王宮魔術師マクスウェル 二
王宮魔術師マクスウェル 二
小さいころから、私たちは二人っきりだった。私は妹を大切に思い、妹もまた、私を大切に思ってくれていた。お互いに、お互いの存在が重要で、他のすべては二の次だった。
両親は、いつだったか。確か私がまだ十にも満たず、妹が七つになる頃だっただろうか。彼らは私達兄妹を捨て、どこかに消えた。そのあとどうやって奴隷になることを逃れ、二人で生きてきたか。もはや、思い出せない。
まだ小さかった私たちは、どうやって両親のいない寂しさや、捨てられたことに対する怒りに耐えてきたのだろう。それはもはや、思い出したくもなく、思い出そうとして簡単に思い出せるようなものではなかった。
とにかく、私たちは必死だった。その日を生きることに。最後の肉親を生かすことに。私たちは、二人ですべてを乗り越えるために、迎える日々を全力で生きた。
泥水をすすったこともある。何の残骸かもわからぬ死肉を二人で焼いて、分け合って食べた。
私たちは、異なる個ではあったが、すでに二人で一つの存在と呼ぶに等しいほどの年月を共に過ごしてきた。そう言っても差し支えはないだろう。なにせ、言葉を交わさずとも、私は妹の意を汲み取れたし、妹もまた、耳が聞こえずとも私の言葉を理解していた。
地獄のような幼少期を乗り越え、私たちは帝都にたどり着いた。そのころから私には、大きな夢があった。野望と言ってもいい。
今にして思えば、分不相応な大志を抱いたがために、このようなことになってしまったのかもしれないと考えるが、当時の私には、それが二人の幸せになることだと信じて疑う余地もなかった。
若かった。何も知らなかった。そして、知らないことは罪なのだと、私はこの年齢にして、ようやく理解させられたのだ。
私は成人し、日雇いの仕事を続けては妹を養い、守り、育て、そのすべてを彼女に捧げ続けてきた。私の半分は、彼女の物だったといっても良い。そのことに不快感は微塵もない。むしろ誇らしいことだとさえ感じていた。
いや、今でもそう信じている。彼女と過ごしたあの日々は、何物にも代えがたい、大切な時間だったのだ。
私には、魔法の才があった。そのことは、小さなころに両親に魔法を教わった時にわかっていたことだ。その才を活かし、生計を立てられそうな仕事を探した。
そしてそれはすぐに見つかった。王宮魔術師という、その国専属の高位の魔術師。国家規模の魔術災害やそれに準ずる問題が発生した時に、国の王や軍に意見を具申する、魔術に関する特殊な職務。
私は、それこそが自分の天職なのだと信じて疑わなかった。それを全うするだけの能力も才も、私にはあると確信していた。
そんな私を、人は愚か者だと笑うだろう。しかし、私には事実として、それを成しえるだけの力があった。そして自分ならば、きっと立派に成し遂げられるという自信も。
はじめは、魔法研究室という組織に配属された。大勢いる同僚には目もくれず、私は必死に魔法に関する研究に没頭した。
すべては妹の幸せのために。彼女に、裕福な暮らしをさせてやるために。それだけが私の目的であり、夢だった。
当然、同僚にはいい顔はされなかった。私は自分の手柄は自分だけの物としていたし、同僚の成果には目もくれなかった。隣の人間が好成績を残せば、必ず私はその上を行くよう努力し、研究し、そしてさらに大きな成績を叩きだした。
いずれ、自分が研究室内で誰よりも優秀であると皆に認めさせれば、きっと自分が王宮魔術師になる道が開ける。そう信じて疑わなかったからだ。
すべては妹のために。彼女の幸せのために。
いつからだろうか。私は周りの人間に疎まれるようになった。いや、恐れられるようになった。気味悪がられたのだ。
最初の頃は、ただの嫉妬だと思っていた。悔しければ、自分よりも良い成績と成果を残してみろと、私は周りを見下していた節もあった。
だが、そうではなかったのだ。
ある日、私は同僚の陰口を聞いてしまった。いや、もっと早くに聞き耳を立てておくべきだった。周りの人間に、もっと気を配っておくべきだった。
彼らの間では、私はどうやら魔女の血を引いている怪物だという噂が流れていたのだ。馬鹿馬鹿しい、自分に出来ないことをできたら怪物呼ばわりなのかと、私は鼻でせせら笑った。
だが、翌日。西の居住区のとある一家を、付近の住民が私刑にかけたという話が私の耳に飛び込んできた。
