少年剣士 四
少年剣士 四
日を瞼越しに感じて、顔をしかめる。
目を開くと、そこには見たこともない絵画や高そうな家具が飾られていて、一目で普通の家や宿屋なんかではないとわかる。
「ここは……」
「あ……」
独り言のつもりだったが、どうやら誰かが同じ部屋にいたらしく、驚きの声が漏れる。声の方を見ると、片目を長い黒髪で隠した少女が目に映る。
「お前は……たしかアイツと一緒にいた……」
「……」
「なあ、ここはどこなんだ?」
おいらの呼びかけに、その子は答えない。どことなく、何かにおびえたようにビクビクしているように見えて、どうもその姿が癪に障る。
「おいらは、たしかあのソルとかいう奴と戦っていたはずだ。……もう一回聞くぞ。ここはどこだ?」
「……」
少女は何も話そうとしない。しびれを切らして、おいらは体を起こし、少女に詰め寄る
体のあちこちから痛みを訴える悲鳴が聞こえるが、よく見たら包帯が巻いてある。誰かが、おいらを手当てしたんだろう。おおよそ見当はついているが。
「あのな、質問にぐらい答えろよ」
「……あ、あの……」
少女は今にも泣きだしそうな顔でおいらを見上げる。なんだっていうんだ。これじゃあおいらが悪者じゃないか。
「……もういい。勝手に調べる」
会話にならない会話を早々に切り上げて、おいらは少女を押しのけてドアから外に出ようとする。
ドアノブに手をかけた時に、少女からおびえながら声を発する。
「ま、まだ動いたらだめって……ソルさんが……」
「うるせえ!」
おいらは怒鳴りつけて、そのまま部屋を出る。
いくつものドアが並ぶ中、おいらは一人静かな長い廊下を歩く。
歩くたびにあの男に蹴られた右足が痛む。それに、どことなく頭痛もする。おそらく、蹴られたときに頭が揺れたからだろう。その痛みを無視しながら、おいらはあの男の姿を探す。
「くそ、あの卑怯者め。これで勝ったと思ってんじゃねえぞ……!」
おいらは、昨夜の記憶を甦らせる。
決闘を挑まれて、負けたら命をもらうとか言われて、でも負けるわけないと思ってたのに。
こんなもやしみたいな、細い男に負けるわけないと思ってたのに。
現実は、おいらに敗北の二文字をたたきつけた。
何度剣を振るっても攻撃は当たらず、なのにあいつの攻撃は手を抜いたようなものばかり。おまけに途中から持ってるナイフを地面に置いて、武器なしでも十分だと挑発されて、完全に手玉に取られていた。
それが、悔しい。
おいらは、もう負けないと誓ったはずなのに。
負けたら失ってしまうから。大切なものも、自分の命も。だからいつでも、自分の命を捨てる覚悟をしながら、精いっぱい強敵に挑んできた。そして、今までは勝ち続けてきたのに。強い男になって、父ちゃんの息子として恥ずかしくないように、一人でも生き抜ける強い男にならなきゃいけなかったのに。
なのに、あんな男に負けてしまった。
仲間の前で、バカにされてるのにへらへらしているような奴に、おいらは負けた。
屈辱だ。何としても、あいつに一泡吹かせてやりたい。
ホールに出て、他のものに比べて大きな扉を見つけ、おいらはそれを開ける。
外の光が全身に降り注ぎ、目を細める。
「……どこにいる、あの野郎」
おいらは敷地の中を探す。すると、案外すぐに奴の姿を見ることができた。
中庭で、何やらあの時に一緒にいた髭面の大男と、白いワンピースを着た紫色の髪の少女らとともに、何やらたき火をしていた。
「ソル、まだなのかしらこれ。どう思う?」
