実在しない、死体を埋める時の話
「もし、俺が人殺しだとして」
そう話し出した男の、向かいに座っているキャップを被った男が唐揚げを箸から落とした。それは白い皿の上で転がり、レモンの上に被さる。
「なんなんすか、いきなり」
「もしだよ、仮の話」
前髪を真ん中で分けた男は味噌汁を啜る。
「俺が『一緒に死体を埋めてくれ』って言ったら、鶴見は協力してくれる?」
「ええ、陳腐なエモの話っすか」
「だから、例えばだって」
鶴見、と言われた男はコップの水を喉を鳴らして飲む。彼は鶴見優作。通り魔がターゲットに選ばなさそうなガタイの良さをしており、何種類かのジャージを毎日着回している少し近寄りがたい外見をした男だ。その図体通り、彼の前には大盛りの唐揚げ定食が置かれている。
「食事中に話すことっすかね」
「鶴見だって、前昼飯食ってる時にトイレが詰まった話してただろ」
聞き取りやすい特徴的な声の、センター分けをしたタレ目の男が鶴見の先輩である堀岡康二。強盗がギリギリ人質に選べそうなくらいの若干小柄な大学三年生である。彼は大きなエビフライを一本、尻尾も残さず食べていた。
「先輩が人殺しか」
「例えばね、例えば」
二人は同じサークルでも、学部でも、ゼミの仲間でもない。知り合ったのはバイト先の居酒屋で、鶴見が客に頭から酒をぶっかけられた時に初めてまともな会話をした。それから同じ大学ということを知り、何度か近場に遊びに行って、現在に至る。
「ほら、どうなの」
「まあ、どうしてもって言うなら」
「え、まじか」
堀岡は自分から聞いておいて、意外だと言うように顔を上げた。一つ離れた席に知らない女性がお盆を持って座るのが二人の視界の端に映る。
「二つ返事とまではいかないっすよ。ちゃんと理由を聞いてからっすから」
「いや、普通断るくないか? 一緒に殺したわけじゃないのに埋めろって言ってきてんだぞ」
「だって、先輩って一人で人ひとり運んで埋める体力があるかって言うと……」
鶴見は七分袖に隠れた堀岡の腕をちらりと見た。その目線に気づいて、堀岡は「そんなに駄目かなぁ」と残念そうに自分の二の腕を触った。
「それより、なんでそんなこと聞いてきたんすか。先輩、人殺しの予定でもあるんですか」
「ないよ、そんな予定」
堀岡も水を飲む。薄い喉仏が上下した。
「鶴見って、わりかし俺の言うことなんでも聞いてくれるじゃん」
「そんなことないっすけどね」
「いや、そうだよ。君だいぶ優しいからね」
鶴見は表情筋を動かさず、後頭部を手で押さえて恥ずかしがっている素振りをした。彼がよくやりがちな、ふざけた仕草である。
「だから、どこまでやってくれるのか気になって」
「先輩にとって、死体を埋めるってのが最上級なんですか」
「それ以上の現実にギリありそうなシチュエーションが思いつかなかった」
やっぱり陳腐っすね、と鶴見は箸を動かす手を止めて頷いた。「死体を二人で埋める」だなんて、すっかり使い古されたありがちな空想上の場面である。
「それなら、俺めっちゃ優しいじゃないですか。先輩の言うことならなんでも聞くみたいになりますよ」
「そうだよ。あ、唐揚げ一個ちょうだい」
「それは嫌です」
鶴見は堀岡が伸ばした箸から唐揚げが乗った皿を遠ざけた。死体は埋めてくれるのに、一個推定30円の唐揚げはくれないのかと堀岡は手を引っ込めた。
「あと、まあ、他にも理由はあって」
「はい」
「聞かれたんだよね、川上さんに」
川上。それは二人のバイト先の店長であるショートヘアの女性の名前だ。20代にも見える若々しい容姿を持っていて、それだけで彼女と分かるような独特な笑い方をする快活な人である。
「ずっと無口で愛想がなかったのに、俺に懐いて可愛くなったって」
「懐いてって何すか。愛玩動物みたいな言い方して欲しくないんですけど」
「ああ、そっか、鶴見ペットとか好きじゃないもんな。ごめん」
やっぱりあの人苦手だ、と鶴見は眉間に皺を寄せて食事を再開した。機嫌悪そうにしている鶴見にはやはりなかなかの迫力がある。
「それで、どうやって仲良くなったのかって」
「死体の話と関係あるんすか、それ」
「鶴見からの俺の認識を確かめたかったの」
堀岡が鶴見から聞いた話によれば、彼は職場が気に入ったからとかではなく、単に愛想が悪くて受かったバイト先がそこしかなかったから続けているそうだ。堀岡の鶴見に対する第一印象も「かなり怖そうな人」だったので、面接に落ちまくっているのには納得である。今ではかなり愛嬌があるほうではないか、と堀岡は思っているが。
