ニサンの洞窟 六
ニサンの洞窟 六
「喰らえ!」
大腿部に忍ばせていたナイフを三本一気に抜き放ち、背後の敵にまとめて投擲する。しかしそれらは敵にぶつかることなく空を切る。
厳密にいうならば、一本は肋骨の隙間を縫って向こう側へ飛んでいき。
腹部に突き刺さるはずの一本は貫く対象にあたることなく闇に吸い込まれ。
薄暗がりの中放った頭部への一撃はむなしくその横を素通りする。
「!? あたらねえ!」
それはそうだろう。相手は人間ではない。ただの骨だ。人体の急所や痛覚によって動きが鈍るなどといったようなことは起こりえない。ましてや、肉も皮もない存在なのだ。端的にいうならば、的が小さい。ゆえに、攻撃が当たらない。
そして俺は、『人間の殺し方』には精通しているが、『死体との戦い方』など、一つもしらない。
分が悪い。悪すぎる。状況はすでに、詰みかけている。
「ソル君! 私が囮になる!」
「お前は黙ってろ! 今、策を考えてんだから死にたがってんじゃねえぞ馬鹿が!」
リディアの提案を一瞬で蹴り、俺はチンクエディアを抜き放ち前方のスケルトンに肉薄する。
頭部を破壊すれば、動きは止まる。だったら、確実に破壊するだけだ。
感情の昂ぶりを抑え込み、短剣を振るう。正確に頭部を捉えたチンクエディアはたやすく骨の塊を砕き、吹き飛ばす。
こんなところで死んでたまるか。
死霊術が発動している空間で自分が死ねばどうなるのかなんて、火を見るより明らかだ。こんな連中の仲間入りなど、したくない。
「リディア! 敵の数は!?」
「多すぎてわかんない!」
「だよな、畜生!」
どこから湧いて出てきているのか。
その答えはおそらく、『最初からいた』というのが正解だろう。
この場所、この空間を埋め尽くす、これらの骨すべてが、敵だと考えた方がいい。
しかし。
思考の隅で何かがひっかかる。
走りながら敵の頭部を武器と拳で吹き飛ばしながら、死にもの狂いで思考を巡らせる。
考えろ。何に引っかかっている?
呼吸が乱れる。
こいつらの出所はさっき結論が出ていたはずだ。じゃあ何に引っかかってる? このモヤモヤはなんだ?
汗が目に入る。走りながらそれを拭う。
違う。逃げることを考えないと。でも何かが引っかかってる。それが解決の糸口になるんじゃないか?
袖が掴まれる。振りほどく。リディアを背負い直し、走る。走る。走る。
どこから。違う。違う。そこじゃない。いつから。最初から。違う。そこでもない。違う。
わからない。
なぜあのタイミングで襲ってきたのか。
それがわからない。
タイミング。
俺たちが騒いでいる時には、なんの反応もなかった。
奴らが動き出す直前に、何かが起こった。何が?
俺は壁に視線を向ける。
壁の明かりは相変わらず。しかし、違っていたのは、その色。
明かりの色ではなく、「壁の色」。
一般的な茶色ではなく、赤い土。
「……! まさか、エリア移動が鍵か!」
「え、なに!? なんなのどうしたの!?」
そうだ、奴らが起き上がる直前、俺は『地質』が変化したことを感じ取っていた。
どういう理屈なのかは全く分からないが、おそらくこの地質のエリアに足を踏み入れたことが、奴らを目覚めさせた原因の可能性がある。
しかし。
「うしろ、めっちゃきてるよおー!!!」
「……ッチィ!」
背後はすでにスケルトンの群れ。今更戻ることはできない。それに戻ったところで出口があるわけでもない。やはり、このまま進むしか。
「くっそぉ! なんか打開策ないかリディア!?」
「だから、私が囮に!」
「それ以外でだ! 二人生き残る方法を考えろ!」
「そんな都合のいい方法なんて!」
「それを二人で考えるんだよ!」
そろそろ体力がもたない。足がもつれ始める。
こんなところでくたばれるか。まだ、まだ何も成し遂げてない。
奴隷解放どころか、山のように溜まった依頼も片付いてない、ウィリアムの稽古もまだ仕上げが残ってる、レリィが作ってくれると言っていた新作料理もまだ食ってない、ウルが今度散歩しようなんて言ってたのも、忙しさにかまけてまだ行ってやれてない、セシールには日頃のお礼もしてないしジャンやジョルジュの奴らには迷惑かけっぱなし、ガルドを始め、傭兵達にはねぎらいの言葉すらもまともにかけてやれてない。
背中に背負っている彼女の気持ちにも、まだ何も答えを返せていない。うやむやにしたままだ。
「死ねるかこんなところでえええええええ!!!」
自分の太ももを拳で叩き、無理やり走る。迫る死者の残骸を容赦なく剣で切り裂く。
前へ、前へ、前へ。
「もういいじゃん。使っちゃえよ」
不意に、そんな言葉が聞こえる。
「失ってもいいじゃん。自分のなら。どうせ、何もないだろう?」
使う。
何を。
アレを。
「ソル君?」
足が言うことを聞かなくなる。
感覚が鈍くなる。すべての感覚が。
「あ……ぉ……」
意識は、残ってる。でも、自分は何をしようとしている?
