盗賊ギルド 十三
十三
「ビハインドエッジだと?」
ジャンが目を見開く。
「そんなもの、たとえ情報として出されたとしても根拠なんて出せないだろう。何せ奴は自分の顔を見たらどんな人間も消してきた大悪党だ」
ジャンは肩をすくめると、席を立ちあがる。
「嘘つくにしても、もう少しましな嘘をつけっての。あーあ、シラケちまったぜ」
そのまま立ち去ろうとしているジャンに、俺は言い放つ。
「それじゃあ、ビハインドエッジの情報はこのオッサンに売っちまってもいいんだな?」
「……あん?」
ジャンはその瞬間、動きを止める。
「おい、まさかアンタの情報が本物だって言いたいのかよ? それにしてはハッタリがへたくそだぜ」
「信じるかどうかはアンタ次第だ。信じないなら別の情報屋のところに行く。なぜなら俺は、その『根拠』って奴を提示できるからだ」
俺はそう言うと、不敵に笑って見せる。
「俺としては、より高い金額を提示してくれる奴にこの情報を売りたいと思ってるんだ。なにせ、とっておきの情報だ。それなりの額が欲しいね」
「……なるほど、情報を競りにかけるわけか。やるじゃん」
ジャンが心底愉快そうに笑う。ジョルジュは俺とジャンに対して、真剣なまなざしを向け続けている。俺たちのやり取りをみて、真実を見極めようとしているようだ。
ここが正念場だ。
おそらく、俺の正体を売れば、すぐに俺を消しにかかる者たちがいるはずだ。十中八九、間違いなく。
それに、奴隷市場の場所を掴んだとしても、金がなければ奴隷を買い戻すことはできない。セシールは無一文で、俺が死んだとしても彼女に支払い能力があるとは思えない。
だからせめて、奴隷を買えるだけの金額をこいつらからふんだくる。それが俺の出した結論だった。
ジャンと睨み合う。そして横からは店主が俺達二人を見ている、という図だ。
「一つ確認したいんだが」
そう言ってジャンは手を上げる。
「それはビハインドエッジの正体についての情報ってことでいいんだよな? もし商談が成立した段階で金を盗んでとんずら、なんてことだったら……」
「心配しなくても、ビハインドエッジの正体についてだ」
「……あいよ、わかった」
そういうと、ジャンは椅子にドカッと座りこむ。
「で、いくらからスタートだ?」
「……三百ゴールドからだ」
「はあ!?」
俺の答えに、ジャンは納得いかないという顔をする。
「ふざけんなよ、アンタ! いくらなんでもそれは」
「ふざけてなんかいない。俺は大真面目だ。それだけ、この奴隷市場の取引を成功させたいんだ。……俺は奴隷市場の情報料の相場は知らなくても、奴隷の相場はわかってるつもりだ。」
俺がそういうと、立ち上がっていたジャンは悔しそうに椅子に座る。
そう、基本的に奴隷の売買は百五十ゴールドあたりから競りにかけられる。そこから少しずつ値段が上がっていき、平均で二百五十、高くて五百ゴールドほどにまで金額が跳ね上がることがある。
かつて俺が奴隷だった時に、実際に目の前でそれを見てきたのだ。間違えるはずもない。
もっとも、ジャンが奴隷の相場を知っているかどうかはわからないが。
「……ふふん。なるほど。久しぶりにとんでもない奴に出会えたってわけだ。良いだろう。三百十ゴールドで買おう。」
「……ジョルジュは?」
俺が尋ねると、彼はしばし思案した後。
「三百三十……」
「ほう、結構張るねえジョルジュ。じゃあ俺は三百五十だ。」
「……三百六十」
「……三百六十五」
「三百七十……」
「! ……三百八十だ」
面白いように値段が跳ね上がっていく。
「四百ゴールド」
「おいおい……そんなに張るか普通? くっそ……四百十だ!」
