引っ越し 四
引っ越し 四
実体を持った幽霊少女は、現在テーブルを挟んで向かい側の椅子に座っている。
「で、ここには何しに来たのよ?」
ふてぶてしい態度で頬杖を突きながらその少女、ウルが問いかける。
レリィと比べると随分とたくましいというかなんというか。そんなことを考えてふと頬が緩みそうになるのをこらえ、彼女に説明する。
「実は、引っ越しを考えていて。この家がつかえたらなー、とか考えてさ」
「……馬鹿なの? ここ私の家よ?」
「いや、幽霊くらいなら一緒に住んでも大丈夫かと思って……」
「……訂正するわ。馬鹿だわお前。幽霊と一緒に住むとか、正気じゃないわよ」
辛辣な物言いがぐさりと胸に突き刺さる。
正直、レリィと同じくらいの歳の子にここまで言われたら傷つく。
レリィもこんなふうになったらどうしよう。多分、もう顔も見れないな。
「……で、ここには私が住んでるんだけど? まだ住み着こうとか考えてるわけ?」
「えーと……ウルが良ければ?」
「馬鹿なの!? そんなの良いわけないでしょうが!」
ガタンと椅子を倒しながら立ち上がり、再び周りの家具を浮かべて威嚇するウル。
「まて、待て! それ禁止! ふわーって奴禁止!」
「……なんの権限があってお前が禁止するのよ」
「権限はないけど……命乞い?」
椅子が飛んできて、頭に当たった。
不意打ちだったから避けられなかったのか。それとも全力の速度で椅子を放ったからなのか。
どちらにしても、危うく意識が飛ぶところだった。
「……出てけ。人間といると、殺しそうになる」
ウルはそう言って、俺を威嚇するように睨みつける。だが、その瞳の意志はどうにも弱く、本気でそう思っている風には見えなかった。
「なあ、ウル」
「何よ。出てけって言ったのが聞こえなかった?」
「取引しよう」
「は?」
ウルはいぶかしげにこちらを見るが、話も聞かずに追い出すつもりはないらしい。俺は、仕掛けるなら今しかないと判断して、交渉に乗り出す。
「一個だけ、ウルの願いを聞こう。それをかなえたら、俺達をお前の家に住まわせてくれ」
「……なによそれ。お前が私の願いを叶えられるとでも? 冗談じゃないわ。そんなの無理よ。誰にだって……」
「そうかもな。だから、叶えられる範囲で、だ」
「……なにそれ。えらく消極的じゃない」
「俺も神様じゃないからな。できる範囲がある」
「……なんでも、言うこと聞くってことね?」
「……え、あ、いやまあ、なんていうか」
「できる範囲なら、なんでも言うこと聞くってことよね、それ?」
「う……そうです」
なんだこれは。
既視感を覚える。なんかこんな感じのやり取り、昔もあったような気がするぞ。そしてその時とは立場が逆転しているような気も。
「ふっふーん? お前、さてはロリコンで変態野郎だな? こんな私みたいな年端もいかない少女の言うことを何でも聞くとか。自分で言ってて恥ずかしいとは思わないのかしら?」
「う、そういう風にとらえられるとは思ってなかったな……」
「こういう風になじられるのが本当は好きなんでしょう? 私の願いをかなえるとか言いながら自分の欲望を満たすとは。……とんだ変態野郎ね!」
「ち、違う! 俺は至って正常だ! 異常な性癖なんてない!」
「違わないわ! お前は変態よ! このド変態! 犬畜生にも劣るロリコンマゾ野郎め!」
俺はロリコンじゃない! あとマゾでもない!
口で否定して、心で泣いて。
なんで俺、こんな目に遭ってるんだっけ。
ああ、あんなこと言ったからか。
くっそ、言わなきゃよかった。
でもまあ、ウルがなんか楽しそうに笑ってるし。ゴキゲンを取るにはちょうどいいか。コミュニケーションとしては最悪だけど。あと精神的にキツイけど。
「そうねえ、じゃあどんな命令をしてやろうかしら。ふふ、排泄物を食べろ、とか。爪を全部引っぺがすとか。ああ、見ず知らずの人に体を売るとかどうかしら? フフ、どれがいいかしら?」
「あ? そんなので良いのか?」
「……は?」
ウルが、信じられないものを見たような顔でこっちを見ている。
「だから、命令がそんなことでいいのかって聞いてるんだよ」
「な、なによそれ……。ちゃんと意味理解してるの? 自分で言っててアレだけど、結構ひどい内容のものばかりじゃないのよ!?」
「いや、なんていうか……全部経験済みというか……」
「……え?」
「……うん、そういうことだから、俺のつらそうな顔が見たいんだったら、腕引きちぎるとかじゃないと、あんまり意味ないぞ、その命令?」
「ちょっ、ちょっと。お前、何言って……」
「ああ、顔面の皮を剥ぐとかも結構きついかもな。まあでも傷はいつかなおるし。もとには戻んないかもしんないけど、そこまで不自由はしないか。あとは……」
「やめてよ!」
ウルが本気で叫ぶ。
「変な嘘つかないでよ! 全部経験済みとか! そんなわけないでしょ! 奴隷でもなければ、そんな扱い受けないわよ!」
……ん?
