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太陽のギルド  作者: 三水 歩
盗賊ギルド
34/115

盗賊ギルド 十八

     十八


 エッジが奴隷市場で暴動を起こしてから数時間。

 私は彼を探し続けていた。

 日はとっくに暮れてしまった。満月が、裏通りを必死に駆け回る私を嘲笑うかのように照らす。

 「全く、どこ行ったのよ、アイツ……」

 見つけたら文句の一つでも行ってやろうと思って探し始めたのだが、こうも見つからないと逆に不安になってくる。

 彼はどこで何をしているのだろうか。

 様子がおかしかったことを考えると、穏やかな話では済まないだろうなとは思っていた。


 彼の目撃証言を集めようと思っても、顔はフードで隠れているし、おまけにすごく足が速いものだから、さして有力な情報は得られなかった。

 「だめ、路地裏に向かって行ったこと以外、なんの情報も得られないわ……」

 一回おちついて考えた方がいいのかもしれない。

 私は焦る思考を一旦深呼吸することで静める。


 彼の名はビハインドエッジ。

 盗賊ギルドのナンバーツーで、実力だけならギルドマスターを凌ぐとも言われている。

 元奴隷で、奴隷商人に対して激しい憎悪を抱いている。それは彼と初めて会った時にわかったことだ。

 それから、過去に凄惨なトラウマを抱えているらしく、時々言動がおかしくなるようだ。狂ったように笑ってみたり、わざと挑発的なことを言ってみたり。

 そう言えば自分自身の命を軽視している部分もあった。すぐに命を投げ出すようなことを、おそらく彼は平気でするだろう。彼のことだ、自分の命が危ぶまれる場面でも、きっと暢気なことを考えながら最期を受け入れてしまうだろう。

 それから、ここ数日彼と行動を共にしてわかったことは、基本的に一人でいる時間が好きだということ。

 特に親しい人がいる訳でもなく、かといって友人を欲しているわけでも、仲間と群れる訳でもない。むしろ、一人でいる方が気が楽なタイプなのかもしれない。


 っと、思考が逸れた。

 これらの情報と、あの状況を比較すれば、何かの手がかりになるかもしれない。

 「そう言えばクラインって言ってたわね……」

 彼に親しい人物がいないと思っていたけど、考えを改める必要がありそうだ。

 いやいや、もしくは仕事仲間とかかもしれない。

 「仕事仲間……」


 もしそうなら、あのクラインとかいう中年は盗賊で、彼の仲間だ。

 ああ、なるほど。

 私の中で、一つの推論が出来上がる。

 彼は奴隷商人を嫌う。

 そして、もし彼の仲間が奴隷売買に関わっていると、あの場面で初めて知ったとすれば。

 「あの男を、殺しに行った……?」


 となれば、手掛かりはあの盗賊。厳密には、盗賊ギルドにあるはずだ。

 もしかしたら、盗賊ギルドに行けばクラインとエッジについて、何か聞けるかもしれない。そう思って私は走り出そうとして。

 「盗賊ギルドの場所が分かんないわ……」

 ああ、こんなんだからエッジに間抜けって言われるのよ!

 とにかく、誰かに聞いて盗賊ギルドの場所を突き止めないと!

 そうと決まれば、手当たり次第に聞いていくしかない。

 「ん?」

 まてまて。

 待て待て待て待て。

 そう言えば、エッジも情報収集する、って言ってたっけ。

 そんでもって、たった一日で奴隷市場の日時と場所、それから奴隷を買うのに必要な資金を集めてきた。

 彼の情報収集能力が高いと言ってしまえばそれだけの話だけど、見たところ人と話すことに慣れていない彼にそんなことがおいそれとできるとは思えない。

 ということは。

 「腕利きの情報屋とか、いるのかしら」

 手当たり次第に聞きまわるより、その情報屋を探して聞き出した方が早そうだ。

 早速、聞きこみ開始と行きますか!