だからこそ、堀岡は彼が共に死体を埋めてくれるというのに驚いた。まあまあ仲良くなった方、という認識だったので、そこまでしてくれる理由が知りたかったのだ。堀岡の認識だと、鶴見の心を動かしたようなことは何もしていない。
「なんだか」
「うん」
「悪いことをした、と思って」
それだけ言って、鶴見は白飯を口に運ぶ。何をしてくれたから、とか、気が合ったから、とかではなく、「悪いことをしたから」。その意味が分からなかったが、堀岡はふーんと興味がないフリをして茶色い衣をかじった。鶴見の独特な言い回しは今に始まった話じゃない。
「そういえば、なんで室内なのに帽子被ってんの」
「色々あってでっかい絆創膏貼ってるんですよ」
「カツアゲされたの?」
「まさか。事故みたいなもんです」
鶴見はそう言って頭をさする。彼は背が高いから、ドア枠に思いっきりぶつかったとか、そういうことをやらかしたのかな、と堀岡は勝手な想像をした。
「それで」
「ん?」
「いつ埋めに行きますか、死体」
今度は堀岡がエビフライを運ぶ手を止めた。鶴見はただ、平然とした顔で口を動かしている。
「え、いや、なんの話」
「あー、埋める場所によっては、まあ1000円くらいくださいよ。バイト代として」
「ちょ、待ってって」
堀岡は箸を置き、鶴見の話をやめさせた。隣に座っていた女性が席を立ったのが二人の視界の端に映る。
「なんすか」
「いや、本当に人殺しだっていつ言ったよ。例えばの、鶴見がどこまでやってくれるかって話だったじゃん」
「え、じゃあ死体はないんすか」
「ないよ」
心臓をばくばくとさせながら、堀岡は必死に首を振る。冗談のつもりだったのに、なんだか大きな事に発展している気がして堀岡は焦っていた。もちろん、死体なんて実在しないのに。
「でも聞いたっすよ。先輩は人殺しだって」
「誰から」
「清水さん」
清水さん、と鶴見からその名前が出てきた事に堀岡は驚く。なんせ、清水というのは堀岡の中学からの友達で、鶴見とはなんの関わりもないはずの人間だからだ。
「え、え、鶴見いつあいつと知り合って、てか清水、そんなこと言ってたのかよ」
「言ってたんですよ。ああ、俺の知り合いは人殺しの堀岡といい、ろくなやつがいないって」
どんな文脈でそんなことを言ったのかは分からないが、少なくとも、清水はそんな物騒な冗談を言うような人間ではない。胸の中がざわついて、堀岡は自身の額を抑えた。
「なんで、俺、人殺したことなんてないって」
「なんでしたっけ。清水さんの彼女? だか何だかを殺したらしいですよ、先輩」
「え、ミユ?」
ミユも知っている人間だ。中学二年生の時、突如姿を消した堀岡の友人。清水の恋人でもある。
「知らないよ。ミユは中二でいきなりいなくなったんだから。俺、本当にショックだったんだよ。何も言わずに学校にこなくなったんだから」
「……あれ?」
「なんだよ」
「それ、中二の時の話なんすか」
鶴見はなぜか、目を丸くして身を乗り出した。堀岡はその圧に若干怯えながらも肯定する。
「じゃあ、死体なんてとっくに無くなってるじゃないですか」
「は?」
「それに、ああ、うわ、まーた悪いことした」
鶴見は頭を抱えて背もたれに寄りかかった。彼が何を言っているのか全く分からず、堀岡は居心地の悪さを感じた。なにか、別人と話しているような気がして。ミユはいなくなっただけなのに、鶴見は何故か「死んでいる」と信じきっていたのだ。
「なんか怖いよ、どうしたんだよ」
「じゃあ、清水さんが言ってた『堀岡が彼女を殺した』ってのは思い込みだったんですね」
「いや、それはそうだけど、なんで今それに納得したんだよ」
堀岡は椅子を少し下げて、鶴見から遠かった。
「それに、さっきから『悪いことした』って、その意味がわかんないんだけど」
「ああ、そのことっすね。まあ簡単に言うと、俺は先輩に借金しちゃってるんですよ。お金じゃなくて、比喩的な意味で」
堀岡は首を傾げる。鶴見の変な言い回しは今に始まった話ではない。ないのだが、それがなんだか不気味だった。
「俺自身、先輩に悪いことしようとは思ってないんですよ。いつのタイミングでもね。でも、どうしても、回り回って先輩に迷惑をかけちゃうんですよ。今貯まってる『悪いこと』は三つかな。さっきまで二つだと思ってましたけど」
「なに、本当に分かんない」
「まあ、先輩は多分気づいてないっすよね」
それも良くないか、と鶴見は「悪いこと」について話し始めた。
「まず一つ目。俺、女があんまり好きじゃないんですよ。もう昔っから。だから、言い寄られるのがすごく鬱陶しくて、結果、先輩に迷惑をかけました」
「……はあ」
