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図書室の守護精霊(私立クリスティ学園 魔法使いの生徒会編2)  作者: 月森琴美


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19

 午後の授業開始を知らせるチャイムに、三河みちるはほっと一息ついた。

 どの教師も授業中は忙しいが、保健室担当の教師としては昼休みや休み時間、放課後が一番忙しいのだ。

 さきほどまでお腹が痛いだの熱があるだの、昼休みにサッカーしたらボールが顔面に当たっただの、というもろもろの症状に対処し、まだランチも取っていなかった。

 5時間目が始まり、彼女は椅子から立ち上がり、トイレに向かう。

 用を済ませて保健室に戻り、遅い昼食に手をつけようとしたとき――。

「あら?」

 彼女は机の上に置かれた一輪挿しに気がついた。

 薄紫の薔薇の花が、甘い香りを振りまいている。

 じっと見つめていると、淡い色をした花びらが柔らかく揺らめいた。

「まあ、きれい……だこと……」

 思わずもらした感想は、どこかたどたどしい。

 いつの間にか薔薇の花を見つめているうちに、彼女の瞳がぼんやりしてきた。

 花の中から甘い声がする。

『町田智之と会ってはいけない』

「まちだ……ともゆきと、あっては、だめ……」

 みちるは真っ赤な唇を動かして、花がささやきかけた暗示を、うわ言のように復唱した。

『会ってはいけない。災いが起こる』

「わざわいが……ともゆきに、あってはだめ……」

 だんだんみちるの瞳に、何かわからぬ強い意志が宿る。

(そうよ、智之に会ってはいけないの、わたしは)

 それがどうしてなのか、何故突然そう思うようになったのか。

 そんな疑問を心に問うことなく。

 薔薇の花の思うが侭、みちるは暗示を受け入れ、それを自分の意思として心に深く刻み込んだ。




(とは言ったもののね)

 茉理は5時間目が始まったというのに、ノートを取るでもなくため息をついていた。

(遠野君には一人で行くなんて言っちゃったけど)

 現実、一人の力では無理があった。

 なんといっても図書室は、一般生徒は立ち入り禁止。

 今はしっかりと施錠され、鍵穴破りの達人でもないと中には入れないしくみなのだ。

(窓だってきっと開いてないわよね。生徒会の人だったら、おそらく入れるんだろうけど)

 職員以上に、名門クリスティ一族である彼らの力は強い。

(他に誰か協力してくれそうな人、いないかな)

 あそこの鍵がどこにあるのか知ってる人、もしくは魔法か何かで、あそこに侵入出来そうな人。

 一生懸命考えたが、生徒会のメンバー以外思いつかなかった。

(あーあ、でも遠野君以外の人って、どうにも頼み辛いしなあ)

 そもそもあそこを一般生徒立入り禁止にしたのは、生徒会なのだ。

 そして会長である帝は、一刻も早くあの精霊の処分を望んでいる。

 自分が何を言っても、どうせ鼻で笑われて反対されるのがおちだ。

 何気に顔をあげたとき、ふと教壇に立つ前田先生と目があう。

 彼はさわやかな笑顔を浮かべ、茉理を一瞬だが優しく見た。

 彼女はどきっとして、教科書の影に俯く。

(やだ。なんかもしかしてわたし、先生に意識されてる?)

 あんな変なことを相談してしまったから、気にしてくれているのかもしれない。

 ――君はもう少し成績を上げないと。クラブ活動も参加してみたらどうだ?

 こないだ言われた言葉が、突然頭によみがえった。

 自分がどこのクラブにも所属していない事まで、しっかりと心配してくれている。

(そうだ、前田先生にだったら)

 茉理の脳裏に、その考えがするりと忍び寄ってきた。

(処分される前に、もう一度だけあの精霊に会いたいって言えばいいじゃない)

 直樹の忠告もあるから鏡のことは言えないけど、それぐらいだったら頼んでみても不自然ではないだろう。

(ようし、がんばってみようかな)