 意気込んで探し始めてさらに数時間。人の姿もまばらになり、通りを歩く者がいても酔っ払いばかりでまともに話を聞けないで、情報収集は難航していた。

 空はだんだん明るくなり始めて、満月が笑いながら姿を隠していった。

 「あーん、もう! ていうかなんで私がアイツを探してるのよ! 契約違反よこんなの!」

 とりあえずは今回の奴隷売買が終了するまではそばに居るなどと偉そうに言っていたのに、始まって早々姿を眩ますなんて。

 「はあ。あんまり期待はできないけど、酒場で聞いてみようかしら」

 ぶつくさと文句を言いながら、私はこの大通りに似つかわしくない、オンボロな酒場に足を踏み入れる。

 

 来客を知らせるベルの音に、一瞬ドキッとしながら、私は中の様子を見る。

 テーブルにはまばらに人が座っていて、すでに出来上がっている様子だ。

 これだと、まともに話をできそうな人間はいなさそうだ。

 ふと、カウンターを見ると、まだ泥酔していない様子の者が二人。

バンダナを巻いた茶髪の男と、店のマスターが談笑しているのが目に入る。

 彼らなら話を聞けるかもしれないと思い、私は二人に近づく。そして。

 「あー、エッジのヤツうまくやってるかね?」

 「さあねえ。奴隷を買わなきゃいけないなんて、一体どんな理由だったんだろうな。」

 そんな会話が私の耳に飛び込んでくる。

 私は確信する。


 この人たちが、エッジが情報収集に利用した情報屋に違いない。


 私は駆け足で彼らに近づくと、カウンターに身を乗り出して問い詰める。

 「アンタたち、エッジのこと知ってるの!?」

 突然の乱入に、二人は口をぽかんと開けていた。

 が、やがて笑顔になると

 「なんの事かな?」

 なんて二人そろって言い出した。

 「とぼけないでよ! 彼の事、知ってるんでしょ!? わかってるのよ、数日前に彼が情報屋のあなたたちから、奴隷市場の場所を聞き出したって!」

 早口でまくしたてると、二人は驚いたような顔をする。半分は鎌をかけたわけだが、どうやらあたりらしい。

 「なんだお前、アイツの知り合いか?」

 茶髪の男が、笑いながら尋ねる。

 「そうよ!」

 「ふーん。で、何をお望みで?」

 「……彼が、いなくなったの。もしかしたら盗賊ギルドの方に向かってるかもしれないんだけど、場所が分からなくて困ってたのよ。お願い、教えて!」

 「それなら二百ゴールドな」

 「ふぁっ!?」

 思わずわけのわからない言葉を発する私に、茶髪の男は笑いながら答える。

 「この街じゃ、情報料ってのは高いんだぜ?」

 「ちょっと、いくらなんでも大金じゃない! そんなの払えるわけないでしょ!?」

 「そうかい、それじゃあ他をあたるんだな」

 男はそれっきり、私の方を見向きもしなくなる。


 足元見て、最低だわこいつ。

 二百ゴールドなんて、すぐに稼げるわけないじゃない。そんな大金……。

 「あ。 あるわお金」

 「あん?」

 つい独り言を言ってしまう。自分でも驚いているくらいだ。なんで今まで失念していたんだろう。


 彼が奴隷売買の為に持ってきてくれたお金が、三百五十ゴールドある。

 本当は、使わないで返したかったのだが、彼に出会えないことには返しようもない。

 私は懐から金貨袋を取り出すと、それを乱暴にカウンターに置く。

 「これで盗賊ギルドの場所を教えて。もしそこにいなかった場合、彼が行きそうな場所も教えてちょうだい」

 「おま……エッジの知り合いってマジかよ」

 男は驚いたように目を見開いている。その視線は、私が取り出した金貨袋にくぎ付けになっている。

 「な、なに?」

