幽霊少女 ウル 二
幽霊少女 ウル 二
ドン! と体に衝撃が走る。それはお母さんが包丁を振り下ろされるのとほぼ同時。
私の体は廊下の壁に飛ばされる。
血が出てる。たくさん出てる。
このままじゃ死んじゃう。
……私の血じゃない。
刺されたのは私じゃない。
目の前にはお母さんと。
お姉ちゃん。
六人兄弟の五人目で、いつも私の事をかわいがってくれた。
お姉ちゃん。
「ウル! 逃げて!」
「……! ……!」
「早く! ……がふっ」
お母さんがお姉ちゃんから包丁を引き抜く。ごぽっと音を立てて、お姉ちゃんの口から血の塊が吐き出されて、床を染めていく。
「逃げてええええええ!!!」
お姉ちゃんが、大きな声で叫ぶ。
私は、動けない。
お姉ちゃんが刺された。
お母さんに。
なんで?
私のせい?
お母さんはなんで?
なんでお母さんが?
なんでお姉ちゃんが?
なんで?
疑問は渦を巻いて、それは私すらも縛り上げる。
金縛りにあったみたいに私は動けない。
それからのことは、あまり覚えていない。
お姉ちゃんがメッタ刺しにされて、お父さんがお母さんを魔法で黒焦げにして、泣きながら私を隠し部屋に閉じ込めて、またお父さんが出て行って。
悲鳴が聞こえた。召使いのお姉さんが死んだ。
雄叫びが上がった。お父さんが誰かを殺した。
血の滴る音が聞こえた。街の人が死んだ。
お父さんの叫び声が止んだ。お父さんが死んだ。
歩き回る音がまだ聞こえる。お父さんが死んだ。
部屋の戸を叩く音が聞こえる。お父さんが死んだ。
街の人が入ってくる。お父さんが死んだ。
一斉に私に群がってくる人達。お父さんが死んだ。
斧を振りかぶる、よく遊んでくれていたお兄さんだった。私も死ぬんだ。
それでも、どうしてだろう。私は。
私は死にたくなかった。
生きたかった。
お父さんも、お母さんも、お姉ちゃんも、召使いのお姉さんも、みんなみんな死んだのに、私はまだ醜く生にすがりつこうとしていた。
死にたくなかった。
死にたくなかった。
死にたくなかった。
死にたくない。
死にたくない。
死にたくない。
誰が死んでも、私だけは死にたくない。
気がついたら、街の人たちはいなくなっていた。
手に持っていた小さな杖を私は握りしめる。
私一人だけになっていた。
家の中には、誰もいなかった。
お父さんの死体を探した。
なかった。
お母さんの死体を探した。
なかった。
お姉ちゃんの死体を探した。
なかった。
召使いの人の死体を探した。
なかった。
街の人の死体を探した。
なかった。
初めから、あんな地獄は無かったみたいに、血の跡も、傷ついたはずの壁も、死体も、私を殺そうとした人達も。
一切が、存在していなかったみたいに、何もなかった。
これは罰だ。
そう思った。
私一人で助かりたいと思った罰なんだと思った。
何もかも無くなれと思った、その罰なんだと。
襲ってくるお母さんが怖くて、無くなればいいと思った。
私のせいで死んだお姉ちゃんの亡骸を見たくなくて、無くなればいいと思った。
正気を失ったお母さんをためらいもなく殺したお父さんを見たくなくて、無くなればいいと思った。
私の命を狙う街の人たちも、無くなればいいと思った。
誰かの死んだ姿なんて見たくなくて、無くなればいいと思った。
おぞましい血の跡なんて、無くなればいいと思った。
一人で生き残ろうと考えた私なんて、無くなればいいと思った。
鏡に映らない私の姿を見て、本当に無くなってしまったんだなという寂しさと、なんてことを願ってしまったんだろうという後悔が私の胸を締め付けた。
自分で願ったことなのに。
その願いに後悔した。
こんなものを望んだんじゃない。
こうじゃない。ちがう。こうじゃなかったのに。
その反面、否定する声も聞こえる。これが望みだっただろと。
出来損ないな自分に比べて、優秀すぎる兄妹に劣等感を感じていただろと。
召使いから悪口を言われていたこともあって、憎んでいただろと。
優しすぎる姉の、憐れむような視線が嫌だっただろと。
ほかの兄妹と違って、そこまで父さんに強く叱られたこともなくて、特別扱いされるのが本当はいやだっただろと。
お母さんが優しすぎて、それでも期待されていて、それをうっとうしく感じていただろと。
こんな自分なんて、さっさといなくなってしまえばいいだろと。
玄関ホールで蹲る私に、声がかかる。
「おめでとう、ウルちゃん」
声の方を振り向くと、以前私の家に来た子だった。
白髪で、目の赤い子供。
「君の『カルマ』……確かに見せてもらったよ」
その子は嬉しそうに笑うと、私の側に歩いてくる。
何もかもどうでもいい。私はその子を無視して放心していた。
「なんていう負の感情だろう。なんていう暗い願いだろう! 何もかも消えてしまえばいいだなんて。なんて傲慢で、浅はかで、……実に人間らしい思考だ」
両手を大げさに広げて、にやりと笑う。
「そのくせ、自分の願いに後悔する。人間らしくて……良いよ。最高だ。そういうのが欲しかったんだよ! どうだい? 僕たちと一緒に来ないかい?」
意味が分からない。でも、知らない人に付いて行っちゃいけない。お父さんの言いつけだ。言いつけは、しっかり守らないと。
でも私は、そのお父さんを消してしまった。
もう叱ってはくれない。
おやすみの前のキスもしてくれない。
さよならも言えない。
死体も弔えない。
何もできない。
何もさせてもらえない。
私には、その権利がない。
だって、私が消してしまったんだから。
そう思うと、枯れたはずの涙がまたあふれてきた。
「……壊れたかな? 今回も、ダメか」
子供はため息を吐くと、踵を返し玄関へと向かって行く。
「魔女の血縁だったから期待して、せっかく色々仕込んだのに、こうもあっさり壊れられると……まだ子供だったのが良くなかったのかな……じゃあね」
その子供は、あっさりと玄関から出て行った。
沈黙が家を支配する。
私の胸に、さっきの子供の言葉が蘇る。
色々仕込んだのに、だと?
アイツが原因?
街の人が襲ってきたのは、アイツが原因?
街の人がおかしくなったのは、アイツが原因?
お母さんがおかしくなったのも、アイツが原因?
お姉ちゃんが死んだのも、アイツが原因?
お父さんがお母さんを殺したのも、アイツが。
アイツが、アイツが、アイツがアイツがアイツがアイツがアイツがアイツがアイツがアイツが。
全部アイツが。
「いつか……」
いつか、アイツも消してやる。
いつかアイツも、無くしてやる。
いつか、絶対に。
どんなことをしてでも。
消してやる。
決意を固めたその時から、私は実体を取り戻した。
同時に、人間を憎むことを覚えた。
私以外のすべてを。
私にひどいことをする、すべての人間を。
消してやる。
必ず。
そう誓った。
……全部、自分が悪いのに、その矛先を他人に向けた。
この瞬間から、私は幽霊になった。どこにも自分なんていない。居場所のない、幽霊に。
魔女の亡霊に、私はなった。