 何とかなりそうで、茉理はとても嬉しくなった。




 放課後、彼女は思い切って職員室に行ってみた。

 町田先生は、丁度職員室前の廊下に立っている。

 頼んでみると、彼は苦い顔をした。

「困ったな、あそこは一応危ないからね」

「でもでもっ、どうしても処分される前に、もう一度会いたいんですっ」

 茉理のすがるような目線に天井を仰ぎ、しばらく町田先生は考えていた。

 やがてふうっと息を吐くと、いつものさわやかな笑顔を浮かべる。

「わかった。ただし条件がある」

「なんですか」

「まず一つ。下校時刻が過ぎるまで待つこと。表向きは教師も立ち入り禁止ってことになってるから、目立つ時間帯は無理。生徒が全員帰ってからにしよう」

「わかりました」

「それからもう一つ。僕も一緒についていく。いいね」

「え……」

 茉理は目を見開いた。

「あの、その、それはちょっと」

「僕が一緒じゃ駄目かい? でもこれは譲れないよ。君はよく知らないだろうけど、精霊というのはかなり危険なんだ。封印魔術も、戦って服従させる魔力もない君を、一人で接触させるわけにはいかない」

「はあ」

「僕が一緒はまずいというなら、この話はなかったことにしよう」

 少々厳しい視線を向けられ、茉理はしぶしぶうなずいた。

「それでいいです、あの、よろしくお願いします」

「じゃあ、どこかで時間をつぶしておいて。下校の放送が鳴ったら、見回りの先生に見つからないように隠れているといいよ。6時にはほとんど職員の大半が帰宅するし、僕はうまく言って宿直を変わってもらうから」

「いろいろすみません」

 茉理はぺこっと頭を下げる。

 町田先生は柔らかな笑みで、今回だけだぞ、とささやくと職員室に戻っていった。



 時計の針が6時を指した。

 茉理はどきどきしながら廊下をしのび足で歩く。

 図書室の前に着いたとき、そこに町田先生が立っているのを見て、彼女は駆け寄った。

「先生」

「後野か。うまく見つからなかったね」

 にこっと笑むと、彼はポケットから鍵を取り出した。

 図書室の扉を開けて、茉理はどきどきしながら足を踏み入れる。

 しばらく放置されている部屋の、こもった空気の匂いがした。

「前々から不思議だったんだけど、後野はどうしてあの精霊が見えるんだい?」

 町田先生の問いに、茉理は首をかしげた。

「わたしにもよくわかりません」

「そうか。最初の時はどうやって見たんだ? 通常は呪いの効果で、あの精霊の姿は誰の目からも見えないようになってるはずなんだが」

「あの、初めて見たときには、帝先輩――会長が一緒でした。変な泣き声がしたので、会長があちこち調べて彼女を発見したんです」

「そういえば君たちはつきあってるんだったね」

 思い出したように言われて、茉理の頬が染まった。

(ちょっと違うんだけど)

 あの薔薇の温室での決め事のあと。

 帝とはほとんど会っていない。

 廊下ですれ違って頭を下げると、大抵うなずかれるか、一言だけ挨拶めいた言葉をくれるかのどっちかだ。

(でもそのほうが自然だよね。今までが異常だったんだって)

 茉理は無理やり、胸の奥に物足りない気持ちを押し隠し、そう思った。

 自分から言ってしまったことなので、今更もう少しいろいろお話してもいいんじゃないですか、とは言えない。

(極端な人よね、まったく。こうと決めたら徹底的にそうするんだから)

 黒髪の綺麗な顔立ちを思い出し、茉理は思わずため息が出た。

 彼の中には白か黒か、嫌いか好きか、どっちかしかない。

 灰色とか曖昧な気持ちなんて、理解することが出来ない性格のようだ。

(本当は繊細で、優しい心の持ち主のくせに)