「お前は焼き芋を食うことしか頭にないのかよ。いいかウル、コレはお前の勉強でもあるんだ。もし町の外で火を使わなくちゃいけなくなったら、いちいち魔法なんて使ってたら疲れちまうだろ? 火起こしを覚えてもらうために、俺たちはこんなことをしてるんだぞ。わかってるのか?」
「わかってるわかってる。で、もう食べれると思う?」
「お前なあ……」
「旦那、ウルに何を言っても無駄ですよ。こいつはセシール並に自由奔放ですから」
「ガルドのおっちゃんは一言多いのよ」
「よしウル、後で叩きのめしてやるから覚悟しておけ」
「落ち着けガルド。年齢より老けて見えるのは決して悪いことじゃないさ」
「……旦那、フォローのつもりなんですか? 煽られてるようにしか思えない発言なんですが」
……なんだアレ。
なんであいつら、焼き芋なんてしてるんだ。
……のんきな奴ら。危機感のない奴ら。そういう奴から、この世界では奪われて死んでいくんだ。おいらは鼻で笑おうと思ったけど、自分はそんな奴に負けたのだ。
しばし立ち尽くしていると、金髪の男、ソルがこちらに気が付いたようで、バカみたいにこっちに手を振ってくる。
「おお、目ぇ覚めたのかウィリアム! こっちにこいよ、一緒に焼き芋を食べよう」
「なによ、もう食べられるんじゃないのよ。じゃ、私一番おっきいこれ食べるわ」
「やけどするなよウル」
「うるさいおっちゃん。子供だと思ってバカにしないでちょうだい。……あら? 皮が剥けてないじゃないコレ」
「お前、自分で剥いたことないのか?」
「ないわ。料理なんてしたことないもの」
焼き芋を料理と称する少女は取り出した芋を火ばさみでつかんだまま、茫然としている。
ソルはニコニコしながらこっちに焼き芋を持ってくる。
何考えてやがる、この男。
「ほら、腹減っただろ? 食えよ、ウィリアム。俺からのおごりだ」
「……えよ」
「ん?」
「いらねえよ、こんなもん!」
おいらは差し出された芋を手で払いのける。香ばしい香りを残したまま、焼き芋は庭を転がっていく。大男と紫の少女はこっちの様子を窺っている。
「おいらの邪魔しやがって! お前さえいなかったら、今頃おいらは!」
「今頃お前は竜教団に捕まって殺されていただろうな」
「なん……!」
ソルは落ちた芋を拾うと、息を吹きかけて埃を落とす。
「お前がぶっ倒れてから、竜教団について調べたんだ。正直に言おう。今のお前じゃどうにもならない」
「なんだと!? おい、奴らの情報を教えろ!」
「アイツらは組織だ。構成員も数百人を超えるような、大きな組織だ。表向きは太陽龍とやらを信仰している、どこにでもいるような連中だ。構成員は特殊な戦闘訓練を受けた者や、魔術師、騎士なんかもいるって噂だ。お前じゃ、絶対に勝てない」
「!!! ざっけんな! そんなのやってみないと……!」
「俺にすら勝てないような奴が吠えてんじゃねえ!」
ソルの怒声に一瞬ひるむ。
「……お前はまだ弱い。それが現実だ。まずはあいつらのことよりも、自分を鍛えることを考えた方がいい。じゃないと……死ぬぞ」
「死ぬのなんて……怖くねえ」
「それは、お前が本当の死をまだ理解してないからだ」
その物言いに、体中が熱くなるのを感じる。
おいらが、人の死を理解してないだって?
ふざけるな。おいらは誰よりも理解している。目の前で、父ちゃんが死んで、この上ないほどの絶望を味わった。二度と会えないと知って、ずっと泣き喚いた。
それでも、強くなって、父ちゃんの仇を取りたくて、死にもの狂いでここまで来たんだ。いつ死ぬかもわからないような、魔物だらけの世界を歩いて、ようやくここまで来たんだ。
それを。
それを、コケにしやがって!
