16
茉理が町田先生に呼び出しを受けたのは、それから2日後だった。
「理事会の許可が下りて、僕が調べてみたんだ。15年前にいた生徒の中で2年生の徹という生徒は、この一人だけだ」
町田先生が一枚の用紙を見せる。
そこには制服を着て生真面目に写っている少年の証明写真が貼ってあった。
(あ、この人)
茉理は写真を見て、絶句する。
自分の夢に出てきた精霊の少女が会いたがっていた少年――あの幻に出てきたのと同じ顔だった。
(あれはなんだったのかな。夢にしてはとてもリアルだわ)
背筋がぞぞっとする。
茉理の顔色を見てか、町田先生は残念そうな口ぶりで続けた。
「ただ彼はもうこの世にいない。大学部在学中に魔術の使用を誤って、自らを傷つけて死んでしまったんだ」
「なっ」
彼女は驚いて、応接室の椅子から立ち上がる。
「そんなっ。何かの間違いじゃ」
「残念ながら確かだよ。彼はもういない。よってあの精霊の呪いを解くことは出来ないんだ」
「嘘……」
「僕も正直、こんな結果になってしまって気落ちしている。君に良い結果を出してあげたかったんだが」
そう言って、町田先生は優しく茉理に歩み寄り、ポンと手を肩に置いた。
「あの精霊にしてやれることはもう何もない。君のその優しい気持ちだけで十分だよ。あの子をきちんと処理してやろう」
「……」
「いつまでも人間世界に留まっていることは、あの子のためにならない。いっそすべてを忘れてしまえるようにしてあげたほうがいい。本を抱え、かなわぬ望みを抱きながら永遠に泣き続けるよりも」
(そうだけど……だけど……)
茉理は、顔を俯ける。
ここまで来て、また道が途絶えた。
自分には何も出来なかったのだ。
(あのティアを、処分してしまうしかないなんて)
たとえ最後はそうなったとしても、なんとか心の悲しみを少しでも癒してあげたい。
茉理はそう思い、必死に考えてみた。
でも何も浮かばない。
「後野、あの子のことは僕にまかせておいてくれ。もう君や小坂が気に病む必要はないよ」
茉理の肩を叩きながら、町田先生は慰めるように言った。
「いいね、忘れるんだ」
「でも」
「それより君は、もう少し成績をあげないと。クラブ活動も参加してみたらどうだ。せっかくこの学校に入ったのに、いろんな所で活動してみるのも必要なことだよ。いいね、後野」
泣きそうになるのを必死に堪え、茉理は項垂れながら礼をして応接室を出た。
いつの間にか、外はまた小雨が降りだしていた。
こんな天気だというのに、茉理は傘も持たずに屋上に出る。
頭から雫を浴びながら、一人で灰色の景色を見つめていた。
(何とか出来ないかな。他に何かしてあげられることってないのかな)
一生懸命考える。
でも何も浮かばなかった。
(あの子、本当に好きだったんだよね、あの徹って人のことを)
あんなに赤くなるまで、泣いて泣いて泣いて――。
15年という長い歳月、彼だけを想って生きてきた精霊の少女。
(せめてお話とか出来たらいいのに)
茉理はふっとそう思った。
(わたしもあの子の口から辛いこととか悲しいことを聞いてあげたい。そしたら少しは楽になれるかもしれないのに)
でも彼女は、まだ外からの呼びかけに応じようとしない。
頑なにすべてを拒否しているのだ。
(あの鏡さえあれば――)
茉理は失くしてしまった鏡を思い、ため息をつく。
祖母からもらった不思議な力のある鏡。
効力の一つに、己の見たいものを鏡に映して見ることが出来るというものがあった。
その力を用い、夢の中で茉理はティアに徹の姿を見せることが出来た。
あれを、もう一度使うことが出来たら――。
彼女の瞳に決意の光が宿る。
(探そう、あの鏡を)
あのことがただの夢だったとは、茉理には思えなかった。
だって現実に徹は、あの夢の中と同じ顔をしていたのだ。
もしかして夢の通りにやったら、ティアはこちらに意識を向けるかもしれない。
処分されてしまう前に、まだ何かしてあげられることがあるかもしれないのだ。
心を決めると、すっきりして茉理は屋上から教室へと降りていった。
特館の理科室は、ひんやりとしていた。
「失礼します」
茉理は一声かけて、ドアを開ける。
あいかわらず骸骨の全身像が彫ってある不気味なドアだと思いながら、彼女は理科室に足を踏み入れた。
「やあ」
黒眼鏡の長身が振り向いて微笑む。
「君が俺にコンタクトを取ってくるとは思わなかったよ。どうぞ」