 もう一人の帝を思い出し、茉理のため息はいっそう深くなった。

 そんな彼女の浮かない表情をどう思ったのか、さりげなく町田先生は聞いてくる。

「伊集院君と付き合うのは大変かい?」

「はい。って、あっ、その、そうですねー、ははは」

 茉理は咄嗟に出た本音を、あわててごまかした。

「職員室でもうわさになっていたからね。去年の彼女とはかなり態度が違うとかなんとか……最近はどう? いつも君は一人で帰っているようだけど」

「え? あー、はい。電車で同じ方向の人っていなくって」

 茉理は素直にうなずいた。

「仲の良い友達は出来たかい? この学校はなかなか外部の転入生を受付ないから、ほとんどクラスメイト達も皆顔見知りばかりだし。入っていくのは大変だろう」

「えーと、はい。でも仲良くしてくれる子はいますから」

 大丈夫です、と茉理は微笑んだ。

(町田先生って、本当にわたしのこと気遣ってくれてる)

 優しいんだな、と茉理は胸の中で思う。

「さ、ここだ」

 奥の棚と棚の間。

 壁の前に立つと、町田先生は手のひらを突き出した。

 まばゆい光が辺りを包み、呪われた惨状をまた目の前にさらけ出す。

「嘘……」

 茉理は思わず手で口を覆った。

 前に見たときより、更にひどい状態になっている。

 少女は真っ赤に自分を染め上げ、床にはいつくばっていた。

 その様子はまるで赤い爬虫類か何かのようだ。

「これはひどい」

 町田先生は顔をしかめる。

「最終段階になりつつある。早く処理しないといけないな」

「最終段階って?」

「悲しみや苦しみで精霊は理性を失うことがある。意識があるうちはまだいいが、いつまでも身の内に負の思いを抱えたままだと、すべてを忘れ去って暴走するようになるんだ」

「そんな」

「暴走したら見境なく攻撃する。理性も知性も感情も何もかも失くしてしまい、ただ目の前にあるものはすべて排除する、おぞましい闇魔獣と化してしまうんだ」

(そっか。だから帝先輩はあの子を早く処分したかったのね)

 今更ながら茉理は納得した。

 何も知らないといつも言われて、馬鹿にされてるような気がしたが、確かにそれは認めざるをえない。

 生徒会長として、彼なりに学園を守ろうとしているだけのことだったのに。

(なんでもっと早く気付かなかったかな。あんな怒った言い方しちゃったし)

 ティアの件に関して、なんてみんな冷たいんだろうと思っていたが、本当は違うのかもしれない。

 このまま精霊の少女をほうっていたら、いつ生徒達に襲いかかるかわからないなんて、なんということだろう。

(なんとかしてあげられないの? もうどうしようもないのかな)

 茉理は鉄格子ごしに話しかけた。

「ティア、お願い、わたしの声を聞いて」

 精霊は、床にへばりついたままピクリともしない。

(そうだ、あれを)

 茉理はポケットから鏡を取り出した。

「なんだい? それは」

 興味深げな町田先生の問いに、茉理は答える。

「うちの家に先祖代々伝わる鏡なんです。なんでも特別な力があるとか」

「ほお」

 腕組みし、町田先生の顔が鋭くなった。

 茉理は背後で見守る彼の表情には気付かず、夢中で鏡を鉄格子に翳す。

(お願い! 鏡よ、わたしに力を貸して)

 必死に念じる彼女の想いが通じたのか――鏡は唐突にまぶしい光を放った。

「うわっ」

 町田先生は驚き、咄嗟に茉理を抱えて鉄格子から引き剥がす。

「大丈夫か、後野」

 その鏡は一体――とつぶやきながら、彼は茉理の手に握られた鏡を見た。

 鏡の上部に彫られた紋章に、彼の目が見開かれる。

(これは……この紋章は、まさか!)

「あ……たたたっ、先生?」

 茉理は町田先生の腕から身を離し、体制を整えた。

(もう、突然どうしたんだろう?)

 スカートの襞を直すと、彼女は鏡を見る。

 夢の中では精霊の前にかざすと、徹という少年の影が現れ、精霊が反応した。

 でも今はさっぱりだ。

(やっぱり夢の通りにいかないのね)

 はあああっ、とため息をついた彼女の腕を、突然町田先生ががっしりと握った。

「え、先生?」

 茉理は目を丸くし、彼の表情の変化に驚く。

 先ほどまでの穏やかでさわやかな青年教師はどこにもいない。

 その目はらんらんと輝き、口元には怪しげな微笑が浮かんでいた。

「そうか……そういうことか」

「あ、あの、先生?」

 茉理は困惑して、腕をほどこうと振る。

 でもますます強く握られて、彼女は恐ろしくなった。

「何故魔力のない君が入学を許可されたのか疑問だったが、そういうことか。あの話は伝説なんかじゃなかったというわけだな、フフフ」

(せ、先生、どうしちゃったの?)

