霊獣使い
霊獣使い
「待て、このワン公!」
路地を駆け抜けるウィリアムと、小さな影。
今回の依頼は逃げ出した愛犬を連れ戻してくれという、ちょっとした金持ちからの依頼だ。愛犬家らしいのだが、家の中で飼っているため、依頼を出しに来たメイドが『掃除が大変なんですよ……』と愚痴っていたのが印象深い。
「兄ちゃん! そっちに行ったぞ!」
ウィリアムがそう叫ぶと同時、屋根伝いに並走していた俺は犬が小道を曲がる瞬間に、その目の前に降り立つ。そのまま勢いを殺せずに俺に飛び込んできた子犬を、俺はそのまま抱きかかえる。
「っしゃ、捕まえたぞこんにゃろー」
尻尾を大きくふりながら、小さな犬は俺の両手の中で元気に吠える。
「全く……遊んでるんじゃないんだぞ?」
「ハッハッハッハッハッハッハッハッ」
犬らしくやたらと速い呼吸をしながら、子犬は今度は俺の顔面を舐めまわしてくる。
「うわ、やめろ! 気持ち悪いって! くは、ははははは!」
「楽しそうに見えるぜ、兄ちゃん」
そう言って息を切らして近づいてくるウィリアム。
「ああ、お疲れウィリアム。そんじゃあ、ギルドに戻ろうぜ」
「兄ちゃんはなんでそんなに身体能力高いんだよ……いや、おいらが囮で、って提案したのはおいらだけどさ。なんでそれでうまく行っちゃうかな」
「まあ、走りながら壁登ったり跳んだり躱したりは、昔師匠に教わったからな。あの時はたくさん怪我したもんだ」
懐かしいな、なんて言いながら俺たちはジョルジュの酒場へと戻った。
ドアを開くのに連動して、備え付けのベルがカランと音を立てる。その音に、ギルド中の皆がこちらを振り向く。
「いらっしゃ……あ、ソルさん! お帰りなさい!」
トコトコとこちらに歩み寄ってくるレリィに、俺は片手をあげて軽く挨拶する。
「うまくいったよ」
「わあ、こんなにちっちゃい子だったんですね! 可愛いなあ!」
小さい体で精一杯主張するように大声で吠える子犬を、レリィは俺から受け取る。そのまま抱えると、ちっちゃい犬に顔を向けて語り掛ける。
「かわいいー! ねえ、お名前はなんていうの?」
「ワン! ワン!」
「へえ、シャルって言うんだー。私はねえ、レリィって言うんだよ? よろしくね?」
「ワン!」
「えへへ、ありがとう。いい子だね、シャル」
……犬と会話してる。どうしようかと複雑な気持ちになっていると、ウィリアムがちょっと気まずそうにレリィに話しかける。
「なあ、レリィ……」
「ん? なーに?」
「その、なんだ。犬とか猫とか、とさ。そのさ。喋ってると、なんかこう……痛々しく見えてくるぞ」
「あ……へ?」
瞬間、レリィは顔を真っ赤にして周囲に目をやる。
セシールはレリィに生暖かい笑顔を向けており、傭兵達も苦笑いしている。ジャンは心底面白そうに表情を歪めながら彼女を眺める。
「あ、ち、違うよ! 違うの違うの!」
「いやー違わないっすよレリィさ~ん」
「何その口調!? ウィリアム違うの、私本当に動物と話せるの!」
その言葉を聞いて、ますますみんなの表情が歪む。セシールだけは、なんだか甘いものでも食べた時みたいな笑顔してやがる。
「ほ、本当なんだよ!? 私、この子だけじゃなくてクロアとだって……!」
「レリィ、ちょっといいか?」
「え、ソルさん?」
俺がレリィの肩に手をやると、彼女はすこし狼狽する。
「あ、あの、違うんですあの、私本当に……!」
「いいから、こっちに」
半ば強引に彼女の肩を押しながら、奥の小部屋へ向かう。
「ジョルジュ、休憩室借りるぞ」
「あ? お、おう」
~~~~~~~~~~
「そ、ソルさん、本当なんです、私、動物と……」
「静かに」
俺がそう言うと、彼女は悲しそうに目を伏せる。
「いっつも、いっつも……みんな、信じてくれなくて……」
「レリィ」
「ソルさんも、信じてくれないんですか、私のこと……?」
「……レリィ」
「うう~」
「……よしよし」
俺は彼女の頭をなでると、そのまま少し屈んで、目線の高さを合わせる。
「レリィ、それはな。『霊獣使い』の才能……だと思うんだ」
