盗賊ギルド 二十
二十
数日間、彼の様子を見守っていた。
できるだけエッジと一緒にいるようにして、彼がおかしなことをしないようにしていた。最初のころは、何度か自傷行為を繰り返していた彼だったけど、ここ二、三日で、ようやくそれをやめてくれた。
ただ、一つだけ問題があった。
「……また食べなかったの?」
買い物から戻って、私は机の上に出していた彼の食事を眺めながら尋ねる。
あの一件から、彼は何も食べ物を口にしていない。なんとか水は飲んでいるからまだ大丈夫だけれど、これ以上こんなことが続くなら彼の体が持たなくなってしまう。
「食べないと、体に悪いよ?」
「……ごめん、どうしても駄目なんだ」
申し訳なさそうに、エッジは私から目を逸らす。
何度か食べるように促し、時には無理やりにでも食べさせたことがあったけど、それでも彼はすぐに戻してしまう。食べ物を受け付けないのだ。
日に日にやせ細る彼を、これ以上見ていられないのだが、現状何も打つ手がない。病やけがは魔法や薬でなんとかなるかもしれないけど、心のダメージはどうにもできない。
「……そっか」
私は彼の食事を下げる。仕方がない。
「どうしても……思い出しちゃって」
ベッドの上で、膝を抱えながら彼はつぶやく。その目はここではない、遠くを見つめている。
このままじゃ良くない。
わかっている。
彼をなんとか救ってあげたい。
魔法でも薬でも何ともならないなら、それ以外の手段を使うしかない。そんなものがうまくいくかどうかなんてわからないけれど、魔法以外で私が彼にしてあげられることは、これくらいしかない。
「……考えてても、仕方ないか」
私は一つ深呼吸すると、彼の方に向き直る。
「ねえ、エッジ。今日の夜にでも、ちょっと散歩に付き合ってよ。」
「? いいけど……」
「決まりね。それまで、私ちょっと出かけてくるわ。帰ってきたら、一緒に行きましょ。約束だからね。」
それだけ告げて、私は荷物を持って外に出る。できれば静かな、落ち着いた場所がいいかしら。
夜になる。
また夜が来る。
あの光景が蘇る。
血飛沫。血だまり。血痕。血、血、血。
すっかり、臆病者になり果てた俺は、部屋の隅でガタガタと震えている。
怖いとか、寂しいとか。いろいろあるけど、もはや条件反射みたいに体が震える。
しばらく飯もろくに喰っていない。腹が減らない。それでも、体に悪いことは自覚していたから、無理やりにでも食べようとした。セシールも協力してくれた。
でもだめだった。
あの光景が蘇る。自分の異常な行動を思い出す。
血まみれの野菜を平然と口に運び、虚ろな笑みで人肉を喰らおうとした自分を思い出す。
その瞬間に吐き気がする。気づいたら、せっかくセシールが作ってくれた料理を全部戻してしまっていた。
自分でも、どんどん衰弱していくのが分かる。このままだと死んでしまうこともわかっていた。そして同時に、死んだとき少なくともセシールが泣きながら怒るだろうということも。
最近、すこし。
ほんの少しだけ、生きていたいと思うようになった。それも彼女のおかげだろう。しかし、生きる理由や意味が欠落していた。結局のところ、ただ死にたくないだけであり、果たしてそれは生きていたいと同じ意味なのかどうか。
いけない。
また思考が悪い方に向かいそうだ。夜に考え事をしてはいけないとセシールから言われていたのに。
セシール、セシール、セシール。
自分の中で、これだけ他人が、他人への想いが動き回ってるのは初めてだ。
彼女との約束を守らなきゃ。
彼女にお礼をしなきゃ。
彼女に、彼女に、彼女に。
俺は今、彼女の言うことなら何でも聞くんだろうな。今の俺の存在理由なんて、そんなもんだ。
自分を必要だと言ってくれた人。自分を見てくれる人。自分に感謝していると言ってくれた人。
セシールが死ねと言えば、今の俺はきっと簡単に死ぬだろう。それだけ、今生きる理由がない。ちっぽけだ。
薄っぺらで、弱々しい。
「はっ、バカか俺は」
答えのわかり切っている自分への問い。意味も何もない。今の俺には彼女しかない。生きる理由が、それしかない。
……それが危険なことで、とても彼女にとって負担になっているだろうことは、分かっているのに。
「……まだかな」
ひたすら彼女を待った。
静寂。
何もない無の時間を、ただひたすら待つことに費やす。
生きる理由も、生きる意味も、何もかもない、空っぽの自分。ただセシールといる時だけ、意味が生まれる。だから待つ。彼女の言いつけを守って待つ。
どれだけそうしてただろう。無の時間は、空っぽの静寂は突然の訪問者によって崩される。
突然家の戸を叩く音。そして、聞き覚えのある声。
「エッジ! いるんだろエッジ! 大変だ! 出てきてくれ!」
「……ジャン?」
切羽詰まった声を聞き、恐る恐る俺は玄関を開ける。
「良かった、まだ起きてたか!」
「……どうしたの?」
「セシールが……!」
「え……?」
セシールが、どうしたって?