なんだ、俺の苦しむ姿を見るのが目的じゃなかったのか? せっかくアドバイスしてたのに、どうやら的外れだったらしい。
「いや、なんていうか……元奴隷なんだけど……」
「……え?」
「いやだから、元奴隷なんだよ、俺」
言ってから、やっぱりそのことは伏せとけばよかったかなと後悔する。
いつぞやのように、見下したような目で、罵られるかもしれない。
そう思うと、手が勝手に震えてくる。
おいおい、ちょっと待ってくれよ。
こんなところで、みっともない姿を見せたくない。もう少し、待ってくれ。
「奴隷、だったの……?」
「ええと、昔、な」
「……じゃあ、い、今の、全部経験したって話も……」
「……本当のことだ」
正直なところ、思い出すだけでも全身が泡立つ。悪寒が爪先から上ってきて胃袋の中身をぶちまけそうになる。
でも、今の自分には家が必要で、この子の協力が必要不可欠だ。
そのためなら、どんな屈辱も甘んじて受ける覚悟がある。
家族とは偉大だな。家族の為なら、なんでもできる。
「……お前、何がしたいの? 何をしようとしているの?」
「……それ聞いちゃう?」
「はぐらかすな! ……話すのよ、全部」
「……世界平和?」
「ぶっ殺すぞお前!?」
「いや、まあでもそんな感じなんだよ、実際」
我ながらバカバカしい話で、笑われてもしょうがないと思うけど、それくらいのスケールで、そのくらい非現実的な目標だと自覚している。
そして、それをいつか必ず叶えてやろうと本気で考えている。
「俺は、この世から奴隷制度を無くしたい。そのために、奴隷を解放する活動を続けてる。色々な障害があって、今は家が壊れちまったけど……それでも、絶対に叶えたい願いなんだ」
「……馬鹿じゃないの?」
「笑いたきゃ笑え。でも、本気だ」
「……悪人のくせに? 大量殺人犯のくせに?」
「それでも、やりたいことなんだ。罪滅ぼしじゃない。俺が、俺自身が一番やりたいことなんだ」
「……なによ、それ」
「最高だろ? そのためには、活動拠点として安い家が必要なんだ。……勝手なことを言ってるのは百も承知だ。だけど、よければ……力を貸してくれないか、ウル」
「……なんなのよ、お前。私と同じだと思ってたのに……」
「……ウル?」
様子がおかしい。ウルは俯いたまま動かない。
肩を震わせながら、それでも視線は決して上げない。
「私と同じだと思ってたのに……それだけのひどい目に遭ってるのに……なんでよ」
「ウル? どうしたんだ?」
「なんでお前は、そんなにまっすぐ前を見ていられるのよ!?」
怒鳴り散らす少女。その目には、大粒の涙。
どういう意味での涙なのか。
うれし泣き? それとも悲しくて?
いや、どれも違う気がする。
彼女の瞳には憎悪が映る。何かに対する憎悪が。
「なんでそこまで追い詰められたのに、そんなバカみたいな希望に縋ってんのよ!? 頭おかしいわ! 気が狂ってもおかしくないじゃないのよ! それなのに、それなのに……」
「ウル、ちょっと落ち着いて……」
「それなのに! なんで私はこんなにちっぽけなのよォ!」
ぼろぼろと涙が零れ落ちる。
我武者羅に手を振って、そこらじゅうの物を浮かび上がらせては放ち、それを繰り返す。
「ウル、危ないからやめっ……!」
「私はこんなにちっぽけで! 人の不幸に喜んで! 笑って! アンタを貶めてやろうとして! こんなに汚い人間なのに! なんでよ! なんで! なんでお前だけ! なんでお前だけそんなに前を向けるの!? なんで潰れないのよ! なんで私だけよ!」
「ウル!」
「お前も……お前も私を……」
「落ち着けウル! 家具危ねえから……」
「……お前もッ! 消えてしまえばいいんだぁ!」
「ぁっ……」
彼女がそう叫んだ瞬間。景色が歪んだ。
頭が痛い。いや、違う。自分が消えるという、確かな感覚がそこにはあった。
消えてなくなる。なんだ、何が起きた?
どこからの攻撃だ? 狙いはなんだ? でも、真っ先に体が動いてくれた。このギリギリの局面で、自分の意志を切り離したところで、俺の体は、いたって自然に動いた。
「っウル!」
どこからの攻撃かはわからないが、咄嗟に彼女を抱えて窓ガラスを割って飛び降りる。どういう理由で、どんな攻撃かはわからないが、彼女が狙われていないという保証はない。彼女が死んでしまえば、この後の交渉ができなくなる。それはまずい。自分が助かるだけなら自分だけ飛び降りればいいが、それだと彼女は助からないかもしれない。
とにかく、あの場から離れる必要があった。
「え、ちょっと!」
「……! 捕まってろ!」
空中で体を入れ替えると、自分の体を下にする。そのまま地面へと落下して……
どちゃ、と鈍い音が頭に響いた。