14 ヴァルカディア領
ここからしばらくユーフェイン視点、ヴァルカディア領でのお話です。
白は、静寂の色ではない。
北のヴァルカディアにおいてそれは、空を覆い、視界を奪う色だった。
——ガーンゴーン
防衛戦の魔力障壁を魔獣達が超えたことを知らせる鐘が鳴る。
ヴァルカディアの兵士達はもちろん、住民達でさえ、この音が鳴れば戦闘態勢や防衛準備に飛び起きることになる。
領地へ戻った翌朝、ユーフェインもまた、眠りから引き剥がされていた。寝台の横に備えてある武具を手に取り、手早く身につける。
「失礼します」
側近のローディスが部屋へ入ってくる。
「状況は?」
「南の魔力障壁が破られました。第三隊が斥候に出ています」
「……帰ってきたということを、早速思い知らされるな」
外套を羽織りながら、ユーフェインは窓の外へ意識を伸ばす。南の方角へ魔力を飛ばした瞬間、想定以上に強い力で弾き返された。
思わず、足元が揺れた。
「……いかがなさいましたか」
ローディスがすぐに肩を支える。
「相手が、俺のを跳ね返してきた。……少し、酔っただけだ」
「では、気つけ薬を——」
「いや、いい」
ユーフェインは、懐から小さな箱を取り出す。
セレフィーナから託された、調香油。
魔力酔いとは、魔力の波長を乱されることで起こる現象だ。そして、波長とは本来、香りに近い。
手首にひと吹きすると、乱れた感覚が静かに整っていく。
「……ハハッ。これは、すごいな」
だが、この時のユーフェインは、まだ知らなかった。それが、単なる気つけではないということを。
ほどなくして、彼は空にいた。
雲海を割るように、紅の影が進む。紅天大翼鳥は、風を拒まず、雪を恐れず、低く、しかし確実に南の魔力障壁へ向かっていた。
その背で、ユーフェインは目を細める。眼下に広がるのは、果ての見えない白の大地。境界線の向こうで、魔獣の気配が蠢いている。
到着した地点からは、魔力障壁の裂け目から、魔獣が雪原へ雪崩れ込んでいるのがよく見えた。その数に、昨日までの平和な日常など吹き飛んでしまう。
ユーフェインは兵達に魔導具の装着を命じた。
ヴァルカディア領専属の魔工技師によって作られた、音声増幅装置。これを着けるだけでユーフェインの指揮を遠い距離からでも聞き逃すことはない。
とはいえ、練兵を重ねた熟練の兵達だ。ユーフェインが指示することもそれほど多くはない。それでも兵は動く。動けるよう、幾度も同じ戦を繰り返してきた。
「行くぞ」
号令と共にそれぞれの紅天大翼鳥が低空へ滑り込み、ユーフェインはその背から降りた。
着地と同時に、火の魔法が地を走る。厚く積もった雪が砕け、黒い魔獣の影が潰れる。
魔獣の咆哮は短く、次の瞬間には途切れた。別の個体が前に出る前に、すでに間合いは支配されている。
「……左」
短い指示が飛ぶ。兵は迷わず従い、刃と術が重なる。魔獣の群れは、数を頼みにすることも、時間を稼ぐこともできなかった。削られ、散り、雪に沈んでいく。
戦いは、ほどなく終わった。
歓声はない。勝利を祝うほど、珍しい戦ではなかったからだ。
「第三隊、損耗軽微」
「第五隊、魔力障壁の応急修復に入ります」
報告が淡々と続く。
ユーフェインは頷き、外套についた雪を払った。
「次に備えろ。まだ続くぞ」
それだけを残し、再び空へ戻る。
——それが、一度目の出撃だった。
その日、警鐘は三度鳴った。二度目は間を置かず、三度目は日が傾いてから。
魔獣の質は変わらない。だが、数と執拗さだけが、確実に増していった。
隊の編成を変えて出陣する。
それでも、ユーフェインは出続けた。それを己に課せられた役目だと理解する以上に、戦場に部下を置いて休むことを良しとしない彼の性格によるところが大きいだろう。
だからこそ、ヴァルカディア領の屈強な兵達は、領主となって一年しか経たないユーフェインを魔力の強い戦士ではなく、仕えるべき主として慕っているのである。
城へ戻ったユーフェインを見て、執務官のルーカスはほっと安堵した。
「ルーカス、負傷者の数は?」
「三度の出撃にもかかわらず、負傷者は十五名とのことです」
「その中で、しばらく復帰できないのは?」
「ケイとニールが黒火傷と骨折を。あとは軽症です」
黒火傷は魔獣の魔力に触れることによって起こる火傷で、通常の火傷と異なり完治に時間がかかる。
「二人には十分な休養を。復帰後は補給部隊で調整しながら様子を見る。家族には当面の見舞金を支度してくれ」
「すでに手配しております」
「さすがだな」
ユーフェインはにかりと笑う。仕事を認めてくれたことに喜びを感じる反面、ルーカスは心配が勝る。
「さすがに、この後は休んでくれ」
ルーカスが言うと、ユーフェインは不思議そうに目を瞬かせた。
「どうした、ルーカス。何か問題があったか? さすがにここを明けて王都に行っていた間の報告があるだろうからな」
「……いや、今日は三度も出撃したんだぞ! 昨日紅天大翼鳥に乗って帰ってきたばかりなんだから、体を休めないと」
「……そうか。思いの外、体が軽くて書類くらい裁けるかと思っていたんだが。まぁ、今日のところは言う通りに休むとするよ」
ユーフェインはひらひらと手を振りながら城へと入っていった。
彼の言うとおりなのかもしれない。その足取りには疲労も、消耗見当たらなかった。普通の人間が三度も出撃して魔力を繰り広げて戦えば、魔力切れを起こして倒れているはずだ。
ユーフェインは魔力量が多いことから、魔力切れは無いにしても、疲労していて然るべきなのに。
この疑問に気づいていたのはルーカスだけで、そのルーカスですらも、魔力量の違いかと答えを出し切ろうとしていた。
グラナディールが低く鳴き、城壁の向こうで翼を休める。
北の大地の一日はようやく終わりを告げ、再び雪に覆われていった。
申し訳ありませんが、しばらく投稿は不定期です。
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次回もお楽しみに。