「セシールが、倒れた!」
「……!」
全身の血の気が引いていく。
なんで、セシールが?
どうして、倒れた?
疑問が次々と浮かぶが、それどころじゃない。俺はジャンの胸ぐらに掴みかかる。
「場所は!? 何があった!? 一緒にいたのか!? どうしてそんなことになった!?」
「いだだ……おち、落ち着け! とにかく着いて来い! こっちだ!」
ジャンは俺の手を振り払うと、一気に駆けだす。俺は、我武者羅に後についていく。
視線を感じる。
足がガタガタする。
手が震える。
頭がクラクラする。
それでも。
それでも、走る。
今彼女が死んだら、俺の生きる意味が。
俺の生きる理由が。
いや、そうじゃない。
彼女をまだ。
彼女にまだ。
俺は何も返していない。
何も成し遂げていない。
まともにお礼も言ってない。
いやだ。
いやだ。
失いたくない。
いやだ。
絶対に。
スラム街を抜け、繁華街も抜け、街の外に出る。
暗い道を、ジャンの持つランタンの光だけを頼りに、ひたすらに走る。
街道の脇に、大きな木が生えていて、その根元に灯りが見える。
「セシール!!!」
気が付くと、俺は叫び声を上げながら彼女に駆け寄っていた。
「うわ、何!?」
「えっ?」
いたって普通に話しかけてくるセシール。
「……なに、アンタら走ってきたの? 別にゆっくりでも良かったのに」
……? あれ?
セシール倒れたんじゃないのか?
「ああ、俺が急がせたんだよ」
「ちょっと、衰弱してるんだからあんまり無茶させないでよ! 途中で倒れたらどうするつもりだったのよ!?」
「いや、まさかあんなに鬼気迫った感じになるとは思ってなくてだな……」
「……なんて言って連れてきたの?」
「セシールが倒れたって言ったら、このありさまだ。すげえ形相だったぜ? 殴られるかと思ったもん」
「私がぶん殴ってやろうかしら!?」
つまり、あれか。
ジャンの嘘か。
なんだ。そっか。
「よかった……本当に、よかった……」
思わず、つぶやく。
視界が滲む。
「ちょちょちょ! 何泣いてるのよエッジ!? 大丈夫!?」
セシールがあわてたように俺に近づいてきて背中をさする。
「いや、その、安心したらつい……ホント、良かった……!」
「そ、そうなの……ちょっとジャン! アンタのせいでエッジ泣いちゃったじゃない!」
「俺のせいかよ!? いやここはエッジの想いを知れてどうもありがとうじゃねえの!?」
「なんで感謝しなきゃいけないのよ!」
「いやいや、だって、ねえ? これだけ想われてたらセシールだって悪い気はしないんじゃねえの?」
「ニヤニヤすんな気持ち悪い!」
「おぼふっ!」
目の前で繰り広げられるそんなやり取りに、俺は思わず笑いがこぼれる。
「お前ら、いつの間にそんなに仲よくなったんだよ?」
「「仲よくないし!!!」」
きれいにセリフがかぶったことに、さらに愉快な気持ちになる。我ながら、泣いたり笑ったりと忙しい。
二人はばつの悪そうな顔をして顔を逸らす。
「……で、結局なんで俺ここに呼ばれたの?」
「あー、うんとね……」
セシールが頬を掻きながら目を逸らす。その様子をみて、ジャンは愉快そうにくくくっと笑う。
「おいおい、何今更照れてるんだよ」
「いや、贈り物って初めてだし、そういうの慣れてないって言うか……」
贈り物? なんだろう、なんかくれるのかな。
セシールは決心したように、肩から提げていたカバンをあさり、こちらにそれを手渡す。
あまり包装は上手くないし、リボンやら何やらも結び方がむちゃくちゃだ。贈り物に作法があるかどうかは知らないけど、少なくとも不慣れであることには違いない。
「これ。アンタに上げるわ。」
「……俺に?」
「ん。開けてみてよ。喜んでもらえると嬉しいんだけど」
促されるまま、俺は包装を解いていく。中から現れたのは、大きな平たい四角形の箱だ。その蓋を開けると、中に入っていたのは。