「お前は、お前はああ!!!」
抜剣して、一気に首をはねるべく斬りかかろうとする。しかしその腕が、その剣がソルの首を吹き飛ばすことはなかった。
目の前に、黒髪の少女が飛び出してきて、手が止まる。
「レリィ! 危ないだろ、そこをどけ!」
「邪魔だガキ! どきやがれ!」
「どきません!」
ソルとおいらに怒鳴られても、少女は一切退く気はない。それどころか、先ほどのビクビクしたような弱さはどこにも感じられない。
あるのは、強い拒絶。拒否。
「もうやめて、ウィリアム。ソルさんも、挑発するようなことを言わないでください。またどっちかが怪我をしたらどうするんですか?」
「知るかそんなこと! そいつはおいらを……おいらの生き方をバカにしやがったんだ! 絶対許さねえ! 早くどけ!」
少女は、俺の眼を睨み付ける。そのままおいらの方に近づいてくる。何をするつもりなのかわからず、おいらは身動きが取れない。
バチン、と乾いた音が響く。頬が熱い。
「許さなかったら、どうするの? 殺すの? 反論して、自分のことを理解してもらおうともしないで、気に入らない相手の命を奪うの?」
おいらは、そいつを睨み付ける。しかし、少女は怯むどころか俺にさらに言葉を吐き出し続ける。
「命は、奪ったら戻ってこない。絶対に。それを理解しているの? あなたがソルさんを殺したら、悲しむ人がいるよ? あなたを殺そうとする人も、きっといる」
「わかってんだよ、そんなことは。その上で、おいらはそいつを斬るんだ」
「……あなたが死んでも、悲しむ人がいるんだよ?」
その言葉に、おいらはとうとう少女の首に刃をあてがう。
何も知らないくせに。おいらが死んだら悲しむ人がいるだって?
何も知らないくせに。おいら以外の人たちは、みんなみんな死んだんだ。
もう、おいらを知ってる人はいないんだ。
おいらと笑いあってくれる人は、いないんだ。
「知った風な口をきくなよ……! 何も知らないくせに……何も、何も……!」
思い出して、悲しくて、悔しくて。あの日の記憶が、まざまざと甦る。
涙が止まらない。悲しくて、悲しくて。
「みんな死んだんだよ! おいらを残して! みんな、みんな殺されたんだ! 誰も残ってなんかいないんだよ! もう、おいらを覚えてる人なんていないんだよ! おいらが死んでも、悲しんでくれる人なんて、いないんだよ!」
おいらは剣を振り上げて、少女に切りつける。その顔は恐怖にひきつって、痛みに悲鳴を上げることだろう。
振り下ろす直前。
少女は笑った。
おいらは剣を寸止めして、少女に怒鳴り散らす。
「クソ! バカにしてんのか! なんで避けねえ!? なんで笑ってる!?」
「ううん。やっと、教えてくれたな、って思って」
「……は?」
「あなたのこと。やっと少しだけ、教えてくれたね。あなたも、怖かったんだよね。死ぬのも、殺すのも。だから虚勢を張って、周りに人が来ないようにしていたんだね」
「……何が、わかるっていうんだよ」
「わかるよ。だって、そういう人を、ずっと近くで見てきたんだもん」
そういうと、少女はソルの方を振り向く。ソルは、少しだけばつの悪そうな顔をして、頭を掻く。
「……悪かったよ、お前のこと、知りもしないでいろいろひどいこと言って。でも、なんつうかさ……。心配だったんだよ。このままだとお前、誰かに殺されちまうんじゃないかって」
「……」
「俺もお前と似たようなもんだ。小さいころに両親は死んだし、8年前まで奴隷だったし、たくさんひどい目にあった。自分の命なんてどうでもいいと思ったし、周りのこともどうでもよかった」
奴隷、だった。
こんなに強い奴が、人間以下の、あの奴隷だったっていうのか?
でも、目の前にいるこいつは、奴隷だったことを正直に打ち明けて。
何を、俺に伝えようとしているんだ。何を。言いたいんだ?