話を聞いて、驚いた。ただ単に、魔女の血を引いているかもしれないから、という、至極曖昧な理由で、その一家は惨殺されたのだ。
私は焦った。このままでは、私達にも、同じような所業が行われるのではないかと危惧した。急ぎ私は研究室を飛び出し、家へと駆けた。
その時の私は、何を考えていたのだろうか。ただただ、嫌な予感がぬぐえずに、一目妹の無事を確認したかった。そう、それだけだった。彼女を念のために、安全な場所に隠れてもらおうと考えていた。
しかし。
遅かった。
その日私が家を出て、すぐの出来事だったのだろう。妹の姿はどこにもなかった。家の中は壊された家具が散乱し、ひどく凄惨な有様だった。
考えてもいなかった。帝都という安住の地を見つけ、そこで二人で、これから裕福な暮らしをするために、頑張っていくはずだったのに。
どうして、考えもしなかったのだろう。ここに来るまでは、魔物や野生動物ばかりでなく、人間という残酷な生き物にも細心の注意を、警戒をしていたのに。
どうして、無警戒で、耳の聞こえない妹を、一人ぼっちで、家に置き去りにしていたのだろう。
私は半狂乱で街中を駆け抜けた。通りすがる人間に掴みかかり、妹を見なかったかと聞きまわり、衛兵や同僚にさえ、涙を流して訴え続けた。
しかし誰も、何も教えてはくれなかった。同僚は、ただただ無機質に、私の動揺など気付いてもいないかのように、仕事に没頭していた。
誰も、助けてくれなかった。私は声を枯らし、何日も睡眠もとらずに探し続けた。肉体はすでにボロボロだった。しかし、私は怖かった。自分が死ぬよりも、ただ、妹がいなくなってしまったことの方が、何万倍も恐ろしかった。不安で不安で、毎日涙を流して探し続けた。
時には狂人だとさげすまれ、時には怯えられ、私は誰からも助けられることもなく、スラム街の奥で、とうとう力尽きた。
もはや呼吸もままならず、肺の奥底から鉄臭いような血の匂いを感じながら、一人朽ち果てようとしていた。
どうして、どうして。
気が付けば、その言葉だけを呪いのようにつぶやいていた。
足にはもう力が入らない。立つことさえもままならないまま、私はいつの間にか振り出していた雨の中、ぼやける視界に任せて、意識を手放そうとしていた。
「あきらめるのかい? ディロイ」
知らない声が、そう呼んだ気がした。私は首を動かすこともできずに、ただ目だけでその声の主を確認する。
白い髪。低い身長。ひねれば華奢な私の力でも、簡単に折れてしまいそうなほど細い手足。
ぞっとするような赤い瞳に、無邪気な笑顔を張り付けた顔面。それは、小さな少年か、あるいは少女か。雨の中、水滴一つ付着していない、子供がいたのだ。
今更、なんだというのだ。私はもう何日も死ぬ思いをして妹を探していたのに、みつからないのだ。誰も助けてはくれないのだ。もう、このまま朽ち果てて、誰が文句を言えよう。
「……諦めたな?」
子供の声で、なのにひどく不快な、低い音色で、その声は私を叱責する。
「今……彼女は死んだ」
「……な……にを……」
「君があきらめずに。もう少し走っていたなら。あるいは、彼女は死ぬことはなかったかもしれない。あとほんの少し、ちょっと走ってそこの廃屋の戸を叩いて確認してみたなら、彼女はきっと死ななかっただろうね。体や心に傷を負ったとしても、それでも彼女は君さえ傍にいれば、いくらでも癒してあげることはできただろうに。あー、ディロイ。君はひどい男だ。君は、彼女を助けられたのに。なのに君は、あきらめた。そう。『君自身が、自分の意志で、諦めたんだ』」
「……お前……、何を、言って……」
「じっくり後悔して、たっぷり恨みの満ちた願いを僕にくれよ。ディロイ・マクレーン」
そう言うと、子供は踵を返し、雨の中へと消えてゆく。
私は、信じてなどいなかった。そんな少年の戯言など、信じてはいなかった。
いや、信じたくはなかったのかもしれない。彼の言っていることが事実であると確認するのは、ひどく恐ろしかった。
私は、はいずりながら、その子供が指差した廃屋を目指す。泥にまみれ、涙を流し、糞尿さえもまき散らしたまま、唾液を飲み込みもせず、その小屋を目指す。
何とか家の壁を使って立ち上がり、そのドアに手を掛ける。
ガチャリと、抵抗なくドアは開く。
私は、体をドアに預けながら、中を見た。
私は、笑ってしまった。笑いたくもなる。
そこには、妹などいなかった。三人の暴漢が群れているだけだった。