 「いや、その金貨袋、エッジの奴が持ってたやつだろ。なんでお前さんが持ってる?」

 「えっと……もらった」

 「もらった? そんな大金をか? アイツ、女に貢ぐような奴には見えなかったんだが……」

 「勘違いしてるみたいだから言っておくけど、一応彼と取引しただけだから。貢いだとかじゃないからね」

 「ほう、取引か。いったいどんな?」

 「え、と……」

 思わず赤面する。

馬鹿正直に『なんでも言うこと聞くから言うこと聞いて』なんて内容のものを口にするのは、かなり恥ずかしい。

 黙り込む私を見て、男はまあいいやと告げる。

 「そういうことなら、少しはまけてやるよ。盗賊ギルドの情報か。つっても、こんな情報欲しがるのなんて、暗部につながりのあるやつだけだと思ってたがな」

 「いいから、さっさと教えなさいよ」

 「物を頼む態度がなってないんじゃねえのか? ……まあいいけどよ。盗賊ギルドはスラム街の奥、オンボロ娼館と雑貨屋の間の路地をまっすぐ行って、突き当りを右だ。そのまま進むと左手にボロボロのデカい倉庫が見えてくる。そこが盗賊ギルドのアジトだ」

 「……」

 「? どうした、変な顔して」

 「ごめん、もっかい言ってくれない? ちょっと覚えきれないんだけど……」

 「なんでだよ!? 簡単じゃねえか!」

 「し、仕方ないでしょ!? スラム街の建物なんて全部同じに見えるんだし、早口で言われたらわかんないわよ!」

 男はバンダナの上から頭を掻きむしると、ため息をつく。

 「はあ……いや、なんか根本的にいろいろダメそうな気がしてきた。お前さては方向音痴だろ?」

 「な、バカにしてるでしょソレ! 違うわよ!」

 「ていうか、建物が全部同じに見えてる時点でお前一人でたどり着けるわけねえよ。20ゴールドで案内してやってもいいぞ」

 「ぐ……くそ、お願いするわ」


 正直、方向音痴な自覚はあった。

 帝都アルテリアに潜入して、たった数時間で道に迷った挙句、浮浪者に絡まれてたなんてこいつには口が裂けても言えない。

 まあ、おかげでエッジに出会えたわけだけど。


 「まあ、とりあえず着いて来いよ、えーと……」

 「セシールよ。名前くらい覚えなさいよ」

 「今初めて名乗っただろうが!」

 「そうだった? 酔ってたから忘れてるんじゃない? で、アンタの名前は?」

 「お前は……はあ、もういいや。俺はジャン。着いて来いセシール。暗いから、路地裏では足元気をつけろよ」

 ジャンと名乗ったバンダナの青年は、席を立つと数枚の金貨をテーブルに置く。

 「会計、ここに置いておくぞジョルジュ。おつりは後でいい」

 「あ、そこは後で受け取るのね。……せこい男」

 「いちいちうるせえよお前!?」




 やかましい男とやり取りしながら、私は店の外に出る。

 十数分しか中に居なかったのに、外がなんだか肌寒く感じる。

 「なんか、嫌な感じがするわ……」

 「そうだな。人でも死んだんじゃねえか?」

 不謹慎なその言葉に、私はジャンを睨みつける。

 「怖え顔すんなよ。誰もエッジが死ぬなんて思っちゃいないさ」

 「次、そういう冗談言ったらアンタが死体になると思いなさい」

 それだけ言って、私はジャンに先導するように促す。

 「怖え女……エッジの奴、こんな女のどこが良いんだっての……」

 ぶつぶつと文句を垂れながら、ジャンは私の前を走る。

 

 スラム街に入り、建物と建物の隙間をぐねぐねと進む。途中、ジャンに娼館の意味とその建物を教えてもらい、ミッドランダーが少し嫌いになりながらも、私たちは着実に盗賊ギルドのアジトに近づいていた。


