開いた手と、空っぽ
太陽を掴んでみたくて。
それに手を伸ばして、閉じて開いてを繰り返した。
見えなくなって、掴んだ気になって。
手を開いて、解放してやった。
私は何が出来るんだろう。
ずっと、ずっと、今も、考えている。
いつの日か。
あぁ、そうか。
これぐらいしか出来ないのかと、気付いたんだっけ。
心臓の鼓動が聞こえる。
私は生かされている。
言葉が浮かぶ。
私は考えさせられている。
花火を見上げる。
私は見たいと思わされている。
半端な所だけ、私が出来るのは、それだけ。
ムカツクから、死んでやろうかと思ったこともある。というか、今も別に思っている。
でも。
私はまだ、引き裂いている。
全部、受動を。
半端でぶち壊してやろうと、意気込んでいる。
細胞の集まりに、細胞の集まりで。
親に反抗する子どもみたいに、幼稚なことだけど。
それはきっと、必要なことでしょ?
魂について、考えたことがある。
それはきっと、私たちの概念では説明がつかないことで、それが存在していてもしなくても、私たちに影響はない。
黄泉の国について、考えたことがある。
あるなら、さっさっと死ねばいいのにと。
結局。
全部全部、無関係のどうでもいいことだ。
この世においては。
諦めから来るものに過ぎないのかもしれない。
半端なもので出来る、抵抗なのかもしれない。
そこに私は、綺麗さを感じることがある。
滑稽に願い、手を伸ばして、掴めなくて、手を握る。気付いて、手を開く。
そんなことの繰り返し。
解決はせず、いつか問題を忘れていく。
問題だと感じなくなっていく。
悩みが心から溢れ始めたのは確か、小学三年生のころだったと思う。
なにか失敗したり、言うことを聞かなかったり、普通から外れると毎回、私がどれだけ恵まれているのか講釈垂れる人がいる。
腕が2本あって、目が2つあって、足が2本あって、生まれたときから犯罪を強制されなくて、ご飯が食べられて。
命の危険がなくて。
私は恵まれているらしい。
私の不安や不満、不幸などは、それに比べたら小さなことらしい。
恵まれているのだから、それに感謝しないといけないらしい。
恵まれているのに、私はなにも出来ないらしい。
悪いのは私らしい。
私は頑張っていないらしい。
私は普通じゃないらしい。
私は幼稚園の子どもが出来ることができないらしい。
私は、生まれてきたくなかった。
自ら生まれてくることを願ったわけでもないのに、なぜみんなは頑張れるのだろう。
それとも、頑張らなくても私よりすごいのか?
そんなことを、ずっとずっと考えていた。
いつになっても、解決はしなかった。
どれだけ嘆いても、出来ないことが出来るようになるわけじゃない。
周りから見て私は、何も頑張っていないように見えたんだろう。
ストレスを貯めない人だなんて言われたこともある。
そりゃ、毎日学校を休んだり遅刻したりしていれば、そうなるだろう。
でも、あるとき、気づいた。
何も頑張っていないけど、歳を取ったら、出来るようになっていた。
あんなに頑張ってもできなかった私は、どこに行ったんだろう。
出来ないからとあきらめて、怒られて、泣いて、逃げ出して。
そんな私は、いつの間にかいなくなっていた。
あぁ、あの頃の傷だらけの自分が、自分を置いてどこかへ消えていってしまう。
怖かった。
私も、そうなるのが。
そういえば、この世から消えたいという思いは、今でも変わらない。
なんとなく、その事実に安心している私がいた。