「あ……どうも」
茉理は身を堅くしながら、直樹の横に腰掛ける。
彼は今、何かの実験の最中らしかった。
試験管が何本も試験管立てにあり、その中には様々な色の液体が入っている。
アルコールランプには火がついており、その上にかかったビーカーの中には透明な液体がぐつぐつ煮立っていた。
「あの……」
「ちょっと待ってくれよ。これをやってしまうからね」
今、丁度良い温度なんだ、と直樹はにやりと笑い、側にあった袋からゲジゲジのような虫を取り出した。
(うっ、何あれ)
一瞬、虫のグロテスクさに茉理は口を押さえる。
虫は人差し指ほどの長さと太さで生きが良く、何本もある曲がった針のような足をぐねぐねぐねっと動かしていた。
直樹は虫を大きな五寸釘で台の上に打ち付け、固定する。
試験管の中から数本を選ぶと、中の液体をビーカーに注いで混ぜ合わせた。
たらたらと煮立った液体の中に赤や青や黄色の液が入り、一つに解け合っていく。
しばらく煮立ててから直樹はアルコールランプの火を止め、出来た液体を特製の注射器に吸い上げた。
「さて、どうなるかな」
彼は注射器の針を、ぶすっと虫に突き刺す。
そして中の液体を一気に送り込んだ。
虫はのたうちまわっていたが、注射器の針を受けて動かなくなる。
ピクピクとしっぽを動かしていたが、やがてその虫の内部から何か光のようなものが溢れて弾けた。
「うわっ」
「まぶしいっ、何よ、これ」
茉理は袖で顔を覆う。
黒眼鏡をかけた直樹は動じなかったが、彼女には虫から発せられる光はまぶしすぎた。
数分後、光は収まる。
「完成だ」
直樹の一言で、茉理は顔を上げて絶句した。
「なっ……なんですか、これっ」
「見ての通り、ゼリーだ」
直樹は淡々と説明する。
虫はぐねぐねではなく、足の先までぷるぷるのゼリー状態になっていた。
「なんか文房具屋に、一昔前にこんなおもちゃが売ってたような気が」
「ほお、知ってるのか」
直樹はにやりと笑う。
「今回は、それを自分の手で捕まえた虫で作れる魔法薬を調合してみた。なかなか良い出来だ」
「はあ」
(っていうかそんなの買う人がいるのかな。自分で虫を捕まえて、それから注射しないといけないなんて――おもちゃを買ってきたほうが楽な気がする)
そうまでしてあのおもちゃを欲しいと思うのか少々不安だったが、直樹はさっそくレポートに配合した成分の割合を書き付けて喜んでいた。
「待たせたな。それで俺に相談とは?」
直樹がやっと茉理の方に意識を向けたので、彼女は思いきって尋ねてみた。
「あの、もしかして先輩の発明品の中に、失くした物を見つける装置とかないかなあって思ったんですけど」
「それは時と場合と事情によるが、誰の失くし物を探したいんだ?」
「あ、わたしのです」
茉理はふうっとため息をつく。
「おばあちゃんからもらった鏡なんですけど、いつの間にか無くなってしまって」
どこを探してもみつからないんです、と悲しそうに言う茉理を、直樹はじっとみつめた。
「その鏡を最後に見たのはいつだい?」
「えーと、先週、学校から帰ってきて、制服のポケットにあるのを確認したと思うんですけど、それっきり」
(あの変な夢のことは言わない方がいいよね)
茉理は頭の中で、そう判断する。
「先週、ね」
直樹は思わせぶりな口調で繰り返すと、目を閉じて何か考え込んだ。
「とりあえず現実的な方法からやってみないとね。落し物届けは出したかい」
「はい?」
「職員室に専用用紙があるから、そこに記入して担任に出すといい。校内で落し物をした生徒は、まずそれを記入する。職員室の朝の打ち合わせで読み上げられて先生方に意識される上、校内掲示板に貼り付けられるから、他の生徒たちからの目撃情報も得られやすい。見つけ出せる確立が増えるだろう」
「そんなのがあるんですね」
「あとは、そうだな。サークルというものもある」
「は? サークルですか」
茉理は首をかしげた。
「通常の公式クラブは魔術を使ったものを禁止している。そういうのとは別に有志を集めて非公式に立ち上げ、運営しているクラブ活動があってね」
きらりと直樹の目が光る。
「もちろん正式に認められたわけではないから部費も何も出ないけど、校則によれば校内は個人の魔術使用は禁止だが、サークル活動での使用まで実は禁じていないんだよ」
「なんかそれって、すっごく校則の裏をかいてるやり方って気がするんですけど」