 「おはよう。こんな朝早くからどこに行くんだい?」

 そう言って声をかけられたのは、ちょうど娼館を過ぎて、突き当りの位置まで来た時だった。

 白髪に、赤い瞳。

 スラム街の人間にしてはまとも過ぎる服装と、その無垢な表情。擦り切れた感じのない小さな子供が、私たちの横を通り過ぎ様に話しかけてくる。

 「あん? 子供には関係ねえよ。あっちいきな、しっし!」

 ジャンが手を振って追い返そうとしたけれど、私はその子供のことが気になった。


 不自然すぎる。


 時刻は早朝。日が明けてまだそれほど時間が経っているようには感じられない。

 そしてスラムの住人らしくない服装と態度。それに、まだ幼い。

 どうしてこんなところをうろついていたのか。

 何か目的があってここに来たのか。


 「おい、セシール。あんまりぐずぐずするなよ。置いてくぞ」

 「う、うん」

 私は子供から視線を外し、再び駆け出そうとする。




 「エッジのこと、早く助けてあげてね」



 

 その言葉に、私とジャンは目を見開く。

 「どういうこと……?」

 「そのままの意味だよ。セシール=グラディウス。このままだとエッジは、終わってしまう。せっかく素敵な『カルマ』を手に入れたのに、このままだと彼の心は壊れてしまう」

 その言葉に、私は我を忘れて人差し指を突きつける。その指先に、灼熱を灯して。

 「答えなさい。エッジはどこ? 何があったって言うの!?」

 「魔法……あはぁん、なるほど。君はハーフエルフか。納得だ」

 「な!?」

 いきなり正体を看破されたことに、私はたじろぐ。

 「人種は違えど、心を通わせた仲だしねえ。うん。君なら、きっとエッジを助けられるね。大事なのはその意志だから。助けたいっていう気持ちなんだ」

 「わけのわからないことを!」

 私は指先の魔力を解き放ち、その子供を焼き払う。

 だが、白髪は身をひるがえして軽やかにステップを踏み、私の火球を回避する。

 「練度が低い低い。そんなことじゃあ、百年経っても僕には傷一つつけられないよ」

 歌うように子供は笑う。

 「うるさい! エッジに何をしたの! エッジをどうしたの!」

 子供は羽のようにふわりと宙を舞うと、屋根の上に飛び乗る。

 「ボクは何も。彼が自力でカルマを体得したっていうだけだ。……こんなのは久しぶりさ。ボクも少し期待していたんだけど……自分のしたことを認めたくなくて、心が壊れてしまいそうなのさ、エッジは」

 だから、誰かが支えてやらなきゃいけないよ。

 そう言い残して、雪のように白い髪の少年は姿を眩ます。

 文字通り、消えるようにして。

 

