優しい嘘の向こう側
ポルの家は、外見以上に狭かった。
天井は低く、立ち上がるとアッシュは少し首を傾けないと頭がぶつかる。
「悪いな、隊長。
ポポル族の家は……どうしても小さくてな」
ポルは照れくさそうに笑いながら、
暖炉に火をくべた。
ぱち、ぱち、と薪が弾ける音が、
静かな部屋に広がる。
「……昔はよく、こうして火を囲んでさ。
お前が寝るまで、くだらない話をしてやったよな」
ポルは懐かしそうに笑い、
アッシュの前に温かい飲み物を置いた。
「覚えてるか?
お前が初めて魚を焼いた時なんて──」
アッシュはその言葉を遮った。
「……ジーノ」
ポルの手が止まる。
アッシュは、ゆっくりと顔を上げた。
「俺は……勇者レオン達が魔王討伐に向かった日の記憶がない」
ポルの表情が固まった。
アッシュは続けた。
「氷に呑まれる直前のことも……
誰といたのかも……
何を守ろうとしたのかも……
全部、霧の中だ」
暖炉の火が、アッシュの瞳に揺れる。
「ジーノ。
あの日……何があった?」
ポルは視線を逸らした。
「……隊長。
それは……」
アッシュは静かに言った。
「俺は、知りたい。
俺が……何を失ったのか」
ポルの喉が震えた。
「あの日、お前は……本隊を救ったんだ」
「勇者達が魔王城に突っ込んだ裏で、
四天王グラキエスが後方から本隊を襲ってきた」
「誰も気づかなかった。
気づいた時には……もう逃げ場なんてなかった」
「そこで投入されたのが……ソウルベアラー部隊だ」
「お前は……その中でも一番前に立って、
グラキエスに致命傷を与えた」
「だが……その代償に“氷の核”を胸に押し当てられた。魂ごと凍らせる……あれは処刑だ」
「グラキエスが引いたことで魔王軍の攻勢は弱まり、俺達は助かった。お前のおかげだ」
「お前はその場で凍りついた。
……俺が見つけた時には、もう……氷の中だった」
「溶かせなかった。
炎魔法でも、何をしても……」
「だから俺は……毎日通った。
お前が……帰ってくる日を信じて」
ポルは嘘をついた。
アッシュが壊れないように優しい嘘を。
ポルの言葉が途切れたあと、
アッシュはしばらく何も言わなかった。
暖炉の火が、静かに揺れている。
その光が、アッシュの影を壁に映し出す。
「……そうか」
ようやく絞り出した声は、驚くほど落ち着いていた。
だが胸の奥では、
何かが軋むように痛んでいた。
(……違う。
これだけじゃない。
もっと……何かがあったはずだ)
ポルの話は筋が通っている。
嘘をついているようには見えない。
だが──
(……肝心な部分が、抜け落ちている)
胸の火種が、微かに揺れた。
まるで“違う”と訴えるように。
アッシュは拳を握りしめた。
(ジーノは……言わない。
言えないんだ)
ポルの震える声。
視線を逸らした瞬間。
言葉を選ぶような間。
全部が、アッシュにはわかった。
(これは……俺だけのためじゃない。
ジーノ自身のためだ)
二十年。
毎日通い続けたという言葉の重さ。
氷の前で、どんな思いを抱えていたのか。
アッシュは息を吐いた。
「……ありがとう、ジーノ」
ポルが驚いたように顔を上げる。
アッシュは続けた。
「全部じゃなくていい。
言いたくないことは……言わなくていい」
その言葉は、
アッシュ自身にも向けられていた。
(俺は……まだ耐えられないのかもしれない)
胸の奥で疼く痛み。
思い出せない声。
誰かが泣きながら自分の名を呼んだ記憶の断片。
それを掴むのが、怖かった。
(……今は、これでいい)
アッシュはゆっくりと目を閉じた。
ポルの優しい嘘を、
自分の弱さごと、
静かに飲み込んだ。




