盗賊ギルド 五
五
奴隷。俺はこの存在を心から憎んでいる。
同じ人間同士のはずなのに、どうして他人に簡単に虐げられなくてはならないのか。どうして簡単に奪われなくてはならないのか。その答えは、いつも決まって『奴隷だから』だ。俺がいままでひどい目に遭わされていたのも、奴隷なんてものがあったからだ。
理不尽だ。そんなこと、あって良い訳がない。
そんなことを声高にして叫ぶ者などいない。下級市民にとって、自分より下の存在、自分以下の人間がいるという事実は、自らの心を保つうえでも必要なのだろう。貴族だって大差ない。自らの下に何人もの従者を連れている人間からすれば、それこそ奴隷などただの動く肉にすぎない。どこにいっても、奴隷は人間ではない。人間以下の、家畜以下だ。
暴力の対象として。性欲のはけ口として。強奪され、収奪され、剥奪され、略奪され、捕獲されて搾取される。何もかも奪われ、心が死に、残った物は、死んでいないだけの肉の塊になる。そして最後には、それすらも奪われる。
どんな理由があろうと、それだけのことを許して良い訳がない、許されて良い訳がない。
路地に迷い込んだ少女に、どんな思惑があったのかは知らない。それが果たされるかどうかも知ったことではないし、無関係だ。
でも奴隷だけはだめだ。それだけは、あってはいけない。どんな理由があろうと、どんな罪があろうと。奴隷だけは、認めてはいけない。奴隷にされそうな人間を、放っておいて良い訳がない。
それが俺の根底に根差すものだった。
無論、この少女の行動は自業自得だと思うし、どうにでもなれとは思う。しかし、奴隷にしてはいけない。
あんな思いを、してはいけない。するくらいなら、死んだ方がマシだ。
奴隷商人とつながりのある、見知ったスラム街の男たち。そのうちの一人を、投擲したナイフで殺す。頭に突き刺ささったナイフで、脳に多大なダメージを受け、男は痙攣しながら絶命する。
その後は、何事かとあたりを見回す男たちの目をかいくぐり、探りに来たものを路地裏に引き込んで殺し。
逃げ惑う男の口を塞いで喉を掻っ捌いて殺し。
警戒を続ける男を屋根の上から投げるナイフで殺し。
少女に詰め寄る男の背後から気付かれることなく刺殺し。
後ろから仕掛けてきた男を蹴り飛ばして心臓にナイフを突き立てて殺した。
当然、それだけのことをするにはそれなりの時間がかかる。逃げて、隠れて、追いかけて、気配を消して、忍び寄って、反撃して、殺しつくす。
それらが終わり、俺は肩で息を切らしながら、最後の男の死体からナイフを引き抜く。
「……」
少女は、何も言わず、ただ現状を傍観するだけだ。
当初から一貫して、彼女は怯えたりするところは一切見せず、ただ驚いたように緑色の瞳を見開くだけだ。
俺はナイフの血を拭うと、それを鞘に納め、その場から立ち去ろうとする。
「ちょっとまった、お兄さん。」
少女は俺に声をかけて制止を促す。俺は足を止めて、彼女の方を見る。
緑色の瞳は、先ほどまでのぼんやりとした表情ではなく、見開いてこちらを真正面から見据えている。
「どうして、この人たちを殺したの?」
その答えに、やはりこの女はバカだと痛感した。
誰の為に、こいつらを殺したと思ってるんだ。
誰の為に、お前を助けたと思ってるんだ。
全部、俺のためだ。
奴隷にされるところを見たくない。奴隷をこれ以上増やしたくない。それはただの、俺の感情がそうさせただけの、言ってみれば我儘だ。
「……前から、こいつらは殺そうと思っていた。それが今だった。それだけだ」
俺は短くそう言って、その場を去ろうとする。しかし、少女は俺のローブの袖をつかみ、引き留める。
「どうして?」
「……こいつらは奴隷商人とつながりがある。だから殺した」
俺は短く答えた。しかし、女は納得しない様子で、なおも俺に問いを投げかける。
「だからどうして? どうして奴隷商人だと殺すの? 一応、人間なんだよ?」
少女は俺の前に回り込み、顔を覗き込んでくる。その口調には、俺を咎めるような色が混ざっている。それが不快だ。
「……奴隷商人が嫌いだからだ。」
うんざりしたように俺はその手を振り払い、少女に向き合う。
「嫌いだから殺す。気に食わないから殺す。意に背いたから殺す。気が向いたから殺す。ここでは……スラム街では当たり前のことだ」
俺はさらに言葉を続ける。
「助かったと思ってるなら、勘違いしないことだ。ここにきて、俺の顔を見て、お前もただで返してやるつもりはない。」
そう。
奴隷になってはいけないと思う。
それくらいなら、死んだ方がマシだと。
だからこの女も、殺す。
……顔を見られた以上、仕方ないことだ。
「ふーん。そうか。お兄さん、奴隷に縁のある人か、じゃあ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど。」
少女は俺の殺気に怯むでもなく、俺の目を見て。
「奴隷市場って、どこにあるか知ってる?」
その言葉を聞いて、一瞬思考が止まるが、すぐに考える。
その質問をするってことは、奴隷を買う意思があるってことで。
この女は、奴隷を買うような人間で。
つまりこの女は。
「……ぶっ殺してやる!」
俺は吠えて、ナイフを振りかざす。
この女は、俺の敵だ。
奴隷を買い、ひどい目に遭わせる敵だ。脳がそう判断し、瞬時にこの女の抹殺を決断する。
一閃、血に汚れた薄暗い銀色が女の首を切り裂く。
はずだった。
「……こわっ、いきなり斬りかかんないでよ、節操ないなあ、もう。」
目の前には、薄い膜のようなものが淡い光を持って展開されていて、その光が俺の斬撃を弾く。
「は……?」
訳のわからない状況に間の抜けた声を上げたが、次の瞬間、女は俺に向かって手のひらを突きだしてくる。
顔面目掛けて放たれる掌底を回避するべく、俺はとっさに後ろに飛び退く。
しかし、回避したはずなのに、衝撃は突然やってくる。
「がぁ!」
すさまじい冷気を纏った何かが顔面にあたり、はじけ飛ぶ。衝撃で態勢は崩れ、そのまま俺は地面に転がる。
一瞬で顔が凍るような冷気に青ざめながら、衝撃のあった額に手を添える。
「……なん、だ……?」
そこには、確かに何かがぶつかったと思ったのに、あるのは痛みだけで、当の投げつけられた物体そのものが見当たらない。あたりを見回しても、それらしいものはない。
「おまえ、今何を……?」
少女の方を見て疑問を投げかけようとするが、その光景に言葉を失う。
彼女の周りには、色とりどりの光を放つ、光源がいくつも浮かんでいた。
「初めて見るのかな?」
茫然として言葉を探していると、その少女は少しだけ小ばかにしたように俺を見下ろし、口元を少し歪める。
「魔法」
少女はそう言うと、俺に再び手をかざした。