 「くそ、こうしていられない! 早く盗賊ギルドに……!」

 駆け出そうとした私は、ジャンに掴まれ、引き留められる。

 「待てよ」

 「なによ!? 早くいかないとエッジが!」

 「お前、ハーフエルフだったのか?」


 その言葉が、胸に刺さる。

 表情の消えた瞳で、私を射抜く。

 ずっと軽薄な笑みを浮かべていたはずの口元が、私を罵る。

 「騙してたのか、テメエ」

 「今はそんなこと気にしてる場合じゃないでしょ!? あの子供の言うことが本当だったら、エッジが危な……」

 「敵国の人間じゃねえかよテメエは!」

 ジャンは怒り狂ったように叫ぶと、空いている方の手で私を殴りつける。

 「あぐっ」

 「このスパイめ、何がエッジの知り合いだ! 何の目的があってここに来た!」

 「エッジの知り合いって言うのは本当よ! ここに来たのも私的な理由で国は関係ない!」

 「そんなウソ信じるとでも思ってんのかよ!」

 「本当だってば! 妹が奴隷になってるかも知れなくて、それで!」

 もう一度、頬を強く殴られる。今度はそのまま地面に引き倒され、腹の上にのしかかられる。そのまま何度も激しく殴打してくる。


 「言え! 本当の目的は!? 敵情視察か!? 内部からの攻撃か!? 帝国をお前らの好きにはさせないぞ、この亜人め! 答えろ!」

 「嘘じゃない! 私嘘ついてないもん!」

 「そんなの誰が信じるって言うんだよ!」

 「エッジは信じてくれたもん!」

 私は半分泣きながら訴える。

 その言葉に、ジャンの動きが止まる。

 「え、エッジは! 私がハーフエルフだって知っても! 顔色変えずに話してくれたもん! 妹を助ける手伝いしてくれたもん! エッジは……私の事、信じてくれたもん!」


 一番最初に、彼に襲われたときは自分の正体がばれたからだと思った。

 でも、それ以上に彼は奴隷商人を憎んでて。

奴隷に関わる連中を憎んでて。

 私の正体がどうとか。そんなことは彼にとっては些末な問題で。

 いつか、亜人と呼ばれる私達と、ニンゲンを名乗る彼らが、手を取り合っていく関係が見たいと思ってた私は、普通に接してくれる彼の態度が新鮮で。

 文化や思想は違っても。

 体のつくりが多少異なっていても。

 私たちは、同じヒトなんだと。

 そんなふうに思わせてくれる彼が、そばに居るだけで居心地が良くて。

 だから。

 「だから、彼が困ってるなら、私は力になりたいのよ!」


 今度こそジャンは手を降ろす。無言で私の上から退くと、壁を拳で叩く。

 「なるほど、そういうことかよ……あのお人好しが!」

 もう一度壁を叩く。ジャンの拳からは血が滲み、苦痛の表情に歪む。

 私は起き上がると、ローブの埃を払う。

 「私は、エッジに手助けしてもらった。だから、彼がピンチなら助けたいの。こんなことしてる場合じゃない。早く行こう、ジャン」

 「くっそ、気安く名前で呼んでんじゃねえよ……クソ!」

 ジャンは腹立たしげに吐き捨てると、再び走り出す。




 この戦争で、傷ついているのは私達だけじゃない。

 彼らミッドランダーだって、同じように傷ついているのだ。

 私たちが大切な人を失った戦場の向こう側では、同じように大切な人を失った者がいるはずなのだ。

 戦争とは、そういうものだ。

 わかっていたつもりだった。

 でも、ジャンのあの態度を見れば、いかに自分が甘かったかを痛感する。

 私たちは敵同士だ。

 仇かもしれない。

 そう思ったら、誰が今のジャンの行動を責められるだろうか。

 きっと彼も、失った人間だ。

 大切な人を敵の手によって奪われ、悲しみの底に叩きつけられて。自分が生きている意味さえも分からなくなってしまうような気持ちを味わった人間なんだ。

 私たちと同じ。

 

 盗賊ギルドの前に到着するまで、私たちはお互いに一言も口を利かずに走った。

 「ここがそうだ」

 「盗賊ギルド……」

 その建物は、聞いていた以上に廃れており、壁のあちこちに穴が開いているのが見受けられる。だが、私は違和感を感じ取る。おそらくは、隣にいたジャンも同じように感じているだろう。