「……布?」
「ちゃんと見てよ! そんなモン渡すわけないでしょ!?」
セシールに怒られた。戸惑いながら、黒い布を箱から引っ張り出す。かなり大きなもので、俺の身長くらいはあるだろうか。広げて、ようやくそれが真っ黒なローブであることを理解する。
黒の布地に、金の刺繍がところどころ入っていて、手の込んだ一品であることはすぐに見て取れた。
「アンタ、黒好きだったでしょ? だから、まあ、あれよ。受け取っといてよ」
「いいのか? ……高かったんじゃないのか?」
「ばかちん。手作りに決まってるでしょうが」
そういうとセシールは腕を組んで胸を逸らす。
これを? 手作り?
……どれだけ手間かかってるんだよこれ。
「一応、アンタが元気になるようにおまじないも掛けといたから。それに、これだけしっかりした物着てれば、だれもアンタが元奴隷だとか元盗賊だとか思わないわよ」
「……ありがとう」
本当に。ありがとう。
嗚咽が漏れる。頬を温かい涙が伝う。
「だーかーらー! 泣かないでってば! なんか私が泣かしたみたいじゃない!」
「いや、お前が泣かしたんだろ?」
「ジャンは黙って!」
「おっかね」
ヒューと口笛を吹いてジャンはそのまま大きな木の根元に座り込む。
「嬉しいよ、セシール。ありがとう。大事にする」
「いいわよ、そんなの。服なんて消耗品なんだし。ぼろぼろになったらまた作ってあげるわよ」
「そっか。また作ってくれるのか。……ありがとう」
「てか、もうアンタ泣きすぎ。そんなに泣き虫だったっけ?」
「……もともと泣き虫だよ。強がってただけで。でもそれも……もう必要ないかな」
「……あんまり泣き虫な男の子はどうかと思うけどね」
肩をすくめながら言うセシールに、俺は笑いながら反論する。
「見られたくない部分もたくさん見られちゃったしな。今更強がる意味もないよ」
「……あんたって、意外と子供っぽいのね」
「未熟者なんだよ、俺は」
セシールはしばし黙り込む。俺も、もらった外套を大切に抱える。そんな様子を見て、少し安心したのか、それとも照れくさいのか。彼女はわずかに微笑みながらこっちを見つめていた。
「ねえ、エッジ」
「なに?」
「アンタさ、まだ死にたい?」
その言葉に、言葉が詰まる。それでも、今更隠すこともない。俺は口を開く。
「……死にたくは、ない。でも、生きる理由が、意味が。正直見当たらない。今の俺は、セシールがいなくちゃ何もできない。セシールが笑ってくれるとうれしい。セシールがそばに居ないと怖い。セシールが望むなら、なんでもできる。でもセシールがいないなら……何かをする時に意味が見つけられない。お前が望んでくれなければ、俺には何も意味がない。……そう思ってる。」
沈黙が流れる。俺は言葉を続ける。
「セシールが俺に死ねって言えば死ぬだろうし、生きろって言われれば生きる。助けてくれって言われればどんな障害があっても助けに行くだろうし、関わるなって言われれば二度と近づかない。俺は……今の俺は、セシールが生きる理由だ。それを失ったら、多分死ぬと思う」
一息にそれだけ言う。正直、気持ちの悪いことだと思うだろう。
セシールに俺は依存している。セシールの為とかじゃ、多分ない。彼女は唯一自分を肯定してくれた人間で、そんな彼女に俺は居心地がいいと感じているに過ぎない。それが、とても気持ち悪い。
他人に依存する、寄生虫みたいで。
自分が、人間をやめてしまったようで。
それが気持ち悪い。
しばらく黙っていたが、彼女からは何も言ってこない。見ると、顔を俯けてプルプル震えている。
やっぱり、こんなこと言われたら気持ち悪いよな。
「その……ごめん。こんなこと言われたら、気持ち悪いよな、さすがに」
「いや、いやいやそのね。なんて言うか……うん。びっくりした、かな……?」
「だよな……」
俺は地面に視線を落とす。
