最果ての村の灯り
イシュヴァルの吹雪は、二十年前と変わらない。
だが、世界は変わっていた。
アッシュとポル=ジーノは、雪を踏みしめながらフロストレーンへ向かっていた。
氷獄から解放されたばかりのアッシュの足取りは重い。
それでも、胸の奥の火種が彼を支えていた。
「……隊長、寒くないか?」
ポルが気遣うように声をかける。
アッシュは首を振った。
「平気だ。……身体が、まだ熱い」
イグナの残した火種が、彼の体温を保っている。
だがその温もりは、どこか寂しげだった。
ポルはちらりとアッシュの横顔を見た。
二十年前と変わらない。
だが、何かが欠けている。
──エリシアの記憶。
ポルは唇を噛んだ。
言うべきか、言わないべきか。
今のアッシュに、あの痛みを背負わせていいのか。
「……ジーノ」
アッシュがふいに立ち止まった。
「ん?」
「俺は……何を失ったんだ?」
その問いに、ポルの胸が締めつけられる。
アッシュは続けた。
「誰かを……守ろうとしていた気がする。
誰かが……俺の名を呼んでいた。
でも……思い出せない」
ポルは拳を握りしめた。
「……隊長。それは……」
言いかけて、言葉を飲み込む。
アッシュは静かに目を伏せた。
「……すまない。無理に答えなくていい」
ポルは胸が痛んだ。
アッシュが謝る必要などない。
本当は、すべてを話したい。
だが──
エリシアの死は、アッシュの心を壊す。
それを知っているからこそ、言えなかった。
吹雪の向こうに、かすかな灯りが見えた。
「……着いた。ここがフロストレーンだ」
ポルが指さした先に、小さな集落が寄り添うように並んでいた。
氷壁に守られるように建てられた木造の家々。
窓から漏れる橙色の光が、雪の白さに滲んでいる。
アッシュは足を止めた。
「……人が、住んでいるのか」
「住んでるさ。少ないけどな。
ここは……“最果ての村”って呼ばれてる」
ポルは苦笑した。
「でも、俺には……ここしかなかった」
その言葉に、アッシュは胸が痛んだ。
自分が眠っていた二十年の間、ポルがどんな日々を過ごしていたのか──
その一端が、静かに伝わってくる。
村に入ると、数人の村人がこちらを見た。
驚きと警戒と、少しの安堵が混じった視線。
「ジーノ、帰ったのか。……その人は?」
「俺の……隊長だ」
その一言で、村人たちの表情が変わった。
驚き、戸惑い、そしてどこかで納得したような目。
「……まずは温まれ。
氷温泉が沸いてる。身体を溶かさないと死ぬぞ」
年配の男がそう言って、二人を案内した。
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氷壁の裂け目に作られた共同浴場。
外気は凍てつく寒さなのに、
湯気が白く立ち上り、ほのかに青白い光を放っている。
「……温泉、なのか?」
アッシュが呟く。
「氷の地脈の上にある村だからな。
ここだけは……凍らないんだ」
ポルは湯に手を入れ、温度を確かめた。
「隊長、まずは入れ。
二十年ぶりの……温かさだ」
アッシュはゆっくりと湯に身を沈めた。
その瞬間──
胸の奥の火種が、ふっと揺れた。
「……あ……」
湯の温もりが、氷獄で凍りついた身体の隅々まで染み渡る。
指先が、足先が、心臓が、
“生きている”と訴えるように脈打つ。
そして──
──アッシュ。
……生きて。
かすかな声が、耳の奥で響いた。
アッシュは思わず湯の中で拳を握った。
「……誰だ……誰の声だ……?」
ポルは湯の縁に座り、静かにアッシュを見つめていた。
その表情には、安堵と、痛みと、言えない秘密が混じっている。
「隊長……ゆっくりでいい。
思い出すのは……いつでもいい」
アッシュは目を閉じた。
湯の温もりが、胸の火種と重なり、
忘れたはずの記憶の断片が、
雪のように静かに舞い落ちてくる。
だが、掴めない。
「……俺は……何を……」
ポルは小さく呟いた。
「……守ろうとしてたんだよ、隊長。
誰よりも、大切なものを」
アッシュはその言葉に、胸が締めつけられた。
湯気の向こうで、
ポルの瞳が揺れていた。