「ある時何もかもつらくなってさ。全部投げようとした。でも、周りの人に助けてもらって、もう一度頑張ろうって思えて。だから今俺はここにいるんだ。自分一人で支えきれなくなったらさ。誰かに頼ってもいいんだよ。たとえそれが赤の他人だろうと、二、三日顔を突き合わせただけの奴だろうと。助けを求めてもいいんだよ」
何が言いたいんだ。何が。
「お前がどうしても竜教団をあきらめないっていうなら、俺は止める。何としてでも止める。でも、お前が助けてくれ、手伝ってくれっていうなら。条件付きではあるけれど、力になってやる」
「……なんで」
「利害の一致ってのもある。けど、お前に知っておいてもらいたいんだよ。助けを求めれば、手を差し伸べてくれる人は必ずいる。やばいと思ったら、止めてくれる人がいる。世の中、敵ばっかりじゃなくて、そういう人もいるんだぞってことを」
ソルは、ニッと笑う。
その笑顔は、何の企みも打算も、含みのない清々しい笑顔だった。
父ちゃんが笑う時、いつもこんな顔してたっけ。
おいらを叱った後も、こんな風に笑ってたっけ。
「……でも、信用できない」
「すぐに信じろなんて言わねえよ。これからの俺たちを見て、じっくり考えてみてくれればいい。竜教団の拠点も抑えてるし、慌てるようなこともない。時間はある。俺にも、お前にも」
「……善人面してるやつを、信じるなんて、できない」
「善人なんかじゃねえ。ただ、そうありたいと思ってるだけだ」
ソルはそういうと、少し考えてこちらに手を差し伸べる。何をしているのか、理解できなくておいらはそれを眺めることしかできない。
「じゃあこうしよう、ウィリアム。俺を助けてくれ」
「……え」
「今俺たちは奴隷を助けたくて、いろんな活動をしてる。奴隷を確保するために村が襲われ、町が焼かれ、知らない土地で知らない奴にこき使われてる、そんな奴らを俺は助けたい。でも、俺たちだけじゃ力不足なんだ。ウィリアム。手を、貸してくれ」
「……でも、おいらは……」
力不足だ。そんなの。
そもそも、そんなの、無理に決まってる。バカじゃないのか。いかれてるんじゃないのか。
なのに、こいつは前を見ている。未来を見ている。絵空事を謳うだけじゃなくて、その目には覚悟があった。
どんなことがあろうとも、それを叶えてやろうという、強い決意を感じた。
「……おいらで、役に立つのか?」
「太刀筋は悪くない。抜剣術も、使い方によっては必殺の剣になる」
「……でも、おいらは……弱い」
わかっていた。自分が弱いことくらい。虚勢を張っていたことくらい。そうやって、自分が強いと思い込もうとして、そうなろうとしていただけで。
ちっとも前なんか見えてなかったことを、おいらは気付いていた。
「弱いなら、強くなればいい。一緒に、強くなろう」
本当に、わけのわからない男だ。
元奴隷で、わけのわからん早業の剣技を持っていて、わけのわからん仲間がいっぱいいて、わけのわからんことを仲間内でしゃべくりながら、わけもなく毎日楽しく笑って。
でもそれは。
それはかつて、村にいた時と同じで。
毎日が、わけもなく楽しくて、なんでも一生懸命になって。
褒められたらうれしくて、上手くいったら自慢して回って。そんな毎日を、おいらは過ごしていたんだ。そんな幸せな毎日を。
もう手に入らないと思っていた。もう二度と、手が届かないと思っていた。取り戻すことなんて、できないと思っていた。
でも、今目の前にあるのは。
「……強く、なりてぇ……!」
「大丈夫。強くなれるよ。誰だって、きっと」
わけもなく、涙があふれる。
懐かしくて、切なくて、悲しくて。
嬉しくて、羨ましくて。
何度も強く、取り戻したいと願ったものが、目の前にあった。
それからしばらく、おいらが泣き止むまで、ソルはおいらを抱きしめてくれた。
よく泣きじゃくって、父ちゃんにそうしてもらった時みたいに。
優しく、力強く。




