよ」
「私、杖より重いもの持てないもの」
「火打石なんてそんなに重くねえだろ?」
「原始人じゃないんだから、そんなのどうでもいいじゃない!」
早朝、まだ日が昇ってさほど時間がたっていない頃。暁で茜色に染まる空の下、ウルに火のつけ方を教えているのだが、一向に覚える気配がない。というか、本人に覚える気がないとでもいったほうがまだわかる。それくらい、火のつけ方を覚えられず、はや今日で三日目の授業だった。
「だいたい、魔法が使えない状況ってどんな状況よ?」
「そりゃお前、魔法の中にはマナの動きを抑制するものもあるらしいじゃないか。そういう状況に陥ったときにだな」
「そんなの薬飲めば治るし、そもそも事前に対策してればそんなことにはならないんじゃないかしら?」
「……まあ、そうだけど。でも万が一ってことも」
「もう! こんなのやる必要なんてないったら! こんなことよりも、もっと別のことを教えなさいよ! 料理とか! 料理とか!」
「最初の方教えてたけど、お前壊滅的に下手くそだろうが! ていうか作ってる途中の物をホイホイつまみ食いしすぎなんだよ! ちょっとは我慢しろ!」
「ふざけないで! 出来立てが一番おいしいにきまってるでしょ!」
「その通りだけど問題はそうじゃねえ!」
そんなこんなで今日の授業は早くも崩壊。完全に興味を失ったウルに、何を言っても無駄だと理解し、ため息をつく。
「まったく、最初に教えてくれって言ったのはお前の方だっていうのに……」
「それは悪かったわよ。だって存外つまらなかったんだもの」
「覚えておいた方がいいと思うんだけどなあ」
ひとまず帝都の外で集めてきた薪に使えそうな枯れ木を庭のわきに追いやる。せっかくこのためだけに集めたのに。なんかもったいないし、そのうち何かに使おうとひそかに考えていた時、一階の窓が開き、レリィが顔をのぞかせる。
「ふぁ……おはようございます、ソルさん、ウル」
「ん? ああ、おはようレリィ。悪いな、起こしたか?」
「いえ、お手洗いに起きただけですから。気にしないでください。……あの、何をしてるんですか?」
「野外実習だよ。魔法に依らない火の起こし方を教えてたんだけど……まあ、ウルが覚えなくていいっていうし、それももっともだからもうやらないけどな」
「ええ! どうして誘ってくれないんですか!」
「ああ、いや、レリィ最近魔法の勉強で忙しいみたいだったし、邪魔しちゃ悪いかと……」
そんなことを言うと、レリィはほほを膨らませて拗ねて見せる。
「悪かったわよ、レリィ。あんたのソルさんとっちゃって」
「取られてないです! 私のでもないです!」
「はいはい」
ウルはそういって笑うと、大きな欠伸を一つする。
「ていうかさ、ソル。そろそろ私にも働かせてよ。私だけいっつもお留守番とか。なんかのけ者にされてるみたいで嫌」
「んー……」
どうも気のない返事になってしまう。
実際、ウルに何かをさせてもいいのかと思っている。というのも、彼女は魔女の血を引くもの。その魔女とやらが何をして、どんな禁忌を犯したのかは知らないが、たとえ知らなくても魔女の血を引く、という事実は、彼女にとって簡単な問題じゃないはずだ。
素性を隠していればばれないだろうが、万が一。魔法に精通した者が彼女を見れば、一目で魔女とわかるほどの膨大な力があるらしい。今のところ、そんな様子はひとつもないけれど。ただまあ、ジャンが言ったことだし、間違いないだろう。
また『魔女狩り』に遭って、彼女が悲しい思いをする、なんてことは起きてほしくない。ウルには申し訳ないけれど、しばらく別の案が出るまでは人前に出ないようにしてもらっている。
「……冗談よ。わがままだっていうのはわかってるし、言ってみただけ」
「……悪いな」
「なんで謝るのよ。あんたは私が退屈しないようにいろいろしてくれてるんだし、文句なんてないわ。むしろ感謝してるくらいだし」
「……ウル……」
「まあ文句があるとしたらもう少しご飯の量と質の向上、あと私が寝てる時には物音ひとつ立てて欲しくないっていうのと、もっと私とレリィに構ってほしいってところかしら」
「意外と注文多いな!」
「それから……」
「まだあるの!?」
「それから……なんでアイツを仲間にしたの?」
一瞬、ウルが冷たい視線を俺に向ける。一瞬立ち尽くしてしまうが、すぐに彼女に説明する。
「……仲間が多い方がいいだろ?」
「そうね。本当に仲間ならね。でも、あいつにその気はあるのかしら?」
「……」
「一度決闘して、仲直りしたのか何なのか知らないけど。あんな乱暴な奴、ホントに私たちに必要だったの?」
俺は黙ってしまう。
