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当たり前のはずなのに

第2話 


朝は、いつも早い。


目覚ましが鳴るよりも前に、音羽は目を覚ました。


体が覚えているのだ。

起きなければいけない時間を。


まだ外は薄暗い。


静まり返った家の中で、音を立てないように布団から抜け出す。



——今日も、同じ一日が始まる。




キッチンに立ち、冷蔵庫を開けると庫内の冷気が頬を撫でる


中身は、ほとんど空だった。



残っているのは、昨日の残り物と、安売りで買った食材だけ。


それでも、なんとか三人分の朝食を用意する。


自分の分は、後回し。


それも、いつものことだった。


 


「……できた」


小さく呟いて、テーブルに並べる。


そのまま洗濯機を回し、昨日の食器を片付ける。


手を動かしていないと、余計なことを考えてしまうから。


 


「……んー……」


リビングから、寝ぼけた声が聞こえた。


次の瞬間、スマートフォンの通知音が鳴り響く。


「やば、もうこんな時間?」


そう言いながら現れたのは、妹の真凜だった。


寝癖ひとつない髪に、軽くメイクまでしている。


朝から完璧に“可愛い”が出来上がっている。


「おはよ」


「……おはよう」


音羽が小さく返すと、真凜はちらりとテーブルを見て、顔をしかめた。


「え、なにこれ」


「朝ごはんだけど……」


「地味すぎて生ゴミかと思った」


その一言で、胸の奥が少しだけ沈む。


「ごめん、今月ちょっと……」


「はい!言い訳」


ぴしゃりと遮られた。


「もっとちゃんと考えてよ。私これから撮影あるんだけど?」


——撮影。


その言葉に、音羽は何も言えなくなる。


真凜はインフルエンサーとして活動している。


写真一枚、動画一本で、簡単にお金を稼ぐ。


それに比べて、自分は。


「……次は気をつけるね」


そう言うしかなかった。


 


「てかさ」


椅子に座りながら、真凜がふと思い出したように言う。


「あのメガネ、ちゃんとかけてる?」


「……え?」


「外してないよね?」


一瞬、言葉に詰まる。


「……うん、かけてるよ」


そう答えると、真凜は満足そうに笑った。


「ならいいけど。ほんと、外さないでよね」


その言葉の意味を、音羽は知っている。


——比べられるのが嫌だから。


自分より目立つ存在が、許せないから。


 


「ブスはブスらしくしててよ」


軽く言われたその言葉に、反応はしなかった。


もう、慣れている。


 


ガチャ、と玄関の扉が開く音がした。


「母さん、金」


入ってくるなりそう言ったのは星夜だった。


制服のボタンを外しながら、当たり前のように手を差し出す。


「昨日のやつ、もうないから」


「え、もう?」


真凜が呆れたように笑う。


「使いすぎでしょ」


「仕事の必要経費」


悪びれもなく言い切る。


そして、視線がこちらに向いた。


「……なに見てんの」


「え……?」


「キモいんだけど」


その一言で、音羽は視線を落とした。


 


——違う。


見ていたわけじゃない。


ただ、同じ空間にいただけなのに。


 


「ほら、あんたからも出せよ」


星夜の言葉に、思考が止まる。


「え……?」


「働いてんでしょ?」


当然のように言われる。


断る理由なんて、最初から用意されていない。


「……ごめん、もうあんまり」


そう言いかけた瞬間、背後から低い声が落ちた。


「何やってるの」


振り返ると、母が立っていた。


いつからそこにいたのか分からない。


 


「生活費、まだよね?」


静かな声だった。


けれど、その圧は逃げ場を許さない。


 


「……昨日、渡したばかりで」


「足りないって言ってるの」


被せるように言われる。


 


「この家に住んでる以上、払うのは当然でしょ?」


 


——当然。


その言葉が、頭の中で反響する。


 


本当に?


 


それが、“当然”なのだろうか。


 


言い返したい言葉が、喉の奥で詰まる。


けれど、出せない。


出したところで、何も変わらないと分かっているから。


 


「……分かりました」


結局、そう答えてしまう自分がいる。


 


財布の中身は、もうほとんど残っていない。


それでも、数枚の紙幣を取り出して渡す。


 


「最初からそうすればいいのに」


母はそれを受け取ると、何事もなかったかのように背を向けた。


 


 


——おかしい。


 


ふと、そんな言葉が頭に浮かんだ。


 


今さら?


 


そう思う自分もいる。


 


けれど。


 


どうして、自分だけが。


 


どうして、自分だけが“こう”なんだろう。


 


 


その疑問に、答えは出ない。


 


出そうとすると、なぜか思考が止まる。


 


まるで——考えてはいけないことのように。


 


 


「音羽、ぼーっとしてないで」


真凜の声で、我に返る。


「遅れるんでしょ?さっさと行けば?」


 


「……うん」


 


頷いて、音羽はバッグを手に取った。


 


玄関に向かいながら、もう一度だけ振り返る。




笑っている妹。

無関心な弟。

何も感じていない母。




その光景を見て、なぜか胸の奥がざわついた。


 

 


——このままで、本当にいいのだろうか。


 


 


答えは、まだ出ない。


 


けれど。


 


小さな違和感だけが、確かにそこに残っていた。



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