もしこれで、セシールに拒絶されたら、多分死ぬんだろうな。ああ、でもそう考えるとこれは彼女に言うべきじゃなかったかな。こんなこと言ったら、拒絶したら死にますって言ってるようなもんだし。ああ、失敗した。これじゃあ彼女の本音を聞けないじゃないか。
セシールの重荷になる。それは、嫌だ。
「あ、アンタの……ううん、エッジの気持ちは嬉しいけどその、私たちはまだ出会って間もないし……は、ハーフエルフとミッドランダーだし……障害もいっぱいあると思うのよ。だからその、ね。もう少しゆっくり考えてみない? 時間はいっぱいあるんだし……わ、私もその、気持ちの整理が必要って言うか……あ、別にエッジのことが嫌とか言ってるんじゃなくてね! 違うのよ! むしろその……でも、驚いたというか、あんまりあなたそういうの興味ない物かと思ってて……えっと、えっと……」
「……?」
なんだろう、セシール。顔真っ赤な上にしどろもどろだな。汗もかいてるし、具合でも悪いのか。
「大丈夫? 家に戻って少し横になってた方がいいんじゃないのか?」
「い、家で横に!? だ、だから早いってそういうのは! まだ、いろいろと段階があるでしょう!?」
具合悪い人が先に踏む段階……? 病気の治療……あ、神父さんに治療してもらうのかな。
「……? えっと……教会とか?」
「なんで!? だから早いってば! 神様の前で誓いを立てるとか! ていうかそこまで考えてるの!?」
「……えっと、やっぱり家で休んでた方がいいんじゃないのか? それが嫌ならここでも良いけど……」
「ちょ! ななななに言ってんのよここ外でしょ!? ていうか、え、そんなに、その、えっと……」
「……あれ?」
なんかこんなの、前もあったような気がするな。会話が全然かみ合ってる気がしない。というか、なんだ? ちゃんとセシール俺の話聞いててくれたのか? 疑わしいな。
「くっくっく……お前ら、何面白いことしてんだよ」
「はっ!? そう言えばジャンがそばに居たんだった!? い、今見たのは全部忘れろ! それからエッジ! 人が見てる前で恥ずかしいこと言わないで!」
「ええ!?」
突然セシールに怒鳴られて面食らう。俺なんかした? いや、俺セシールの質問に答えただけだったよな?
「まあまあ。話は聞かしてもらったけど……すげえな。あそこでそういう食い違い方するかお前ら? マジで面白すぎ。ていうか、セシールのポンコツ具合がすげえな」
「なにをー!?」
ジャンは立ち上がり、服の埃を軽く払うとこっちに近づいてくる。
「今のはエッジの今の生き方の話だったのを、セシールが愛の告白として捉えちゃったのが原因な。てか、アレはエッジが悪い。あんな言い方だと、愛してますって言ってるようなもんだ。」
「そ、そうなのか?」
「え、違ったの?」
しばしの静寂の後、俺とセシールは顔を見合わせる。それから俺は、自分の言ったことの内容を思い出す。なるほど。愛の告白みたいだ。……はずかしい。セシールも、顔を真っ赤にしている。
「まあ、そんなわけで要約すると、エッジは未だ生きる理由を見つけられない。ってことでいいんだよな?」
「……うん。まあ、そんなとこか。」
「あ、アアアンタがあんな言い方するから変な勘違いしちゃったじゃない!」
「はいはい、夫婦喧嘩は後にしてくれなー」
「な、ま、まだ夫婦じゃないでしょ!?」
「ほほう……『まだ』ということは、その気はある、と……?」
「ガハアッ!?」
なぜか俺がセシールに殴られる。鳩尾に拳がめり込んで、呼吸が止まる。
「なん……で……」
「あばば、間違った! 死ね、ジャン!」
「へぶん!?」
どさりと崩れ落ちるジャン。そして俺も、だんだん意識が薄れて行って……
そのまま目を閉じた。
シリアスにしたいのに、どうしても軽いノリになってしまうのは作者の悲しいサガです。ご了承ください……。