「四百三十」
「くああああ……! 四百五十! これでどうだ!」
「……」
ジョルジュが無言になり、首を振る。
「くっそ~……結局すげえ金額払わなきゃいけねえじゃねえかよ! マジで情報が嘘だったら恨むからな!」
ジャンはうめきながら俺を睨む。しかし、内心俺は安堵していた。
これだけあれば、よほどのことがない限り、普通のの奴隷であれば買うことができる。奴隷市場の情報料として百ゴールド渡したところで、こちらには三百五十ゴールド残る。あとは、その情報と金をセシールに渡して、それから……
「まあいい。とにかく、ビハインドエッジについて教えろ。こっちはかなりの金額を提示してるんだ」
ジャンの言葉に俺は頷く。
「わかった。ただし、お前と俺の二人きりじゃないとだめだ。それも、絶対に他人に気付かれない場所じゃないと」
「……いいぜ」
ジャンもまた頷くと、ポケットから数枚の銀貨をカウンターに置く。
「じゃあジョルジュ。会計はここに置いておくぜ」
立ち上がり、俺達は二人そろって店を後にする。
大通りを出て、路地裏に入り、さらに奥深くへと進む。そこはすでにスラム街であり、日々の生活を何とかやり過ごす人たちであふれている。
お互いに、言葉を一つも発しないまま、さらに奥の、袋小路になっている路地まで進む。
「……ここなら、余程のことがない限り誰かに見つかる心配もないだろう。さ、話してもらぜ」
ジャンはそう言うと白い歯をのぞかせる。
俺は深呼吸し、正体を語る。
「……俺が、ビハインドエッジだ」
「……」
「信じられないなら、いくらか見せてもいいけど……練習台がいないから……」
俺は言葉を発するうちに気が付く。
俺の正体を保証するには、戦っている姿を見せなくてはならない。
でも、それをするには相手がいない。自ら二人きりで話を進めようと持ちかけたくせに、肝心の『情報』の信憑性を証明する手段がなかったのだ。
うかつとしか言いようがない。
本人である自分が自らの正体を言おうが自由だけど、それを真実かどうかを見定めるのは相手なのだ。自らの言葉を信じさせるなら、証拠がなくてはならない。しかし今、そんなものはない。
案の定、ジャンはあきれたような、それでいて馬鹿にしたような表情を浮かべる。
嘲笑。
まさにそれだった。
鼻で笑い、肩をグルグルと回すと何度か首を回す。
「なあ、アンタ。もしかして自分だけだと思ったか?」
「? 何を言って……」
言っている意味が分からないし、話がつながらない。突然何を言い出しているんだ、ジャンは?
俺は疑問に思ったが、すぐにジャンが口を開く。
「自分こそがビハインドエッジだと、大ボラ吹くような奴がだよ!」
ジャンはそう言うと右手を掲げ、指を鳴らす。
その瞬間。
「!?」
周囲の屋根の上から数人の男たちが現れる。もっとも、全員が黒いローブを着ていたので、体格で判断したに過ぎないが。
「恨むなよ、坊や。嘘ついて金をだまし取ろうとしたのはお前だぜ。」
ジャンはそう言うと、上げていた手を振りおろし。
「殺れ!」
叫び声と同時、数人の男たちが俺の周りを囲む。
視界に入るだけでざっと十人ほど。もしかしたら、まだどこかに隠れているかもしれない。男たちは武器になるようなものを持っていないようにも見える。
前方の三人が一気にこちらに距離を詰める。その動作をみて、只者じゃないと感じる。突進をかわすべく左右のどちらかに避けようと視線を動かすが、どちらも複数の人間に囲まれていてとても躱せそうにない。
男の一人がローブに隠した武器を取り出す。針のような武器だが、人間の前腕ほどの長さがあり、その細さは暗闇では視認しにくい。
