17
下校時刻が過ぎた校内は、やたら静まり返っていた。
「お帰りですか、三河先生」
職員用の靴箱の前で、前田先生は若い女教師に声をかける。
ミニの白いスーツに身を包み、一見清楚に見える保健の擁護教師は微笑んで振り返った。
「あら、前田先生。先生は今日は宿直でしたかしら」
「ええ。残念ですよ、そうでなかったら食事にでもお誘いするのに」
さわやかな笑みで期待を持たせる口ぶりに、三河みちるの頬が赤らむ。
「まあ、そんな……」
「でも機会があったら本気でお誘いしてもいいかな。そのときは前田先生ではなく、名前で呼んでください。あの頃のように」
どこか遠くを見る彼の目に、みちるも懐かしさを感じた。
二人とも共にこのクリスティ学園出身で、小学校から大学まで過ごしたのだ。
「本当にあなたとは長い付き合いだわ。まさか二人とも教師になるなんて思ってもいなかったから」
「同窓会なんてものは僕たちにはありませんからね。魔族は学校ではクラスメイトでも、いざ門を出たら敵同士――なんてことは日常茶飯事だ。今更集まることも出来ないけど、時々は身近な友と交流してもいいでしょう」
「そうね。またいろいろ話したいわ」
みちるはヒールを片手に笑う。
「ではまた。宿直がんばってね、智之」
「帝、下校時刻は過ぎましたよ」
「ああ」
生徒会室では、英司が動かない生徒会長に声をかけた。
「まだ帰りませんか」
「俺は少しこれに目を通しておく。英司、お前は先に帰れ」
「じゃあお先に」
英司は笑顔で鞄を持つと、生徒会室を出て行った。
帝は十数枚のコピー用紙を閉じたのをめくりながら、真剣な目つきになる。
『ミ・カ・ド。英司君、帰ったの?』
ふわりと声が頭の中に響く。
帝は顔をしかめて答えを送った。
『ああ。首尾はどうだ』
『ばっちり、とはいかないけどね。ま、なんとかしてみるよ』
保健室で、雅人は腕を組みながら微笑んだ。
『直樹の情報は頭に入れたけど、さっき玄関先のモニターを確認したら、二人の接触があったからね』
『その辺はお前の演技力でなんとかしろ』
『はいはい、注文の多いお客様。じゃあね』
思念会話を切ると、雅人は保健室の椅子にかけられた白衣を手に取る。
「あーあ、個人的には拝借したくないけどね」
(僕の好みにはまるで合わない女性だもんな。ま、しょうがないか)
心の中で、不本意だけどね、とつぶやくと、雅人は保健の先生用白衣をふわっと肩にかけた。
コツコツコツ……。
深夜の廊下に、無骨な靴音が響く。
鍵を差込み回すにぶい音がして、一階端の図書室の扉が開いた。
黒いマントに身を包み、全身黒ずくめの男がするりと中に忍び込む。
すべての棚と書籍を移動させたため、今の図書室は物一つない空き教室と化していた。
彼は真っ直ぐ奥の壁を目指す。
「闇夜を照らす光の白き力よ、わが腕に満ちて闇を照らせ!」
突き出された右手のひらからまばゆいばかりの光が溢れ、奥の壁を包む。
それは茉理の不思議な光と同様に辺りを包み、壁の前にある悲惨な光景を白日の下にさらした。
鉄格子がぎしっと軋む。
その中にたたずむ精霊の少女は、はっと絶望に彩られた顔を上げた。
彼女の表情が恐怖の色を浮かべる。
「い……いやっ、あなたは……」
「覚えてくれていて嬉しいよ。ティア」
黒マントの人物は怯える精霊を見て、満足そうな笑みを浮かべた。
「嬉しいかい? 君の契約した主人にまた会えて」
「近寄らないで……」
ティアは必死に鉄格子の奥まで後ずさる。
「そんなに怖がるなよ。僕は君の主人なんだぞ」
「あなたは……あなたはわたしの主人では」
「なくはないだろう? 君は15年前、僕の魔力に屈して服従した。君のすべては僕の物だ」
彼は近寄ると、すっと手を鉄格子に伸ばす。
彼の手が檻に触れた瞬間、檻から電流が走り、彼の手を伝わって衝撃を与えた。
「くっ」
彼は手を引っ込める。
「あいかわらず忌々しい呪いだ。君と僕とを隔てるなんて」
「これは呪いでありません。あの人が……トオルが、わたしをあなたから守るために作ってくれたもの。あの人の想いが込められたもの」
「ふん、その愛しい徹の心を追い詰め、死に追いやったのは君じゃないか」