なんとなく危険な感じがして、茉理は口に出す。
「まともな一般生徒だったらまず気付かないだろうけどね。校内で個人の魔術は使用を禁ず、なんて書いてあったら、まずクラブ活動でも駄目だと思うし、他の活動でも許されないことだと考えるのが普通だ」
「そうですよね」
「でもその文章の曖昧さを逆手にとって、こっそり活動している有志のサークルなんかがこの学園にはあってね。一応問題が起こらないよう、生徒会が目を光らせてはいるんだ」
クラブは職員会議で認めないとクラブとはならないけど、サークルは個人でいくらでも作れるし、生徒会に届けを出しておけば、それでO.Kだからね、と直樹は説明する。
「そのサークルの中に探偵サークルなんてのがあって、これが落し物やその他いろんな依頼を引き受けてくれるらしい。俺も依頼したことはないから、くわしくは知らないが」
「はあ」
「ああ、でもただというわけではなかったな。何か報酬を払わないといけないそうだ。部費が得られないから、まあ当然といえば当然かな」
(すっごく怪しいわよね、そのサークル)
茉理はうさんくささを覚え、肩をすくめた。
「ちなみに生徒会でも、落し物の種類によっては探すのを手伝うことがある。職員室の投書箱に書いて出しておいてくれたらいいよ。全員で考慮して、手伝う必要有りと判断したら、俺の発明品を駆使して探してあげよう」
「わかりました」
茉理はふうっと息を吐き、立ち上がる。
「参考になったかな」
「はい、ありがとうございました」
ぺこっと頭を下げる茉理に、直樹は聞いた。
「ちなみに君は、この俺の話を聞いて、これからどうすることにしたかい?」
「えーと、サークルはちょっと怪しい気がするし、とりあえず落し物届けと生徒会の投書箱ですね」
「面倒だから投書の方は、俺が言っといてやろう。鏡の特徴を教えてくれ」
茉理は、えーと、このぐらいで――とくわしく説明する。
「あ、そうだ、上の所に印鑑ぐらいの丸い模様がついてるんです」
「どんな?」
「うーんと……こんな感じかな」
茉理は直樹の出してきたレポート用紙に、ささっと鉛筆で簡単に模様を書いた。
七つの若葉が組み合わさった模様を見て、直樹の目がすっと険しくなる。
(これは……)
「後野さん」
「はい」
「これは俺達が全面的に引き受けよう。職員室に行く必要はない」
彼の口調が変わったのに気付き、茉理は目を丸くした。
「え? でも」
「いいから。この件は生徒会にまかせるんだ、いいね」
強くそう言われ、茉理は黙ってしまう。
直樹は茉理の方を真剣に見た。
「この鏡は、君のおばあさんから譲り受けたものだそうだね」
「はい、なんでもご先祖代々の守り鏡だって」
「そう。君は、ご先祖様について何か知ってるかい?」
「いいえ、くわしくは。でもおばあちゃんが言ってたんですけど、なんでも魔族じゃないけど、魔族ととても縁のある家系だったって」
「そうか」
直樹はしばらく考え込んでいたが、茉理に言った。
「君の家はね、魔族じゃないが、とても魔族から大切に思われていた一族だったんだよ」
「え?」
「魔族の誰もが君の一族の力を望んだ。そういう不思議な力がある家なんだ」
「そうなんですか」
茉理は驚いてしまう。
「君の所有する鏡も、おそらく特殊な力があるはずだ。これの存在を知られたら厄介なことになる。極力鏡のことは秘密にし、誰にも言うんじゃない。わかったね」
「は……はい」
「先生たちにもだ。こんなことを言いたくはないが、クリスティ学園に所属する教師たちはみんな魔族で、それぞれ家やら宿命やらを背負っている。そんな人たちに君の存在が知られたら狙われてしまうだろう。その未知なる力を欲して」
茉理は思いがけないことを言われ、唾をごくっと飲み込んだ。
不安そうな少女の表情に、直樹は少し言葉を和らげる。
「大丈夫。君は俺達クリスティ家が、ちゃんと守るから心配しないでいい」
「え?」
「君を守るのも俺たちの家の役目ってことだ。すべての魔族の頂点に立つ家の責任だよ」
茉理は、ますますわけがわからなくなった。
(わたしを守るって言われてもね)
自分にはそんな大層な力なんてない。
最近自分に時々不思議な現象が起こるのは承知していたが――いまいち自覚が持てずにいた。
「何かあったら俺達生徒会に相談してくれ」
「はい、ありがとうございます」
茉理はわからないなりに礼を言って、理科室を出た。