男たちは一瞬困惑の表情を浮かべ、私は大声で笑った。
足を引きづりながら、自分でも抑えられない感情に身を任せ、笑い続けた。
男たちは私を気味悪がり、壁際へと逃げていく。
笑いながら歩いた私は、足を止めた。
目の前の、四肢を切断された少女の亡骸を目の前に、立ち尽くした。
「――――、なあ、聞こえてるか? 俺だよ、ディロイだよ」
返事はなかった。
全裸だった。小さいころ何度も体を洗ってやったからわかる。分かってしまう。
これは、彼女だ。へその下に、黒子が二つある。
体は傷だらけで、その表情は恐怖に凍り付いていた。
体には、汚らわしい男どもの体液が付着していた。
私が何日も探している間。ずっとこの子はこの男たちに辱めを受けていたのだろう。いや、この男たちだけじゃないかもしれない。多分スラムの人間の大半に、犯されたのだろう。
かわいそうだ。かわいそうだ。かわいそうだ。かわいそうだ。かわいそうだ。かわいそうだ。かわいそうだ。かわいそうだ。かわいそうだ。かわいそうだ。かわいそうだ。かわいそうだ。
その体は、まだ、温かかった。
私の体は燃えた。怒りなどと言う表現は生易しいほどの激情に駆られ、私は私のすべてを燃やし尽くした。
それは、人として超えてはいけない一線だったのかもしれない。しかし、私は狂った。すべてに絶望し、嘆き、己のすべてを吐き出し、叩きつけた。
命を保つために必要なマナでさえ、そのすべてを余さずに吐き出した。術式など組まない、強引な魔術。殺意のみをイメージした、最も相手を苦しめて殺す、破滅の魔法。
破壊と再生を繰り返させ、私の命が続く限り焼き尽くし、違う形に再生させ、再び肉を溶かし、再生させ。無限に繰り返す地獄を、私は与えた。
私は、この時死んだのだ。
ディロイ・マクレーンという男の自我は、この時に完全に死んだのだ。
私は、その時から私になった。
すべてを終えた時、私はなぜか深夜の研究室に一人たたずんでいた。
「ひどい悪夢だったね。……どうだい、生まれ変わった感想は?」
「……」
「無視かい? ひどいな、君も。あの子も僕を無視したんだ。でも君は……まだ壊れてないよね?」
「……私はもう、終わっているさ」
「破壊と再生。恐ろしいことを考えるね、君も。アレはかつて大魔導士マクスウェルが禁呪と認定したものに限りなく近い何かだよ。そしてそれを永遠に繰り返すあたり……原典よりタチが悪い」
「マクスウェル……」
「……気に入ったかい? じゃあ今から、それを君の名にするとしよう。……おめでとう、マクスウェル。今日から念願の、王宮魔術師だよ」
「……」
「国王には、僕の方から言っておくさ。そのくらいのお願いなら、あの人は聞いてくれるからね」
「……隙にするがいいさ」
私は、そうして王宮魔術師になったのだ。
それからは、何も覚えてない。
気が付いたら、私は禁書庫から絶対に持ち出してはいけない、あの本を盗みだし、あろうことかそれを実行に移そうとしていた。
~~~~~~~~~~
「……それが、私がここにいる理由だ。満足したか?」
「……おっちゃん、かわいそうだなー」
「小娘。そう思うなら、そこから消えるがいい。巻き込まれても知らんぞ」
「でも、なんであたしにそんな話聞かせてくれたんだ?」
「……さあ? 気まぐれだろう」
「そっかー。気まぐれなら仕方ねえなー」
「……さっさと失せろ。それとも死にたいか?」
「死にたくはねえなー。……わかった、でてくよ」
薄暗い洞窟の中、獣臭い少女は岩から飛び降り、洞窟の出口へと向かっていく。
「でもおっちゃん、いいひとだから、誰か友達つれてきてやるよ!」
「……私に友などいない」
「んー、そっか。残念だ。おっちゃん寂しそうなのになー。あ、じゃあ友達になってくれそうな奴、連れてきてやるよー! それなら寂しくないだろ?」
「……失せろと言ったのが聞こえなかったか?」
「んーん。聞こえてた。じゃあ、またな」
少女は、入ってきた洞窟を回れ右して出口へと向かっていく。
「……友、か」
あの時の私に。ディロイ・マクレーンに。友がいれば、あるいはあの惨劇は避けられたのだろうか。私が周りに一切心を開かなかったのがいけなかったのだろうか。
「馬鹿馬鹿しい。死んだ人間のことを考えるなど」
私は再び術式の構築に取り掛かる。もはや時間はない。一刻も早く。
そう考えながら、私は無心に魔法陣を刻み続けるのだった。