確かに、俺はウィリアムに助けてくれと言ったが、実際問題そこまで困っているわけではない。いうなれば、ウィリアムに力を貸したいがための口実に過ぎない。
「ほ、ほら、ウィリアムもつらい思いしてるじゃない? ソルさんは、そういう人をほっとけないんだよ」
「ふーん。やっぱりお人よしね。それでいつか足元すくわれなければいいけど」
「……ずいぶん、ウィリアムに否定的だな?」
「……別に。何もわかってないからイラつくのよ、アイツ」
そういって、ウルは大きく伸びをするとさっさと家に戻っていく。
「……何が気に入らねえんだろうな……」
「私は、なんとなくわかった気がします」
レリィは少し笑いながら、ウルの方を眺めている。
「たぶん、家族をけちょんけちょんに言われたことに腹が立ったんじゃないですか?」
「んー……。あいつそんなキャラかな?」
「もう、ソルさんは周りの想いに鈍すぎですよ」
「そうかな? ま、でもそのうち仲良くなるだろ。あの二人は、なんだかんだ言って似た者同士だ。同じ傷を背負ってる。そういう奴らの方が、深い根っこで分かり合えるもんさ」
後ろ暗い共通の過去は、時に強力な絆になる。心の闇の部分で繋がれる。それが人と向き合っていく上で正しい形かどうかは知らない。でも、誰かと仲良くなれるなら、俺はそれでもいいような気がする。
悲しい過去も、乗り越えられないトラウマも、いつまでも抱え込んでても仕方がない。受け入れられないなら、いっそ利用しちまえばいい。そのくらいの軽い気持ちで、向かい合っていってほしいと思う。
……もっとも、俺自身も乗り越えられたわけじゃないし、今でも引き摺ってるわけだけど。
「さてと、朝飯でも作るか。レリィ、何食べたい?」
「え? えーと……パンと野菜スープがいいです」
「よし、了解だ。すぐ行くから、食糧庫から食材出しておいてもらっていいか?」
「わかりました。いつもの用意しておきますね」
笑顔でそういうと、レリィは窓を閉めて自分の部屋に戻る。その様子を見届けてから、俺は背後に話しかける。
「……で、なんでお前はこそこそしてるんだ、ウィリアム?」
「……やっぱりばれてたか」
岩の陰から、茶髪をぼさぼさに伸ばした少年が現れる。朝っぱらから、なぜか皮鎧に身を包んでいて、帯剣までしている。まるでこれから戦いにでも行くかのような格好だ。
「……いつから気づいてた?」
「俺とウルが言い合いしてた時に、お前がそこに隠れたところからだな」
「つまり最初からかよ……」
ウィリアムは肩を落として落胆する。
「しかし、なんでまたこんなことを? 物騒な格好までして」
「あんたを試したんだよ」
ウィルはそういうと、俺の眼を睨み付ける。
「あんたの戦い方、どうも引っかかってたんだ。あの素早い身のこなし。それに、戦い慣れてる。慣れすぎてる。かといって、慢心があるわけでもない。決闘の時もおちょくってた割には全然隙を見せないし、どうしてそんな強いのか、ずっと気になってた」
「……」
「そしてこの家に来てから確信したよ。無意識なんだろうけど、アンタ足音がほとんどしない。そして、わずかな気配も見逃さない……おいらの出した答えは、一つ」
ウィリアムは俺に人差し指を向けるとこういった。
「あんた、暗殺者だっただろ? それも、相当腕の立つ」
「……腕が立つかどうかは知らないけど、まあそうだ。俺は暗殺者……みたいなもんだった。昔な」
「やっぱり!」
ウィリアムは俺に駆け寄り、俺の手をつかむと身を乗り出してくる。
「頼む! おいらにその技を教えてくれ! その技があれば、おいらは!」
「だめだ」
俺は即答して、ウィリアムの手を振り払う。
その目が、とても似ていた。
深い闇を湛えていながら、強い好奇心と希望に満ちた、いっそ狂気すら感じる瞳。目的も理由も違うけれど、それでも似ていたと思った。
ケルヴィンに。
「お前に教えるつもりはない」
「な、なんでだよ!?」
「ちょっと考えればわかるだろ。家族にそんなもんを教える保護者は、碌なもんじゃない。もしお前の親父さんが暗殺者だったとして、それを息子のお前に教えると思うか?」
「あ……」
まともな親なら、そんな呪われた技術を自分の子供に伝えようとはしないだろう。人殺しの技術なんて、悲しみを生み出すだけだ。昔も今も、これからも。
「それに俺のこの技だって、見よう見まねで覚えたものだ。要は未完成なんだよ。本物には及ばない。中途半端な技術を身に着けても、それを活かしきれないでやられるのが落ちだ。人を殺すっていうのは、まともな精神じゃできない。できちゃいけない。だから、教えない」
「……じゃあ、おいらはどうすればいい? どうすれば強くなれるんだよ?」