 茉理は身を震わせた。

 彼の見せる表情は、獲物を捕らえていたぶる喜びを味わう変質者のようだった。

 怖くて怖くて、自分の中に湧き上がる恐怖と嫌悪感に、茉理は必死で抵抗する。

「離してください。どうしたんですか、先生」

「離す? こんな一世一代のチャンスを? 君さえいれば僕は世界一の魔術師になれる。君の力があれば、もうクリスティ一族ごときに頭を下げる必要などないんだ。君がいればね」

 野心満々の瞳を向けられ、茉理はますます暴れた。

「嫌! 先生、何言ってるんですか。正気に戻ってください」

(わたしがなんだっていうのよ、もう!)

 魔力のない自分に、何が出来るというのだろう。

「君は自分をよく知らないようだね。まだ目覚めてはいないのか。ならば尚更、好都合。君に教えてあげるよ。僕こそが君にふさわしい魔術師だということを!」

「やだっ、痛いっ」

 腕を強く上に引き上げられ、茉理は悲鳴をあげた。

「いい子にするんだ。僕の言うことを聞くなら手荒なことはしないよ。君の欲しい物をなんでもあげよう。だから僕のものになるんだ」

 彼はそう叫ぶと、すばやく呪を唱えた。

 細い糸のようなものが彼女の体に絡みつき、縛り上げる。

「いやあああっ! 助けてっ」

 少女は捕らえられ、恐怖の涙を流した。

「叫んでも無駄さ。校内にはもう誰もいない。観念して僕のところへ来るんだ、さあ、巫女よ」

(嫌っ、助けて……誰か)

 茉理は必死に頭の中で叫んだ。

『お願い、誰か……帝先輩!』




 シュッと鋭い音がして、茉理を拘束する糸が断ち切れた。

 今まで縛られていたのが突然解かれ、茉理は均衡をくずして倒れこむ。

 そのまま体が床に打ち付けられるかと思ったら、さっと強い腕が伸ばされ、少女を受け止めた。

 ぐったりしながら茉理は顔を上げ、鋭いまなざしを注ぐ少年を確認する。

(嘘……本当に、帝先輩……)