「二つ目。俺、ボディタッチとか、人生に余計に干渉してくる人も好きじゃないんですよ。嫌だって言っても何度も何度も続いたので、結果、先輩に迷惑をかけました」
鶴見は指を折りながら話す。堀岡は鶴見の謎の告白を聞きながら、そういえば清水もかなり過干渉な距離の近いやつだったな、と思い出した。
「三つ目。俺、人のことを愛玩動物扱いする人も好きじゃなくて。懐くとか、可愛いとか、そういう言葉嫌いなんですよね。静かになれば良いなと思ったので、結果、先輩に迷惑をかけました」
「……それって川上さんのこと?」
「よく分かりましたね」
鶴見はグッドサインを作る。
「これだけ悪いことポイントが貯まってるんですよ、先輩に対して。だから、先輩が人殺しなら良かったのにな、と思ってました」
「は? なんの脈絡で」
「先輩にとって、死体を埋めるってのが最上級の頼み事なんですよね。なら、それに協力すれば、今までにした悪いことが清算されると思って」
一緒に死体を埋めて、悪いことを清算する。一種の償いのようなものだろう。だが、まだ鶴見の言う「悪いこと」が何かを把握できていない堀岡にとって、それはつかみどころのない話の域を出なかった。
「……川上さんのことはまだ分かるとして。最初の二つは何なんだよ」
「俺、知らなかったんですよ。ミユさんも、清水さんも、先輩の大事な知り合いだって」
「……え?」
鶴見の話に、二人を当てはめて考える。ミユは言い方は悪いが、かなり男好きな性格で、清水と付き合っている間も他の男子への目移りが止められていなかった。
清水は距離が近いやつで、堀岡自身も彼と話すときに鬱陶しいと感じることが多々あった。
「俺がする悪いこと、全部先輩につながっちゃうんですよ。不思議な話ですよね。俺はただ、自分が嫌だったからそうしただけなのに、全部先輩に繋がってしまう」
「……なんか、いや、ちょっと待って」
堀岡は鶴見の話に嫌な雰囲気を感じていたので、鶴見が本当に清水と知り合いなのかどうか確かめるため彼に電話をかけようと思った。清水と最後に話したのは四ヶ月前である。
プルルル、と電話の音が鳴り、それが四回ぐらい続いた時。あ、と声を出して、鶴見が手を横に振った。
「清水さんすか? なら出ないっすよ」
「え、なんでだよ」
「さっき説明した通りです」
おかけになった電話は——と、堀岡の耳元で女性の声がした。清水はいつも、電話は2コールぐらいで出るやつのはずなのに。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って」
「待ちますよ」
「悪いことって、鶴見、いや、違うよな」
喉に染み付いた味噌汁の味が乾く。何を否定したいのか自分でも分からなかったが、とにかく、鶴見が堀岡の想定通りの人間であることを祈った。ただ、鶴見はそこでキャップのつば越しに堀岡のことを見ている。
「いや、な、なら、こんな簡単に俺に言うわけないよな。だって、そんなこと、大学の食堂で言うようなことじゃねえもん」
「なんのことか分かんないっすけど、今日、俺は冗談なんて一言も言ってないっすよ」
「待って、いや、待ってって」
その時、堀岡のスマホが振動した。清水から電話がかかってきたのかと思って急いで画面を見るが、そこに表示されていた名前はバイト先の先輩のものだった。
「はい、も、もしもし」
はい、はい、と堀岡は何度も相槌を打つ。その声がだんだん小さくなっていって、ある時、「え」と大きな声を出して鶴見の顔をちらりと見た。
「え、いや、はい。なんでもないです。はい、鶴見もいるんで、伝えておきます。はい、はい……」
一分も経たずに、堀岡は電話を切った。それから、信じられない、と言った目で鶴見の顔を見る。
「何でしたか」
「……川上さんが急にいなくなったから、今日のバイト無しだって」
「連絡遅いっすね、全く」
鶴見は絆創膏があるであろう位置を撫でながら、だからあの人苦手なんすよ、と目つきを鋭くして水を飲んだ。彼の怪我の原因を、堀岡はまだ知らない。
「あの店どうなるかな。もしかしたら無くなるかも。すみません、また先輩に迷惑かけましたね」
「え、いや、嘘だろ、鶴見」
鶴見は席に着く前となんら変わりない表情で向かいに座っている。態度を変えたのは堀岡だけだ。
「鶴見、鶴見が俺に良くしてくれてたのって」
鶴見はコップを置いて、ふう、と軽いため息をついた。その姿は普通で、どこにでもいる、ただの大学生と何も変わらない。
「先輩」
鶴見と堀岡の目が合う。
「もし、俺が人殺しだとして。俺は何をすれば先輩に許してもらえますかね」
鶴見の皿には、たった一つの唐揚げさえも残っていなかった。




