10 護りの香り
投稿遅れました
手紙の約束を交わしたあとも、二人はしばらく丘の上に立っていた。
王都を渡る風が、ユーフェインが纏う外套の裾を静かに揺らす。
セレフィーナは、意を決したように小さく息を吸った。
「……ユーフェイン様」
「なんでしょう」
彼女は、一瞬だけ視線を逸らし、それからまっすぐに彼を見る。
「ヴァルカディアへお戻りになる前に……ひとつ、贈り物をさせていただいてもよろしいでしょうか」
思いがけない言葉に、ユーフェインは目を瞬かせた。
「私に、ですか?」
「はい。ほんのささやかなものですが」
拒まれるとは思っていなかった。けれど、それでも胸の奥がきゅっと縮む。
次の瞬間、ユーフェインの表情が柔らかく崩れた。
「それは……とても嬉しい申し出ですね」
声に、隠しきれない喜びが滲む。
「あなたからの贈り物なら、どんなものであっても大切にします」
「……ありがとうございます」
セレフィーナは、少しだけ安堵して微笑んだ。
「それで……差し支えなければ、お聞きしたいのですが」
「はい」
「ユーフェイン様は、どのような香りを好まれますか?」
何でも良いといったものの少し予想外だった質問に、彼は少し考えるように視線を上げる。
「香り、ですか」
「はい。何となくでも構いません。落ち着く香り、懐かしい香り……どんなものでも」
ユーフェインは、しばらく沈黙したあと、静かに口を開いた。
「晴れ晴れとした……今日の太陽みたいな……温かい空気が好きです。うまく説明できずに申し訳ないのですが」
「……いいえ。この景色が懐かしいと話されていましたから。ここに来ることができてよかった。私もイメージしやすいです」
言葉を重ねるほどに、彼自身も思い出に触れているようだった。
「安心するんです、俺が生きる理由となったこの場所は」
セレフィーナは、その言葉を胸の奥に刻むように聞いていた。
「……でしたら」
彼女は、ほんの少しだけ声を和らげる。
「王都に、気に入りの薬房があるのです。よろしければ、ご一緒していただけませんか」
「薬房へ?」
「はい。御守を作らせていただきたいのです」
薬草を扱う令嬢など、令嬢らしくないと突き放されてもおかしくない。いつもは、父や兄の御守として身内だけのものとして作っていた。
はしたないと思われたかと様子をうかがうセレフィーナを他所に、ユーフェインは贈り物をしたいと言ったときより一層喜びに満ちていた。
「あなたが作ってくださるのですね」
「……はい」
彼ははっきりと頷いた。
「ぜひ、案内してください。あなたの手で作ってくださったものをいただけるだなんて、こんなに嬉しいことはない」
二人は並んで丘を下り、王都の通りへと戻っていく。
その歩幅は、先ほどよりもわずかに近かった。
セレフィーナは、胸の奥で静かに思う。
この贈り物は、無事を祈るためのもの。けれど同時に、想いを託すものでもあるのだと。
薬房の扉を開けた瞬間、冬の王都とは別の空気が満ちていた。
乾いた冷気はそこになく、代わりに鼻腔をくすぐるのは、ほのかな苦味と甘さが混じった香り。乾燥させた薬草の匂い、樹皮を削ったときの青さ、そして奥にわずかに残る花の名残。火も焚いていないのに、室内はどこか温もりを帯びていた。
「……」
セレフィーナは、無意識のうちに小さく息を整えた。
棚という棚に、小瓶や包みが隙間なく並んでいる。淡い色から深い影を落とすものまで、乾いた葉、刻まれた根、粉末にされた樹皮。ひとつひとつに手書きの札が結ばれ、整然としているのに、決して無機質ではない。
ここに立つと、胸の奥が静かになる。
研究室でも、屋敷でもない。それでいて、どちらよりも彼女自身に近い場所だった。
「すごい……」
ぽつりと、ユーフェインの声が落ちた。
「入っただけで、空気が違う。落ち着くというか……」