 彼はふっと笑みを浮かべると、茉理をぐっと胸に抱きしめた。

 恐怖の心が、彼の胸の中ですこしずつ解れていく。

 茉理は、安心して涙が出た。

 そのまま帝の胸に顔をうずめ、少女は彼に身をあずける。

「伊集院君……」

 町田智之の呆然とした声に、帝は強いまなざしを向けた。

「校内で女生徒に乱暴するなんて、教師としてあるまじき態度ですね、先生」

「……」

「ここは一般生徒立入り禁止のはずですが、なぜ彼女とここへ?」

「それは、その、後野がここに来たがったからだ」

 しどろもどろに弁解する智之を、帝は年下とは思えない激しい瞳で睨んだ。

「彼女がここに来たがったから? そんな言い訳が通用するとでも思ってるんですか。一般生徒が入ろうとしたら、それを止めるのが教師の役目でしょう」

「僕は……」

 取り繕う言葉を失くし、智之は身を震わせる。

 帝の全身から感じる圧倒的なまでの敵意に、彼は恐ろしさを感じていた。

「まして彼女は俺の女だ。よくもこの伊集院帝のものに手をかけてくれたな!」

 彼は怒気を込めて叫ぶと、右手を伸ばした。

 かざされた手のひらから雷撃が飛び出し、智之を襲う。

「うわああっ」

 防御のバリアを出現させるも、帝の放った攻撃はそれをも貫き、智之の身を貫いた。

 薄青のワイシャツの肩口から血がにじみ出る。

「くそっ……このガキが!」

 肩を押さえ、目を怒りで燃え上がらせると、町田智之は理性を失った。

 両手を胸の前に組むと、償還魔法をとなえる。

「出でよ、我が最強の大地の僕!」

 智之の前に巨大な光の魔方陣が現れ、その中からずぶずぶと出現したのは――。

「きゃあああっ、何よこれ」

 その巨体と異常さに茉理は悲鳴をあげた。

「グランドゴーレム――土の巨人か」

 まったく動じず、冷静に帝はつぶやく。

 本棚3個分ほどの巨体はすべて岩で出来ており、3つの大きな目は、赤、青、琥珀色と宝石のような輝きを放っていた。

 後ろ足二本で立ち、両腕は動かすたびにドロドロの泥がぼたりと床に落ちて広がる。

「ゴーレムよ、あいつを踏み潰してしまえ」

 智之は血走った目で叫んだ。

 主人の命令を受け、大きな手が茉理と帝に向かって襲い掛かる。

「きゃあっ」

 泥の拳が叩きつけられる前に、帝は茉理を連れて空中浮遊した。

 そのまま次々と繰り出される拳の攻撃を、彼はいともたやすくかわしていく。

「体が大きい分、動きが見えやすい。一発の威力は巨大だが、当たらないとまったく意味がないな」

 すべての攻撃を避けきり、馬鹿にしたようにつぶやく帝に、智之の更なる怒りが降り注いだ。

「このなまいきなガキが。ゴーレムよ、あいつらに岩の恐ろしさを思い知らせてやるがいい」

 ゴーレムは図書室を揺るがすほどの声をあげると、巨体を大きく伸ばす。

 四肢をありったけ広げ、まるで一枚の大きな岩壁のように二人の前に立ちはだかった。

「ど……どうなるの?」

 震える茉理を安心させるように、帝はぐっと抱きしめる。

「ただの威嚇だ。心配するな」

 それに――とつぶやき、彼は檻の前を見た。

 ゴーレムと帝たちの動きに気を取られ、そこに光の魔方陣が出現していたのを智之は見逃している。

「帝先輩っ」

 茉理の鋭い声に帝は更に加速をつけて、ゴーレムの胸から次々と放たれる岩石の攻撃を避けた。

「くっ」

 ところどころ泥にまじって、硬い小石が飛ばされてくる。

 小さな石はスピードもあり、見破りにくく何度か帝の体にヒットした。

 帝は舌打ちすると、茉理を背にかばい両手を突き出す。

 バリアの球体で自分と茉理を覆い、岩の攻撃をふさいだ。

「ふふっ、受身とは君らしくない。クリスティ次期総帥の名が泣くな」

 嘲笑を浴びて、帝はにやりと笑う。

「俺は無駄な攻撃はしない。それにもう済んでいる」

「何?」

「貴様の魔獣は、もう終わりだということだ」

 帝の言葉が終わるや否や、ゴーレムはおかしな動きを見せ始めた。

「なっ、なんだ、どうした、ゴーレム」

 自分の命令をまったく聞かず、巨体をのた打ち回らせて苦しむ魔獣に智之は目を白黒させる。

「終わったな」

 ふう、と一息つくと、帝は岩の転がっていない檻の側に着地した。

「あ……あの、帝先輩?」

 わけがわからず戸惑う茉理に、帝は薄い笑みを向ける。

「見てろ。面白いことになるぞ」

「え?」

 茉理は目を丸くして、ゴーレムを見つめた。

 巨大な岩と泥の怪物は、どんどんグロテスクな緑色に変化していく。

(なんかあれって見たことあるような)

 茉理の背中に悪寒が走った。

「なっなっなっ……」

 智之は口をぱくぱくさせて絶句する。

 ゴーレムはその巨体をくねらせながら、緑色のゼリー状態になってしまったのだ。

「ふむ、なかなかの成功率だな」

 ゼリーの陰から長身がすっくと立ち上がった。

「初めての攻撃対象がこんな大きな奴だとは思わなかったが」

 黒眼鏡をきらめかせ、直樹はふっと笑みをこぼす。

「ご苦労さん、もういいぞ、ミミ」

 彼の一声で、すっと何かが彼の横に降り立った。

 小柄な少女系の精霊は、直樹に嬉しそうな笑顔を向ける。

「14番目の魔法薬、とてもよく効きますね」

「ああ。そうだな」

(あの子って?)

