黒炎の記憶
視界が揺れ、工房の赤炉が遠ざかる。
代わりに、白い光の部屋がぼんやりと浮かび上がった。
白い部屋。
冷たい床。
金属の匂い。
誰かが隣に座っている。
声は震えているが、誰なのかは思い出せない。
「……ねぇ……
私たち……戦争が終わったら……どうなるのかな……?」
アッシュは答えられない。
喉が締めつけられるように痛い。
「……兵器って言われても……
痛いし……怖いし……
泣くし……笑うのに……
どうして……?」
その声は、幼くて、弱くて、
でも必死に何かを信じようとしていた。
部屋の外から、軍人たちの声が聞こえる。
「生物兵器の調整は明日だ」
「感情が残っているのは問題だ」
「戦争が終われば......対象だ」
その言葉が、胸に深く刺さる。
隣の誰かが、袖を掴んだ感覚だけが鮮明だ。
「……ねぇ……
私たち……生きてていいのかな……?」
アッシュは何も言えなかった。
ただ、冷たい床の感触と、
胸の奥の痛みだけが残った。
アッシュは記憶の断片から現実へと引き戻された。
だが、その表情は先ほどまでの静けさとはまるで違っていた。
目は細く、深い影を落とし、
呼吸は荒く、胸の奥で何かが燃え上がっている。
レーネが心配そうに近づく。
「アッシュ殿……?」
その瞬間――
アッシュの身体から、黒い炎が“滲み出た”。
ボウッ――。
空気が震え、工房の温度が一瞬で下がったように感じられる。
赤炉の炎が揺らぎ、ガンリックが思わず後ずさる。
「な、なんですか……この気配……!」
黒炎は赤い炎とは違い、光を吸い込むように揺らめいていた。
禍々しく、重く、怒りそのものが形になったような炎。
ポルが息を呑む。
「アッシュ……お前……」
アッシュは歯を食いしばり、低く呟いた。
「……思い出したんだ。
あの頃の……痛みだけが……」
黒炎がさらに強く揺れ、
アッシュの影が床に長く伸びる。
レーネは震える声で言った。
「アッシュ殿……落ち着いて……!」
アッシュは拳を握りしめ、
黒炎がその拳にまとわりつく。
「……俺たちは……
“兵器”として扱われていた。
痛みも……恐怖も……
全部、当然のように……」
言葉を吐くたびに、黒炎が脈打つ。
ガンリックは恐怖よりも、
その炎の“悲しみ”を感じ取ったように呟いた。
「……これは……怒りじゃない……
苦しみが……燃えている……」
アッシュは目を閉じ、深く息を吸った。
黒炎がゆっくりと収束し、
やがて消えていく。
そしてアッシュの髪は毛先を残し赤く染まった。
アッシュは静かに言った。
「……すまない。
制御できなかった」
ポルは肩を叩く。
「いいんだよ。
思い出したくないもんを思い出したんだ。
怒って当然だ」
レーネも優しく頷く。
「アッシュ殿……
その痛みを……一人で抱えないでください」
アッシュは剣を見つめ、
かすかに震える声で呟いた。
「……まだ……戻りきっていない。
だが……少しずつ思い出す。
あの時……何があったのか」
黒炎の残滓が、
アッシュの足元で静かに消えた。
ポルが表情を引き締める。
「ガンリック……悪いが、俺たちはすぐに出なきゃならねぇ」
ガンリックは驚いたように顔を上げた。
「え……どうしてですか?」
アッシュは短く答えた。
「ドワルガン国軍が俺たちを拘束しろとギルドに命じた。
王が帝国に俺たちを売るつもりだ」
ガンリックの顔から血の気が引く。
「そ、そんな……!」
レーネが優しく言う。
「ガンリック殿、あなたの工房に迷惑をかけたくありません。
だから……今は離れるべきなのです」
ガンリックは唇を噛み、深く頷いた。
「……わかりました。
ですが……剣だけは……必ず完成させます」
アッシュは試作品の二本を背負い、静かに言った。
「必ず取りに来る」
ガンリックは涙をこらえながら、深く頭を下げた。
「アッシュ殿……ポル殿……レーネ殿……
どうか、ご無事で……!」
ポルが笑う。
「お前もな。
完成品、楽しみにしてるぜ」
レーネも微笑む。
「また会いましょう、ガンリック殿」
アッシュは短く言った。
「必ず戻る」
ガンリックは震える声で答えた。
「……はい……!
お待ちしています!」
三人は工房を後にし、
朝の光が差し込む職人街を抜けていった。
背後で、ガンリックが炉に火を入れる音が響いた。
(必ず……完成させます。
父が果たせなかった仕事を……私が)
その決意の炎は、工房の赤炉よりも熱く燃えていた。