黒マントを翻し、智之は笑った。
「あいつは君をこんな檻に閉じ込めてしまった自分を呪った。親友であるこの僕の天賦の才をうらやんだ自分を嫌った。自分というものに存在する価値を見出せなくなった。この世に必要ない存在だと、自分で自分を嫌悪した。そして自分自身を呪って死んだ――君への想いの為に」
「……」
ティアの瞳が揺れる。
「君にさえ会わなければ、君が徹を裏切ったりしなければ、彼が死ぬこともなかったのにね。今頃は誰か素敵な女性と出会って結婚し、幸せな家庭を築いていたかもしれないのに、君がすべてを奪ったんだ。それなのに未だに彼を想って、こんな風に存在しているなんて」
少女の体から力が抜けた。
すべてを絶望に支配され、自分の生きる力すら放棄して、彼女はその場に崩れるようにうずくまった。
檻の外にかがみこみ、智之は更に続ける。
「君の事はすっかり忘れていたよ。その後の僕の人生にとって、徹との思い出は些細な出来事に過ぎなかったからね。まさかまだここに存在し続けているなんて――とっくに処分されたかと思っていたのに」
「わたしは……」
「そう、君は自分ひとりでは死ぬことも消えることも出来ない。精霊は主人の命なしに勝手に動くことは許されない」
智之の目が怪しく光る。
「でもそろそろ君をなんとかしないとね。大したことない小事でも、君の存在が人道やら感情にはしる人たちに知られたら僕の名前に傷がつく」
「……お好きなように」
ティアは小さくか細い声を漏らした。
「わたしは、あなたのものなのでしょう? さあ、好きに処分してください」
「ふふっ、潔くてありがたいよ」
智之は微笑むと、両手を組み合わせる。
「呪いの消去は出来なくても、契約精霊を意のままにすることは出来るからね」
さようなら、ティア、と、つぶやくと、智之は両手をかざそうとした。
そのとき。
コツ、コツ……。
「誰だ!」
予想外の侵入者。
智之はばっと振り返る。
「君は」
「智之。やはり貴方だったのね」
保健の擁護教師 三河みちるが、彼の背後で怪しく微笑んでいた。
「みちる」
帰ったはずじゃ、と顔を強張らせて智之はつぶやく。
「あら、そうだったかしら」
ふふっ、と彼女は面白そうに笑った。
「こないだ理事会に、あなたが出した書類を見て驚いたわ。あの徹のことを調べたいなんてね、あなたが」
「お前、あの書類をどうして」
「あら? 理事会への申し出を受け付けるのはわたしの係じゃない」
「馬鹿な。徹のことは伏せておいたはずだ」
「そんなもの幾らでも察しがつくわよ。わたしたち、どれくらい一緒にいたと思っているの?」
みちるは、すっと智之に近づいた。
「最近、保健室に図書室で幽霊を見て眠れない、怖くて授業も受けれない、という生徒が来たのよ。もちろんあなたのクラスのね、町田先生」
(小坂の奴か)
ぎりりと智之は歯を噛み締める。
みちるは側に寄ると、彼の頬を両手で包んだ。
「この子を秘密裏に処理したいんでしょ。生徒会に出てこられる前に」
「……」
「どうして徹が死んだのか、わたしにはさっぱりわからなかったけど、これでやっと合点がいったわ。あなただったのね、徹を追い込んだのは」
「僕じゃない」
「そうかしら。ま、いいけど」
みちるは檻の中を覗き込んだ。
「あらあら、こんなになっちゃって……でも元は可愛いみたいね。あの徹が惚れ込むわけだわ」
「なっ」
「そうなんでしょ。あの頃、わたしたちはまだ子どもだったじゃない。貴方も徹も、わたしも」
「そうだったな」
「この子のことは、まあ、若気の過ちってとこなんでしょうね、あなたにとっては」
「僕は……」
「ねえ、智之、あなた知ってた? わたし、徹を好きだったの」
冷たい瞳で、彼女は智之を睨む。
「何だと」
「あなたなんかより、ずっと彼のことを好きだったのよね。でも告ったけどふられたわ。今にしてみれば何故なのかわかる。この子がいたからなのよね」
みちるは精霊の少女を痛ましげに見た。
「精霊と恋に落ちるなんて考えられないわよね。犬や猫を深く愛するのと同じレベルだっていうのに――徹は優しい人だったから」
