第一章
第一章
地上世界―アーザルド―とよばれる世界に人類は住んでいた。
科学は目覚ましい発展を遂げていたが、唯一、解らないことがある。空へ高く高く昇っていくと、ある一点から進めなくなってしまう。厳密には進んでいるのだけれども、まるで狐か狸に化かされているかのように同じところを行ったり来たりしてしまうのだ。人々はそんな上空を『果てなき空』と呼び、様々な想像をめぐらせ、研究者たちは果てがない空など有り得ないと叫び研究に研究を重ねていた。
しかし、今から120年前のアーザルドで致死性の高いウイルスが発生し、人類は大打撃を受けた為、ばらばらであった全国家が協力体制に入り、更に最高といわれる科学者、研究者、知識者、賢人、さらには太古より蘇りし力を持つ者―――魔法使い、錬金術師、魔人、などの人材を集め、『対致死性ウイルス及びS級危険生物対処研究所・インビリティ』を立ち上げた。
そのインビリティを中心として人類は果てなき空と唄われる上空へ活路を見出し、生き残るという共通の利益だけを求める為の新国家として、『空中浮遊都市・本土サフォリア』を創り、空中浮遊都市を第二の世界『ゲセルシャフト』と名付け、名付けた日を新暦1年とし、アーザルドで過ごしていた時代を旧暦と呼ぶようになった。
時がたち、本土以外にも幾つも空中浮遊都市―――パークと呼ばれる―――が出来、それらをつなぐワープ装置も配備された。
新暦500年。あるとき新国家の議会内で意見の食い違いによる乱闘が起こるがすぐに鎮圧された。しかし、これを機に新国家内で意見相違による内部分裂が激しくなる。そこで乗り出してきたのがインビリティ。科学者たちの集まりであり、知識による発言力という面ではある意味新国家よりも強い権限を持っているインビリティは、とある計画を実行に移す為に、新国家の内部分裂に拍車をかけ、計画に邪魔な新国家を内部から潰し、最終的にインビリティが新国家としての機能を果たそうと企んだのだ。
インビリティのもくろみは成功し、新国家は内部分裂によりもはや政治すらままならない。更にはテロ組織、新国家に反抗する者、国民の派閥争い、日に日に酷くなっていった。そんな中、パークを占拠し新国家から独立して独自に生計を立てたり貿易をしだす者たちも増えてきた。そうしていくうちに昔は見られなかったスラム街、暗黒街なども見られるようになっていったが黙認状態である。
*
新暦556年4月
インビリティの建物の一室の大広間では、新入社員改め新入研究者の歓迎パーティーを行っていた。今年入ったのは二人。
ステージに立つ二人の男。一歩前に進みマイクを握る黒髪短髪の青年が話し始めた。
「新しくインビリティに入らせていただきました。天斗神 神宮、17歳です。ここでは皆の役に立つような最先端の研究がしたいと思います。まだまだではありますが、皆さんのお役にたてたらと思います。今後ともよろしくお願い致します」
沸き起こる拍手にお辞儀をし、隣の黒髪の青年にマイクを渡す。
「同じく新しくインビリティに入らせていただきました。沙狩王 東、17歳です。えと、研究とか、最先端のモノを学びたくてインビリティにきました。よ、よろしくお願いします!」
沸き上がる拍手。司会にマイクを返し、二人がゆっくりとステージを下りると先輩である研究者たちに温かく迎えられた。この後はバイキング形式の食事会、話をする者もあれば料理を頬張っている者もいる。神宮と東は二人で先輩研究者に挨拶をして回った。
その後二人は飲みつかれ、二人で兼用しているだだっ広い自室に戻り、気を張っていたのが切れたこともあり、大きなベッドに倒れ込み朝まで眠りこけた。
次の日はインビリティの案内に連れて行ってもらい、心躍るような最先端の設備に二人とも夢のような気持ちだった。研究内容や、その他細かいことはゆっくり決めればいいと言われたが、神宮も東もそれぞれ大学の頃やっていた研究を引き続き深めていくことにした。
そうして、月日は流れ3年がたった。
二人は主席研究員として、インビリティを束ねる総帥、ならびに重役たちの会議にも出席できるほどになった。
そんなある日の真夜中、二人は総帥直々に呼び出された。
「総帥、どうしたのですか」
神宮がそう切り出すと総帥はおもむろに口を開いた。
「今から話すことは、決して口外してはならぬ。もしも口外したときは、それ相応の代価を支払ってもらう事になるが、いいか?」