手に握っていたチンクエディアを取り落す。
体が勝手に動く。
「斬っちゃえ」
その言葉を皮切りに、俺は完全に足を止める。そして、残る意識の中で記憶が掘り起こされる。
『こんなこと、前にもあったな』
右手に走る痛みにも似た感覚。しかし、わずかに快楽にも似たそれは自然と俺の表情を歪ませる。
光を奪うように、闇が右手に集う。違う、そんな抽象的なものじゃない。
『負』だ。これは、俺の中にある『負』そのものだ。そう感じた。
いままでひた隠しにしてきた、俺の中の『負』の塊だ。それが、いま俺の右手の中で一つの形を成す。
「……剣?」
リディアのつぶやきを聞きながら、俺は目を細め、口角を歪ませながら、敵を見据える。
『なんだこれ……なんか、やばい』
戻れなくなりそう。なんとなく、そんな言葉が口をついて出そうになった。しかし、俺の体は俺の思い通りにはもう動かない。動いてくれない。
リディアを乱暴に振り落とし、俺は眼前の敵に左手を突き出していた。
見たことがある、光の束。前見た時……そう、ギルドでこれを使った時は、その光の糸は、俺に繋がっていた気がするのに。いまは、俺ではなく、ただ宙をさまよっている。
左手に、糸が集まる。いや、多分。
俺が集めている。なんだこれ。
スケルトンの拳がこちらに向かってくるのも構わず、おれはその糸の束に向かって、自らの負の塊を振り下ろす。
ぶちぶちと引き裂きながら、完全にすべての糸を切断する。
同時に、自分の中の何かも、引き裂かれるような感覚を味わう。
それは苦痛でありながらも、どこか爽快感のようなものを感じさせる。思いがけず、自分の口から叫び声が上がる。
「ヒャアああああああああっぶう!」
叫んでいる途中の俺の顔面に、骨の塊がぶつかり、俺の叫び声は中断された。
それと同時に、体の感覚も戻ってくる。顔面の痛みとともに。
「いってえぇ……」
「ソル君!」
這いながら俺の傍まで来ていたリディアが、俺とスケルトンたちの間に割って入る。が。
「……あれ?」
リディアが驚きの声を漏らす。俺もそちらを振り向くと、先ほどまで人間同様に動き回っていた人のなれの果てが、身じろぎ一つせずにそこに立ちつくしていた。
動きが止まった。その光景を見て、俺は理解する。
以前レリィから聞いた、リーキッドファミリー救出作戦。その時に俺がやった、不思議な攻撃。その正体は、きっとこれだ。
そうなると、コレは多分、『何らかの影響で動きが止まっているだけ』に過ぎない。
「リディア、行くぞ。背中に乗れ」
「え、で、でもこいつらは?」
「たぶん、一時的に動きが止まってるだけだ。動き出す前に、ほら早く」
「う、うん。それはいいんだけど……ソル君、一体何をしたの?」
不安げにリディアが俺に尋ねる。俺は数秒迷った後に、首を横に振る。
「……俺にもわかんねえ。でも、何とかなった。さあ、行こう」
彼女を背に乗せ、再び歩き出す。しかし、この時俺は妙な違和感を抱いていた。
少しずつ。
何かが削られていくような。
ぽっかりと胸に穴をあけられたような。
そんな感覚を拭えないまま、俺は足を先へと進めるのだった。