後ろに下がることも考えたが、おそらく背後にも何人か潜んでいるだろう。でなければ前方の連中が単純に突進してくる理由が分からない。おそらくは、挟み撃ちが狙いだろう。
鼓動が高鳴る。
やるしかない。
まずは一人でもいい。多少の傷を負っても仕方ないと判断し、俺はあえて後ろに下がらず、前方の三人に飛び込む。そして十分近づき、連中の手に握られた暗器が振りかぶられたの見て。一気に姿勢を低くする。
男たちの死角、足元へと滑り込むと、真ん中の男をターゲットに定める。
その足を掴んで滑り込んだ勢いを利用し、相手の態勢を崩す。素早く男の背後で立ち上がり、よろめいた男のうなじ目掛けて、俺が衣服に忍ばせているナイフを突き立てる。
ザグッ、と硬い骨の手ごたえを感じながら、刃物の根本まで刺しこむ。
一瞬で姿を見失ったことと、仲間が一人殺されていることに茫然となる前衛の二人。右手にナイフを持っていたので、自分から見て右側にいる男にそれを投げる。
ナイフは回転しながら飛び、男の目に深々と突き刺さる。あれだけ刺されば脳にダメージを負わせられたはずだ。
改めて周囲を確認すると、残った男たちは十一人。顔は見えないが、各々抱いている感情は別だ。
ある者は怒り、ある者は怯え。あるものは驚き、ある者は悲しみ。その姿を確認して、俺はすぐさま次のナイフを懐から取り出して構える。
現段階で俺の一連の行動を見ていなかったのはひとりだけだろう。殺しそびれた突撃係の男だ。まずは数を減らすべく、その男に狙いを定める。
走りだし、一気に距離を縮める。男は怯み、数歩後ろへ下がる。
そしてそれをフォローするかのように、一人が俺にナイフを突き立てようとする。が、俺はそれに対してナイフを男の肘に突き立てることにより無理やり止める。
ケキッ、と骨が裂ける感覚が自らの腕に伝わる。そして同時に、ナイフを持った手を全力で後ろにふるう。仕掛けてくるならこの瞬間だろうと予測しての行動だ。
金属音が響き、腕に鈍い衝撃が走る。別の者が俺に振るった斧に、ナイフがあたってその軌道を逸らす。
腕のしびれを無視して、そのまま斧を持った男の顎に回し蹴りを放つ。踵がぶつかり、相手の脳を揺らす。そのまま男が意識を失う。
その時、肘を砕かれた男が俺を羽交い絞めにする。その瞬間を待っていたかのように、左右から三人ずつ、計六人がそれぞれの武器を掲げながら突っ込んでくる。
一か八か、俺は体を反転させて捕まえている男を盾にする。
何人かの武器が男の体に突き刺さり、絶叫が響き渡る。しかし同時に貫通した刃物が俺の体にいくつか届き、背中にダメージを負ってしまう。
緩んだ腕をほどき、それを集団の中に蹴り込む。よろめいた隙をついて、一気に左に駆けだすと、流れるような動きで背後を取り、数人の首を刻む。
そのまま突き当りの壁の近くまで走り抜けて距離を取ると、反転して構える。
男の数は六人にまで減った。
肩で息をしながら、俺は周囲を警戒する。
ほんの一瞬で仲間の半数がやられたことが相当ショックだったのか、男たちはジリジリと距離を詰めてきてはいるものの、迂闊に飛び込んでくるような真似はしない。
俺は油断しないように周囲に気を配りながら、息が整うのを待つ。そして。
「無駄だ。俺を殺したければ三十人は用意するべきだったな」
そう言って、相手の出方を見る。
挑発めいた言い方に、男たちは反応する。再び俺を取り囲むように広がると、一斉に飛びかかってくる暗殺者たち。
俺は後ろを振り向き、走る。当然、背後には壁がある。その壁を蹴り、空中に躍り出た俺は、そのまま上下逆さまの状態で連中の背後に回り込む。
