盗賊ギルド 十七
十七
いつまでたってもやって来ない斬撃。
なんだろう、躊躇ってんのかな?
そんな感傷めいたものが、アイツにあるとは思えないけれど。
不審に思って俺は目を開ける。
「あ?」
間抜けな声だった。それがこの場にとても似つかわしくない、素っ頓狂なものだとわかり、次いでそれが自分の口から発せられたと理解するのにもう少し時間がかかった。
クラインが、いなくなっていた。
なんでだろう。
わからず首をひねる。
こんな事態になってるってのに、周りの連中はどうして騒がない?
ふと、周りを見回すが、誰もいない。
おかしいな。なんで誰もいない? さっきまではいたじゃないか。
そう言えば、いつの間にか辺りが静かだ。
俺は周囲を確認するべく、眠い目をこすって広間を歩きはじめる。
「あれ?」
なんで俺、拘束が解けてるんだ?
それだけじゃない、どうして俺は今突っ立ってた?
拘束は? 壁の鎖は?
なんだろう、よくわかんねえ。
ぼんやりとしている頭を何度か振って、しゃっきりさせる。
ん?
なんだ、なんか違和感があるな。なんだろう。
ああ。わかった。
なんか、寝起きみたいな感覚だからだ。朝目が覚めたような、そんな感じ。
思えば、外は夕闇に染まり始めていたのに、今は朝方みたいだし。
変だな、少し目を瞑ってただけだと思ったのに。
いつの間にか寝てたのか? いや、そんなばかな。
とにかく、拘束も解かれてて、誰もいなくなってるなら、逃げ出すチャンスだ。
状況は飲み込めないが、とりあえずこの場から離れた方がいい。
「クラインの野郎……どこ行きやがった」
あの状況で、みすみす俺を見逃す意味が分からない。何か狙いがあるのか、それとも。
しかし、妙な感じだな。なんだか体が重い。全身がずぶぬれだし、何だっていうんだ。こんなに汗かいた覚えはねえぞ。
手首が痛い。そう思って目をやると、俺の手首にはロープが食い込んだような跡がくっきりと残っていた。それが俺の肌を裂いているのもわかる。
「……?」
わけがわからない。けど、なんだか変な気分だ。
妙にすっきりしてきた。
なんか、成し遂げた感がすごい。
こんなにさわやかな気分が、今まであっただろうか。
「腹減ったな」
暢気なことだが、そんなことをつぶやく。
何か食べようと歩き出すが、やけに地面が濡れている。誰か酒でもこぼしたのだろうか。そう言えば、心なしかテーブルやなんかも倒れているようだ。
被害に遭ってない近場のテーブルに近づくと、椅子の上に大き目の袋が置いてあった。
俺はそれをどかして椅子に座ると、置きっぱなしになっていたサラダを黙々と食べ始める。
渇いた野菜には誰がつくったのか、味気ないドレッシングしかかけられておらず、その上なんだかもそもそしていてあまりおいしくない。
しかし、腹を満たすには十分だった。
さて、どうしようかな。
とりあえず、セシールに会いにでも行ってみるか。相当怒られるだろうけど、きっと事情を話せば許してくれるだろう。
「あれ、起きてたんだ」
聞きなれない子供の声が聞こえて、俺はそちらをゆっくりと見遣る。
「こんな状況でよく、何かを食べる気になるね、君」
白髪の、赤い瞳の子供が、部屋の隅のテーブルに座り、足をぶらつかせながらこちらを見ていた。
「まあ、危機的状況なのは間違いないんだろうけど……腹減ったし、しょうがないだろ」
「ふーん。そういうもんなんだね」
俺は見知らぬ少年を見ながら、テーブルの上の肉に手を伸ばす。
「まあ、腹が減っては戦はできない、なんて言葉もあるくらいだからな」
「……それ、食べないほうが良いと思うよ」
齧ろうとした瞬間、その子供が俺にそんな忠告をする。
「? なんでだ?」
「……多分、戻れなくなるよ」
「は?」
「やっぱりか……。理解してなかったんだね。いや、理解しようとしてないだけか、はたまた狂ったフリなのか……」
白髪の子供はため息をつきながら首を横に振る。
「何を言ってるんだ?」
「いいかい、エッジ。自分のしたことをよーく見るんだ。目を逸らしていたら、君の『カルマ』は永久に失われたままだよ。それは……もったいない」