「君の恋敵を目の前にした感想はどうだい?」
皮肉げな言葉に、みちるはむっとする。
「そんなだからあなたは彼女が出来ないのよ、智之。付き合った子とはいつも3ヶ月が潮時だった。今でもそうでしょ」
「だからなんだ」
「もったいないわよねえ、そんな良い顔してんのに。女が選ぶのは顔だけじゃないんだから。その性格、いい加減になんとかしたら?」
「余計なお世話だ」
智之は、すっと踵を返す。
「あら、もう帰るの?」
それとも逃げ出すのかしら、とルージュの唇に微笑まれ、智之は不機嫌そうに言った。
「今日は興ざめだ。もうやる気も失せた」
「そう、残念ね」
「こんなところでお前とやりあう気はないからな。だがいいか。このことを一言でも誰かに漏らしてみろ。お前を確実に殺してやる」
「まあ、怖いこと」
みちるは、さしておびえた風も見せずに返す。
「証拠は何一つないからな。僕は何も過ちを犯していない。もしお前が一言でも言ったりしたら、困るのはお前の方だぞ。余計なことには首を突っ込むな」
「ありがたい忠告ね、ま、善処させていただくわ」
余裕たっぷりの彼女を智之は一睨みすると、図書室を出て行った。
「お疲れ様」
壁の暗がりからすっと現れた人影に、三河みちるは顔をしかめる。
「何よ、もう。ずっとそこで覗き見なんて良い性格してるわね」
「いや、それはこちらのセリフかな。まったくお前の演技力にはいつも賞賛するよ。俺には絶対に出来ないからね」
よくやるよ、と黒眼鏡をにぶく光らせ、直樹はにやりと笑った。
「あーあ、でもどうせ変身するんなら、もう少し好みの女性が良かったなあ。ふう、疲れた」
そう言って、三河みちるはパチンと指を鳴らす。
すっと白衣の中の体が揺らぎ、元の金髪がふさふさと肩に垂れた。
「で、しっかり取れた?」
「もちろん。この俺に手抜かりはない」
手に持つビデオカメラを直樹はちらつかせる。
「さすがに君の推測どおりだったね。あれだけのデータを元によくここまで――本当に君の洞察力と推察力には敬服するよ」
雅人は薔薇の花を出すと、高貴な香りを深く吸い込んだ。
「でもまさかここまで当たるとは、正直俺も予想していなかった」
ビデオカメラから映像データチップを取り出しながら直樹は答える。
「あの徹という生徒が若くして自殺まがいの死を選んだのも、おそらくこのとき闇の魔法に手を染めてしまったからだろうと思っていたが」
「一度闇の魔法を使うと、心がその分闇の力に蝕まれる。よほど強い精神力の持ち主でなければ耐えられない。やっかいないことに闇の魔法は、さほど魔力がなくても感情の起伏で強力なものを使うことさえ出来てしまうから、誰でも手を出しやすいなんて、まったく悲劇の始まる要因の一つだよ」
「そうだな。もし相当な魔術師でなければ発動出来ないのだったら少しは良かったんだろうが、闇魔法は使い手の闇の心――憎しみ、嫉妬、悲しみ、恨み、ねたみなどが一番の原動力だ。あの鉄格子の呪いも、かなり強い怨念とでもいうものが元になっている。おそらく発動した人間は、そのあと己に巣食う闇の力を知ってしまい、それに一生際悩まされただろう。自分で自分を呪ってしまってもおかしくない」
「あの智之君は知ってたろうね」
雅人がぽつんとつぶやいた。
「おいおい、仮にも今は俺達の先生だぞ」
「そうだった。あんなのに教わらないといけない僕達は、なんと哀れな宿命だろうか」
雅人は悲劇の舞台に立つ役者のように、両手をあげてポーズを取る。
「かの呪われた心を持つ男に、誰が天罰を与えてくれるというのだろう。神か、それとも悪魔か」
「芝居はいいから帰るぞ」
「誰も彼を裁くことが出来ないというのなら、運命よ。どうかこの僕に彼を戒める力を与えたまえ!」
雅人はそうつぶやくと、黙って俯き、手に持つ薔薇の花をぐしゃっと握りつぶした。
その瞳が燃え上がっているのを見て、直樹も鋭い目つきになる。
(雅人じゃないが、今回は少々、俺も腹が煮えくりかえるようだな。さて、どうするか)
ジャケットの内ポケットにしまった証拠データの存在を感じながら、直樹も黒眼鏡をちらりと光らせた。