「この薬房は、扱う量を最小限にしているのです。香りが混ざりすぎないように」
セレフィーナは、そう言って奥へと進む。
「私が贈り物に使うものも、ここで選びたいと思っていて」
そう告げた背中に、ユーフェインは一瞬、言葉を失ったまま視線を向けた。
セレフィーナが何をしようとしているのか実のところよくわかっていない。でもそれは、おそらくこれまで誰にも見せてこなかったであろう素の領域。それを、今は自分のために見せてくれている。それがたまらなく嬉しい。
棚の前に立ったまま、セレフィーナはふと足を止めた。
「……ユーフェイン様」
呼ばれて、彼は彼女の方を見る。
「差し支えなければ、もう一つお聞きしてもよろしいでしょうか」
「ええ、もちろん」
セレフィーナは、ほんのわずかだけ声を低くした。
「……失礼かと存じますが、魔力属性を教えていただきたいのです」
問いかけは静かだったが、薬房の空気が一瞬だけ張りつめたように感じられた。
この世界の魔力属性は大きく火、水、風、土、光の五つである。
魔法はその名称を核として力となる。魔法が世界で使われて長い年月を経ると共に、五大属性は少しずつ形を変えてきた。よって、系統は五大属性のいずれかであっても、名称は人それぞれで変化している。
複雑化した魔法において、名称はもはや魔法の核であり、それを知られることは弱点にもなり得る。
ユーフェインはその魔力と武術で血雪の公爵とまで呼ばれる人物だ。そう簡単に教えてもらえるとは思っていなかったが——
「……属性は火です。名称は焔」
ユーフェインは、セレフィーナの耳元で、隠すことも誇ることもなく答えた。
「代々、この国の王族は火や光の系統が多い。私も例外ではありません」
「そう、でしたか」
あまりにも自然な返答にセレフィーナは驚いた。何より息遣いさえわかるほど近くで話しかけられて、顔から火を吹くというのはこういうことだろうと思う。
「では……こちらで香りを選んでいただけますか」
彼女は、いくつかの小瓶を卓の上に並べる。
「私の好みではなく、ユーフェイン様が心地よいと感じるものを」
「それでいいのですか?」
「はい。使う方が選ぶべきものですから」
そう言って微笑むと、彼女は一歩だけ距離を取った。
ユーフェインが瓶を手に取る、その間に——セレフィーナは別の棚へと向かう。
火属性……過剰に刺激してはいけない。指先が迷いなく動く。
・乾燥させた赤褐色の葉。
・根に近い部分だけを切り取った樹皮。
・熱を抱え込み、ゆっくりと放つ性質を持つ香草。
どれも、火の魔力を強めるものではない。整え、循環させ、暴走を防ぐための素材。ただし、ヴァルカディアという寒冷地での消耗も考えるなら、魔力を安定させるようなものもほしい。
彼女は、わずかに香りを確かめるように包みを開く。
鼻腔をくすぐる、柔らかく温かな匂い。ちくり、と胸の奥で何かが反応した。
——今が、いい。
素材が持つ魔力が、最も安定している瞬間をセレフィーナは光として無意識に捉えていた。
「……これだな」
不意に、ユーフェインの声が聞こえる。彼は、一本の小瓶を手にしていた。
「強すぎないのに、芯がある。冬の朝みたいな香りだ」
「……」
セレフィーナは、ほんの一瞬だけ目を細めた。
彼が選んだそれは、彼女が火属性に合わせて選びかけていた香草と、驚くほど相性が良かった。
「良い選択です」
そう答える声は、いつも通り穏やかだった。
ユーフェインは気づかない。その裏で、すでに贈り物の核が定まりつつあることを。
この御守は、ただの香りでは終わらない。
けれど今はまだ、彼女自身ですら、それを特別だとは思っていなかった。
次回投稿は数日先になるかと思います。
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