やり直しの朝
第17話
——息が、できる
最初にそう思った
肺に空気が入る感覚が、やけに鮮明だった
重くも苦しくもない
ただ、自然に呼吸ができる
それだけで、胸の奥が震えた
「……は、」
声が出る
かすれていない
血の味もしない
視界も暗くない
ゆっくりと、目を開ける
見慣れた天井
ひび割れも、染みも、全部覚えている
(……ここ)
一気に記憶が押し寄せた。
妹に子供を押し付けられる前
すべてが始まる、少し前の時間
「……戻ってる」
ぽつりと呟いた瞬間、指先が震えた
——あの最後
床に倒れて、動けなくて、遠くで笑い声がして
「どうすんの、これ」
なんて軽い声が聞こえて
自分の人生が、あまりにも簡単に“片付けられた”あの瞬間
そして——
『絶対に許さない』
あの感情だけが、鮮明に残っている
「……ふふ」
小さく、笑った
涙は出なかった
もう、あの時みたいに泣いたりしない
(もう一度、やり直せるなら)
あの願いは、叶った
だったら——
「今度は、全部奪い返す」
静かに、そう言い切る
前世の自分は、何も知らなかった
騙されて、利用されて、最後まで信じていた
だから負けた
でも今回は違う
全部、知っている
誰が嘘をつくか
誰が裏切るか
どのタイミングで、何をしてくるか
——そして、どうすれば壊せるか
「……まずは」
ベッドから起き上がる
体は軽い
まだ何も背負っていない頃の身体
(あの子が来るのは、ここから半年後)
その前にやるべきことは、はっきりしていた
「逃げる」
即答だった
同じ土俵に立たない
押し付けられる前に、いなくなる
それだけで、運命は大きく変わる
でも——それだけじゃ足りない
(それじゃ、ただの回避)
音羽は、ゆっくりと目を細めた
(私は、終わらせたい)
奪われたもの
踏みにじられた時間
殺された自分
全部に、決着をつける
そのためには
「準備がいる」
まず、お金
前世では、働いても全部奪われていた
でも今回は違う
稼いだものは、自分の手元に残す
口座も、隠す
絶対に見つからない場所に
次に、情報
妹の動き
妊娠のタイミング
スキャンダルになり得る弱点
全部、覚えている
弟の仕事
交友関係
調子に乗る時期
落ちるきっかけ
そして——
「……あの人」
前世では、少し会話をして
ただすれ違っただけの存在
でも、あの時
ほんの一瞬だけ交わした会話が
なぜか記憶に残っている
これがなんなのか今はまだわからない
ただ——
「……使えるものは、全部使う」
それだけ
ゆっくりと立ち上がり、鏡の前に立つ
そこに映っていたのは
まだ何も失っていない自分
でも、その目だけは違った
「……もう、間違えない」
眼鏡に手をかける
前世では、“ブスに見せるため”にかけさせられていたもの
それを外す
視界が、開ける
(こんなもの、もう必要ない)
机の上に置いた
もう隠れない。もう従わない
「全部、壊す」
静かに、宣言する
復讐は、怒りでやるものじゃない
——奪われた人生を、取り戻すためにやるものだ
そしてその始まりは、あまりにも静かだった
何も変わらない朝
でもその裏で
すべてが、動き出していた