このときの総帥のなんともいえない哀しみに溢れた眼を、神宮は一生忘れることは無いだろう。
二人が頷くのを見て、総帥は話しだした。インビリティが秘密裏に行っている、新国家を潰してまで行おうとした地上奪還計画の詳細を。
一通り話し尽くし、総帥は疲れたように溜息をついてゆっくりと誘い文句を吐きだした。
「……お前達、協力してはくれぬか」
「考える時間をください」
東が即答した。それにつられ神宮も考えさせて下さいと頼み、一週間後に返事をくれと総帥に言われ、二人は部屋に戻った。
部屋の鍵を閉め、扉にもたれかかり天井を見上げる神宮に、ソファに埋もれるように身を沈めた東が焦点の合わない眼で虚空を見つめ、呟くように問う。
「なぁ、どう思う。神宮、お前は地上に戻りたいか?」
神宮はそっけなく答える。「いましがたの事は全て夢の出来事にしたいくらいだよ」そして続けて微笑をたたえながら今度は天井ではなく東をしっかりと見据え、
「お前はどうなんだ?」
そう、言った。
*
「おい、神宮、起きろ」
低い声に振りかえると、そこには毛先の黒い白髪の長髪を一つに結んだ男がしかめつらで立っていた。
「あ、あぁ、東じゃねぇか驚かすなよ」
ぼさぼさの黒髪を掻きながら神宮と呼ばれた男が立ちあがると、東と呼ばれた男は淡々と事を告げ始める。
「とりあえずお前はジャバウォックへヤツらの見回りに行け。何かあったらワープ装置でこっちに戻ってくればいい」
東のしかめつらに両手を上げて降参のポーズをとり、嫌みたっぷりに言ってやる。
「……はいはいオーケーりょーかいりょーかい。東サマの御意向に従いますよ」
そんなわけで俺は表向きには閉鎖された、インビリティ固有パーク・ジャバウォックに出張だ。
部下と共に何日間かそこの研究施設という名目で創られたであろう研究施設兼ホテルな建物に一週間滞在している。
丁度一週間目の今日、事件は起こった。部下からの連絡が途絶え、親友は笑えないジョークをかまして通話回線を切りやる。とんだ厄日だ、と俺は独り決心した。
『東を殴る』
「……というわけで東くんよ、一発殴らせろ」
回線が切れた後俺は自分の荷物―――といってもコート一枚―――を手にワープ装置に乗り、インビリティの学長室の机で突っ伏しているであろう馬鹿を殴りに来たわけだが、一体どういう事だ。
「神宮、キミの派閥に俺、捕らえられちゃったんだけどどうにかしてよ。まったく派閥争いもここまでくるとはね」
はがいじめにされて、困ったような顔で俺を見る東。さっきの涙は何処へ行った。
「……お前ら、さっさと東を放せ。出張は俺の意思だから。東の差し金じゃない」
「ですが東様こやつは……」
俺は部下に東を解放させ席を外させる。扉が閉まった途端、東の胸ぐらをつかみ、囁く。
「東、これはお前が始めたことだろう。総帥をなんと言って誑かしたかは知らんがお前、いい加減にしろ」
「神宮、貴様に言われるとは心外だ。あの日、総帥に全てを打ち明けられた一週間後、死ぬのが怖くて総帥に協力すると言ったのは貴様だろう」
「それはお前も同意の上で、お前だって協力しようと言っただろうが。それともなにか、やっぱり協力せずに死んでいた方がましだったっていうのか。あの、地上奪還計画の一つ、致死性ウイルス00X―――通称キラフ―――に勝る生物を生み出す実験にかかわると言ったのはお前も一緒だっただろう、東!」
語尾と共に東は殴られ、壁に背中を強く打つが「っぐぅ……神宮、それは貴様とて同じこと」と呻く。
神宮はふらつく東を壁に押し付けて囁く。
「そうだ。さっきも言ったが、頷かなければ死んでいた。お前も俺も。――――俺は命が惜しい。だからたぶん、このまま総帥に尻尾を振って過ごす。だが、必ず、総帥があのとき一言漏らした封印の謎、あれを解く。そのためにはまず新国家には潰れてもらう。そして新国家が潰れたら、俺はキラフに勝る生物を創る実験を再復活させる。新国家のまわし者によって消されたあの実験をな!そのときはお前も、協力してくれるだろう?」
「神宮、今、この五年間繰り返したあの問いの答えが決まったよ。俺は、アーザルドが見たい」
*
彼らの言葉に呼応するように、新国家の国会議事堂の地下1000メートルの空間で、ドクンという心臓の鼓動のような音が響いた事を知るものは、いない。