 茉理は目が点になった。

 それは青い髪をした美少女で、何故かナース服を着ている。

 そして衣装にふさわしい巨大な注射器に横座りしていた。

(何、あのおっきな注射器。しかも魔法の箒のように浮いてるし!)

「あいつは直樹の契約精霊、水属性のカプリエル、ミミだ」

 顔をしかめながら帝が説明してくれる。

「そ、そうなんだ、精霊の中にも看護婦さんがいるんだね」

「あれは主人の趣味だ」

 俺には理解出来んが、と首を振る帝に、茉理は目をぱちぱちさせた。

(って要するに、精霊に自分の趣味でコスプレさせてるってこと?)

 精霊はくすっと笑うと、注射器に乗って茉理の側にきた。

「お久しぶりです、帝様。そしてこちらが帝様の今年のお相手ですね」

「あ……はい」

 精霊の少女は、ふわっと注射器から降りて可愛く礼をする。

「初めまして。わたしは白衣の妖精 ミミ。ご主人様の言うことをきかない子には、お注射しちゃうわよ、うふっ」

 ミニのナース服からすらりと伸びる足を色っぽく寄せて、彼女はパチリとウインクを決めた。

「……」

 茉理は一気に力が抜けた。

 さっきまでの緊迫感がふっとんでしまう。

(こ、これが、直樹先輩の趣味……)