「ぐすっ……えっ、れいじゅうつかい……?」
耳慣れないであろう言葉に、涙目の彼女は首を傾げる。
「そう。霊獣使いっていうのは、大昔に存在したと言われている……才能、みたいなものなんだ。霊獣使いになった人たちは、生まれつき動物の言葉を理解することができるんだ」
「……私、も?」
「ああ、多分な」
そう言うと、彼女は少しだけ安心したように息を吐く。
「よかった……お父さんとお母さん以外に、信じてくれる人がいて……」
彼女はそう言うが、それは全くの偶然と言ってもいい。
俺は趣味で、色んなジャンルの本を読んでいる。かつてこの世界に存在した、たくさんの種族の話や、授けられた異能や神話。歴史や新聞など、浅く広く読んできたつもりだ。
まあ、冒険譚や英雄の武勇伝みたいな話も大好きだったが。というか、そういう物の方がメインで読んでいた気がするが。それはさておき。
とにかく、ある古代の文献を考察した書物によると、霊獣使いなる人たちがいた、とのことで、その人たちは自然を愛する、種族の垣根を超えた、超常的な存在だったらしい。
エルフにも、ミッドランダーにも、ドワーフにも、コボルトにも、今では魔物として扱われているリザード達の中にも、この霊獣使いは存在していたらしい。
マナやエレメントの発見、魔導技術の確立、魔物の急増等によって、それらの才能……ある種、神の加護とも言えるその力は失われていったらしいが。
まさか、目の前の少女が。
レリィが、霊獣使いだとは。夢にも思わなかった。
今も子犬を抱えているレリィ。彼女はその子犬をシャルと呼んだが、今思えばそれもおかしな話だった。
なぜ彼女は、犬の名前がわかったのか。俺たちは誰も、依頼主から犬の名前を聞いていなかったというのに。あの愚痴こぼしメイドが、『100匹近い犬の名前を全部把握するなんて不可能』と言っていたのにも関わらず。
レリィは、直接犬に名前を聞いて見せた。
……まあ、彼女の適当な命名だと言われてしまえばそれまでの話だが、少なくともそんなくだらないことで嘘を吐くような子ではない。
「そっか……才能……なんだ……えへへ」
レリィは嬉しそうに頬を緩める。
「でもな、レリィ。一つだけ、気をつけなきゃいけないことがあるんだ」
「? 何ですか?」
「霊獣使いは……魔物が出現し始めた頃から、急に激減したらしい。……理由、わかるか?」
「魔物が出てきてから……?」
「……魔物の言葉に、耳を貸してしまったんだ。そして彼ら、彼女らは……おかしくなってしまったらしい」
「……」
魔物の感情を、きっとすべて受け止めてしまったのだろう。
人間の敵である、自然界の敵である異物、魔物。
その実態は、高濃度のエレメントにさらされた、元動物。元植物。そういった存在が、異常な環境にさらされたが故の、なれの果て。
……過去に、とある大国で人体実験が行われた。
人間を高濃度のエレメントに曝すと、どうなるのか。
結果から言えば、人間も魔物になる。
ただし、発狂するほどの苦痛を受けることになる。
最後には、魔物となったその人間は、周囲の物を破壊しながら『殺してくれ』と叫びまわっていたらしい。
つまり魔物が無差別に周囲の物を破壊しているのは、苦痛によって発狂しているから。苦痛にあえぎ、殺してくれと暴れているからに他ならない。
本来なら、そんな連中が群れを作ったり、集団で活動していることなど、おかしいのだ。
故に、狂っているのだ。苦痛で暴れまわるような連中が、一緒に群れているなど。そこには、通常では理解できない何かがあるのだろう。
とにかく。魔物とは、常に苦痛と怨嗟に塗れた存在であり、その言葉は聞くものの常識を壊す。そう考えられているらしい。
だから。
「レリィ。その力、絶対に魔物には使っちゃダメだ。もし制御できないなら、今後街の外には連れていけない。……いいな?」
「! ……は、はい」
レリィは怖気づいたように頷くと、真剣な眼差しを俺に向ける。
「よし、じゃあ戻ろう。あと、このことはみんなにはなるべく秘密だ」
「……秘密、ですか?」
