4 新月に名を呼ばれて
屋敷の門が見えたとき、ユーフェインはようやく肩の力を抜いた。
王都の夜は、遠征地よりもずっと明るい。
そのくせ、闇は深い。
「……ここまでで結構です、閣下」
馬車が止まると、セレフィーナはそう言って立ち上がった。先ほどの出来事が嘘のように、背筋はまっすぐだった。
「いや、念のため門まで送ろう」
「大げさでは?」
そう言って、彼女は小さく首を傾げる。
怖がらせまいとする遠慮ではない。本気でそう思っているのだと、ユーフェインには分かった。
「今夜は、大げさくらいでちょうど良い」
短くそう返すと、セレフィーナは一瞬だけ目を見開き、やがて観念したように頷いた。
門前には、王城からの連絡を受けて待機していた家令達がいた。
さすがはノクスヴァル公爵家。一家令であろうとも、各々が熟練の武術の遣い手だとわかる。
「……先ほどの石、やはり偶然ではありませんよね」
屋敷の灯りを背に、セレフィーナがぽつりと言った。
「断定はできないな。だが、狙いがあるなら――」
「私、ですね」
言葉を遮ったその声は、驚くほど冷静だった。
「貴族社会は、思っているより単純です。恥をかかされた相手、立場を脅かす存在……理由はいくらでも」
それを、自分のこととして語る。被害者意識も、悲壮感もなく。
ユーフェインは、無意識にセレフィーナの手をとっていた。互いに、その意味を言葉にしないまま。
「……そうだとして、この馬車はヴァルカディア公爵家のものだ。わざわざ私の反感を買うほど愚かな者はいないと、思いたいが」
一瞬、ユーフェインは肩をすくめる。
「それに私も特段好かれているわけでもないのでね。ひとまず、今夜の件は陛下にも報告し、ノクスヴァル公爵家の警護を増やすよう進言しよう」
「そこまで閣下にお力添えいただくのは——」
ユーフェインがセレフィーナをじっと見つめる。
彼女は言葉を最後まで言い切るのをやめた。
「閣下に感謝申し上げます」
「……ハハッ。さすがだな。だけど、背負い過ぎには禁物だ。立場上そうせざるを得ないのだろうが」
幼い頃に母を亡くしているセレフィーナは、これまでの社交界において、任務に出ている父や兄の代わりにノクスヴァル公爵家の代表として出席してきた。
それがノクスヴァル家の女性達に課せられた責務でもあった。領地のことはもちろん政治、軍事、外交に至るまで当主同様に知り得る必要があった。
他の令嬢達とは違う学び続ける日々を辛く感じたこともあったが、それがノクスヴァル家のため、ひいては国のためだと思っていた。
「今日の一連の出来事、何かあればヴァルカディア公爵家はノクスヴァル公爵家の味方につくとお父君にも伝えてくれ」
セレフィーナは衝撃を受けた。
ヴァルカディア公爵家の当主ユーフェインは、言わずと知れた王弟である。ヴァルカディア公爵家が味方になるということは、王家を味方につけるに等しい。
「気にするな……と言ってもむりだろうが。……そうだな、夜中にご令嬢を当家の馬車で連れ出した無作法に対するお詫びだと思ってくれ」
本来結婚を許された間柄でなくては、相手の馬車に乗ることは許されるものではないから。
セレフィーナは、血雪の公爵といわれたユーフェインが、噂に聞く武勇以上に丁寧すぎるほどの気遣いの人なのだと感じた。
「……手厚いご対応をありがとうございます」
——コンコン
馬車の扉が叩かれる。屋敷へ戻る合図だ。
なかなか出てこないので家令達が不安がっているのだろう。
――ここで終わりだ。
本来なら。
「閣下」
呼び止められ、足が止まる。
「私、怖くなかったと言えば嘘になります。でも……」
言葉を探す仕草。
そして、視線がまっすぐに重なる。
「守られるだけの存在でいるつもりは、ありません。それでも……今夜、閣下がいてくださって、本当に心丈夫でいられました」
街灯の光に照らされ、頬がわずかに紅潮していた。寒さのせいではないと、なぜか確信できてしまう。
未知なるものに手を伸ばしたがゆえに、王族として生きる中で幾度となく学ばされてきた——「近づきすぎたものほど、最も深く刺さる」という予感が、静かに胸を打った。
「……無理はするな」
それだけ言うつもりだった。だが、続く言葉が、勝手に零れた。
「強くあろうとするのなら応援しよう。だが、その手に拾いきれない事態とあれば、必ず俺を呼べ。同じ公爵家だ。遠慮はいらない」
一瞬の沈黙。
そして、セレフィーナは静かに微笑んだ。
「はい。――では、そのときは公爵閣下ではなく、ユーフェイン様を頼らせていただきます」
胸の奥が、確かに音を立てた。
門が閉じる。
屋敷の中へと彼女の姿が消えていく。
ユーフェインはその場にしばらく立ち尽くし、夜空を仰いだ。
新月の夜に浮かぶ星が、目に痛いほど光っていた。
今年の終わりに投稿を始め、4話の更新に至りました。
新年が皆様にとって素晴らしい1年となりますよう
お祈り申し上げます。