 茉理の中で、直樹の変態度が100ポイント追加された。

「この男心をくすぐる魅力がわからないとは、帝、君もまだまだお子様だってことだね」

 反対側の隅から、雅人が優雅に髪を揺らしながら現れる。

「雅人先輩までいたんですか」

「ふふっ、僕だけじゃないよ」

 薔薇の花で指し示された方を見ると、英司と斎の姿もあった。

「全員集合だな」

 直樹は黒眼鏡のフレームに指を当て、じっと智之を睨む。

「斎の忠告どおりになったな。まったく後野さん、君は面白い子だよ」

「一人で危険地帯に乗り込もうとするなんてね。でも危ないことをするときは、ちゃんと僕達を誘ってくれなくちゃ。斎君一人だけに声をかけるなんて、お兄さんは寂しいよ」

 しゅっと瞬間移動した雅人は茉理の背後に出現し、後ろから耳元でささやいた。

「ちょっ、やめてください、雅人先輩」

「困った顔も魅力的だねえ、姫。さてと」

 彼は瞳に鋭い光を宿すと、智之に意味深な笑みを向ける。

「町田先生、せっかくですが、この場は退かれた方がよろしいのでは」

「何っ」

「いくら学園一の償還士でも、クリスティの若き騎士5人を相手にするなんて無謀のきわみだ。そうは思いませんか」

「ふ、ふざけるな。貴様たちの魂胆は見栄見栄だ。伝説のように、その娘を自分たちの手中に捕らえ、意のままにしようとしているだろう」

「なんのことやら」

 黒眼鏡がきらりときらめいた。

「どうやら先生は、何か勘違いされているようですね。彼女は魔力を持たない普通の一般人だ。それをどうして俺達が捕らえる必要があるのです?」

「一般人だと? 貴様たち、知ってて隠してるだろう。その子は」

 智之は最後まで言葉を発することは出来なかった。

 突然喉を両手で押さえ、彼は床にうずくまる。

「くっ……うっ……」

 直樹はつかつかと彼の前に歩み寄ると膝をつき、にやりと笑んだ。

「余計なことを知らない方が身のためだ。先生、貴方は何も気付かなかった」

「ぐっ、ううっ」

 喉を押さえ、智之は必死に叫ぼうとする。

 しかし何かの力で喉は締め付けられ、窒息の苦しみが彼を襲った。

「そうでしょう。その証拠にほら、返事も出来やしない」

 智之は片手を伸ばし、直樹につかみかかる。

 だが喉を締め上げられる苦痛に耐えかね、その手はむなしく床に落ちた。

 彼の体が力を失い、どさりと倒れて動かなくなる。

「まさか……死んじゃったの?」

 震える声でつぶやく茉理に、帝はそっと答えた。

「大丈夫。意識を失っただけだ」

 白目を向いて気絶している彼の額に、直樹は自分の右手を当てる。

「悪いけど彼女に関する記憶を消させてもらうよ。余計なことは知らないほうが貴方のためだ」

 青い光が直樹の右手から発せられ、智之の額に吸い込まれていく。

「英司、このゼリー異物をゴミ焼却場に運べ」

「はい」

「雅人、お前も一緒に行って、こいつを処理しておけ」

 他の奴らに見つかると面倒だ、と帝は言った。

「はいはい、僕の炎はこの国の燃えないゴミ置き場『夢の島』だって、一瞬にして燃やしてしまえる威力があるからね。これくらいわけないさ。それに」

 ちろりと横目で直樹を見る。

「どうせ君のことだ。最後の後始末は僕にさせようと思って、このゼリーを可燃物にしてくれてるんだろう?」

「ご名答」

 直樹は智之の記憶を処理し終わり、立ち上がった。

「それは火がついたら、あっという間にオゾンという気体に変わり、空へ昇っていく。環境に優しい魔法薬だ」

 俺に抜かりはない、と得意そうにつぶやく直樹に雅人は手を振ると、英司とゼリー状のゴーレムと共に瞬間移動する。

「斎、町田先生を保健室に寝かせておいてくれ。起き上がるまで、お前が側で見張ってろ」

 斎はうなずくと、智之の体を抱き起こし、ふっと消えた。

 茉理は目の前であっという間に処理されていく現実に、声をあげるひまもなかった。

「何を見ている」

 横からぼそっとささやかれ、彼女は我に返る。

「あ……えーと、町田先生は大丈夫かな」

「さっきも言ったが気絶してるだけだ。心配ない」

 直樹が神経を鎮める魔法を送ったから、15分ほどすれば目覚めるだろう、と帝は説明した。

 今更だが、茉理は身を震わせる。

 先ほど先生につかまれて、拘束されそうになったときのことを思い出したのだ。

「ねえ、どうして助けにきてくれたの?」

「お前が俺を呼んだだろうーがっ」

 横を向き、半ば顔を赤くしながら帝は怒鳴る。

「ありがとう。助けに来てくれて」

 茉理は俯き、頭を下げた。

 帝は顔をゆがめると、自然に少女を引き寄せる。

「いつもいつもお前は、どうしてこう揉め事ばかり起こすんだ!」

「……」

「横で見ているこっちの身にもなってみろ。まったく」

 ぎゅっと抱きしめられ、茉理は胸が激しく高鳴った。

(違うよ、こんなんじゃないんだってば)

 頭の中で、そう必死に否定する。

(帝先輩は、『ただの顔見知りの先輩』なんだってば! それ以上でもそれ以下でもないはず……でも)

 やっぱりちょっと不自然かな、と茉理は首をかしげた。

 そうやって一生懸命言い訳してる自分こそが、一番おかしくみえる。

 自然な気持ちをわざと捻じ曲げているかのような――わからなくなって茉理は目を閉じ、抵抗をやめた。

 いつもは自分を否定してくる少女が力を抜いて身を預けてくるのを感じ、帝の胸も一気に高鳴る。

(ほら、みろ、やっぱりお前は俺のことを……)

