幽霊少女 ウル 三
幽霊少女 ウル 三
最初は、こいつも仲間だと思った。私側の人間だと。
自分より悪い奴だ。自分よりもひどい奴だ、と。
だから自分はまだましだと。そう思える人間を、そばに置いておけばどんなに楽な気持ちでいられるだろうと。
でもその後が違った。
自分の仲間だと思ったそいつは、実は元奴隷で。
私よりもひどい奴だけど、私よりもひどい目に遭っていて。
聞くのもおぞましいような体験をしていて。
それが怖いと思った。
それから、こいつの目的を聞いた。なんでこの家を欲しがるのか。
奴隷制度をこの世から消し去りたいと、この男は言った。
何を言っているの?
人間が、憎くはないのか。
なぜ投げ出さないの?
そんな途方もない希望を、諦めないのか。
なんなんだ、こいつは。
そう思った。
気持ち悪かった。
そんな目に遭ってるのに、それでも希望を持って生きているこいつが。
羨ましかった。
目を輝かせて、そんな話をできるこいつが。
まぶしかった。
自分と比べてあまりにも。
……悔しかった。
自分だけが、こんなに落ちこぼれ、歪んで、醜い憎悪をまき散らしているのが。
クズを片っ端から消してやろうと、今まで屋敷に入ってきた奴は皆消してきた。ある者は金品を奪おうとした。ある者はこの家を勝手に売ろうとした。ある者はこの家に火をつけようとした。そういう奴等を見つけては、みんなみんな消してきた。
中途半端な復讐に満足し、薄汚く醜い笑顔を浮かべながら、そんな奴等を消してきた私。
壮絶な体験をしてきたにも関わらず、それでも誰かの為に尽くせるこいつ。
私って、なんなんだよ。
こいつのそばに居ると、あまりにもちっぽけで、矮小で。
消えたくなる。
あの日みたいに。
気付いたら、私はわけのわからないことを喚きながら、あの力を使っていた。
瞬間、こいつの周りの世界が歪む。
そして、次第にこいつの存在も薄れていく。
これで、楽になれるんだ。これで私は、楽になれるんだ。
そう思ったのに。
「っウル!」
そう言って、こいつは私の体を抱えて窓を割り、外に飛び出す。
一瞬焦ったが、消える前の最後の悪あがきかと思った。なのに。
なのに、こいつは。
空中で態勢が無理やり変えられて。
こいつが下になって。
地面に。
どちゃっと、水の袋が入った袋をつぶしたような音が聞こえた。
私は無事だった。こいつが下敷きになってくれたから。
私がこいつを消そうとしたのに。
こいつは私たちが何者かに攻撃されたと思って。
私を助けるために。
身を挺して。
地面に落下して。
運悪く、岩に頭を打った。
「ああ、ぁ……ばか、じゃないの……」
返事はない。
岩を伝わって、赤い物が地面に流れていく。
血。
鮮烈な、赤。
あの日と同じ。
ピクリとも動かない。
「わたしの……」
私の、せい。
あの時は、うっすらと感じただけの罪悪感が、いまはっきりと感じられる。
こいつは、私のせいで死んでしまう。
私がこいつを殺してしまう。
あ、だめ。ダメだ。
「う、おえぁッ」
胃の中身をぶちまけそうになる。
どうしよう、どうしよう。
なにか、なにかできることは……
こいつを死なせたら、後悔する。
人間を消す時には感じなかった罪悪感を、今私は感じている。
本来、死とはこういうものなのだ。
一切の痕跡を残さずに消えるという現象に慣れてしまっていた私は、生命の終わりというものがどういうものなのか。その事実から、目を逸らし続けてきたのだ。
そうじゃないのだ。
命とは、こういうものなのだ。
だめだ。
こいつの命が消える。
だめだ。消えちゃだめだ。
まだ、消えないで。
まだ、逝かないで。
死なないで。
我儘で殺そうとしたことを謝りたい。
それが無理ならせめてさよならを。
伝えたい。
まだ、きえないで。
「ああ、あああ……だめ、死んじゃだめ……」
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
「無事……か?」
「え……」
耳を疑った。
喋った。
頭を打って、血を垂れ流しているのに。
それでもなお。
私の身を案じて。
黙って私は頷く。
「そっか……」
最後に笑って。
今度こそ、意識が落ちる。
今度こそ、呼吸が止まる。
心臓が止まる。
まって。まだ、まって。
まって、お願い待って。まだ。
まだ。
この岩さえなければ、こいつは死ななかったのに。
この岩のせいだ。この岩のせいで……。
そう思ったら、岩が消えた。
能力が、暴走気味だった。
当然、体を支えていたものが無くなり、彼は地面に落ちる。再び、頭を強く打つ。
ああ、違う、違うの! ごめんなさい、違うの、そんなふうにしたかったんじゃないの!
焦る私は、どうしていいのかわからない。
自分が消えてなくなってしまえばいいのに。
違う。
今消えても、それは逃げるだけ。
体は消えて見えなくなっても、意識はそこに存在する。
私自身は消せない。
考えろ、考えろ、どうすれば彼は治る?
どうすれば蘇生する?
何がなければ良かった?
何を消せばよかった?
それとも、消さなければ……?
私は彼の頭に触れる。痛々しい傷跡から、大量の血があふれている。
軽傷くらいなら、多少は魔法の心得があるから治せるけど、これは無理だ。
どうすれば……
岩は消えた。
姿も消せる。
おそらく私に消せないものはない。でも、死を消すことなんて。
「……できるかもしれない……」
今まで試したことがないからわからないけど。もしかしたら。
私は、最後の希望に縋った。
その力を、初めて他人の為に使った。
彼の『頭を打ったという事実』を、消すことを望んだ。
強く。
強く。