回転しながら一人の首を刈り取り、着地と同時に隣にいた背の高い男の背中にナイフを突き立てる。叫び声を上げ、脱力する男を地面に放り、連中の中に飛び込む。
敵が突然視界から消え、再び現れて反応が遅れる男たち。何の躊躇もなく真正面から切り付ける。
二人ほど屠ったが、三人目で攻撃を受け止められて、鍔迫り合いの形になる。
まずいと思ったが、すでに二人が俺の横に回り込んできて、武器を振るう姿が見えた。
俺は一瞬だけ力を緩め、鍔迫り合いをしている男に隙を作る。そのまま体を掴み、地面に引き倒すと、男の顎を踏み抜いて跳躍する。
斬撃が足をかすめ、血をしたたらせるが、この程度で済んで幸運だった。そのまま壁体を蹴って跳躍し、再びまた別の壁を蹴って跳びまわる。男たちが目でこちらを追おうとするが、俺はそれをナイフを投げることで牽制する。残った二人はナイフを難なく躱し、態勢を整える。それとほぼ同時に俺は地面に着地して、徒手空拳で構える。
男たちは武器を持っていない俺の姿を見て、今が好機と思ったのだろう。二人一斉に飛びかかってくると、それぞれの武器を振りかざす。
「……バカが」
短くそれだけ言って、腹の底でほくそ笑む。俺はしゃがむと同時に両下肢に忍ばせていたナイフ計六本を乱れ撃つ。
突然の反撃に、男たちは対応しきれずに、ナイフを体に受けて、動きが止まる。
痛みで動きを止めてしまうところを見るあたり、まだまだ本職の暗殺者を越えられないな、などと思いながら、俺はダメ押しで腰からナイフを抜き放ち、それぞれの頭部に投げる。
グサッという音を立てながら、男たちの顔面にナイフが深々と突き刺さり、そのまま絶命する。
俺は肩で息をしながらさらに周囲を窺う。もしほかに隠れているものがいれば、襲ってくるタイミングは今だろう。しかし、周囲に殺気はなく、俺はほっと一息つく。
そして、ジャンの方を向く。
彼は茫然と俺と暗殺者たちのやり取りを眺めており、口をぽかんと開けていた。
先ほどの暗殺者たちは、ジャンの差し向けたもので間違いないだろう。おそらく、護衛として、あるいは嘘の情報を掴ませてジャンを騙そうとするものを屠るために雇われた連中だったんだろう。
「……これで、『証拠』にはなったか?」
肩をすくめて見せると、ジャンはハッとして俺から後ずさる。
「嘘だろ……本物かよ……?」
「……まあな」
そう言って、俺は不敵に笑って見せる。
ジャンはしばらく瞑目する。そして覚悟を決めたように目を見開くと、俺に問いかける。
「それで? 俺を殺すのかい?」
ジャンのその問いかけに、俺は首を振る。
「馬鹿言うなよ。金も支払ってないのに殺すもんか」
「……本気か?」
ジャンは少しだけ後ずさりしながら警戒するように言う。
「俺が金を持ってることを知ってるんなら、さっさと殺して奪えばいいだろ? なんでそうしない? 目的は?」
「殺して奪う……か」
考えもしなかったな。そういえば。
確かに、そうしたほうが手っ取り早そうだ。情報はさっきの店主に聞いて、金はジャンからありったけ奪い取る。なるほど、良い考えだ。
でも。
「殺さねえよ。……一応、交渉成立した相手……言ってみれば、約束したようなもんだ。それを破ることは、しない」
そう言って、俺はジャンに近づく。
「信用が、大事なんだろ? こういうのって」
「……! ククク……」
ジャンは心底愉快そうに笑う。
「変わってんな、アンタ。いや、ビハインドエッジ。良いだろう、約束は約束だ。金を払うぜ。いや、払わせてくれ。」
ジャンはそう言うと、後ろを振り返る。
「ついてきな。ビハインドエッジ。金を渡す。俺の隠れ家に行こう」
俺は黙って頷くと、彼の後をついていった。