「あー、取り込み中済まないが、帝」

 横からコホンと咳払いされ、二人はあわてて離れた。

「なっ、なんだ」

 ばつが悪そうな声で、帝は直樹に聞き返す。

「今後のことを考えないとね。これからどうするか」

「とりあえず、可燃ゴミは焼却場に運んどきましたよ」

 英司が戻ってきて、得意そうに報告する。

「雅人が今、燃やしてるのか」

「はい。最後まで処理してから来るそうです」

「そうか」

 帝は、腕組みをして考え込んだ。

「これからのこととは他でもない。あの精霊の少女をどうするかだ」

 直樹の問いに、その場にいた全員が檻の中を見る。

 あれだけ周囲で騒ぎが起きていたというのに、中は少しも変わらなかった。

 精霊の少女は芋虫のように床に這いつくばり、全身を赤く染め上げている。

 もはや形が人間系だったことすらわからなくなってきた。

「可哀想……」

 茉理は檻の前にしゃがみこみ、少女を痛ましげに見る。

「あまり時間がなさそうだな」

「そうですね。暴走するまであと数分ってとこでしょうか」

 帝と英司が、冷静に精霊を見て声をかわした。

「そんな! もう助からない?」

「もう異次元に転送などまだるっこしい手は取っていられない。英司、直樹、戦闘態勢だ」

 帝の言葉に二人はうなずく。

「あと数分でこいつは暴走する。檻を破って襲ってきたら、こちらも攻撃開始だ。さっさと消滅させてしまおう」

「そんな」

 茉理は唇を噛み締めた。

 確かに意識を失い、暴走したら、もう彼女を始末してしまうしかない。

 そうしなければ他の者たちが危険に晒される。

(わかってる。わかってるけど、でも)

 それでもまだあきらめきれなかった。

 あの夢が、リアルに茉理を突き動かす。

 徹を呼び、鏡の中の彼の姿に瞳を揺らして恋焦がれる精霊の少女。

 想いは届くことなく、かなうことなく、最後は恐ろしい闇の魔獣と化して終わる。

(そんな悲しいのってないよ! 15年も苦しんだのに)

 本を抱え、檻の中で彼女は泣きながら待ち続けたのだ。

 本当に愛しい人が、いつか会いに来てくれるときを。

「おいっ」

 帝の制止の声も耳に入らず、茉理は檻の前にしゃがみこみ、右手を出して鉄格子を握った。

 電流のような衝撃が彼女を襲う。

「離れろ」

 帝が飛びつき、茉理の手を鉄格子から離そうとした。

 でも彼女は衝撃にも負けずに、ますます格子を握り締める。

 伝わる衝撃の中で、彼女は溢れるほどの強い想いを全身に受けた。

 それは悲しく切なく、狂おしいほどの叫び。

 ――君を渡したくない! 君は僕だけのものだ!

 ――この中で生きる……それが貴方の望みだから。

 茉理は全身を貫く熱い想いに、身を震わせた。

 それは他人の思念なのに、まるで自分の思念であるかのような感じを受け、体が心がすべて切り裂かれそうな悲鳴をあげる。

 ――貴方に一言、伝えたかった。わたしは、あの人を選んだわけじゃない!

 檻の中に満ち満ちた激しい想いが茉理を包んだ。

 ――わたしが好きなのは貴方だけ。本当に愛しているのは、徹、貴方だけだと。

(伝えたい……この想いを)

 茉理の中で、それは大きな願いになった。

(どうしてもあきらめない! 命が果てても、この気持ちだけは最後まで消えない! 伝えたい!)

「うわっ」

「茉理っ」

 茉理の胸に下げたペンダントが白く輝く。

 その光はその場すべてを包み込み、彼女の念と相まって大きく熱く広がっていく。

(なんだろ、この暖かい感じ)

 茉理は無意識に自分が放った力を感じ、そう思った。

 なんでも出来る――不可能はないというこの感じ。

 造りだせる、どんなものでも、どんな方法でも可能にしてみせる絶対の自信にあふれたこの暖かいエネルギーは一体……。

(巫女の力が、目覚めつつあるな)

 まぶしい光に包まれながら、直樹は黒眼鏡の奥で冷静に状況を把握した。

(思うことすべてを創成し、可能となす無限の聖なる魔の力。この世界に存在しない空間を作り上げることも、魔法を生み出すことも、はたまたどんな強力な魔法効果も消滅させてしまうことさえ可能な万能の力が)

 悲しい想いもせつなる願いも暖かな光に包み込まれ、熱く溶かされ、そして消滅した。

 ――すべては巫女の願いのままに。


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