12 調香
屋敷に戻ったセレフィーナは、研究室に入るなり、先程選んだ薬草の包を作業台の上で解いた。
・ラヴァル:乾燥させた赤褐色の葉
・ネスカ:根に近い部分だけを切り取った樹皮
・ミュレ:熱を抱え込み、ゆっくりと放つ性質を持つ香草
寒冷地でも育ち、比較的手に入りやすい薬草ばかりだ。
よかった——できるだけ、ユーフェイン様の身近にあるものを使いたかった。
ユーフェインの魔力属性は火。
その核となる名称は、焔。
親しい者にすらほとんど明かさないというそれを、自分には教えてくれた。その事実が、喜びとなって胸の奥に静かな熱を残す。
雪の大地と呼ばれるヴァルカディアで放たれる火の魔法は、きっと華が咲くように美しいのだろう。
——いけない。
小さく首を振り、余分な思考を追い払う。今は想像ではなく、手を動かす時間だ。
研究室の窓を少しだけ開け、冷たい外気を入れる。空気を入れ替えれば、香りの輪郭がよりはっきりする。
白布を敷き、薬草を順に並べる。その配置には、無意識のうちに魔力の流れを読む癖が表れていた。
まずはラヴァル。
赤褐色の葉を指先で千切り、筋を取り除く。手間はかかるが、その方が薬効が安定する。
乳鉢で細かく砕き、さらりとした粉にする。
本来は精神安定のために用いられる薬草だが、今回は魔力の揺らぎを抑え、激しい消耗を防ぐためのものだ。
香りは控えめでいい。香を身につける習慣のなかったであろう彼にも、違和感なく馴染むはずだ。
次にネスカ。
葉は傷薬に、根は鎮痛に使われる。戦闘を助けるというより、術者自身の身を守るための薬草だ。
刻み、すり潰し、ベースオイルとともに静かに火にかける。
油が馴染んできたところでラヴァルの粉を加え、さらにとろみが出たところで最後の薬草——ミュレを落とす。
ミュレは火属性と相性が良く、場所を問わず安定した火力を保ち、消耗に応じて回復を促す。
寒冷地は火属性に有利であると同時に、魔力消費の激しい土地でもある。柑橘に似た香りは強すぎず、セレフィーナ自身も好んで使っていた。
くつくつと煮出すうち、液面が一瞬きらりと光る。それを見逃さず、鍋を火から下ろす。
——あとは一晩、冷ますだけ。
ふと窓の外を見ると、すでに日が傾いていた。
ぐーっと背伸びをしたところで扉が開き、リリーがケーキと紅茶を運んでくる。
「お嬢様、ヴァルカディア公爵閣下からケーキが届いています」
「え?」
「花はここ数日ずっとでしたが、今日はケーキとお手紙です」
差し出された封を開き、セレフィーナは目を落とした。
『昨日は楽しい時間をありがとうございます。
本日は王都からレイパーン——ヴァルディエル王国の港まで、馬で少し駆けてきました。
道中で食べたケーキがとても美味しく、あなたにも味わってほしくなったのです。
ヴァルカディア領にも、野菜を使ったケーキが自慢の店があります。
——いつか、一緒に食べられたら嬉しい』
手紙を読み終えたセレフィーナは、しばらくそのまま動けずにいた。
丁寧な文字から伝わってくるのは、気遣いと、ほんの少しの照れのようなものだ。
「……一緒に、か」
思わず小さく呟く。ケーキひとつの話題であっても、その言葉は確かに未来を示していた。
視線を作業台へ戻す。
鍋の中で冷まされている調香油は、まだ本来の香りを発揮していない。
確実にユーフェインを思って組み上げられたそれは、焔の魔力を支え、身を守り、消耗を抑える。それは命を預かる戦いの場で、ほんのわずかでも彼を楽にするための香りだ。
——それでも。
セレフィーナはそっと胸元に手を当てる。
この香りに込めたのは、それだけではない。離れている間、ふと思い出してもらえたら。寒さの中で、守られていると感じてもらえたら。
これは贈り物であり、祈りであり、そして――自分がここで待っているという、言葉にできない意思表示でもあった。
「リリー、このケーキ……少し後でいただくわ」 「かしこまりました。紅茶はまた淹れなおしましょう」
扉が閉まり、再び研究室に静けさが戻る。
セレフィーナは鍋の蓋を外し、ゆっくりと香りを確かめた。
やわらかく、あたたかく、包み込むような匂いがほのかに香る。
「……うん」
小さく頷く。これなら大丈夫だ。
彼を見送る日に――この香りだけは、必ず渡そう。
セレフィーナは調香油を入れる瓶を選び、ラベルにこう名付けた。
——『リュミエ』と。