「ああ。霊獣使いは珍しい存在だ。そのせいで、色んな奴らに狙われることもあるかもしれない。そのための保険だ」
「……二人だけの、秘密……?」
「そうだ、俺達だけの秘密だ。……守ってくれるか?」
そう言うと、彼女は少しだらしなく頬を緩める。そのあとに、すごく気合の入った表情で、
「わかりました! 私、絶対秘密守りますね! えへへ……」
あ、やっぱり緩んだ。大丈夫かな。
「まあ、皆に嘘つくのはつらいかもしれないけど、動物とは話したことなんてないって言っておこう。そういう素振りも、なるべく見せないように」
「はい!」
休憩室から出て、レリィは上機嫌で受付に戻っていく。他のみんなが俺に対して訝し気な視線を送ってくるが、意味がわからない。
「……何見てんだ、皆?」
「……別に。何してたのかなって思ってさ。……二人っきりで」
ウィリアムがそう言うが、俺から秘密を漏らすつもりは毛頭ない。適当にごまかすことにする。
「ああ、ちょっとな。なんでもねえよ」
「うっわ、超怪しい! マジで兄ちゃんその発言はロリコン疑われてもしょうがねえよ!?」
「ああ、そっち?」
なんだ、霊獣使いの話じゃないのか。なら安心だ。
「って、誰がロリコンだコラァ!?」
「いやいや、しっとり三十分近く二人っきりで逆に何してたんだよって話だし! ソレ教えてくれないことにはマジで兄ちゃん全員に疑われるぞ!」
なんだよ、皆のじっとりした視線ってそういう意味でのモンだったのかよ!?
というより、ナチュラルにロリコンだと思われてたことが不服でならない。一体何が皆をそう思わせているのか。
「ウィル」
レリィがウィリアムに優しく話しかける。彼は振り向き、レリィに問いただす。
「なあ、レリィからも何か言ってくれよ! 二人で何してたんだ!? このままだと兄ちゃんがロリコン扱いされちまうぞ!」
必死なウィリアムの呼びかけに、レリィは。
「ひ・み・つ」
「……は?」
「私とソルさんの、二人っきりの秘密なの。ね、ソルさん!」
……なんでこのタイミングでそんなこと言うのレリィ。
なんでちょっと頬を染めてるのレリィ。
空気が凍る。
全員の視線が、じっとりしたものから刺々しいものに変わる。
「うっわ! うっわあああああ! 兄ちゃ……うわあああああ嘘だああああ!」
「ちょおっとソル、説明してもらいましょうか……?」
「勇者君、きっちくぅ~! そりゃ私の誘惑も効かないわけだよ~」
「ソル様……レリィ様……本当ですか? え、レリィ様十三歳で……あれ、あれれ!?」
「……ウル殿の言っていたことは本当であったか……」
「ソル……君は……君と言う男は……! こんな男に僕は忠誠を誓ったのか……!?」
「さあさあ、盛り上がってきたぜえ!!!」
各々が好き放題言い始める。やっばいこれほんともうやっばい。
「ちげええええ!!! って言うかジャンてめえ何面白そうに笑ってやがる顎砕くぞコラァ!?」
「顎砕かれるのはアンタよこの変態! 覚悟しなさいこのばかちんがあ!!!」
「おめえら、俺の酒場で暴れるんじゃねえええええ!!!」
怒号とジョルジュの悲鳴が上がり、あわや乱戦になるところまでいってしまったが。なんとか事なきを得た。
といっても、結局俺はみんなにめちゃめちゃ説教されたわけだけど。理不尽すぎる。
~~~~~~~~~~
「……ひどい目にあった……」
「まあ、ロリコン疑惑が一層濃くなったけど、なんだ……頑張れ兄ちゃん」
「他人事だからって……完全に冤罪なんだぞ、俺……」
結局、夕方になってしまった。俺はため息を吐きながら首をさする。
「セシールの奴、本気で首絞めやがって……」
「まあ、良かったじゃねえか。誤解が解けたみたいで」
「解けてねえし……見ろよセシールのあのゴミを見るような目。ひどいと思わないか?」
レリィと二人っきりで話すのなんて今日に始まったことじゃないし、今更すぎるだろその疑惑。
いや、前々から疑われていたからこそ、今日これだけ爆発したとも考えられる。考えられるが、しかしなぜ皆俺のことをロリコンと呼ぶのか。これが分からない。
