守られた未来
ポルが足を止め、前方を指さす。
「……見えてきたぞ、隊長」
アッシュは顔を上げた。
白銀の大地の向こう――
巨大な“氷壁”が、朝の光を受けて淡く輝いていた。
それは、かつて魔王軍の侵攻を防ぎ続けた
イシュヴァルの城壁。
氷と石を組み合わせた二重構造。
戦争の名残をそのまま残した、威圧的な防衛線。
アッシュの胸が、静かに震えた。
(……変わっていない)
二十年前、何度もこの壁の前で剣を抜いた。
仲間を失い、血を流し、
それでも守り抜いた場所。
その記憶の残響が、胸の奥で微かに疼く。
ポルが横で言う。
「軍は縮小したが、城壁だけは残ってる。
“あの日々”を忘れないためにな」
アッシュは小さく頷いた。
(……忘れないために、か)
自分は――忘れてしまったのに。
そんな痛みが胸を刺した。
だが、城門に近づくにつれ、
その痛みは別の感情に溶けていく。
城門の前には、
旅人、商人、冒険者、子どもたち……
多種多様な人々が行き交っていた。
イシュ族の白銀の髪が風に揺れ、
その間をレガリア人やドワル族が笑いながら歩いていく。
門番は穏やかに旅人を案内し、
子どもたちは雪玉を投げ合って遊んでいる。
アッシュは思わず足を止めた。
(……こんな光景、見たことがない)
戦争の最前線だった国とは思えない。
血の匂いも、悲鳴も、絶望もない。
ただ――
平和があった。
ポルが横で微笑む。
「俺たちが守った未来だ」
その言葉が胸に落ちた瞬間、
アッシュの視界が揺れた。
頬を伝う温かいものに、
アッシュは自分で驚いた。
「……俺たちが……守った……?」
「そうだ。
俺たちが命を削って守った未来が、
今こうして息づいてる」
城門をくぐった瞬間、
アッシュは思わず息を呑んだ。
(……ここが……イシュヴァル……?)
かつて戦場の最前線だったはずの街は、
まるで別世界のように賑わっていた。
氷壁の内側には、
雪を反射する白い石造りの家々が並び、
窓辺には氷花を模した装飾が輝いている。
通りには露店が並び、
氷の彫刻、雪解け水の酒、
温かいスープの香りが漂っていた。
「氷果はいらんかー! 甘いぞー!」
「スノーラビットの毛皮、今日のは上物だよ!」
売り子たちの声が飛び交い、
旅人たちが笑いながら品物を手に取っている。
イシュ族の白銀の髪が風に揺れ、
その間をレガリア人の商人が荷車を押し、
ドワル族の鍛冶師が大声で値段交渉をしている。
エルフェル族の魔導士が、
氷の結晶を浮かべて子どもたちを喜ばせていた。
「すげぇ! もう一回やって!」
「ふふ、これは簡単な魔法ですよ」
子どもたちの笑い声が、
雪の街に温かく響く。
アッシュは立ち尽くした。
胸の奥が、じわりと熱くなる。
(……こんな……国だったか?
俺が知っているイシュヴァルは……
もっと……寒くて……暗くて……)
戦場の記憶しかない。
血の匂い、叫び声、倒れた仲間。
だが今、目の前にあるのは――
生きている国だった。
ポルが静かに言う。
「戦争が終わって……
人が戻ってきて……
他の国からも人が集まって……
こうして“新たな国”になったんだ」
アッシュは震える声で呟いた。
「……俺たちが……守った……未来……」
その瞬間、
視界が滲んだ。
頬を伝う涙が、
冷たい風に触れてすぐに凍りつく。
だが、アッシュは拭わなかった。
(……守れたんだ……
俺たちは……確かに……)
胸の奥で、
小さな赤い灯が静かに揺れた。
ポルはアッシュの背中を軽く押す。
「行こう、隊長。
街は広い。
お前に見せたいもんが、まだまだある」
アッシュはゆっくりと歩き出した。
雪の街は、
彼を歓迎するように光を放っていた。