「そうだな。とりあえず、せっかく抜剣術なんて奇抜な剣技が使えるんだから、それを極めて見ればいいんじゃないか? お世辞抜きに、すげえと思うぞ」
「でも、あんたに簡単に止められたじゃないかよ」
「それはまだ練度が低いからだよ。あれがもっと速い斬撃だったり、相手の隙を突くような使い方したりしてたら、俺も負けてたかもしれない」
「そ、そんなことまで考えてたのかよ」
驚いているウィリアム。
しかし、必要なことだ。相手の動きを見て、予測して、最悪に備える。どんな場面でその技を繰り出されたらヤバいのか、どう牽制すればその技を封じられるのか、そういったことを考えながら戦わないと、生きていけない。
それは弱い俺が、弱いなりに考えて出した結論に過ぎないけど。
「まあ、技の練習ならいつでも手伝うし、必要な時は言ってくれよ。暗殺術は教えられないけど、素人なりにアドバイスはできるはずだ」
「……じゃあ今、訓練に付き合ってくれ」
「え、今?」
唐突だけど、手伝うといった手前引くに引けない。うーん、朝食の準備もしなくちゃいけないんだけどな。
「……よし、わかった。いつでもいいぞ」
「ソルは、武器は使わないのか?」
「俺はいつも武器を持ち歩いてる人間なんでな。いつでも大丈夫だ」
「……あんたの方がよっぽど物騒だよ」
そう言ってあきれながらも、ウィリアムは笑う。俺もつられて笑う。そして、お互いに武器を抜く。
「ルールは一本勝負! 刃物当てるのは無し、自分がやられたと思ったらその時点で試合終了だ」
「……いいけど、ウィリアム。『まだやられてねえ!』って言うのは無しだからな」
「ぐっ、わ、わかってるよ! んじゃ、始め!」
お互いに武器を構え、相手の出方を窺う。
こうして改めて見ると、やっぱり筋は悪くないように思う。構えながらも、重心は軽く落として、いつでもどういう風にでも動けるような状態。剣を自分の前に構えている分、攻撃範囲の短いこっちとしては懐に飛び込みにくい。
そこまで読んでるのかは知らない。というか、恐らく無意識にやってるのだろう。
俺がわずかに歩いたり、急にステップを刻むと、ウィリアムはそのすべてに反応できるように動いている。なるほど、反射神経も悪くなさそうだ。
今度は折り畳みナイフを折りたたんだ状態のまま投擲してみる。それはまっすぐウィリアムの眼前に迫っていくが、瞬きひとつしないでウィリアムはそれを弾き落とす。
目もいい。とっさに剣で弾くという、普通ならなかなかできないような芸当も成し遂げて見せた。が。
投擲後にすぐに接近してきた俺には気付けなかったようだった。
「んな!?」
眼前に迫られ、慌てるウィリアム。しかし、もう遅い。俺はダガーの柄をウィリアムの胸に突きつける。
「おし、俺の勝ちな」
「……やっぱ、速いな、あんた……」
ウィリアムは悔しそうに剣を収める。その様子を見届けて俺もダガーをしまう。
「でも、この前よりも攻撃を見れるようになったな。やっぱり思った通り、筋は悪くないと思うな」
「負けたら一緒だよ、そんなの。負ければ死ぬんだから。それに、抜剣術使う暇すらなかった。鞘に納める余裕がなかったし」
「……」
俺は彼を誤解していた。改めて、この少年はすごいと思う。
最初は死を恐れていないだけかと思っていた。死ぬ恐怖を知らないんだと。青臭いただの子供だと思ってた。
でも、ウィリアムは。死ぬことを恐れていないんじゃなくて。死ぬことを視野に入れて戦ってる。たとえ自分が死んでも、譲れないものがあるんだと思う。
親父さんに言われたことか、それとも復讐心からくるものか。それは俺には分からないけど、でも。
「改めて、ごめんなウィリアム。お前のこと、誤解してた」
「? なんだよ、急に。気持ちわりいな」
「いや、子ども扱いしてたことをさ。俺なりに申し訳なかったな、と思って」
「……いいよ、別に。実際成人いてないわけだし。確かに、最近ちょっと大人気なかったし」
そういいながら、少しはにかむウィリアム。根は、悪い子じゃないんだなと思う。
……この子には、死んで欲しくないな。そう思った。
「よし、朝食作るか。ウィリアム、負けたんだから手伝えよな」
「げ、なんだそれ! 聞いてねえぞ!」
「何言ってんだ? 負けたんだから当然だろ?」
ウィリアムに笑いかけると、悔しそうに歯ぎしりしてこっちを睨み付けている。
「くっそ、いつか絶対負かしてぎゃふんといわせてやるからな!」
「はいはい、そのうちな」
「あ、てめえ! 全然相手にしてねえだろ今の反応は!」
怒ってるウィリアムに笑いながら背を向けて、建物の中に入る。怒鳴りながらその後ろをついてくるウィリアム。
でもいつか、本当に俺を負かす日が来そうだな。そんなことを、俺はぼんやり考えていた。