「『カルマ』? 何を言ってるんだ?」
「……エッジ、君は『ソレ』を本当に食べるつもりなの?」
その子が指さす方向。俺が手に持った肉。
俺は、それを見る。
人間の右手だった。
「あ……?」
「思いだしなよ、君が何をしたのかを。君が、何を強く望んだのかを、さ」
そういうと、子供はテーブルから飛び降りアジトから出て行く。
転がる、数多の亡骸を踏みつけながら。
俺は再び自分の周囲を見る。
そこには、赤が広がっていた。
壁も赤。
テーブルも赤。
床も赤。
さっき俺が食べてた、野菜も赤。
俺が手に持ってる、誰かの右手も、赤。
おびただしい、百人以上の死体と血液にまみれた凄惨なアジトの中に、悲鳴が響く。
「あ、うああああ!!!」
俺は誰かの腕を放り投げると、椅子から立ち上がって周囲を確認する。
床は血液でぐちゃぐちゃに濡れていて。
切り刻まれた死体がテーブルに引っかかるように転がっていて。
袋だと思っていたものは、手足と首がもがれた死体で。
クラインは、全身を切り刻まれて、壁際で息絶えていた。
「ああ、うぉえ、うごぇええ!」
たまらず、嘔吐する。
先ほど胃に詰め込んだ血まみれの野菜がすべて逆流する。真っ赤な嘔吐物をまき散らして、嘔吐しながら混乱する頭を必死に働かせる。
なんだ、なんだ、なんだ。
だれがこんなことを、いったいなんで。
さっきの子供はなんだ。何者だ。
ああ、そうか、アイツがやったのか、クソ、何てことだ。
相当ヤバい奴だアイツは。きっとアイツがみんなを殺して、俺に頭をおかしくする魔法を使ったんだ。きっとそうだ。そうだろう?
やばいぞ、アイツを放っておいたらみんなが危なくなる。殺さなきゃ。アイツがみんなを殺す前に殺さなきゃ。じゃないと俺の殺す分がなくなっちゃう。早くいって、皆殺しにしないと。アイツに殺される前に、俺がみんなを殺してあげないと。
握っていたナイフにより一層力を込め、俺は走り出そうとして、自分の顔に笑みが浮かんでいたことに気付いてハッとする。
いや、ちがう。
違う違う違う!
なんでみんなを殺そうとしてんだ俺は!?
わかんねえ、何だこれ。何してんだおれ。
気持ち悪い。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!!!
「なん、何だよコレ、何だよコレはあ!?」
誰もかれもが死んだ空間で、俺は悲鳴を上げる。
記憶が蘇る。
違う、ああ、いや、そんな。
馬鹿な、いや、嘘だ、こんなの。
うそだ、うそだ、うそだ。
俺じゃない、俺じゃない!
「おれじゃない、俺じゃない、俺じゃない、俺じゃないんだ……!」
記憶がゆっくりと蘇る。
そしてそれは、俺に真実を告げる。
全部お前がやったんだよ、と。
偶然だった。
たまたまロープが痛んでいて、俺は両手斧が振り下ろされる寸前でそれを自力で引きちぎった。多分、その時に理性も一緒に吹き飛んだんだろう。
隠しナイフで両手斧の軌道を逸らして、即座に自分の拘束を全部切ったんだ。
それで、驚いていたクラインを切ったんだ。
仲間に気付かれて、俺は皆を切り刻んだんだ。
食事中で、戦う準備もろくにしてなかったみんなを、斬ったんだ。
笑いながら、切り刻んで、切断して、目玉をくりぬいて、顎をかち割って、内臓をぶちまけて、四肢を切断して、脳みそをまき散らさせて、死体を投げつけて、刺して裂いて貫いて斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って。笑いながら殺したんだ。
狂ったように、笑いながら。
その後ひとしきり全員の死体をもっと切り刻んで、何が何だかわからなくなるくらい、原型が分からないくらい切り刻んで、それで。
壁に寄りかかって、寝たんだ。
死体だらけのこの異常な空間で、阿呆みたいに眠りこけたんだ。
「あ、は、が、はは、はあ、ひっ」
呼吸が乱れて、頭が白くなってくる。
息ができない。過呼吸を起こしている。
思考がまとまらない。頭に鉛でも入ってるんじゃないのか?