 「……やけに静かだな」

 「いつもこんな感じなの?」

 「いや……そりゃあ昼間だから、うるさいってほどじゃないが……いつもより静かだ。というよりは……」

 誰もいない。そんな言葉が続くのだろうが、彼はその言葉を飲み込む。それが事実であることを拒むように。


 彼は気づいてないのだろうか。この濃厚な死臭に。錆びついた鉄の匂いに。

 「エッジ……」

 私は扉に手を掛ける。すると重厚な扉はなんの抵抗もなく、すんなりと私たちを中へ誘う。




 一面の真紅に染まった、地獄へと。


 「な……!?」

 一層濃くなった死臭に、私は顔を背ける。

 ジャンが驚き、私を押しのけて地獄へと足を踏み入れる。

 「これは……!?」

 改めて中を確認する。

 惨たらしく切り刻まれた者、四肢を切断されたもの、人であったことが疑わしいほどの死体の数々を目の当たりにして、吐き気を覚える。

 「コレ……どういうことなの? ……エッジは?」

 「知るかよ……こんなこと出来る奴なんて、俺は知らねえぞ……」

 ジャンは建物の中を探し始める。

 「この中に、エッジがいるかもしれねえ。……探そう」

 「……うん」

 私とジャンは、決して安らかな死に方ではない者たちを、可能な限り調べていく。

 しかし、その作業は決して焦ったり急いだりしたものではなかった。

 心のどこかで、私たちは察していた。


 ここにはエッジはいないと。


 しばらく探し回り、靴が血で汚れ、手が紅く染まって、ようやく私たちは凄惨な現場から離れる。

 外の新鮮な空気で肺を膨らますのと同時に、自らの衣服に死臭がこびりついてしまったことを感じ、憂鬱な気持ちになる。

 「こっちには、それらしいのはいなかった。お前は?」

 ジャンの問いかけに、私は黙って首を振ることで応える。彼はそうか、とだけ応じると、顎に手を当てて考え込む。

 エッジはここにはいない。少なくとも、あの死体の山の中にそれらしい人物はいなかった。

 彼はここにはいなかったのだろうか。

 私はそれに対して、少し安堵を覚える。

 ……人が死んでいるのに、不謹慎なことだけど。


 やがて、考え込んでいたジャンは、顔を上げると私に話しかけてくる。

 「お前は引き続きエッジを探してくれ。」

 「アンタはどうすんの?」

 「……ここの奴らを弔っていく。一応、顔見知りも何人かいたからな……」

 「そう」

 私は再び来た道を戻るべく足を向ける。

 「あいつに会ったら、気をつけろよ。なにか、やばいことが起きてる」

 「……そう」

 私はそのまま振り向くこともなく、再び歩き出した。




 本当は、なんとなくわかっていた。

 あの地獄を作り出したのは、おそらく……。

 「エッジ……何があったの……?」

 私は地面とにらめっこしながらあてもなく歩く。

 ある程度まで接近すれば、彼の魔力……マナを感じ取ることができるが、その範囲には今のところ何も感じ取れずにいる。


 私は後悔する。

 もしあの時。奴隷市場で走り出す彼の手を引いて、止めることができていれば。あんな惨劇は生まれなかったのかもしれない、と。


 いや、きっと私ではだめだっただろう。彼の心の闇を理解しているわけではない、ただの他国の人間が何を言っても、彼の心に響くことはなかった。

 彼は、きっと裏切られたんだろう。他人に裏切られ、仲間に裏切られ。他者を信じることができなくなっているのかもしれない。そんな彼に、私が何かを言ったところで届くだろうか。


 当てもなく足を動かす。特に目星がついていたわけでもない。ただ、なんとなくで歩いていただけだった。数日間一緒に住まわせてもらっていた家に、自然と足が向いていた。

 「……いるわけないじゃない」

 そんなことをつぶやきながら、私はひとまず家に戻る。彼の家に。


 「え?」


 だから、反応があったことに驚いた。

 かすかに、彼のマナを感じる。それも、今歩いている方角から。

 「ホントにいるの?」

 私は家の前まで駆けていく。どんどん、その感覚は強くなっていき、私の疑問は確信に変わる。


 いる。間違いなく、ここに。

 「はあ……やっと見つけたわ」

 私は安堵のため息をついた。

 彼がいる。無事なのだ。そう思い、ドアを開ける。

 そしたらきっと、彼は気まずそうな顔をしているか、私を睨みつけたりして、自分から遠ざけようとするんだろうな、とかそんなことを考えていた。でも、きっとしっかり話し合えば、彼と和解してまた一緒に居られるだろう。さて、なんて言ってやろうかしら。


 そして、私は目の当たりにする。




 壊れたエッジの姿を。


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