「兄ちゃん、アレじゃね? 逆に堂々とロリコンだって宣言してた方がいいんじゃねえのか?」
「なんでロリコンじゃねえのに自らを貶めなきゃならねえんだ。あり得ねえから」
確かに、俺にとってレリィは他の家族よりもちょっと特別だ。ケルヴィンの一件で、道を誤りそうになった俺を止めてくれたり、不安で震えてた時に一緒にいてくれたり。そのあとも俺を一人きりにしないように、ずっと片時もそばを離れないでいてくれている。
彼女の存在が欠けることを考えれば、俺という人間が成り立たなくなるのは容易に想像できる。
しかしそれをやれロリコンだ、異常性癖だというのとはまた違った話だと思うのだが。
「はあ……どうしてこんなことになってんだろうな、俺」
「さあ……あ」
「ん? どうしたウィリアム」
「あ、いや、なんでもねえ、うん。なんでもねえ……」
うわごとのようにそうつぶやいてウィリアムは俺から離れていく。なんだっていうんだ、アイツ。
「なあ、……もしか……、兄ちゃ……リコン……ルに……んじゃ……」
バリスとウィリアムが何かを話していると、バリスは何やら頷いている。それを聞いたウィルが「あんのアマぁあああ!」と怒りながらギルドから出ていこうとする。
「おい、どこ行くんだ?」
「ウルのところ。ちょっと、ぶっ飛ばしてくる……!」
鬼のような形相をしながら、ウィリアムは乱暴に玄関を開け放つと、そのまま家の方へとズカズカと歩いていき、そして消えていく。
「……なんでウル?」
疑問に思ったが、答えてくれるものはいない。
「ソル様、あの、少し相談が」
アニスが俺のところへやってきて、何やら話し辛そうにしている。
「……どうした?」
「いえ、その……奇妙な依頼がありまして。なんというか、こちらの方からなんですけど……」
アニスはそう言うと、半歩横にずれる。
その後ろには、褐色の肌をした、女の子がいた。
下着みたいに、毛皮を体に巻いただけ。腰の後ろには、木と獣の骨か何かで作られたような手斧を持っているみたいだけど、一体。
「お前が、ここの偉い奴かー?」
気の抜けた喋り方だが、どことなく俺は身構えてしまう。
第一印象は、獣。
犬、いや猟犬。もしくはオオカミか。
人懐こそうな顔をしてはいるが、どことなく年齢不相応に鍛えられた肉体に、そんなことを思う。
「……偉くはないよ。ただの代表だ。君は?」
「あたしかー? あたしはユミルっていうんだ。にいちゃん、皆のお願い事聞いてるんだろー? 噂してたよー」
「……誰が?」
「みんなー」
皆って誰だよ。そんなツッコミを飲み込んで、俺はアニスを見る。
「あの……ちょっと変わった依頼でして……」
「あんなー。友達になってほしい奴がいるんだよー」
「……友達になってほしい奴?」
これまた奇妙な。
自分と友達になってくれ、ではなくて、友達になってほしい奴がいる?
「あんな。おっちゃんが一人ぼっちなんだよな。妹いなくなって、すごい寂しーみたいだからさ。にいちゃん、友達になってやってくんねーかなー?」
どくりと、心臓が跳ねる。
心当たりが、二つあった。
一つは、先日来た、旦那を探してほしいと言っていた女性の依頼。なんでも妹を探すために、帝都に来ているかもしれない、とのこと。
そしてもう一つは。
「……なあ、ユミル。その人の名前は、なんていうんだ?」
「んー? わかんない。けど、アレだよ。魔女の人」
その言葉に、全員が息を呑む。
魔女の人。魔女の血を引く人。
男。妹を亡くした、男。
「なんかなー。地面に落書きして、もう少しだーって言ってた」
落書き。地面に落書き。
魔法陣……?
「……その人は、どこに?」
ほぼ確定だが。俺は念のため、質問を重ねる。
もし帝都の近くなら。
妹を亡くし、魔法陣をひたすら刻み続けるような大魔術の準備をしている、魔女の血縁の男。
……そんな奴、一人しかいない。
「この街の近くの洞窟ー。なんか、すごいでっかいとこー」
俺は確信する。
目の前にいる少女は、間違いなく王宮魔術師マクスウェルへとつながる、唯一の手がかりだと。