自分の頭を掻きむしる。
途中で頭がぬるりと滑る。
血が出てる。
でも頭の靄は晴れない。
取れない。
取りたい。
かきむしる。
血が出る。
かきむしる。
「ああ、がああああああああ!!!!!」
訳がわからなくて、俺はずっと手に持っていたナイフを床に投げ捨てる。
すでに刃こぼれしすぎて使い物にならなくなったそれは床で跳ね返ると、明後日の方向に跳んで行った。
「わああああああああああああ!」
自分の血か、仲間だったものの血か。頭からつま先まで真っ赤になった自分の姿を認めたくなくて、俺はアジトを飛び出す。
走って、走って、走って。
走って走って走って。
逃げて、逃げて、逃げて。
俺は自分の隠れ家に飛び込む。
奥歯がガタガタ音を鳴らしている。
何してんだろ俺。
部屋の隅で震える。
自分が、あれを?
信じられない。
信じたくない。
どうしよう、どうしよう、どうしよう。
何が? どうしようって何が?
どうすればいい。
何を?
怖い、怖い、怖い。
自分は何を考えていたのかわからなくて怖い。
自分がなんで笑いながら仲間を殺したのかが分からなくて怖い。
怖い。
一人でいたい。
怖い。
独りでいたくない。
そこで俺は思い出す。
あの時、何を願ったのかを思い出す。
今まで、何を望んでいたのかを思い出す。
「一人に……」
一人になりたかった。
たったそれだけの理由。
クラインのくだらない嘘も聞きたくなかった。
人殺しで生計を立てる自分自身を誰かに見られたくない。
裏切られるくらいなら仲間なんていらない。
失望されるくらいなら友達なんていらない。
何もいらない。
だから俺は望んだ。
ただ一つを俺は望んだ。
他者と干渉しない世界を。
ほんの数年前、自らこのギルドに入りたいと言った癖に。
独りに耐え切れなくて、どうしていいかわからなくて、自分以下の人間を周りに置いておこうと思って仲間に加わった癖に。
なのに俺は、その関係をどこかで否定したかった。
こんなふうになりたくないと思っていた人間に自分がなることが嫌だった。
だから全部、消してしまいたいと。
自分がここにいた痕跡を消してしまいたいと。
いつからかそんなことを思っていた。
たったそれだけの為に。
たったそれだけの、自分勝手な感情で俺は。
俺はあそこにいた人間すべてを皆殺しにした。
それはそれは愉快そうに、笑いながら。
これで全部終わらせられると。
クズ人間の輪から抜け出せると。
本当のクズ人間は。
いったいどっちだ。
おしまいだ。
俺は狂ってしまったんだ。
いや、きっと俺はもう狂っていたんだ。
セシールにも言われたじゃないか。狂ってるって。
おしまいだ。
俺は、部屋の隅で震え続けた。
何かを待っていたわけでもなく、ただただ一人で震えていた。
俺は。
俺はこれからどうするつもりなんだろう。
答えの出ない問いを、延々と自らに投げ続ける、一人の時間が過ぎていく。
そして、俺は望んでいたはずの一人きりの時間を、涙を垂れ流して、嗚咽を漏らして、自分自身に怯えて過ごした。
セシールに見つけてもらう、その時まで。