5 覚悟という名の恋
王城の執務室は、朝の光に満ちていた。
書類の山に埋もれる兄王エルンヴァルトの姿を見て、ユーフェインは一礼する。
「昨夜の件、報告に参りました」
「……来ると思っていた」
エルンヴァルトは顔を上げずに答えた。 羽根ペンを置き、ようやく弟を見る。
「ノクスヴァル公爵家から、今朝一番で使者が来ている」
その言葉に、ユーフェインはわずかに眉を動かした。
「礼状だ。娘を無事に送り届けてくれたことへの感謝、そして——」
エルンヴァルトは、意味ありげに一拍置く。
「昨夜の異変については、すでに当家でも把握しているとな」
情報源。
それがノクスヴァル家自身であることを、わざわざ言葉にする必要はなかった。
「……陛下は、どこまでご存じで?」
「ほぼ全部だ」
即答だった。
「祝賀会を早々に切り上げたこと。ヴァルカディア公爵家の馬車でセレフィーナ嬢を送り届けたこと。途中で不穏な出来事があったこともな」
エルンヴァルトは静かに息を吐く。
「ノクスヴァル公爵家は影を生業とする。情報を伏せるより、先に差し出す判断をしたのだろう」
ユーフェインは肯いた。
「噂になります」
先にそう言ったのは、ユーフェインのほうだった。
「いずれ、必ず」
エルンヴァルトの視線が、鋭くなる。
「分かっていて、あの行動を取ったか」
「はい」
即答だった。
「……私が、未婚の公爵令嬢を夜半に送った。しかも相手がノクスヴァル家の娘となれば、放っておかれるはずがありません」
「……では聞こう」
エルンヴァルトは、低い声で問いかける。
「噂として流させるか。それとも、事実として引き受けるか」
沈黙。
だが、ユーフェインの迷いは、そこにはなかった。
「どちらでも構いません」
その答えに、エルンヴァルトはわずかに目を細めた。
「ほう?」
「初めは、公爵家の当主としてノクスヴァル家を守るために動きました。ノクスヴァル公爵家が王家主催の祝賀で欠席することは、王家にもノクスヴァル家にも良くないことだと判断しました」
ユーフェインは、静かに続ける。
「当然、噂になることも覚悟の上です。ただ、私は公爵家当主であり、陛下の実弟。そして私の治めるヴァルカディアの地は、魔の森の最前線という厳しい土地です。婚約者は慎重に選ぶ必要があると考えていました」
ユーフェインは昨夜のセレフィーナの姿を思い出していた。
「……ですが、昨日セレフィーナ嬢と話して思いました。私の隣に立つのが彼女であればどんなに嬉しいだろうかと」
はっきりと、そう言った。
「お前にしては随分と早急な判断だな」
エルンヴァルトは国王という立場を他所に、少し面白そうに言う。
「今回のこと、セレフィーナ嬢の非は一切ありません。それでも、世間は彼女を好き勝手に噂するでしょう」
拳を、わずかに握る。
それは怒りではなく、決意を逃さぬためのユーフェインの癖だった。
「ならば、先に私が立ちます。彼女に向く視線も、憶測も、責任も——すべて」
一瞬、執務室が静まり返った。
エルンヴァルトは、ユーフェインを見つめていた。
政治的な利害ではなく。王家の保身でもなく。ただ、誰かを守ろうとする一人の弟を。
「……なるほど」
エルンヴァルトは、小さく息を吐いて笑った。
「お前は、自分の立場がどうなるかより、あの令嬢がどう扱われるかを案じている」
「……」
「私から言うことは一つだ」
立ち上がり、弟の前に立つ。
「中途半端な善意は許さん。セレフィーナ嬢を守りたいのは、責任ではなくお前の本心であるのだな。偽りはないか」
「ありません」
すると、エルンヴァルトはわずかに声を和らげる。
「……だが」
エルンヴァルトは、弟を見て確かに察していた。
「お前がここまで腹を括っているのなら、私は王としても、兄としても——お前の恋路を応援しようと思う」
それは、黙認ではなく、支援の宣言だった。
ユーフェインは、深く一礼する。
「ありがとうございます、兄上」
「礼を言うのは早い」
エルンヴァルトは、執務机に戻りながら言う。
そして、指先をトントンと二度机につくと、どこからか影が一人舞い降りてきた。
「聞いたな、アーデルハルト」
「はっ」
黒衣を身に纏った男はユーフェインの前に立つと、膝をついた。
「……それは!」
それは、王家に対して礼を尽くす際の礼であり、臣籍に下ったユーフェインに対して行われるべきではないものだ。
ユーフェインはエルンヴァルトに視線を向けたが、特に気にしていない様子である。
「……ノクスヴァル公爵家当主アーデルハルトでございます。ユーフェイン様に対して、これまでご挨拶を申し上げることができなかった非礼をお許しください。そして、我が娘を非難の目から救ってくださったこと、父親として感謝申し上げます」
「それで、アーデルハルト。ユーフェインの気持ちは聞いていたと思うが、そなたの意見を聞かせてほしい」
エルンヴァルトは言う。
「……ユーフェイン様が娘に対してそのようにお心遣いをいただいていること、光栄に存じます。しかし、貴族の家にはよくあることとはいえ、私は良かれと思って選んだ婚約者で娘を傷つけることになりました。この件は、娘の意見を大事にしてやりたいのです」
「当然です。日を改めて正式に婚姻の話をノクスヴァル公爵家へ送らせていただきます」
「……その判断でよい」
エルンヴァルトは短くそう告げ、話は終わりだと示すように書類へ視線を戻した。
アーデルハルトは深く一礼し、影のように姿を消す。
執務室に残されたのは、王と王弟だけだった。
ユーフェインは胸の奥に残る熱を、まだ言葉にはしなかった。 これは始まりにすぎない——そう、誰よりも彼自身が分かっていたからだ。




